風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

雲南省で見かけた入れ歯専門の露店 (連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第33話)

2011年05月26日 07時17分00秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 雲南省を旅して回っていた頃、辺鄙な田舎町の市場へよく出かけた。
 毎週何曜日開催と決めて、週一回開く少数民族マーケットだ。近隣の農村から大勢の人が市場へ集まる。雲南省には二十六の民族が住んでいるので、マーケットへ行けばいろんな民族衣装を見ることができた。
 服や日用雑貨や漢方薬の露店が多いのだけど、そのなかには必ずといっていいほど、入れ歯専門の屋台があった。
 板のうえに、大小の入れ歯が並べてある。奥歯もあれば前歯もある。一本だけのもあれば、二三本繋がっているものある。総入れ歯もたまに見かけた。
 入れ歯を露店で売るだなんて考えたこともなかったので、はじめて見た時はびっくりしてしまった。
 こんなところで誰が買うのだろうと思ったのだけど、露店があるからには、買う人がいるのだろう。
 ある時、皺だらけのおじいさんがその出店の前に立っているのを見かけたので、好奇心に駆られた僕は彼の様子をじっと見守った。
 老人は、あれこれと入れ歯を物色する。素手で手にとって眺め、手頃な入れ歯を探す。
 やおら、老人は自分の口へぱくりとはめた。
 口をくちゃくちゃさせ、入れ歯の具合を確かめる。
 屋台のおばちゃんは方言で老人へ話しかけ、接着剤のようなものを勧めた。これをつけるとしっかり固定できるよとでも言っているようだ。
 耳が遠いのか、老人は「だめだなあ」というふうに首を振って口から入れ歯を出し、板の上に置く。女主人がほかの入れ歯を勧めたけど、老人はそのまま立ち去ってしまった。
 なんだか不思議な露店だった。



 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第33話として投稿しました。『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


涙の地域限定再生CD(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第32話)

2011年05月18日 06時15分31秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 この間、日本から友人が遊びにきた時、どうしても欲しかったCDを買ってきてもらった。
 ところが、家のパソコンへ入れて何度試しても聴くことができない。曲名の表示は出るのだけど、スタートボタンを押してもうんともすんともいわない。「この種類のファイルはカバーしていません」という中国語の表示が出るだけだ。ちなみに、僕のパソコンは中国で買ったものだ。パチモンではありません。メーカーのオンラインショップで買った本物のパソコンなので、念のため。
 日本から持ってきたほかのCDはちゃんと聴くことができるのにおかしいなと思いながらCDの注意書きを見た僕はひっくりかえりそうになってしまった。
 なんと、このCDは特定の地域でしか再生することができませんと書いてあるではないか。そのアイコンマークにはしっかり「日本国内向け」と表示されている。
 つまり、日本へ持って帰らないかぎり、このCDを聴くことはできないってことか。広東省では聴けないのか。唖然。
 地域限定発売のCDというのは聞いたことがあるけど、地域限定再生CDというのは初めて見た。
 やれやれ。
 そんな意地悪なことをしなくてもいいじゃないか。
「天下の吉田拓郎がそんなみみっちいことをしてもいいのかっ?!」
 と、拳を突き上げたいところだけど、拓郎さんに怒ってもしょうがない。どうせレコード会社が決めたことだから。
 海賊版対策でこんなCDを作ったんだろうけど、海外在住者を切り捨てるような真似はやめてくれよな(涙)。せっかく楽しみにしていたのに、ほんと、悲しいよ。




 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第32話として投稿しました。『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


天才か、努力家か (連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第28話)

2011年05月13日 07時09分42秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 イチロー選手のインタビュー集を読んでいたら、彼は「僕のことを天才なんていう言葉で片付けてほしくない。僕はどれだけ努力していることか」といったことを言っていた。天才だからあれだけヒットを打てるんだと簡単に言われてしまうのがよほど悔しいようだ。
 発明家エジソンの名言に「天才とは一%のひらめきと、九十九%の努力だ(Genius is one percent inspiration and ninety-nine percent perspiration.)」というのがあるけど、彼はその九十九%の努力を見てくれと強調したいのだろう。
 たしかに、イチロー選手はかなりの努力家だ。血のにじむような努力を「天才」のひと言で片付けられたのではたまったものではないだろう。とはいえ、彼のファンならイチロー選手が野球のためにいろんなことを犠牲にして節制し、気の遠くなるような努力を重ねていることを知っているのだろうけど、一般の人々は彼の努力についてそれほど関心を払わない。
 人は得てして他人の努力から目をそむけたり、見てみぬふりをしたりするものだ。他人が努力に努力を重ねて成功したのを見ても、「うまくやったんだろ」とか「たまたま運がよかっただけだよ」とけちをつけたりする。はては、「なんであいつが?」と首をひねったりもする。楽して生きたいと思っている人にとって、他人の努力ほど目障りなことはないのかもしれない。
 他人に勝った気分になりたければ、けちをつけるのがいちばん手っ取り早い。自分が汗をかいて苦労する必要もないし、手間暇もお金もかからない。他人にけちをつけた瞬間、「俺は勝った」と快感を味わうことができる。中国の作家・魯迅《ろじん》はこれを「阿Q精神」と名づけた。中国人の代表的な精神というのだけど、中国人ばかりではない。日本人も、ほかの国の人々もこの「阿Q精神」を持ち合わせている。とりわけ、今の日本はこの「阿Q精神」化が進んでいるような気がしてならない。
 若い頃、天才肌の人と話をしたことがある。
 頭がいいのか気が狂っているのかわからないくらい、頭の回転の速い人だった。とても同い年とは思えない。彼は、難解な文学理論をいとも簡単そうに滔々と論じ立てる。こんな人にはとうていかなわない、と僕は素直に白旗をあげた。逆立ちしても勝てっこないというのはこのことを言うのだろうと思った。
 普通の人が、1、2、3、4、5と順番にステップ踏んで上がっていくところを、天才肌の人間は、1、3、5と一段飛ばしで駆け上がってしまう。あるいは、もっと素早く1、5、8という風に。そんな姿をみれば、別世界の人だと感じてしまう。だけどよく考えてみれば、そんな人はイチロー選手のように陰でかなりの努力を積んでいる。僕が話をした彼にしても、すさまじいまでの読書家だった。片っ端から本を読破して文学理論に関する才能を磨いたのだ。
 彼の場合、環境にも恵まれていた。彼のご両親がインテリの読書家だったので、幼い頃から本に囲まれて育ったのだそうだ。もちろん、いくら本に囲まれていたとしても、読まなければ意味がない。彼は、与えられた環境を十分に活用したのだ。イチロー選手にしても同じだ。幼い頃に与えられた機会をしっかり掴んで才能に磨きをかけた。
 もちろん、幼い頃の環境ばかりが才能を助けるのではない。
 ドストエフスキーは思想犯として逮捕されシベリアへ流刑となったけど、その過酷な流刑地で人間模様を観察し続け、思索を重ね、神に祈り続け、自分の思想を深めた。あの時、彼がやけになって努力をやめていれば、『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』といった傑作は生まれなかっただろう。ドストエフスキーは流刑という人生の危機を逆手に取り、己の才能を磨いたのだ。
 ただ、努力をすれば誰でも一流になれるかといえば、そうでもないだろう。生まれつきの才能というものは、やはりあると思う。なにごとにつけても、センスを感じさせる人とそうでない人がいる。向き不向きもあるし、器用な人と不器用な人がいる。残念だけど、持って生まれた才能や資質にはやはり差がある。
 たとえば、僕がいくら努力してみたところで、三島由紀夫のような才能がほとばしるきらびやかな文章を書けるはずもないし、村上春樹のようなお洒落で気の利いた文章も書けない。彼らのレベルに到達することなど、夢のまた夢のそのまた夢だ。
「天才作家と呼ばれたい」
 などと僕が言えば、それこそ、
「アホちゃうか」
 のひと言で終わりだ。彼らと肩をならべようだなんて、おこがましいにもほどがある。
 なにより、そんなことを考えるより先に、僕は自分のちっぽけな才能さえろくろく磨いてもいないのだから、プロの書き手になどとてもなれはしない。しかし、類稀な才能を持ってこの世に生れ落ちた人であっても、ただぼんやりしていたのでは才能は開花しない。これまで書いてきたように、花を咲かせた人はみな相当な努力を積んでいるのだ。
 僕は凡庸だからたいしたものは書けない。それはしかたないことなのだけど、それでも僕は、僕という器と僕に与えられた場所で踏ん張るしかない。せっかくこうして生きているのだ。遅まきながら、せめて天才と呼ばれる努力家たちの爪の垢でも煎じて一歩でも近づく努力をしてみたい。まだまだ学ばなければいけないことが山ほどある。その努力する過程にこそ意味があるのだと、僕はそう信じている。




