風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

貴女と蒼穹を翔びたかった 最終話

2013年03月27日 19時45分07秒 | 文学小説『貴女と蒼穹を翔びたかった』

 死線を越えて


 急上昇をかけ、エンジンを全開にします。
 ――もうだめだ。
 ひやりとした刹那、九五式水偵はがっしりとした主フロートで波頭を突き破り、空へ舞い上がりました。
 間一髪でした。あと〇・三秒遅ければ、機体もろとも海の藻屑となっていたことでしょう。念のために高度を雲底直下の三百メートルにとりました。気持ちを鎮めようと何度も深呼吸してみましたが、動悸がおさまりません。眼下には最果ての海が広がっています。
 彼岸と此岸の間をうろうろ飛んで生死の境目をさまよっていた私は、この世へ引き戻されました。
「安田、しっかりしろ」
 伝声管から掌飛行長の声が聞こえます。私は後部座席を振り返りました。確かに川島さんが坐っています。
「掌飛行長殿、生きておられたのですね」
 嬉しくなった私は、思わず叫んでしまいました。
「ばか、死にかけていたのはお前だ。安田、寝るな。寝たら死ぬぞ。貴様なんかと道連れになるのはごめんだからな」
 軍人らしい憎まれ口は、愛の鞭です。
「申し訳ありません」
 私は、伝声管へ向かって頭を下げました。
「謝るくらいなら、しっかり飛べ」
「はい」
「いいか、生きて帰るんだ」
「掌飛行長殿。あとどれくらいでしょうか?」
「もうすこしだ。がんばれ」
「もうすこしとは何分くらいでしょうか?」
「あと五分だ」
 掌飛行長の声といっしょに竹竿が頭へ降ってきます。うるさく訊くなと怒られてしまいました。
 しばらくはしっかり操縦していた私ですが、やはり貧血を起こして目の前がかすみます。灰色の雲も黒い海も、世界のすべてが二重三重にぶれて見えます。
「掌飛行長殿。いったん着水して私と操縦を替わっていただけないでしょうか。もう持ちこたえられそうにありません」
「ばかやろう。この波で着水できるわけがないだろ。転覆するぞ」
 川島さんはまた私の頭を叩きます。確かに、掌飛行長の言う通りです。水上機は七つの海のどこでも自分の滑走路にしてしまえますが、それは波が比較的穏やかな時に限られます。海が荒れていたのでは、着水できません。
「安田、諦めるな。諦めた時が死ぬ時だ。こんな最低な海で死ねるかよ。ここでお陀仏になったら、地獄行きの切符しか手に入らねえぞ」
「必ず掌飛行長を『摩耶』までお連れします」
「よし。弱音を吐くな。絶対に生きて帰る。男なら、生きて生きて生き延びて戦い続けるんだ」
「了解」
 掌飛行長の檄《げき》ですこしばかり元気を取り戻しました。川島さんを死なせてはいけない。彼の想いに応えたい。そう思って気力を振り絞りました。
 どんよりと濁った空が続きます。
 三途の川の光景が脳裡に甦ります。
 アリューシャン列島にオランダ兵がいるはずなどありませんから、きっと戦死した人たちがあの世の入口を探して行進していたのでしょう。
 なんとも言えない思いに駆られました。
 隊列のなかには、私が殺してしまった人もまじっていたかもしれません。いくら戦いとはいえ、向こうも死を覚悟のうえだったとはいえ、後味の悪さが胸に広がります。もしダッチハーバー飛行場を爆撃した折に戦死者が出ていれば、その人たちもあの川のほとりでさまよっていることでしょう。
 私はため息をつきました。
 相手を倒さなければ逆に私が殺されていたかもしれないのですから、恨みっこなしといえばそれまでです。理屈はそうですが、殺し合わずにはいられない人間とはいったいなんなのでしょうか。人殺しを生業《なりわい》とする職業軍人の私はいったい何者なのでしょうか。私の業は深すぎて、救いようがないのでしょうか。
 ふっと意識が途絶えます。
 そのたびに、掌飛行長が竹竿で気合いを入れてくれます。
 突然、エンジンがパンパンと異常な爆発音を立てました。
「安田、どうした」
「回転数が急激にさがっています」
 メーターの針が左へ振れます。エンジンを噴かそうとしても、いうことを聞いてくれません。
「原因はなんだ?」
「わかりません。たぶん、寒さと霧にやられたんだと思います」
 スピードが落ち、ずるずると高度が下がります。このままでは失速してしまいます。
