風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

雲南の旅2011 独龍江 (最終回)

2011年10月19日 06時14分07秒 | フォト日記

 乗り合いジープに乗って六時間半、ようやく独龍江に着いた。




 小さなスーパーが一軒あるだけの小さな町だ。



 ここには独龍族と呼ばれる民族が住んでいる。
 女性は顔に刺青をいれる「文面」という習慣をもっていた民族だ。現在では廃止されたのだが、文面のおばあさんもいるという。この町の近く、といっても、山道を歩いて六七時間くらいの村に百歳近くの文面のおばあさんと七〇歳過ぎの文面のおばあさんが住んでいるそうだが、残念ながら会えなかった。








 独龍江の水はとても澄んでいる。
 川の流れを見ているだけでとても気持ちよかった。
 この川を遡ればチベットへ。この川を下ればミャンマーへ出る。







 住居は高床式。タイ族(タイ人と同じ民族)やワ族(カンボジアのクメール人と同じ民族)の様式に近い。




 希望小学校・中学校の校庭で子供たちが遊んでいた。
 義捐金を募って僻村の学校を整備する希望プロジェクトによって建てられた。離れた村の子供は、三年生か四年生まで村の分校で学び、その後、この学校へきて寄宿舎生活に入る。




 米線店の女の子。六庫のイ族。
 彼氏がこの町へ転勤となったので、彼を追いかけてやってきたのだそうだ。愛の力は強い。来年結婚する予定なのだとか。

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雲南の旅2011 独龍江への道

2011年10月17日 07時01分32秒 | フォト日記




 朝七時十分発の乗り合いジープに乗って貢山から独龍江へ。独龍江への定期便はこれしかなく、あとは、トラックを探して乗せてもらうくらいしか交通手段はない。
 出発の十分前にはジープの回りに乗客が集まっていたが、ゆっくり荷物を積んだりして実際に出発したのは七時二十分。少し走ったと思ったら、米線店の前にとまり、
「朝ごはんを食べよう」
 と、運転手が言う。乗客は饅頭をかったり、米線を食べたり。なんだかんだでちゃんと出発したのは七時四十分だった。のんびりしている。

 貢山の町を抜けてすぐに渓谷沿いの道を走る。集落のなかに赤い教会が見えたりする。四五十分走ったところで携帯電話のアンテナが立たなくなった。集落はまったくなくなり、道路工事の労働者のほかは人がいない。
 手つかずの自然のなかを走る。緑がきれいだ。がたごとと揺られながら景色を見ているだけで気分がすっとした。













 道路工事のために一時停車。
 崖の岩を切り崩し、崖の道の下の石垣にしていた。
 誰も文句をいわず、道が通れるようになるまで待っている。
 一時間くらい待ってようやく出発した。
 冬は雪が積もり、五月の労働節の頃まで積雪が残っているそうだ。
 乗り合いジープは分水嶺を越えた。

 




 トンネル工事の現場。
 トンネルが開通すれば、六七時間かかっている道が、三四時間ほどに短縮されるのだとか。便利になるかもしれないけど、ダイナミックな景色を観ることはできない。眺めのいい道を走りたいなら、今のうちかも。
 

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雲南の旅2011 貢山

2011年10月15日 09時06分50秒 | フォト日記



 福貢からさらに怒江を遡ったところに貢山がある。




 バスに乗っていると、昆明ナンバーの車とよくすれ違った。長い連休にマイカーでこちらへくる観光客が年々増えているのだとか。







 六庫、福貢と同じく、怒江のほとりにある町。六庫からは約二五〇キロ。
 ここでバスを乗り継いで独龍江へ行こうと思ったのだけど、独龍江行きは朝しかないとのことでこの町で一泊した。風景も人ものんびりしていた。






















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雲南の旅2011 福貢

2011年10月13日 06時47分28秒 | フォト日記








 六庫からバスで四時間ほど怒江を遡って福貢へ。町のつくりは基本的に六庫と同じ。怒江のほとりの小さな平地に建物が並んでいる。










 こじんまりしているぶんだけ、なじみやすかった。吊り橋を渡って、川辺でぼんやり景色を眺めていると、なんだか気分が落ち着いた。川は名前のとおりと言うべきか、怒濤のように流れていた。




 少数民族の布をかぶった女性たちが露店を出していた。民族衣装を着た人たちがもっといるのかと思っていたけど、案外少ない。二〇〇一年にバックパックを背負って雲南を旅した時は、田舎町に行けば民族衣装を着た女性がけっこういたものだけど。時の流れだろうか。