 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第28話として投稿しました。『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


戦記小説『祝福を遠くはなれて』第3話『祝福を遠くはなれて』

2011年05月08日 12時09分02秒 | 戦記小説『祝福を遠くはなれて』(完結)

 火災はしずまりつつあった。破れた飛行甲板から噴き出る煙がわずかに減った。格納庫にある艦載機の撤去作業は完了し、フライトデッキの後部には、F6FヘルキャットやTBFアベンジャーなどの傷ついた艦載機が並んでいる。航空機への誘爆の危険はなくなった。
 しかし、最後まで気を緩めるわけにはいかない。戦いを経験したことのない人間にはなかなか理解できないことだが、戦場心理は人を恐慌の渦へ突き落とす。とりわけ、カミカゼ攻撃を受けると心が焼け焦げるように麻痺して、周章狼狽《しゅうしょうろうばい》する者が多い。カミカゼはその破壊力以上に心理的ダメージが大きすぎるのだ。異常なストレスを受ければ、平常心を保ったまま冷静に行動することはむずかしい。通常なら考えられないようなささいな手違いや見落としから、艦を沈没へと導く致命的な誘爆を招かないとも限らない。艦長は各部署に対して異常がないかもう一度点検するよう、とくに、ガソリンが漏れていないか、気化したガソリンの異臭がしないかどうか念入りに調べるようあらためて命じた。
 タイラー艦長は、厳かな縦皺を眉間に刻んだまま飛行甲板を睨み続けた。やがて、煙は途切れとぎれになり、炭酸の気が抜けるように白い水蒸気が一筋流れたかと思うと、ぱったりやんだ。伝令が消火作業を終えたことを告げにきた。
「ブリッジへ戻るよう、副長に伝えてくれ」
 タイラー艦長は伝令に言った。
 今のところ、死者十二名、負傷者二十七名、行方不明八名との報告が入っていた。まだすべてを確認したわけではないので、今後、死傷者数は若干増えるだろうが、それでも爆発の規模に比べればごく少なくてすんだ。カミカゼが命中した場合のことを考え、飛行甲板と格納庫からパイロットや整備員を避難させておいたのが功を奏したようだ。最悪の事態を想定して極力リスクを減らすのがダメージ・コントロールの鍵だった。
 各部署から異常なしとの報告が入る。
 これでダメージ・コントロール作業はほぼ完了した。タイラー艦長は小さく息をつき、ポケットから丁寧に折りたたんだハンカチを出して首筋に流れる汗を拭った。どうにか、エンタープライズを守りきった。艦を救うために奮闘した乗組員を誇りに思い、感謝の念が胸ににじむ。
 ただ、黒く焼けただれた格納庫を見つめていると、底冷えするようなやりきれなさが体全身に粘ついて離れてくれない。逃れられない息苦しさに喉を締め上げられる。カミカゼを生み出したのは、日本人だけでもなければ、アメリカ人だけでもない。ほからなぬ人間の存在そのものだ。その闇は深い。
 文明は社会を豊かにし、人間を幸福にするために営々たる努力によって築き上げられたのではなかったのか? 文明とは、自然に翻弄される人間の弱さを救済するためのものではなかったのか? それがこのような自殺攻撃と大量殺戮《たいりょうさつりく》を生み出すのは、なぜだ? このような現象を引き起こす人間の文明にはなにか根本的な誤謬《ごびゅう》と倒錯《とうさく》があるのではないだろうか? いや、そもそも、これが原罪から免れない人間という存在の愚かさであり、人間の限界なのだろうか? 罪深さの証明なのだろうか?
 はてしない疑問が艦長の心に渦巻く。
 自分もまたこのような現象を生み出した人類の一員であることに軽い眩暈《めまい》を覚え、艦長はハンカチをぎゅっと握り締めた。
 ブリッジへ戻った副長に、被害箇所の応急修理、喪失した艦載機のリストアップ、残った航空機の点検と整備、遺体の収容、戦死者の遺族への報告などの作業を行なうよう指示し、独り医療室《シック・ベイ》へ赴いた。切ったこめかみの手当てがまだだった。
 医療室は怪我人であふれかえっていた。どのベッドにも負傷兵が横たわり、床にも負傷者が寝かされている。焼けた人間の肉の匂いと消毒薬の匂いが入り混じり、むせかえるようだ。起き上がって敬礼しようとする兵もいたが、タイラー艦長は「そのまま」と言って手で制した。
「先生、やめてくれよ。腕をぶった切るなんてあんまりじゃねえか」
 若い兵士の叫び声が響いた。間仕切りの薄いカーテンを透かして白衣を着た医師の後姿が見える。向こうのベッドに声を上げた負傷兵が横たわっているのだろう。開け放った窓から入る潮風に、白いカーテンが激しく波立っている。
「こうするしかないんだ。切断しなければ、壊疽《えそ》が広がって死んでしまう」
 ドクターの声は厳しい。
「家へ帰ったらキャシディになんて言えばいいんだ。ハイ、ハニー、俺は腕を一本失ったよってか。あんまりだぜ」
「死んでしまっては元も子もないだろう。君のキャシディにも会えなくなるんだ。今ならまだ間に合う」
「俺は家具職人なんだよ。腕のない家具職人なんて洒落にならないぜ。教えてくれよ。いったい、キャシディをどうやって養えばいいんだい?」
「傷痍《しょうい》軍人恩給が出る。診断書と証明書を書いてあげるから、大切に保管しておくんだ。生活は心配しなくていい」
「そんな診断書がなんになるんだよ。俺の腕がなくなっちまったなんて証明して欲しくなんかねえよ。あんた、医者だろ。俺の腕くらい治してくれよ。な、頼むからさ」
「すまないが、家具を直すようにはいかないんだ」
「くそっ、カミカゼの野郎。ばか鳥が俺をこんな目に遭わせやがって。みじめったらありゃしねえ」
 兵のすすり泣きが聞こえる。タイラー艦長はやりきれない面持ちになり、じっと床を見つめた。対空防御のつめが甘かったばかりに、また一人、若者の人生を狂わせてしまった。その責めは彼自身にあると識《し》っていた。
 腕利きの衛生兵に切れたこめかみを二針縫ってもらい、艦長は医療室を出た。通路の角を曲がると、防水ハッチの脇にパイロット服を着た青年が膝を抱えてうずくまっている。
「君、具合が悪いのか」
 タイラー艦長は青年の肩を揺さぶった。
「艦長」
 若いパイロットはかすれた声で言い、うつろな顔をあげる。見たところ、配属されたばかりの新兵のようだ。キャッチャーのプロテクターが似合いそうなしっかりとした体つきのたくましい若者だが、目許にまだ幼さとあどけなさが残っている。小刻みに揺れるまなざしが怯え、脂汗を浮かべた顔は悪霊に魅入られた人間のように蒼ざめていた。
「とにかく医療室へ行こう」
 艦長は若いパイロットの脇を取った。青年はいったん立ち上がったものの、すぐに壁によりかかり、崩れ落ちた。
「どこも怪我をしていませんから、大丈夫です。ただ――」
 そこまで言って若いパイロットは喉をつまらせ、苦しそうに息をあえがせる。
「ここにいては邪魔になる。さあ、立つんだ」
 タイラー艦長は彼の手を握って引き上げた。
 若いパイロットは、いわゆるカミカゼ・シンドロームにかかっていた。自殺攻撃を目の当たりにして、恐怖のあまりパニックに陥る症状のことだ。戦場経験の浅い新兵に多い。カミカゼが兵の魂を深い闇の深淵へ道連れにしてしまうのだった。
 彼を連れてパイロット控室へ入った。航空隊の誰かに預けようと思ったのだが、パイロットたちは全員出払っており、教室ほどの広さの部屋には誰もいない。爆発の衝撃で倒れたパイプ椅子が乱雑に折り重なり、スチール製のロッカーが倒れていた。黒板には「各自、愛機をチェック」と白いチョークで殴り書きしてある。艦長はパイプ椅子を二つ並べ、彼を坐らせた。
「名前は?」
 自分も椅子に腰掛けながらタイラー艦長は訊いた。
「ウィル・スティーブンスです」
「戦場は初めてか」
「一週間前にきたばかりです。――今日、初めて人を殺しました」