 私はすぐさま過給機を調整してみました。ですが、正常に作動しません。案の定、空気の流入を調整する弁に不具合が発生して、それがもとで爆音につながったようです。エンジンを開けてみなければ正確な原因はわかりませんが、十中八九、結氷が付着して弁がつまったのでしょう。弁《スロットル》を開けたり閉めたりしながらあれこれ試しても、エンジンは凄まじく咳きこむだけです。突然、シャンパンを抜いたようなぽんっとなにかが弾ける音とともに回転数が上がりはじめ、メーターの針が右へ振れました。はさまっていた異物が取れ、弁が正常に作動するようになってくれたのでしょう。エンジンはようやく調子を取り戻し、スピードも巡航速度へ回復しました。
 エンジンの異常はおさまりましたが、燃料は残りわずかになっていました。もうじきガソリンが底をついてしまいます。
 死ぬのは怖くありません。
 懐かしい人たちが待っていてくれています。あの世でなら、誰も恨まず、誰も傷つけず、やさしい気持ちで暮せそうです。
 ただ、貴女のことだけが心残りでした。
 もう死ぬかもしれないと思うと、貴女のことばかり思い出します。貴女の笑顔ばかりが胸にいっぱい広がります。遠い異国の地で想う貴女の笑顔は、村里に咲き乱れる白百合のようでした。
 大切な人を手放すだなんて、私はなんてばかな真似をしたのでしょう。
 この世でかけがえのない人は、貴女以外に誰もいません。
 貴女を苦しめたくなかったから別れることにしたと言いましたが、ほんとうのことを言えば、あなたを苦しめたと思う自分が嫌だから、別れることにしたのかもしれません。自分の都合で貴女と別れただけなのかもしれません。いえ、きっとそうなのでしょう。自分が傷つきたくなかったのです。
 生計をどうやって立てるのだとか、暮らしをどうするのだとか、よけいなことばかり考えすぎた私が間違っていました。それほど大切に思っている貴女なら、なにも考えずに抱きしめ続ければよかったのです。それができなかったのは、私の弱さであり、私の愚かさです。わがままな考えかもしれませんが、大切な人を手放してしまったのでは、つまらない後悔をするだけなのです。かえって、大切な人を苦しめてしまうだけなのです。後がどうなろうとも、その日一日を精一杯生き抜くこと――それだけが、ほんとうに大事なことなのではないでしょうか。そんな一日いちにちの積み重ねが明日の希望へとつながるのではないでしょうか。
「『摩耶《まや》』だ!」
 川島さんが叫びます。
 こちらへ向かってまっすぐ駆けてくる『摩耶』の姿が目に飛びこみました。艦隊旗艦用に設計された『摩耶』は巡洋艦にしては巨大な艦橋を備えているので、一目見ればすぐにわかります。見間違えることはありません。『摩耶』が探照灯《サーチライト》を光らせ、
「我、揚収準備に入る。備えよ」
 と、モールス信号を送ってきました。
 ぎりぎり間に合った。
 ほっと胸をなでおろしたものの、海面を見てすぐに嘆息してしまいました。
 波は吠え叫び、海は荒れ狂っています。着水してもすぐに大波をかぶって転覆してしまうのは確実です。こんな冷たい海に投げ出されたら、体中が凍りつき、それこそシャーベットになって死んでしまうでしょう。
 万事休す。
 私がこの命を諦めかけた時、『摩耶』は全速力を出して目一杯舵を切りました。日本海軍が誇る主力重巡洋艦は船体をきしませ、大きな弧を描きます。『摩耶』の切っ先から出た波がたがいに打ち消し合い、円を描いた内側だけ海が鎮まります。荒波のなかに丸い鏡がぽっかり浮いたようでした。
「今だ!」
 待ちかねた私は愛機を着水させました。
 主フロートから飛沫が飛び、風防ガラスを濡らします。まるでスケートでも滑るように静かな水面を走ります。
 エンジンを切り、舷側へぴったりつけました。見上げた鉄《くろがね》の艦容はいかにも頼もしそうでした。水上機甲板のクレーンが動き、九五式水偵の頭上へ回りこみます。あとはフックに引っかけて吊り上げてもらうだけです。
 やっと帰還できた。
 生きて還ることができたのです。
 ロープを手にした私は「よし」と叫び、下りてきたフックへロープをかけようとしました。
 その時です。
 荒波が襲いかかってきました。
 足元をすくわれ、『摩耶』の姿が逆さにひっくり返ります。翼を呑みこまれた九五式水偵は舷側へ叩きつけられ、あっという間もなく、私と掌飛行長は酷寒の海へ投げ出されてしまいました。

