風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

自家製すっぽんスープ(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第347話)

2017年04月30日 07時30分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 しばらくイベント対応の仕事で忙しい日々が続いた。毎朝五時に起きて夜は十一時や十二時頃に帰宅する。
 金曜日の夜、イベントの打ち上げを終えてようやく帰ると、
「ねえ見て」
 と家内が楽しそうにダイニングの隅においた金盥の蓋を開けた。すっぽんが二匹、盥のなかでじっとしている。
「ママが市場で買ってきたの。さっき一匹逃げ出しちゃったのよ。台所で見つけたわ」
「危なかったねえ」
「急いで盥へ戻したわ。あなたはくたくただからってママが特別に用意してくれたのよ」
 翌日、おじさん(お義母さんの弟)がすっぽんをさばくためにやってきた。さすがに女手ではさばけないようだ。僕もさばいたことがないからできない。
 まな板のうえに置いたすっぽんは首を引っ込めているので、割り箸を突っ込んで喰らいつかせる。割り箸をすうっと引いて、すっぽんの首が伸びたところで、包丁を叩きつけばっさり首を落とす。すっぽんの胴体は震えているが思ったほどは暴れない。お義母さんも家内も楽しそうだ。
 二匹目をさばく時、アクシデントが起きた。すっぽんがおじさんの指にかみついたのだ。おじさんはうめき声をあげる。すっぽんはいったん食いつくと雷が鳴っても離さないと聞いていたけど、幸い、案外簡単に外すことができた。
 すっぽんの血を流して、腹を十字に切って内臓を取り出す。内臓は臭くて食べられない。なかの脂も落とす。きれいに洗うのはなかなか大変な作業だ。おじさんも夕飯をいっしょに食べるのかと思っていたのだけど、すっぽんをさばいただけで、指に絆創膏を巻いて帰って行った。
 生姜を入れてと鍋でぐつぐつ煮込む。独特の香りがふわっとする。煮込んでいるうちに生臭さが消えた。
 いよいよ夕飯にすっぽんスープが登場した。すっぽんの甲羅と肉が鍋に浮かんでいる。
 まずはスープを飲んでみる。生姜がきいて良い味だ。すっぽんの肉を食べてみた。肉は硬くてなんだか筋張っている。食べるものではないような感じだ。家内はまずければ残してもいいというのですこしだけ食べて残した。
 すっぽんのメインは甲羅の縁のゼラチン状の蛋白質だ。スープの味がしみこんでいるだけで、あんまり味はしないけど、これがいちばん栄養があるところなのだそうだ。甲羅の縁からはがして食べ、甲羅をしがんで残らず平らげた。甲羅を手にかざしてみる。すっぽんに申し訳ない気がしないでもない。化けて出てくるような気もする。甲羅を砕いて粉にすれば、漢方薬の材料になるのだとか。
 二日連続ですっぽんスープを食べたおかげでずいぶん元気になった。元気になったのはいいのだけど、なんだかむずむずしてきた。


(2016年3月13日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第347話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


さよならクッキー君

2017年04月29日 07時30分15秒 | 詩集
 かじったクッキーから
 ボロボロとはがれるのは
 はかない思い出?
 それとも
 くずれた愛のかけら?
 さよなら さよなら

 けっこう高かったんだよ
 あちこちの店を探して
 買ったんだけどな
 風の公園でつぶやけば
 独りが胸にしみる
 さみしいよ

 本気じゃないのなら
 はじめから
 そう言ってくれればいいのに
 君はきまぐれ猫
 めっちゃかわいいけど
 どこか冷酷
 やっぱ残酷

 僕をダメにするだけ
 ダメにして
 どこかへ消えちゃうだなんて
 あの笑顔は偽りだったんだな
 今さら気づくけど
 憎めなかったりして

 クッキーに罪はないから
 君のかわりに
 僕が食べてあげる
 なんか湿気てるなと思ったら
 知らないうちに
 涙のスパイスをかけていた

 かじったクッキーに
 ボロボロと落ちるのは
 ちぎれてねじけた恋心
 クッキーも涙も
 みんな平らげて
 君のことなんて
 すっかり忘れてしまいたい

 いつか町ですれ違っても
 君のことなんて
 気づかない
 気づきたくもないもん


夕波

2017年04月25日 07時30分15秒 | 詩集

 肩を寄せ合って
 落日をぼんやり眺めよう
 遠いとおい海から
 寄せ返す夕波
 ぼくたちの生まれた
 ふるさとから
 やさしい言葉を
 ささやきかける

 生まれてきたのは
 君と出会うため
 波に揺られて
 悲しみの岸辺へ流れ着き
 約束していたように
 巡り合った

 触れ合う肌の
 ぬくもりだけが
 崩れた気持ちを
 癒してくれる
 君の胸に耳をあて
 心臓の鼓動を
 聞いてもいいかな

  いつの日か
  海の向こうへ還る
  君と手を繋いで
  一緒に還る
  たとえ僕の命が
  先に終わっても
  この渚でずっと
  君を待っている

 震える夕陽が
 じわじわ沈むから
 暮れなずんだ波は
 しだいに色を失ってしまう
 ふるさとの唄の
 途切れる一瞬前
 抱きしめて
 きつく抱きしめて
 さびしさが
 悲しみに変わらないように