 顔をゆがめたウィルは救いを求めるようにして視線を宙へ走らせ、音を立てて息を吸いこむ。
「空中戦でか」
「夢中になってカミカゼを追いかけているうちに、僕の撃った弾が当たってしまったんです。十三ミリ弾が命中するまでは当たってくれと念じていましたが、いざ命中してしまうと、自分がやってしまったことの恐ろしさに気づいて愕然《がくぜん》としました。――カミカゼには人が乗っています。煙を吐いて墜落する相手を見ながら、頼むから機首を立て直して逃げていってくれと祈りました。せめて、パイロットだけでも脱出してパラシュートを開いてくれと。――ですが、ゼロ戦はきり揉みになったまま海へ激突して、白い泡になってしまいました」
「誰もが経験することだよ。私も初めて敵を撃墜した時は、後味が悪かった。だが、慣れるよりほかない。君もそのうち慣れる」
「こんなことに慣れてもいいのでしょうか。でも、慣れなくてはいけないのですね」
「軍人だからな」
「弾丸を撃ち尽くして、補給に戻ってきたら、あのカミカゼが突っこんできました。この一週間というもの怖い思いばかりでした。戦場は恐ろしいところですね。僕は、ほんとうに死ぬのが怖くてたまりせん。でも、カミカゼは自爆しにやってきたんです。そんなに平気で命を捨てられるものなのでしょうか」
「死ねと言われて、喜んで死ぬ人間なんてどこにもいない。きっと、カミカゼの若者も、出撃するまで心の整理がつかずに苦しんだのだと思う」
「それでも、自殺攻撃するなんて……。僕には理解できません。艦長は自殺する人間をどう思われますか?」
「いけないことだ。我々は神によって命を与えられた。どんなに苦しくても自分の生命をまっとうするのが人間に課せられた義務だからね。神が自殺を禁じられている」
「そうですよね。私も幼い頃からそう聞いて育ちました。でも、カミカゼは自殺します」
「正確にいえば、自殺させられるのだよ。あの攻撃は軍の上層部が命令している」
「カミカゼのパイロットはボランティアだという噂を聞きましたが」
「一応、そういう体裁にはなっているが、実際はほとんど強制らしい。複数の捕虜から得た情報だから、まず間違いないだろう」
 他人の自殺は自分という存在の根源に不安を投げかける。それがカミカゼとなれば、なおさらだろう。ウィルは、自分が抱えこんでしまった不安を解消する術を見つけられずに、もがいている。必死になって答えを探っているのは、タイラー艦長も同じだ。ただ、年の功でそれが表へ現れるのを抑えているだけだった。
「僕は、オクラホマの貧しい農家の息子です。参考書一冊買うのにも苦労する絵に描いたような貧乏な家なんです。航空隊へ入れば大学の奨学金が貰えると聞いて志願しました。勉強していい仕事につきたいけど、大学の学費なんて出してもらえませんから。カミカゼのパイロットは、あんなことをしてなにか得られるものがあるのでしょうか」
「ない。感謝状くらいのものだろうな」
「では、なぜ、あんなことを」
「国を守りたい、ふるさとを守りたい、愛する人を守りたいと思っているのだよ。そんな思いは君にだってあるだろう」
「それはそうですが」
「強いて言えば、カミカゼは己を捨てて他者を助けるということになる。誰だって自分がいちばんかわいい。なんだかんだといって自分のことしか考えていないのが人間かもしれない。そんな利己心を超越して、自分を犠牲にして他人を救うという行為は、おそらく、人間の道徳としてはいちばん崇高なものだろうね。美徳の発露《はつろ》と呼べなくもない」
「でも、日本軍の提督が死ねと命令しているんですよね」
「そのとおりだ。若者の純粋な気持ちと命を利用しているのだよ」
「ますますわかりません。日本人は皆殺しにすべきだと息巻く先輩もいます。悪魔の手下はやはり悪魔ではないでしょうか。カミカゼが悪魔に思えてきます」
「同じ人間だ。悪魔などではないのだよ。今日、我々の艦に体当たりした彼も、戦争さえなければ、君と学舎《まなびや》で机を並べていたかもしれない。クリスマス・カードを交換する仲になっていたかもしれない。つらい時に助け合う親友になっていたかもしれない。胸襟《きょうきん》を開いて話せば、わかりあえるはずの同じ人間だ」
 タイラー艦長はウィルの肩を叩いた。若いパイロットは目にうっすら涙をためてうなずく。今の彼に理解できるかどうかはわからないが、いつかきっとわかってくれる日がくるだろうと信じた。
 パイロットが三人、連れ立って控室へ入ってきた。ウィルの姿を認めると、彼らは歓声をあげてウィルへ駆け寄る。新米パイロットは行方不明者リストに載っており、戦友たちはずっと探していたようだ。頭をくしゃくしゃにされたウィルは、泣き笑いの顔でなんども嬉しそうにうなずく。生死をわける戦場では、このような友情こそが心の命綱だった。タイラー艦長はあとを任せて部屋を出た。
 狭い通路を歩き、すれ違う水兵たちと敬礼を交わしながらタイラー艦長は考え続けた。ウィルに言わなかったことがある。それは、艦長である自分は、時と場合によっては部下に死を命じることがあるということだ。エンタープライズを守るためには、誰かの命を切り捨てなければならないこともある。少数の犠牲で艦の危機を救い、大勢の乗組員の命を助けられるとしたら、もうすぐ爆発するとわかっている箇所へその者たちを派遣して作業にあたらせることもためらわないだろう。いや、ためらってはいけないのだ。たとえ、良心の痛みを感じたとしても。
 もちろん、危機管理と組織的な自殺攻撃は性質の異なるものだが、そこに働く原理は同じといってよい。全体を守るためには、いつも誰かが犠牲になる。そして、誰かに犠牲を強いる指揮官がいる。人の命を踏みつけにする者は地獄へ落ちて当然だろう。だが、自分が地獄へ落ちる身と覚悟してエンタープライズを守ること。それが艦長に与えられた任務だった。その矛盾に限度いっぱいにまで耐えること。それこそが艦長としての責任だった。それは、戦争という憎しみに操られる人間の悲しい定めなのかもしれない。
 ブリッジでは応急修理が始まっていた。工作班が天井へあがり、切れた配線をつなぎなおしている。
「艦長、カミカゼのパイロットなのですが、遺体の一部を収容しました。遺品もあります。トミ・ザイ、これが彼の名前のようです」
 副長が待ちかねたように報告した。
「我が艦の戦死者を水葬する時に、いっしょに手厚く葬ってやってくれ」
「お言葉ですが、カミカゼに突っこまれたのは、これで二度目です。我が艦の乗組員と一緒に葬るのは気が進みません。兵をまとめるためにも、やめたほうがよろしいのではないでしょうか」
「彼は軍人として立派に任務を果たした。味方がすべて撃墜されるという過酷な状況下でひとりチャンスをうかがい、たった一人で一瞬のうちに我が艦を大破させたのだよ。彼はベストを尽くして、ベストの戦果をあげた。まさに軍人の鑑といっていい。そんな彼を丁重に葬るのは礼儀ではないかね」
「ですが――」
 エンジンの爆音が上空に響く。
 タイラー艦長は眉を吊り上げ、空を見上げた。
 エンタープライズ艦載の偵察機が帰ってきた。SDBドーントレスだ。偵察機はバンク(翼を左右に揺らして合図を送ること)すると、エンタープライズの周囲を一周して友軍の空母を目指す。つい先ほど、激しい戦闘が行なわれていた空はなにごともなかったかのようにあざやかで、麗しい紺碧に染まっている。
「カミカゼのパイロットも、神が創造した人間であることにかわりないのだよ」
 タイラー艦長は、よく透きとおるたしかな声で言った。
 一瞬ごとに創造されるこの世界で、人類はいつか自らの愚かさを克服し、ともにわかりあえる日がくるだろう。愛をわかちあう日がやってくることだろう。戦いのさなかに身をおいているとはいえ、祝福の日へ向かって進むために、今ここでできることから、手の届くことからはじめよう。タイラー艦長はライト・ブラウンの瞳に静謐《せいひつ》だが力強いまなざしをたたえ、自分の胸にそっと誓った。