 さいわい、すぐにカッターをおろして救助してもらえたので、一命を取りとめることができました。
 重傷を負った私は半年間の療養期間を経た後、同じ高雄型重巡洋艦の『愛宕《あたご》』水上機隊へ再配属され、昭和十九年のレイテ沖海戦で『愛宕』が米潜水艦の雷撃を受けて沈没するまで行動を共にしました。『摩耶』もその海戦に参加していたのですが、ともに撃沈されてしまいました。またも九死に一生を得た私は、その後水上機学校の教官となり、霞ヶ浦基地で本土決戦に向けて後進の指導に当たっているうちに広島への原爆投下日を迎えました。
 新型爆弾の噂は以前から耳にしていましたが、まさ貴女の住む街へ落とされるとは思ってもみませんでした。青天の霹靂《へきれき》とはこのことです。
 私の心まで焼かれたようでした。後から同僚に聞いた話では、私は教官室の窓辺に立ち尽くしたままずっと空を見上げ、嘘だとつぶやき続けていたそうです。すぐにでも水上機に飛び乗り、広島へ行きたくてたまりませんでした。ですが、教え子たちの手前、職場放棄をするわけにもいきません。悶々と日々を過ごすうちに長崎へも原爆が投下され、やがて玉音放送が流れて日本の敗北が確定しました。
 ここへお参りにくるのが遅くなってすみません。
 戦後の混乱期は、世間の人々と同じように私もその日一日の糧を得ることだけで精一杯でした。栄養失調と過労から何度も病院へ担ぎこまれたものです。朝鮮戦争が終わって世の中がようやく落ち着きを取り戻し始めた頃からずっと貴女の消息を求めていました。とはいえ、広島へ送った手紙は宛先不明で返ってくるばかりですし、貴女のご実家もいつの間にかよそへ移られていましたから、なかなか手がかりが摑めません。広島まで尋ねて行ったこともあるのですが、貴女の住所には知らない方が住んでおられ、ご近所の方々もすっかり入れ替わってしまった様子でした。つい最近、やっとのことで貴女のご親戚の方と連絡が取れ、貴女の最期を教えていただくことができました。
 戦場で死ぬはずだった私がこうして生き残り、内地で生き残るはずだった貴女が原爆の犠牲になってしまうとは、運命の皮肉としか言いようがありません。できることなら、私の命を差し出してでも貴女には生き残ってほしかった。いえ、こんな言い草は甘ったれた言い訳ですね。もとはと言えば、私が別れることにしたために、貴女は広島へ嫁ぐことになったのでした。私のせいです。私が貴女を死地へ追いやったのです。私が貴女を殺してしまったのも同然です。しかも、素敵だった貴女をとても人間とは思えない無惨な姿へ変えてしまい、さんざん苦しませてから命を奪ってしまったのです。さぞつらかったことでしょう。
 このことばかりはいくら償いたくても、償いきれません。私と貴女の命を交換することができたら、どんなにいいでしょう。歯がゆいことですが、今となっては貴女にしてさしあげられることはなにもありません。こんな情けない私を許してください。ほんとうに、許してください。どうか、どうか許してください。許してください。
 貴女が好きだった白百合の花と木村屋の菓子パンをお供えします。
 いつかいっしょに銀座の木村屋レストランへ入った折、二人でカツサンドを注文しましたね。貴女はもう食べきれないわと言って、口元についたパン屑を木綿のハンカチで拭ったのでしたっけ。恥ずかしそうにはにかんだ貴女の笑顔が忘れられません。
 恥知らずにも生き永らえた私は、この世で大切なものを守るために、この世で美しいものを壊させないために、なにごとかを成し遂げなくてはなりません。こんな頼りない私になにができるのか、非常に心もとないのですが、それよりほかに供養の道はないのだと思います。
 私はもう自分の身に起きた出来事を時代のせいにはしたくありません。そんな言い訳を重ねる人生はみじなものでしかありませんから。大切な人を不幸にしてしまうだけで後悔しか残りませんから。時代の壁を打ち破る力はなくても、せめて非力な私なりにそのための努力を重ねるつもりです。
 原爆で焼け野原になった広島の街と人々の模様を撮影したフィルムを持って、来月からアラスカへ渡ります。アラスカの学校を回って講演を行い、原爆の悲惨さをよく知ってもらいたいと思っています。そして、私が戦争中に犯した罪を包み隠さず正直に告白し、彼の地の方々にお詫びを申し上げる予定です。
 どうか安らかに眠ってください。
 将来、私があの川を渡ることになった際には、もしよければあの穏やかな岸辺で出迎えていただけないでしょうか。貴女と話したいことがあるのです。
 ずっと貴女を想い続けます。