贈り物

2017年04月18日 07時30分15秒 | 詩集

 美しい言葉を贈りたい
 桜吹雪 舞うような
 流れ星 煌めくような
 きれいな言葉を
 たったひとりのあなただけに

 悪い夢にうなされた
 時の旅の途上
 しあわせを見失って
 さびしさに酔って
 口ずさむのは
 とがった風の唄ばかり

 あなたの口づけが
 悲しみを抱きしめた
 あの日から
 僕は生まれ変わった
 雪解け水が心を流れる

 分かち合う喜びは
 なによりもまして
 つがいの小鳥が
 じゃれあうように
 野原を渡ってゆけたら
 悔やまない
 時の旅を歩いてゆきたい

 美しい言葉を贈りたい
 谷間の百合 たゆたうような
 白い雲 輝くような
 素敵な言葉を
 あなただけのために


ひとひら

2017年04月12日 07時30分15秒 | 詩集
 春の光に舞った
 花びらひとひら
 けなげな桃色の
 かわいい花びら

 ふわっと飛んで
 梢をかすめ
 振り返りながら
 宙へ消えた

 お別れを
 言いにきたんだ
 ほんの短い
 巡り合いだったね

 お元気で
 さようなら
 名残りは
 惜しいけど

 命の消えた空
 花の香りの春の空
 雲のむこうへ
 還ったんだね

 夢のなかで
 ゆっくりおねむり
 あるがままの
 姿へ戻って

 いつか会えるよね
 かならずどこかで
 僕たちもまた
 風まかせの命だから

 春の光に踊った
 花びらひとひら
 純情可憐な
 花びらひとひら


さびしいともつぶやけない

2017年04月08日 16時00分15秒 | 詩集

 風は春なのに
 あたたかいはずなのに
 花は春なのに
 恋が咲くはずなのに

 待ちくたびれた
 まどろみのなか
 木の葉を透かす
 陽射しだけが
 まどっろこしくて
 時の流れが
 うずまくみたい

 だれもいない
 庭のベンチ
 つけっぱなした
 ラジオだけが
 なぜか賑やか
 うつろなおしゃべり

 いつかあなたが
 いたずらした
 桜の幹に彫った
 わたしのイニシャル
 永遠の誓いだとばかり
 思いこんでいた

 あなたを想えば
 胸がつまりそう
 さびしいとも
 つぶやけない
 帰るはずもない人を
 待っていると
 思いたくないけれど

 風は春なのに
 やさしいはずなのに
 光は春なのに
 愛を語らうはずなのに


上海・世紀公園の桜

2017年04月03日 20時30分30秒 | フォト日記
4月2日から4日まで、中国は清明節休暇の三連休だ。
天気がよいので、上海の浦東にある世紀公園に散歩に行ってきた。
世紀公園はかなり大きな公園だ。







世紀公園は桜が満開だった。
大勢の人が桜のトンネルを歩く。
なんでも、この三連休中、毎日約10万人! の人がこの公園を訪れるのだとか。







菜の花畑。けっこう壮観だ。



いろんなチューリップが咲いていた。

倉敷小旅行(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第345話)

2017年04月02日 20時00分00秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 春節休暇を利用して、上海人の妻を連れて大阪へ帰った。
 小旅行がしたかったので、倉敷までの切符を買って妻といっしょに新大阪から新幹線に乗った。
 新幹線のホームへ上がると、派手な塗装をした車両がとまっている。ホームの乗客は珍しそうにスマホで写真を撮る。エヴァンゲリオンとコラボしたエヴァ塗装の車両だそうだ。新大阪と博多の間を一日一往復している。僕も妻を先頭車両の脇に立たせて写真を撮った。妻は新幹線に乗るのが初めてだったので喜んでいた。
 人気とはうらはらに車内は空いていた。ぽつりぽつりとしか人が坐っていない。エヴァンゲリオン新幹線はこだまだ。みんな急いでいるからのぞみに乗ってしまうのだろう。六甲山の長いトンネルを出てから景色が見えるようになった。日本の風景は久しぶりだなと思いながらぼんやり眺めた。冬枯れの静かな景色だ。途中駅でのぞみに三回追い抜かされた。
 岡山で在来線に乗り換えて倉敷まで行った。倉敷駅から歩いて商店街のなかを通り、肉屋でコロッケや鶏のから揚げを買って食べ、それから美観地区へ入った。
 美観地区は昔の街並みが保存してある。木造の家屋が建ち並び、焼き板の塀や漆喰の壁が続いている。
「人が少なくて静かでいいわね」
 妻が言う。たしかに、人が少ないとなんだか落ち着く。中国の観光地はどこも人だらけだから、静けさを味わうというわけにはいかない。あたたかくなれば倉敷も人が増えるのだろうけど、いちばん寒い時期の平日だから旅行客はほとんどいなかった。ちょうどよかった。堀ばたで写真を撮ったり、路地のなかをあてずっぽうに回ったりしながら、ふたりで静かに散歩した。
 大原美術館へ入った。ゆっくり絵を眺める。妻はクリスチャンなので、キリスト教の宗教画は熱心に観ていた。これは復活の日の様子を描いたもので、すべての魂が救済されるのだなどと解説してくれる。
 東洋館へ入ると中国の書や壺が飾ってある。
「戦争の時に中国から奪ってきたのね」
 妻はおかしそうに笑う。
「違うよ。買ってきたんだよ。昔から貿易してただろ」
 誤解されたままでは困るので僕は言い返した。
 夜は、美観地区の居酒屋で食事した。
 僕はままかりを食べたかったので、ままかりの酢漬けと握りずしを注文した。
 ままかりは「飯借ままかり」と書く。御飯が進むので、隣から御飯を借りるほどだということから、この名前がついた。ままかりは岡山地方の呼び名で、正式には「鯯さっぱ」というそうだ。体長は十センチから十五センチくらい。ニシンの親戚だ。いろんな食べ方があるようだけど、僕はやはり酢漬けが好きだ。御飯ではなくままかりのほうをおかわりして、十数年振りにままかりを堪能した。おいしかった。
 翌朝、もう一度、美観地区を散歩した。丘に登って街並みを眺めた。やはり静かできれいでいいところだった。













(2016年2月28日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第345話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


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