(あとがき)
 戦後、ながらくエンタープライズ乗組員の間である畏敬の念をもってトミ・ザイと呼ばれていたカミカゼのパイロットは、筑波第六航空隊隊長の富安中尉であることが判明した。当時の海軍関係者が、富安中尉の搭乗した特攻機の機体の破片を遺族へ返還した。黙祷。



(了)


本作品は以前、「小説家になろう」サイトへ投稿したものです。
アドレスはこちら↓
http://ncode.syosetu.com/n6455i/

当ブログの『祝福を遠くはなれて――エンタープライズ、カミカゼの奇襲を受く』の第1話のアドレスはこちら↓
http://blog.goo.ne.jp/noduru/e/7af843481fb1fb82a6db54d7e9587087


戦記小説『祝福を遠くはなれて』第2話『ダメージ・コントロール』

2011年05月07日 14時38分10秒 | 戦記小説『祝福を遠くはなれて』(完結)

「伏せろ」
 タイラー艦長はさっと手を振って叫び、窓の下へ倒れこんだ。
 衝撃を受けたエンタープライズは銛《もり》を刺しこまれた鯨のように軋《きし》りながら前へ沈みこむ。
 爆音が轟《とどろ》く。
 続けざまに打ち鳴らす釣鐘の真下にいるようで、鼓膜ばかりか内臓までも破れてしまいそうだ。
 窓ガラスが一斉に砕け散る。粉々の破片がシャワーとなって降り注ぐ。熱い爆風が渦巻き、ブリッジを荒れ狂った。艦長はしたたか壁へ打ちつけられ、こめかみを切って血を流した。
 まぶしい光がまぶたを貫く。閉じた瞳のなかでなにかの啓示のように光が模様を描き、きらきら輝く。ふと空を見上げると、凧のような金属性の四角い板が上空百二十メートルほどの高さで回転していた。光は、初夏の朝陽が舞い踊る冷たい板に反射して彼の目に届いたのだった。心がじんと痺れる。その光は、自分の信じているものに嘘をついてはいけないと語りかけているようだ。艦長は呆然と見つめながら立ち上がり、フライト・デッキを見下ろした。
 飛行甲板の前部はずたずたに張り裂けていた。噴火口のような大きな穴が開き、まるで火山爆発でもあったかのようにすさまじい勢いで黒煙が噴き出している。前部航空機用エレベーターが跡形もなく消えていた。あの凧のように揚がったのは、どうやら吹き飛ばされたエレベーターらしい。
「被害報告。ダメージ・コントロール」
 タイラー艦長は落ち着き払って指令を下した。
 ダメージ・コントロールとは被害を受けた際の応急処置のことだ。航空母艦は防御力が弱く、艦載機、爆弾、魚雷、航空燃料用ガソリンなどの誘爆を招きやすいことから「卵を入れた籠」とも呼ばれる。つまり、ひとたび命中弾を受ければ卵が次々と割れるようにして甚大《じんだい》な被害を出してしまうのだ。ミッドウェー海戦で沈没した日本海軍の空母がいい例だろう。この欠点を克服するため、イギリスや日本は飛行甲板に厚い装甲を施した空母を建造したが、アメリカ海軍は被害が出るのはしかたないことと割り切り、そのかわりに損害を最小限に食いとめるための方法を徹底的に研究した。この独自のダメージ・コントロール技術のおかげで命拾いした空母は数知れない。
 各部署から矢継ぎ早に被害報告が入る。
 不幸中の幸いというべきか、カミカゼは格納庫内で爆発し、艦の心臓部へは到達しなかった模様だ。格納庫の床部分は主甲板《メイン・デッキ》となっており、比較的厚い装甲を施してある。それが艦を守ってくれた。重要防御区画《バイタル・パート》に被害は出ておらず、機関室、弾薬庫、ガソリン・タンクもともに無事で、今現在のところ航行に支障はない。時速三十ノット(約五十六キロ)の速力は十分に出せる。しかし、格納庫内に収容していた艦載機はことごとく被害を蒙ってしまった。破壊されたものもあれば、爆風で海へ弾き飛ばされたものもある。なかでも厄介なのは、何機かが誘爆したことだ。航空燃料のガソリンは火がつきやすく、ひとたび火に触れれば、飛行機は擦ったマッチのようにあっけなく燃え上がり爆発してしまう。ダメージ・コントロール班がすでに消火活動を始めているが、火災の勢いは強く、鎮火には時間を要する。これ以上の誘爆はなんとしてでも防がねばならない。
「副長、君が格納庫へ行ってダメージ・コントロールの指揮を直接執ってくれ。損傷のひどい艦載機は海へ投げ捨てろ。使えそうなものは後部へ移して、フライト・デッキへあげるんだ。念のため、ガソリン・タンクと弾薬庫の周囲にダメージ・コントロール要員を待機させるように」
 タイラー艦長は言った
「了解」
 副長は手短に答えてブリッジを出る。
 ここが正念場だ。
 誘爆さえ防ぐことができれば、エンタープライズは生きのびる。もちろん、万が一の場合は、艦とともに沈む覚悟はできていた。そうでなければ、艦長の座を引き受けたりはしなかっただろう。だが、艦と運命をともにするのは責任を取ったということだけであって、任務をまっとうしたことにはならない。艦長としての責務は、艦を守り、乗組員を守り、なんとしてでも生きのびて敵を撃つことだ。
 各部署の状況報告に対してすべて指示を下し、打てるだけの手は打った。友軍へ被害状況を告げて医療班の応援を要請し、爆発の衝撃で海へ投げ出された乗組員がいないかどうか付近を捜索して欲しい旨《むね》を依頼した。一時間ほどすれば帰ってくるだろうエンタープライズ艦載の偵察機も味方の航空母艦が収容してくれる手筈になっている。あとは、これまで幾度も死線を乗り越えた優秀な乗組員を信じ、神に祈るよりほかない。
 艦長は、あらためてブリッジを見渡した。
 鉄屑とガラス片が床に散らかり、足の踏み場がない。天井の板が破れ、千切れた電気コードが垂れ下がっている。ブリッジ要員は、みな多かれ少なかれ傷を負っていた。衛生兵が重傷者を担架で運び出し、軽傷の者にはその場で手当てを施している。血のにじんだ包帯を巻いた操舵手は痛そうな素振りを見せることもなく、持ち場を離れずに舵を握っていた。 
 ブリッジの片隅にミッチャー中将が坐っていた。折りたたみ椅子に浅く腰掛け、やや前かがみの姿勢で腕を組み、じっと耐えるようにして目を閉じている。乱れた髪は埃にまみれ、軍服の肩のあたりが裂けていた。彼の後ろの壁では、エンタープライズの名を刻んだ銅版が傾き、波にあわせて揺れていた。
「提督、手当てはお受けになられましたか」
 タイラー艦長はミッチャー中将へ近寄った。
「かすり傷じゃよ。わしは後でいい。ところで、ビッグE(エンタープライズの愛称)はどうだ? 今度も生き残れそうか?」
 ミッチャー中将はかすかに目を開いた。もともと小柄な体つきで、森に住む小人の賢者を思わせる風貌《ふうぼう》の持ち主だが、激戦続きで疲労と心労が重なったことから、大手術を受けた後の老人のようにやせ細っていた。顔と首筋は皺だらけになり、潮焼けした肌は鉛のように沈んでいる。とはいえ、梟《ふくろう》のようになにかを射抜く目の輝きだけは、なにものも奪うことができずにいた。
「まだ五分五分といったところでしょう。火災がおさまるまでなんとも言えません」
「沈まんよ、このビッグEはな。不思議な幸運に恵まれた艦《ふね》だ」
「助かったとしても、本艦はもはや作戦行動を取ることができません。本土へ引き返して本格的な修理を行なう必要があります。ですので――」
「わしを厄介払いするつもりか」
 ミッチャー中将はふっと少年の顔をのぞかせ、いたずらっぽく笑ってみせる。ふだんは寡黙でめったなことでは自分の感情を表さない提督だが、追いつめられるとユーモアが出た。
「ええ、丁重にですが」
 艦長は穏やかに微笑んだ。窮地に立たされた自分の気を軽くするためにミッチャー中将はこのようなことを言っているのだと知っていた。実際、心の窓をすかして新鮮な空気を入れたようで、いくらか気分が楽になった。
「バンカー・ヒルに続いてビッグEまでカミカゼに大破させられるとはな。わしの乗った船はいつもカミカゼに狙われる。わしは不運を持ちこむ男のようだ。いや、愚痴を言ってすまない。それでは、空母ランドルフへ移るとしよう。あの船の艦長にわしのシーバスを預けておるのでな」
 ミッチャー中将は片目をつぶった。酒豪で鳴らしたミッチャー中将だったが、太平洋戦争が始まってからというもの、きっぱりと酒を断っていた。
「内緒じゃよ。あれやこれやと考えてどうしても寝つけんことがある。神経が逆立ったようで心がざわついて眠れん夜がある。自分の出した指令が間違っておったり、命令につまらん感情がまじっておったりして反省しきりなこともある。そんな時は、一杯だけきゅっとひっかけるのだよ。心が落ち着いてすっと眠りに落ちる」