 了


 ※本作の『小説家になろう』サイトでのアドレスは以下のとおりです。
  http://ncode.syosetu.com/n3003m/
 

貴女と蒼穹を翔びたかった 第5話

2013年03月26日 07時02分14秒 | 文学小説『貴女と蒼穹を翔びたかった』

 忘却の河


 雲海を突き抜け、紺碧の空へ出ました。
 息苦しい水底《みなそこ》から浮かび上がり、ようやく息継ぎできたようなさわやかさがあります。なんといっても、世界は輝いているのがいちばんです。飛行場も爆撃したことですし、あとは帰投するだけ。無事に任務を終え、身も心も軽くなりました。喉の渇きを覚えた私は、座席の横からサイダーの瓶を取り出し、栓を開けてラッパ飲みしました。がらがらになった喉がすっきりします。
 艦隊へ針路を取ろうとした時、空の向こうでなにかが光りました。
 やはり、カーチスP40です。
 送り狼とばかりに待ち伏せているようですが、幸い、我々にはまだ気づいていません。のんきなとんぼのようにこちらにお尻を向けて飛んでいます。
「安田、海へ出ろ」
 掌飛行長はすかさず指示を出します。私は水平に戻したばかりの操縦桿を押し倒し、雲へ潜りました。
 蕭々《しょうしょう》と風の吹き荒《すさ》ぶ海は、みぞれまじりの冷たい小雨が降っていました。負傷した左肩が今頃になって疼き始めます。早く帰還して手当てを受けたいところです。
「掌飛行長殿、どうしますか? 適当なところで雲の上へあがりましょうか」
 晴れた空を飛んだほうが当然速いですし、荒れた海の上を飛行したのでは燃料の消費量もそれだけ多くなります。空中戦の際にエンジンを全開にして飛び続けたので、すでにガソリンをかなり使っていました。帰りの燃料は、ぎりぎり足りるほどしか残っていません。
「だめだ。このまま海の上を飛ぶ。雲の上を飛んだんじゃ、下が見えない。『摩耶』を見つけられなくなってしまうぜ。帰れないぞ」
 川島さんの分析は的確です。
 第一次攻撃隊のことが脳裡をよぎりました。
 散りぢりになって帰ってきた『隼鷹』飛行機隊の収容作業はずいぶん手間取り、九九式艦上爆撃機隊の一機が空母へ着艦できなかったのです。
 その爆撃機はすぐそばまでたどり着いていたのですが、厚い雲に阻まれてどうしても艦隊を見つけることができませんでした。九九式艦爆は誘導電波を出して欲しいと打電してきます。そうしたいのはやまやまですが、そんなことをすれば敵にも我が方の位置を教えてしまうことになるのでできません。アメリカ軍の爆撃機が、しめたとばかりに空母へ襲いかかてくることでしょう。結局、燃料を使い果たしたその九九式艦上爆撃機は「帰還できずに申し訳ない。天皇陛下万歳」と母艦へ別れを告げ、自爆してしまいました。
 掌飛行長が海図を調べ、取るべき針路を私に教えます。私は、その方角へ飛行機の鼻先を向けました。
 最果ての海をどこまでもまっすぐに飛びます。暗い波ばかりが続きます。黒い海とどんよりした空がまざりあい、波と雲が入れかわり立ちかわり逆さにひっくり返るようでした。霧が立ちこめ、シルクスクリーンをかけたようにあたりがかすみます。
 霧がしみるせいか、左肩の傷口がずきずき痛み、時折、激痛が走ります。まるで千枚通しを突き刺され、ぐいぐいとねじこまれているようです。霧の幕は濃くなるばかりでやわらぐ気配は一向にありません。真下から重苦しい波の音が聞こえるので海のすぐ上を飛んでいるのはわかるのですが、あたりはすっかり白乳色に染まってしまいました。
 左腕の感覚がなくなり、力が入りません。どうやら麻痺してしまったようです。息が苦しくて坐っていられません。どっさり横になりたい気分でした。
 苦しくなればなるほど、愛おしい貴女のことばかり思い出します。救いを求めるようにして、貴女の姿を思い浮かべてしまうのです。
 貴女と別れようと決めたのは、真珠湾攻撃の日でした。
 奇襲成功のニュースが流れ、日本中が勝利に沸きかえりましたが、私は妙に冷めていました。これからの戦いのことを思うと、とても喜ぶ気持ちにはなれませんでした。アメリカは巨大な敵です。一介の飛行機乗りでもそれくらいはわかります。激戦になるは必定です。おまけにイギリスや他の国々も敵に回すというのですから、尋常ではありません。私はきっと死ぬだろう。もう生きては還《かえ》れまい。私はそう腹を括《くく》りました。