 右はリス族、左は怒族の女の子。
 ふたりはホテルの喫茶室の服務員だ。
 コーヒーを飲みたいなと思って喫茶室へ行ったのだけど、あいにく缶コーヒーしかなかった。
 リス族は怒江で最大の少数民族。中国国内には約六十万人が住んでいる。クリスチャンが多く、ラテン文字をもとにして作ったリス文字を持っている。彼女もクリスチャンなのだとか。クリスマスを新年として祝うそうだ。
 怒族は人口約三万人。おおかたの怒族はリス族の言葉を理解するそうだ。宗教は精霊信仰。彼女は、怒語、リス語、漢語の六庫弁(雲南弁の一種)、北京標準語を話す。
 
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雲南の旅2011 六庫

2011年10月11日 22時32分08秒 | フォト日記



 六庫は、昆明から約五五〇キロ西へ行ったところにある。怒江リス族自治州の州都だ。自治州のすぐ隣はミャンマー。昆明から約九時間バスに乗って六庫に到着した。
 街のほとりには怒江という名の川が流れる。茶色い濁流だ。





 「毛主席万歳」の文字が見える。一九七〇年にできたつり橋だ。




 街はどこにでもある中国の地方都市。
 十月の初めだというのに、昼間はTシャツでちょうどいいくらいの気候だった。山奥なので肌寒いかなと思って上着を羽織って行ったのだけど、汗をかいてしまった。




 食堂で頼んだトマト卵炒め。唐辛子入りでぴり辛味。




 百合根炒め。あっさりしていて、おいしかった。

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雲南の旅2011 昆明3

2011年10月11日 06時46分48秒 | フォト日記


 花鳥市場のあたりは、まだ古い昆明の建物が残っている。
 見出しの写真は薬局店。











 古い町並みを歩くとなんだか気分がほっとする。
 土産物の屋台も出ているので、このあたりをぶらぶらして土産を買った。







 中国の国歌『義勇軍進行曲』の作曲者である☆耳(☆耳の下に双、じょうじ・1912-1935)の生家が花鳥市場の近くに残っている。日本へ遊びにきて藤沢で海水浴をした際に死亡。ちなみに、藤沢市と昆明市は友好都市になっている。




 1000mm幅の鉄道。
 ベトナムのハノイから延びている。
 以前は昆明・ハノイ間に国際列車が走っていた。だが、災害によって雲南省南部の路線が寸断されてしまい、残念ながら、列車はバスよりもはるかに遅くて乗客が少なかったため、線路は復旧されずに国際列車も廃止になってしまった。

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雲南の旅2011 昆明2

2011年10月10日 06時45分54秒 | フォト日記



 過橋米線(ゴーチャオ・ミーシェン)は昆明の名物料理ということになっている。
 米線は米粉の麺。ちょうど日本のうどんのように、雲南ではポピュラーな麺だ。街のあちらこちらに米線屋がある。米線のなかでもとりわけ豪華なのが、過橋米線(ゴーチャオ・ミーシェン)。豚肉、鶏肉、鶉卵、葱、ザーツァイなどなど具沢山だ。
 先に具と麺が用意され、それからあつあつのスープが運ばれてくる。スープに具を入れて、最後に麺を放り込んでかきまぜれば過橋米線のできあがり。



 過橋米線の発祥の地となったのは、実は雲南省南部にある蒙自という町だ。
 科挙の受験勉強に励む夫のために、妻が橋を渡って豪華な米線を届けたという伝説が由来なのだとか。スープに麺を入れて持っていったのでは麺が伸びてしまうので、このようなインスタント形式になった。一杯十八元也。






 ごく庶民的な米線店なのだけど、ショータイムがあって、民族衣装の踊り子たちが踊っていた。




 雲南の少数民族は銀飾りを好む。昔は、孫娘が生まれた時から、お婆ちゃんがこまやかな刺繍の入った衣裳を縫い続け、嫁入りの時に孫娘に贈ったそうな。

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雲南の旅2011 昆明1

2011年10月09日 19時02分59秒 | フォト日記
 
 二〇一一年一〇月の国慶節休暇に雲南省を旅行した。
 雲南省へ行くのは二年ぶり。以前、昆明に三年ほど暮していたから、僕にとっては、とても懐かしい土地だ。空港に降り立って、雲南弁を聞いたらなんだかほっとした気分になった。もっとも、方言はほとんど聞き取れないのだけれど。






 雲南省には、漢族を含め、二十六の民族が住んでいる。
 雲南省は、いわば、中国、東南アジア、チベットの潮目のようなところだ。
 昆明の中心部にある翠湖公園では、民族衣装を着た人たちが踊っていた。















 フライドチキンのチェーン店『ケンタッキー』は、中国語で『肯徳基』と書く。街角の屋台で、『ケンタッキー』(?)の屋台を見つけてしまった。







 素朴な味。まあまあおいしかった。鶏肉は、ケンタッキーより新鮮かも。

 六七回くらいの予定で、旅の写真をアップします。



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