「激務でいらっしゃいますから」
 タイラー艦長はいたわるように言った。
「戦争が終わったら、お前ともゆっくり酒を酌み交わしたいものじゃな。サンディエゴにスペイン風のいいバーを知っておるんだ。つんとすましているが、さばさばした気持ちのいいマダムがやっておる店だよ。たまに気が向くとギターを爪弾いて歌を聞かせてくれるのじゃが、哀愁のこもったいい歌声なんだ。蒼穹《そうきゅう》の果てにある魂のふるさとへ連れ帰ってくれるようでな」
「その時は、ぜひご相伴させてください。マダムの歌も楽しみですし、提督のお話もいろいろお伺いしたいものです」
「わしの話なんぞつまらんぞ。言葉はいらん。歌を聴いて、ただ飲み明かそう」
「何杯でもお付き合いいたします。――ところで、差し出がましいようですが、今度ばかりは戦艦へ移乗されてはいかがでしょうか」
「お前までそんなことを言うのか」
 ミッチャー中将は聞き飽きたと言いた気に首を振った。
「空母の防御力には限界があります。今回はご無事でいらっしゃいましたが、次もそうとは限りません。戦艦なら安全です。分厚い装甲《アーマー》が提督を守ってくれるでしょう」
「お前は、わしがアメリカ海軍三十三番目のパイロットだったことを忘れておるようだな」
 第一次世界大戦の頃、当時のミッチャー青年は装甲巡洋艦ノースカロライナに配属され、その艦に搭載していた複葉水上機カーチスFのパイロットになった。この時行なわれたカタパルト射出による飛行機発進実験が、今日の艦載機運用の基礎となった。その後、彼は航空畑を歩み、空母ホーネット艦長、ソロモン諸島航空指揮官などの輝かしいキャリアを積むことになる。いわば、アメリカ海軍航空隊の生き証人とも呼べる人物だ。
「忘れてなどおりません。提督が艦載機の黎明《れいめい》時代からご活躍だったことは周知の事実です。ですが、私が戦艦へ移るようにお勧め申し上げるのは、なにも提督御自身だけの安全をおもんばかってのことではありません。提督に万が一のことがあれば、任務部隊《タスク・ホース》の作戦そのものがとまってしまい、任務を遂行できなくなってしまいます。指揮系統の混乱から損害も増えるでしょう。提督の身がたしかであれば、部隊全体が安全でいられるのです」
「お前の言うことは一理ある。それは認めよう。じゃが、わしは絶対に戦艦なんぞには乗らん。わしはパイロットあがりの提督だ。航空隊から離れるわけにはいかん。空母に乗り組み、パイロットたちと同じ船で寝泊りし、同じ空気を吸い、同じ釜の飯を食い、互いにしょっちゅう声を掛け合うことで、パイロットたちがなにを思い、なにを考えておるのかを理解することができる。そうしてはじめて、奴らの気持ちを掴むことができるのじゃよ。兵を掌握できなければ、作戦もへったくれもない。なにごとも成し遂げることはできん。航空隊はわしの人生そのものじゃ。もしパイロットたちと一緒に死ぬことになるのなら、それこそ本望だ」
「提督のお考えはよく理解しております。ですが――」
「わしは空母に乗る。議論の余地はない」
 中将の声は断固としていた。
「承知しました」
 タイラー艦長はこれ以上進言しても彼の考えを変えさせることはできないだろうと思い、引き下がるほかなかった。ミッチャー中将の気持ちがわからないわけではない。タイラー大佐も同じパイロット出身だった。パイロットと生死をともにする。そんな堅い決心と深い愛着がなければ、時には非情な決断を下しながらも機動部隊を統率することなどできないだろう。そして、なにがあってもパイロットを見捨てないというミッチャー中将の確固たる姿勢が、彼らの絶大な信頼を勝ち得ていた。
 艦長はランドルフへ連絡をとり、その旨を中将へ報告した。ランドルフが内火艇《ランチ》を出し、こちらまで迎えにきてくれるという。
「わしは今でも一パイロットに戻れたらと思うことがある」
 提督はぽつりとつぶやいた。
「今は提督なんぞというくそったれな仕事をしておるが、やはり、大空を飛ぶのがいちばんええ。操縦桿《そうじゅうかん》を握れば、ほかのことはすべて忘れて自分が自分でいられる。嫌なことがあったり、悩み事を抱えていても、高い空から地上を見れば、そんなものは吹っ飛んでしまう。くよくよ悩んでいたことがくだらないことに思えてくる。実際、人はつまらんことばかり悩んでいるのだよ。空を飛ぶ時、わしはイカロスになる。それは今の歳になっても変わらん。少年の心へ戻るのじゃよ」
「私も、時々同じ思いを抱きます」
 タイラー艦長は深く頷いた。
 古来より、人は大空を飛ぶことを夢見てきた。人類のあこがれといってもいいだろう。さまざまな画家たちが翼の生えた人間を描き、天才ダビンチはヘリコプターや羽ばたき飛行機をデザインした。数々の人間が空に挑んだにもかかわらず、長い間、その夢をかなえることができずにいたが、二十世紀へ入ったばかりの一九〇三年、ライト兄弟がついに初飛行に成功した。タイラー艦長にとって、ライト兄弟は少年時代からの英雄だった。彼は自分がパイロット候補生に選ばれた時、冷静沈着な彼にも似合わず、興奮のあまり叫び声をあげて喜んだものだった。パイロットの任務は肉体を酷使する。死と紙一重の危険な状況に陥ることもしばしばだ。だが、つらいと感じたことがあっても、嫌だと思ったことは一度もなかった。
「なにより、わしはパイロットが好きなんじゃ。飛行機乗りほど気持ちのいい連中はありゃせん。たしかに、気が荒くて、口が悪くて、女にだらしない奴らばっかりだ。しかし、あいつらほど心根が優しくて純粋な奴らはおらん。仲間が危ない目に遭えば、命がけで助けに行く。あいつらの心に混じりっ気がないのは、お前も知っているとおり、大空と風の粒子が心の垢や汚れを吹き飛ばしてくれるからだ。これは世界共通じゃよ」
「同じパイロット同士なら、国家や民族や人種の違いを超えてわかりあえるような気がします」
「そうじゃな。わしは開戦当初の日本軍のパイロットと腹を割って話をしてみたかった。あいつらはただものじゃない。まさに神業じゃったよ。あんな誰にも真似できない磨きのかかった技を持つ連中は、気持ちのいい奴らに決まっておる。戦争なんぞ始まらなければ、きっと仲良くなれたことだろう」
「カミカゼのパイロットもきっといい若者たちなのでしょうね」
「うむ」ミッチャー中将はうつむいた。「まだひよっこじゃが、肚《はら》のすわったいい奴らなんだろうな」
 カミカゼのパイロットは、学徒動員によって初歩の飛行訓練だけを受けた者が多かった。離陸して体当たりするだけなら、みっちり訓練を積むことも、状況に応じた飛行技術を身につける必要もない。空を飛ぶというパイロットだけに与えられた特権を味わうことも、喜びを噛みしめることもない。まさに、死ぬためだけにパイロットになったのだった。
「敵とはいえ、カミカゼの搭乗員になった若者がかわいそうでなりません」
「まったくだ。日本の司令部は相当混乱しておる。絶対に降伏したくないという思いで凝り固まっているのだろうが、あんな作戦とはいえない作戦を立てるようでは、もうおしまいじゃよ」
「提督、カミカゼはいつまで続くとお考えでしょうか?」
 タイラー艦長は訊いた。カミカゼ攻撃が始まった当初こそ、意表をつかれたアメリカ軍は次々と損害を出したものだが、徹底的な対処方法を編み出した今となっては、カミカゼの命中率は非常に低かった。公式な統計はないが、おそらく二、三パーセントにも満たないだろう。特攻に使える飛行機も底をついてきたようで、日本陸海軍はもはや時代遅れとなった旧式機や、はては鈍足の練習機までも繰り出している。これでは撃ち落してくださいといわんばかりだ。だが、日本軍がカミカゼをやめる気配はない。
「やまない風はない。やめさせなければな」
 ミッチャー中将は悲しそうに微笑む。その顔は泣いているようにも見えた。
 ランドルフの内火艇がもうすぐ到着するとの報告が入り、ミッチャー中将は立ち上がった。
「艦長、くれぐれもビッグEを頼んだぞ。無事に本土へ帰してやってくれ」
「ベストを尽くします」
 タイラー艦長は敬礼する。
「死ぬな。これは命令だ。サンディエゴのバーで奢る約束じゃからな」
 ミッチャー中将は目尻に笑い皺を寄せ、わが子を見守る父のようにタイラー艦長を見つめた。
「提督もどうかご無事で」
 タイラー艦長は、老いた父を気遣う息子のようにミッチャー中将のまなざしを見つめ返した。二人とも、生き残る保証はどこにもない。だが、こうして約束を交わしている限り、生き続けられるように感じた。