 死ぬとわかりきった軍人と結婚することほど、女人にとってつらいことはないでしょう。このまま結婚すれば、あなたを苦しめてしまいます。貴女と家庭を持ち、子を育てることが私のささやかな夢でしたが、死んでしまえば貴女も子供も養うことはできません。大切な貴女にとんでもない苦労を強いることになります。私は貴女に迷惑をかけたくなかった。貴女の人生を狂わせたくはありませんでした。婚約を解消するとなれば、悲しまない人はいないでしょう。ですが、たとえひと時苦しむことになっても、ほかにいい人を見つけて幸せになって欲しい。そう願って南方の戦地から別れの手紙を送りました。それが貴女のためだと信じたからです。
 貴女は「わかりました。お元気で」とひと言だけ書いた葉書を送ってくれましたね。その葉書には、貴女が自分の筆で描いた御内裏様と御雛様の絵が添えてありましたが、御雛様の寂しそうな表情を見て、思わず涙ぐんでしまいました。私は貴女を傷つけてしまいました。いくら貴女のためを思ってのこととはいえ、約束を破ったのは私です。貴女の泣き顔ばかりが脳裡に浮かびます。すすり泣きが今にも聞こえてくるようです。貴女はどんなにつらい気持ちでいるだろう。そう考えると居ても立ってもいられませんでした。夜は独りで『摩耶』のデッキへ出て、赤道直下の満点の星を見上げながらずっと貴女のことを想い、誰よりも貴女のことを見つめてくれる素敵な人を一日も早く見つけて欲しいと祈り続けました。
 どすんと衝撃が伝わります。
 掌飛行長の怒鳴り声が割れ鐘のように響きます。
 私ははっと我へ返りました。
 いつの間にかうつらうつらしてしまったようです。操縦がおそろかになって高度が下がりすぎたために、主フロートが波頭に接触してしまいました。九五式水偵は、けつまずいたようにふらつきます。私は慌てて上昇しました。
 なぜか、前方が薄ぼんやり明るくなります。春の陽射しのようなあたたかな光です。太陽が出たのかと思って空を仰いだのですが、なにも見当たりません。
 ふと行く手へ視線を戻すと、白い鳥の後姿が目に入りました。
 白鳥のような形をした見たこともない大きな鳥です。ふさふさとした純白の翼を広げた鳥はゆったり羽ばたき、まるで私を誘《いざな》うようにして前を進みます。
 まさか。
 私は頭《かぶり》を振りました。
 九五式水偵は巡航速度の時速百九十八キロで飛行しているのです。そんなスピードを出せる大型の鳥がこの世のどこにいるのでしょう。
 思わず目を瞠《みは》った私ですが、驚きながらもその一方で、その鳥のふっくらとした容姿に安堵感を覚えました。なんともいえないやさしい姿です。乳飲み子を胸に抱きかかえた母親を連想しました。この鳥についてゆけば、魂のふるさとへ連れて帰ってくれる。幼い頃に死別した母の住む国へ案内してくれる。どういうわけか、そんな気がしてなりませんでした。
 とりとめもなく、貴女のことを思い出しました。
 私の所属する小部隊がダッチハーバー攻撃準備のために青森県大湊港へ集結した時、貴女の手紙を受け取りました。私はすぐにトイレの個室へ駆けこみ、そこで封を切りました。共同生活を送る艦《ふね》のなかで完全にひとりきりになれる空間は、そこだけしかありませんでしたから。
 貴女は、いつもながらのきれいな楷書で文を綴ってくれましたね。知らないうちに涙がこぼれ、インクの文字が薄紫色ににじみました。貴女の新しい婚約者が広島の軍需工場に勤める事務職の方だと知り、ほっとしました。
 戦時中はどの軍需工場も大忙しでしたから、その従業員の方であれば、たとえ召集令状がきたとしても、短期間の内地勤務だけですぐに会社へ戻してもらえる可能性が高くなります。戦場の最前線を飛びめぐる私と違い、戦火のおよばない内地にいて生き延びることができるでしょう。
 いい相手を見つけてくれた。
 これで幸せになってもらえる。
 私は肩の荷がおりました。