(最終話へ続く)


戦記小説『祝福を遠くはなれて――エンタープライズ、カミカゼの奇襲を受く』第1話『カミカゼ、来る』

2011年05月06日 23時14分06秒 | 戦記小説『祝福を遠くはなれて』(完結)
 
――すべての特攻隊員と特攻作戦の犠牲者へ捧げる。



「カミカゼ一機、本艦を目がけて急降下!」
 伝声管から見張り員の怒号が艦橋へ響いた。
 一瞬、誰もが稲妻に打たれたように立ち尽くす。まるで暗闇から迫りくる死神を発見したような慄《おのの》きと憎しみに震え、本能をむき出しにして神経を苛立たせる。男たちの獣くさい臭いがブリッジに張りつめた。波を蹴立てる艦の揺れが高まった。
 エンタープライズ艦長のタイラー大佐は双眼鏡を手にしたままそっと瞑目《めいもく》し、言葉にできない心の震えのせいで痺れた左手を握り締めた。とがり気味の鋭い顔は、主力艦の艦長にふさわしい重みと磨き上げた知性が調和し、伝統を誇る大学の教授のような、あるいは、古い修道院の学僧のような趣きがある。独特の重厚なカリスマを備えたタイラー艦長は、その場にいるだけでぴりっとした快い緊張感を周囲へもたらし、潮風が海軍士官を鍛えるようにして将兵を溌溂《はつらつ》とさせ、彼らの向上心と能力を引き出した。しかし、連日の激戦から疲労の色を濃くにじませたその顔は、親友の早すぎる死を悼《いた》む人ようにどこか寂し気で、彼の背中は雨に打たれながら土に覆われる棺を見守る葬儀の参列者のようにも見えた。
 カミカゼの攻撃を受けるたび、タイラー艦長は、お前に生きる資格などないと自分の全存在を否定されたような心持ちに襲われた。命がけの相手に狙われるのは、たしかに怖い。相手は初めから死ぬつもりなのだから、適当に追い払って諦めさせることなどできない相談だ。カミカゼは腹に爆弾を抱え、燃料タンクにどっさりガソリンをつめこんだまま突っこんでくる。まともに体当たりを喰らえば大爆発は必定《ひつじょう》だ。だが、カミカゼは死の恐怖以上の戦慄《せんりつ》を人に与える。ひとたびカミカゼに狙われたなら、私が私であることの意味を根こそぎ奪われ、太い釘を打ちこまれたように、心の奥深くがむごたらしく傷つけられてしまう。
 心の隅でなにかが崩れ落ち、それをかろうじて支える自分がいた。しかし、艦長である限り、動揺した姿を部下に見せるわけにはいかない。すぐさま険しい表情へ戻り、
「対空防御」
 と、副長に伝えて窓辺へ寄った。副長が命令を復唱する。全艦にブザーが響く。白いセーラー服の水兵たちが慌しく飛行甲板《フライト・デッキ》を走り抜ける。
 一九四五年五月十四日、午前六時五十一分。
 日本南西部、鹿児島県大隅諸島、種子島東方の沖合い。
 ヨークタウン級航空母艦CV6エンタープライズは、タイコンデロガ級航空母艦CV15ランドルフ、ノースカロライナ級戦艦BB56ワシントンをはじめとした第五十八任務部隊(高速機動部隊)の旗艦として作戦行動中だった。部隊司令官として、マーク・ミッチャー中将が坐乗《ざじょう》している。彼は、ドーリットル空襲、珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦、マリアナ沖海戦など幾多の作戦に参加し、空母部隊の戦術を熟知した百戦錬磨の指揮官だ。タイラー艦長は、以前、副官としてミッチャー中将に仕えたことがあり、すぐれた統率力と人間味を兼ね備えた中将に全幅の信頼を寄せ、心服していた。
 ミッチャー提督の指揮下、第五十八任務部隊は九州南部・沖縄方面に展開し、水上特攻をかけてきた世界最大の戦艦大和を撃沈するなど数々の戦果を上げて士気旺盛だが、カミカゼだけには悩まされた。
 先月、四月十一日には、エンタープライズとアイオワ級戦艦BB63ミズーリが特攻機によって損傷した。ミズーリは小破にすぎなかったが、エンタープライズは飛行甲板を破壊されたため、西太平洋カロリン諸島にあるウルシー泊地へ引き返して浮きドックで修理するはめになった。三日前には、エセックス級航空母艦CV17バンカー・ヒルがわずか三十秒の間にカミカゼ二機の体当たりを受けて大破。沈没は免れたものの、艦載機の誘爆がひどかったこともあって大火災を起こし、約四百名の戦死者を出している。
 この日も、早朝から日本の特攻機が襲来した。
 カミカゼとなった日本海軍の零式艦上戦闘機(ゼロ戦)六機を対空砲火で撃ち落し、直衛戦闘機によって二十機弱を撃墜したのだが、ただ一機だけ取り逃がしてしまった。生き残ったゼロ戦は執拗《しつよう》に追いかけてくる。時折、雲の間から顔をのぞかせてこちらの位置を確認しようとするので、その都度、集中砲火を浴びせかけるのだが、すぐに雲へ隠れてしまう。なかなかすばしっこい。叩き潰そうとしても、両手の間をふらりとすり抜けてしまう蚊のようだ。しかし、相手は蚊などではない。カミカゼだ。油断ならない。
 その一機がついにエンタープライズへ襲いかかってきた。
 エンタープライズのすべての機銃が火を噴き、周囲の空母や護衛艦艇も対空砲火をあげる。機銃にこめた曳光弾が無数の光の筋を曳きながらまぶしいほど澄みわたった空を貫き、投網を投げかけるようにしてあたり一面を埋め尽くす。高角砲の弾薬が上空で炸裂して黒い煙がそこかしこで乱れ咲き、蒼い大空を穢してしまう。狂っているのはカミカゼなのか? それとも我々なのか?
 タイラー艦長はゼロ戦の動きを目で追った。小さな点にしか見えなかった敵は、瞬く間に、目視ではっきりわかるほどの大きさになって迫りくる。相手はたった一機なのだが、弾幕を張ったこちらの弾は一発も当たらない。必殺を期してだろう、特攻機は目標をよく見定めるために急降下から緩降下《かんこうか》へ移ろうとする。だがその時、ゼロ戦の機体がややふらついた。エンタープライズを狙っていた鼻先がわずかに外れ、勢いあまったカミカゼはエンタープライズの真上を行き過ぎる。艦長がほっと胸をなでおろして特攻機の行く手に広がる黝《あおぐろ》い海へ目を走らせた瞬間、
「こちらへ向かってきます!」
 と、見張り員が絶叫した。
 濃緑色の機体に日の丸マークを描いたゼロ戦五十二型は、エンタープライズの進路を阻むようにして左急旋回しながら大きな弧を描く。カミカゼは大空を舞う鷹だった。堂々としていて、それでいて優美だ。白いマフラーを首に巻いたパイロットの姿がくっきり見える。タイラー艦長はその美しさにふっと見とれた。カミカゼは機体をひねりこんだまま背面飛行の状態になり、真正面から突っこんできた。
「面舵《おもかじ》一杯」
 副長のかけ声が響く。操舵手が身をよじらせて思いっきり舵を回す。舵はカラカラと音を立てて糸車のように回転する。
 間に合わない。



(第2話へ続く)


私の夢はボールフルトと一緒に旅行することです。愛すでる。(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第26話)

2011年05月05日 19時53分44秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 このタイトルを見てなにを書いているのだろうと思った人も多いだろう。誤植ではないので念のため。
 タイトルの文章は、先日、近所のスターバックスへ寄った時に、スタバに置いていた落書き帳で見つけたものだ。たぶん、日本語を習い始めたばかりの中国人の若い女の子が彼氏のことを思いながら、あるいは素敵な彼氏を目の前にして書いたのだろう。「私の夢はボーイフレンドと一緒に旅行することです。愛してる」と書くべきところをすこし間違えているのがなんともいえずかわいらしい。恋をしてウキウキしている姿が目に浮かぶ。
 ところで、広州の中心部にはスタバがいくつもあるのだけど、時々びっくりすることに出会う。
 二ヶ月ほど前のことだけど、ブレンドコーヒーをテイクアウトしようとしたら、
「ブレンドコーヒーは苦いけど大丈夫ですか(直訳すれば、飲み慣れていますか)?」
 と若い店員に訊かれた。
 僕は一瞬、中国語を聞き間違えたのかと思い、「なんて言ったの?」と聞き返してしまった。店員はやはり同じことを言う。ブレンドコーヒーって苦いのがいいんだけどと思いつつ、
「没問題(問題ないよ)」
 と答えた。
 考えてみれば、広州のスタバではカフェオーレやホイップクリーム入りコーヒーといった甘いものを飲んでいる中国人が多い。中国人はコーヒーを飲む習慣がないから、苦いコーヒーというものは彼らにしてみれば飲めた代物ではないのかもしれない。華南で十年近く働いている日本人に訊いたところ、やはりまだ彼らは「おしゃれな感じのするスタバでコーヒーを飲みながらノートブックパソコンを開いている自分が格好いい」というライフスタイルへのあこがれでスタバへきているだけだという。コーヒーの味はわかっちゃいないと。若い店員はコーヒーの味はわからないけど、親切のつもりでそう訊いてくれたんだろう。
 またある時、ブレンドコーヒーを頼んだら、
「すみません。ブレンドコーヒーは消滅しました(直訳)」
 と返事が帰ってきた。
 消滅???
 まさか、世界中からブレンドコーヒーが消えるわけがない。そんなことを宣言されても困ってしまう。
「それって、ブレンドコーヒーがメニューから消えたってことなの?」
 僕は恐るおそる聞き返した。中国はなんでもありのカオス的ワンダーランドだから、なにが起きても不思議ではない。スタバからブレンドコーヒーがなくなることもじゅうぶんに考えうる事態だ。店員は、例のブレンドは苦いけど大丈夫と訊いてくれた彼だった。
「なくなっちゃんったですよ」
 彼は、アイスコーヒーを入れておくプラスチックの容器を逆さにしながら僕に見せる。うーん。メニューから消えなくてよかった。それにしても、まだ夜の八時半だ。閉店まで二時間半もある。閉店間際ならしかたないかもしれないけど、ふつう、喫茶店はブレンドコーヒーを切らさないと思うんだけどなあ。広州ではブレンドはそれほど人気がないのだろうか。
「ブレンドコーヒーのかわりに、アメリカンを出しますよ。御代はブレンドのぶんだけで結構です」
 彼はスタバはサービス満点なんですよとでも言いた気に自信満々だ。日本のスタバの値段がどうなっているのかは知らないけど、なぜかブレンドよりアメリカンのほうが高い。
「いいや、僕はアメリカンが好きじゃないから」
 せっかくの申し出だけど断った。僕が飲みたいのはブレンドだ。アメリカンじゃない。
「ああ、味が濃いから」
 彼はうんうんわかるという風にうなずく。
 ――だから、そうじゃなくって!
 僕は心のなかで叫んだ。中国にいるといろんなことをなかなかわかってもらえなくてとんちんかんな答えがよく返ってくる。それでいつも、「だからそうじゃなくって!」、と言うはめになる。わかってもらないものはどうしようもない。どうしようもないのだけど、そこで引くわけにもいかない。
 お兄ちゃん、アメリカンはブレンドより薄味なんやで。アメリカンはブレンドにお湯を足すやろ。頼むからわかってや。
「アメリカンは味が薄いから飲んだ気がしないんだよ。白湯みたいでさ」
 僕が言うと、彼はぽかんと口を開け、まるでそんなことは生まれてはじめて聞いたというような顔をしている。僕がなにを言っているのか理解していない。彼は愛想もいいし親切だけど、スタバで働いていてもブレンドコーヒーをほとんど飲んだことがないのだろう。もっとも、彼を責めることはできない。僕も学生時代に喫茶店でアルバイトしていたことがあるけど、きっかけはその喫茶店で働いている女の子たちがかわいいという不純な動機からだった。じつをいうと、コーヒーは苦手で、喫茶店でアルバイトをしているうちに好きになった。
 彼を責めてもしょうがないのだけど、夜の八時半以降になるとブレンドはめったにないから、夜は行かないようになった。
 スタバでいちばん困るのは、英語で話しかけられることだ。今僕が住んでいるところは外国人が比較的多いところだし、スタバの入っているテナントビルの上には日本を代表するような日系企業を初めとして外資系企業がたくさん入っているから、白人の姿もよく見かける。顧客サービスの一環として英語のできる店員をそろえているのだろうけど、僕としては北京標準語で話してくれたほうがありがたい。コーヒーの注文のやりとりくらいはなんとかなるけど、中国人の店員はきさくなのでいろいろ話しかけてくる。そうなるともうお手上げだ。雑談に応じるほどの英語力はない。バックパッカーをしていた頃は、英語でピーチクパーチク話していた記憶があるけど、もう何年も使っていないので、かすかな英語力も消えうせてしまった。何度通っても英語で話しかけてくる店員に根気よく北京標準語で返しているうちに、顔見知りの店員はようやく北京標準語で話しかけてくれるようになった。最近は、スタバへ行っても「英語を聞き取らなくてはいけない」というプレッシャーから解放されたのでほっとしている。
 スタバのコーヒーを買うだなんて、なんて贅沢なことをしているのだろうと思われるかもしれないけど、実は広州でまともなコーヒーを飲もうとすればスタバのブレンドコーヒーのトールサイズを頼むのが一番安い。コーヒーハウスでブレンドを頼むとだいたい二十元(約二五〇円)ちょっとする。それも時々、とんでもない味をしたものが出てくる。あきらかに屑豆を挽いたものだ。スタバなら十五元(約一九〇円)。割引カードを使えば十三元。マクドのコーヒーもあるけど、日本のマクドのコーヒーのようにはいかない。Lサイズで8元(約百円)と安いのだけど、コーヒーの管理方法が悪くて煮立っているからクリームと砂糖を入れなければ飲めた代物ではない。そのまま飲んだのではインスタントコーヒーを飲んだのと同じように胸焼けしてしまう。コーヒー文化がまだまだ普及していない中国では、レベルの低いコーヒーでも商売になる段階だ。コーヒーを飲む人が増えれば、客も店員も味がわかるようになって全体の水準が向上するのだろうけど、いまのところスタバに頼るしかない。
 でもなんだかなあ。
 そのスタバがちょっと頼りないんだよなあ。スタバでも時々変な味をしたブレンドが出てくるし。
 スタバってグローバルなはずなんだけど、やっぱり広州のスタバには広州のローカルルールがあるようだ。グローバルなルールは、なんとなく世界中のどこでも通用しそうな感じがするけど、じつはそうではなくて、決してどこでも通用するわけじゃないということがわかった。
 近くてめちゃめちゃ遠い不思議の国、中国にいるといろいろ勉強になる。



 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第26話として投稿しました。『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


ビザ事務所で思ったこと(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第24話)

2011年05月03日 15時07分00秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 外国人居留証の手続きのために公安局の出入境管理処へ行ってきた。
 さすがというべきか、世界中から人々が集まる広東省とあって、人でごったがえしている。機械のボタンを押して順番待ちのレシートを取ると、五十五人待ちと印刷されていた。一緒についてきてくれた総務の女の子によると、先週、別の日本人の手続きでここへきた時は約百人待ちだったそうだ。
 申請受付カウンターの前の長椅子には、黄色い人、黒い人、白い人といろんな人種の人たちがいる。いろんな民族がいる。ほとんどの人はTシャツにジーパンやスーツといった日本人とほとんど変わらない格好をしているけど、なかにはまれに、ムスリムの黒いチャドルを頭から被った女性や民族衣装のような服を着ている人もいる。カウンターの前では、ロシア人の若いカップルが途方に暮れた顔をしながらビザ事務所の職員と話をしていた。書類に不備があり、これでは申請を受け付けられないと言われてしまったのだろう。
 待合室には話し声がざわざわと響いていた。
 ほとんどが僕の知らない国の知らない言葉だ。
 ここには何種類の言語が飛び交っているのだろう?
 疲れた頭でぼんやり考えた。
 僕は彼らのことをなにも知らない。どんな風景のところで育ったのか、どんな食べ物を食べているのか、どんな暮らしをしているのか、どんな仕事をしているのか、どんな恋をしているのか、なんにも知らない。
 いったい僕は、この世界のどれくらいのことを知っているのだろう?



 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第24話として投稿しました。『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


西門豹伝の構造 ―― ライナーノーツにかえて ――

2011年05月01日 15時47分02秒 | 歴史小説『西門豹』(完結済み、全12話)
 
 西門豹の話は『史記列伝』の『滑稽伝』に載っている。
 以前、中国に語学留学していた頃、外国人向けの北京標準語の教科書で読んだ。もちろん、古代文ではなく、読みやすく仕立て直した現代語訳で。小テストがあって、一部分を暗記して先生の前で暗誦したりした。
 西門豹のことを中国人の友人に話したら、みんな楽しそうに笑う。現代語訳が中国の教科書に掲載されていて、学校で勉強したのだとか。日本ではあまり知られていない話だが、本場の中国ではわりあい有名な話のようだ。

 西門豹伝に描かれた「毛沢東作戦」

『史記』に描かれているこの話のエッセンスを権力闘争の面に絞って抽出すると、次のようになる。

1、鄴は洪水によって疲弊しており、庶民の生活は困窮していた。そこへ西門豹が改革を実行するために送りこまれた。
2、中央政府と地方政府の間に反目があった。また、地方政府には激しい腐敗があった。
3、西門豹は、地方政府の腐敗と生活の困窮にあえぐ地元の村長や古老たちの支持を取りつけた。
4、西門豹は地方政府上層部の権力を剥奪し、中央政府の意向に従わせ、地元の村長などの支持のもとに改革を実行した。