 とはいうものの、やはりさみしさは隠し切れませんでした。心にぽっかり穴が開いたようで虚ろな気分です。今さらながら、貴女の存在が私の心の真ん中を占めていたのだと気づかされました。私の心は、とまったかざぐるまでした。
 白い鳥は私を連れて飛び続けます。
 一瞬、無限の光があたりを覆い、なにも見えなくなります。私は手をかざし、光から目をそむけました。
 光がやんだので目を開けてみると、両側に石の河原の広がっていました。九五式水偵は、うっすらと霧の流れる静かな川のうえを飛んでいます。
 そんなはずはありません。海上を一直線に飛ぶ予定でした。いったいどこへどうまぎれこんでしまったのでしょうか。
「掌飛行長殿。まわりを見てください」
 私は思わず振り返りました。ですが、後部座席には誰も乗っていません。川島さんはどこへ行ってしまったのでしょう。まさか、私が居眠り操縦をしてしまったために彼を振り落としてしまったのでしょうか。
 河原から頼りなげな軍靴の音がばらばらと響きます。
 ぼろぼろの軍服をまとった兵たちが、足をひきずるようにしてうなだれたまま進軍していました。破れて引き千切れたオランダの国旗が川風にそよいでいました。
 ――オランダ兵?
 なぜ彼らがこんな北の果てにいるのでしょうか。わけがわかりません。ダッチハーバーにオランダ人が入植したのは遠い昔のことで、とっくにアメリカ領になっていました。オランダ本国はナチスのドイツ第三帝国の占領下にありましたから、アリューシャン列島へ援軍を送ることなどできないはずです。なにかの間違いではないかと思い、目を凝らしてもう一度よく見てみましたが、赤白青の横縞の国旗はやはりオランダのそれでした。
 私は、オランダ軍と戦ったことがあります。
『摩耶』は開戦当初のフィリピン攻略戦が終了した後、今はインドネシアとして独立した蘭印(オランダ領東インド)の油田地帯の攻略作戦に参加しました。その作戦は、資源の乏しい日本にとって戦争継続の鍵を握る重要なものでした。石油ばかりではなく、鉄、錫《すず》、ゴムといった南方の豊富な資源を手に入れられるかどうかは、死活問題です。
 連日、私は油田地帯の偵察と艦隊の前路哨戒の任務に励みました。偵察隊がもたらした情報をもとに巡洋艦を主力とした南方攻略艦隊が相手の守備艦艇を撃破し、それから上陸部隊が乗りこみます。本国が占領されたとはいえオランダ植民地守備隊は健在でしたから、偵察任務中にオランダ軍航空隊と遭遇して空中戦になったことや、地上部隊へ機銃掃射をかけて歩兵を斃《たお》したこともありました。
 心のなかまで靄《もや》がかかったようなぼんやりした気持ちで飛んでいた私ですが、敵を見ればすぐに頭が切り替わり、偵察機パイロットの本能が働きます。なにがどうであれ、敵情を確認しなくてはなりません。私の任務は偵察し、そして報告することです。判断は私の職掌を超えていますから、それは司令部に任せればよいのです。
 ざっと見た限りでは、敵兵の数は五百人前後でした。包帯を巻いた負傷兵ばかりで、松葉杖をつく者や担架に乗せられた者も大勢いますから、次の野戦病院へ移動中といったところでしょうか。
 ――上からよく観察してみよう。
 私は右へ旋回しようとしました。ですが、操縦桿を何度倒しても、操縦ペダルをいくら踏みこんでみても、舵も空戦フラップも利いてくれません。
 意気消沈したオランダ兵を追い越します。彼らの姿が遠ざかります。なぜだか知りませんが、彼らが無性に恋しくてしかたありませんでした。まったく人気のないさびしいところを行く先も方角もわからないまま飛んでいたので、たとえ敵兵でもいいから、誰か人と接していたくてしかたなかったのでしょう。
 愛機は川を遡ります。機体の自由を取り戻そうと試みましたが、やはり舵は利きません。自動操縦のようにして、まっすぐ飛び続けました。
 石ころばかりでなにもない河原が延々と広がっています。
 このままどこまで行くのだろう。
 途中で燃料が切れて、こんなところに置き去りにされてしまうのでしょうか。
 漠然とした不安が私をつつみます。
 不意に、河原の左岸から子供たちのかわいらしい歌声が風に乗って流れてきました。心の奥をくすぐられるようで、懐かしさがこみあげます。村の幼馴染といっしょに歌ったふるさとの童歌《わらべうた》でした。