 なんてことはない。これは農民の支持を取りつけて、都市の支配層を追い出す話だ。つまり、農村が都市を包囲するという「毛沢東作戦」である。
 中国の歴代王朝はたいていの場合、疲弊した農村の支持を得て政権を奪取した。中国の伝統的な権力の握り方が西門豹伝には書いてある。毛沢東もしかり。もちろん、中国全土を支配するのと一地方都市を支配するのとではスケールがまったく違うが、その構造は同じだ。中国は古代から「毛沢東作戦」で政権を掌握する国だったのだ。

 龍退治、もしくは自然への挑戦

 もちろん、この話の面白味は別のところにある。
 西門豹伝は、いわゆる「龍退治神話」のジャンルに属するものだ。
 龍は川の化身。そして、洪水のシンボルでもある。洪水に悩まされ続けてきた人類にとって、川をどう治めるかは大きな課題だった。龍を退治するということは、暴れ川を治め、洪水を克服するということ。つまり、自然への挑戦物語である。
 中国神話の一番最初は禹の治水物語。言い換えれば、治水をはじめるところから、「開発の文明」がはじまるといっていいかもしれない。ちなみに、中国の歴代皇帝のシンボルは龍だった。中国では川を治める者が皇帝となるのだ。
 神話には人の心を揺さぶる物語の原型《アーキタイプ》がある。龍退治もその一つである。西門豹伝は神話ではなく史実だが、この自然への挑戦物語という原型が変形した形で話の骨格として使われており、これが人の興味を惹きつける。洪水という巨大な敵をどうやって打ち負かすのか、ここにこの話の旨味がある。

 『史記』にかけられたバイアス

『史記』には、さまざまな歴史上の事実やエピソードが載っている。
 だが、それらの事実やエピソードはすべて司馬遷の視座《パースペクティブ》によって描かれており、さらにいえば、『史記』は客観的な歴史的事実を述べるために執筆されたものではなく、漢王朝、とりわけ漢の武帝の正統性を証明するという別の目的のために書かれたものだ。つまり、『史記』は司馬遷の目を通して描かれた括弧つきの「歴史」であり、司馬遷の見解が「正しい」わけではない。また、描かれた事実やエピソードも司馬遷の考え方や執筆意図に沿うものが選ばれている。歴史書にかけられたバイアスをどう読み解くのか、ということも大事なことだ。
『史記』の西門豹伝では、地方政府の腐敗と信仰を食い物にした詐欺事件が描かれている。このようなことは現代でも枚挙に暇がない。話としては面白い。いつの時代でも政治と宗教に腐敗はつきものだ。だが、果たして本当なのだろうかと疑ってしまう。先にも述べたようにこの話には、中央政府と地方政府と間における権力闘争の一面が色濃くある。権力闘争に敗れた側は悪く書かれるのが「歴史」の常なので、三老や巫女の地方政府がほんとうにそこまで激しく腐敗していたのかどうか、慎重に考えたほうがいいだろう。「歴史」は往々にして勝者によって書かれるものだ。とはいえ、勝者が必ずしも正義とは限らない。敗れたものが悪とも限らない。

 東洋的な古い「近代」

 西門豹伝の最後には、漢王朝の時代に西門豹が建設した水路を変更する命令が出たが、地元の人々は西門豹のおかげで暮らしがよくなったのだから、それを変える必要はないと反対し、西門豹の水路はそのまま使われることになったという話がエピローグとして紹介されている。それほど、西門豹は鄴の人々から感謝されていた。後代まで感謝される知事はなかなかいるものではない。西門豹が善政を敷いたのは確かなことだろう。
 西門豹は河伯が空想の産物であることを看破し、それを人々に証明してみせた。龍の幻影に怯えていた人々はその恐怖から解放され、その結果、開発が進み生活が向上した。生活がよくなったのはとてもいいことだ。西門豹の事業は高く評価されるべきだと思う。
 ここに東洋的な古い「近代」の形がある。
 西門豹伝は、一面からいえば、精霊信仰《アニミズム》の否定と人間中心主義《ヒューマニズム》によって描かれたエピソードということができる。龍=自然を崇めるという「信仰」を「迷信」として切り捨て、人間をこの世の主人とみなして「開発」を進めるというものだ。
 ここで注意しなければならないのは、西欧的な近代だけが近代のすべてではない、ということだ。中国には中国流の「近代」がある。
 中国は遅れた国と思われがちだ。たしかに、西欧近代科学による産業振興や民主主義による国造りといった西欧的な尺度をとれば、遅れをとっている。しかし、中国には悠久の歴史がある。日本にまだ文字がなかった時代に、政治、哲学、医学、歴史、兵法、詩などの各ジャンルにわたって数多《あまた》の書物が執筆されていた国だ。近代的な文明という観点からみれば、中国は日本よりもはるかに長い歴史を持っている。
「近代」とは神々を追放し、人間が世界の王座に坐ることだ。自然を人間に隷属させることだ。この点については、洋の東西に変わりはない。
『史記』の西門豹は、中国流の近代化の観点から好ましい人物として描かれている。西門豹は、龍信仰を迷信として切り捨てることで開発への道を切り拓いた。宗教によって制限されていた人間の活動領域が拡大した。現代流にいえば、開発独裁といったところだろう。
 西門豹は、人間中心主義《ヒューマニズム》と開発の推進という東洋的な古い近代を体現している。

 ヒューマニズムと開発の流れの先に

 西門豹の政策によって洪水が減少し、鄴は発展したわけだが、近代的なものがすべてよいと、手放しで賞賛するわけにはいかない。
 人間中心主義《ヒューマニズム》は、一歩間違えれば非常に危険な思想となる。不完全な人間が神になれるはずもない。なれるはずもないのだが、神になれるものだと思い上がってしまう。なにか崇高なものや理想といったものに対する敬虔な気持ちがなければ、優しさや理性の源泉がなくなってしまい、人間はすぐにでも野獣化してしまう。そんながらんどう人間中心主義人間の行き着く先は袋小路でしかない。行き場を失い、やがて文明そのものが終焉を迎えることになるだろう。
 小説では、ヒューマニズムに対置するものとして、精霊信仰の世界に生きる巫女の彩を描いた。彼女の考え方は、人間は自然のなかでしか暮せないのだから、やはり自然と共生する道を選ぶよりほかにない、そして、自然と共に生きるためには自然に対する敬意がなくてはならない、というものだ。
 西門豹のヒューマニズムの流れの先に今日の文明がある。ギリシア神話のギルガメシュも、森の神を殺す話だ。精霊信仰だけでは現代のような世界は出現しない。自然を殺すことで人の世は栄えた。
 今は非常に便利な世の中だ。行きたいところへどこへでも行くことができる。世界中を飛び歩くこともできれば、ネットに接続して世界中の情報を集めることができる。自動車も飛行機もカメラもパソコンも、西門豹の時代の人間から見れば魔法のようなものだろう。しかし、精霊信仰を完全に切り捨ててしまうのは、やはり問題ではないだろうか。
 もちろん、現代において、自然へ帰れといっても、今更後戻りはできない。たとえば日本で精霊信仰を取り戻そうとしても、もはや大多数の人々は自然のなかでは暮していない。精霊信仰は自然のなかでの営みによって生まれたものだから、コンクリートジャングルの都会や郊外の住宅地で暮らしながらそれを取り戻そうとするのは至難の業だ。とはいえ、「自然を殺す文明」ばかりが発展しすぎた。開発もある一定の線を越えれば、プラス面よりもマイナス面のほうが増えてしまう。たとえば、公害問題もその一つだ。黄河の水は奪いつくされ、季節によってはあの大河が断水するまでになった。かつては豊かな森だった平野も砂漠化が進み、北京は毎年猛烈な砂嵐に見舞われる。小説中の彩のようにとまではいかなくとも、「自然と共生する文明」の道を模索する必要があるのではないだろうか。もちろん、人間と自然の間ばかりではなく、人間同士でも共生する道を。どうやら、人間は自然と共に暮すことを忘れた時、人間同士共に生きることを忘れてしまうもののようだから。
『史記』の西門豹伝に描かれた西門豹は有能で非常に魅力的な人物だ。彼の功績は大きい。だが、ヒューマニズムと開発の行き過ぎた現代においては、逆の角度から、つまり精霊信仰の視点から物事を眺めることも重要ではないだろうか。



(あとがき)
 本文は『史記』の西門豹伝に潜む構造を筆者なりに解き明かしてみたものです。筆者の視座《パースペクティヴ》によって書かれたものであり、当然、筆者のバイアスがかかっていることは言うまでもありません。

 当ブログの『西門豹』の第1章のページはこちら↓
 http://blog.goo.ne.jp/noduru/e/64af9ab1f0ebd34a85c6d24219c274bc

 「小説家になろう」サイトの『西門豹』のページはこちら↓
 http://ncode.syosetu.com/n9801h/

ツイッター