 母者がきたから帰ろ
 ゆうげのしたくに帰ろ
 あした ここさで 指切りげんまん

 私は、幼い頃この歌を歌うたび、死んだ母がひょっこり迎えにきてくれないかとあたりをきょろきょろ見回したものでした。小さすぎた私は母が他界したことを理解できず、それでしかたなく、母は遠い国へ行商に出かけていると教えられていたのです。毎日、「お母さまはいつ帰ってくるの?」と尋ねては、祖母や母代わりに育ててくれた叔母を困らせたのですが、彼女たちはいつもやさしく「もうじき帰ってこられるからね。いい子にしていてね」と私の頭をなでて慰めてくれました。私をここまで導いてくれた白い鳥の姿がすっとかき消えます。
 河原には子供たちが散らばり、銘々《めいめい》が思いおもいに石を積み上げて小さな塔をこしらえていました。
「賽《さい》の河原だ」
 私はつぶやきました。幼くして現世を去った子供たちが親のために石を積むというあの河原です。そうだとすれば、今飛んでいるのは、あの世とこの世の境を流れる三途の川なのでしょう。
 賽の河原は殺風景といえばそうですが、とても穏やかなところでした。
 子供たちは、悲しそうな素振りを見せたり、泣き叫んだりすることもなく、むしろどこかしら浮きうきとした仕草で童歌を口ずさみながら石を積むだけです。誰かにいじわるをしたり、けんかをしたりしている子供もいません。賽の河原には恐ろしい鬼がいて、子供がせっかく積み上げた石の塔を片っ端から蹴飛ばして潰してしまうのだと子供の頃に聞かされましたが、そんな鬼の姿はどこにも見当たりません。昼下がりの公園のようにたおやかです。死者を乗せた渡し舟が川をゆっくり横切りました。
 誰かが私を呼んでいます。
 とても親しげな声です。
 右岸を見やれば、十数人の人々が河原に立ち、私に向かってこっちへおいでと手を振っています。
 弟を出産した後、産褥熱《さんじょくねつ》を発し、若くして他界した不運な母。私をかわいがってくれた祖父。休みの日はよく遊び相手になってくれた村の駐在さん。私が病気をするたびに一つ山を越えた向こうの町から往診に駆けつけてくれた診療所のお医者さん。いつもいっしょに川で遊んでいたのに腸チフスに罹《かか》ってあっけなく死んでしまった幼馴染。マーシャル群島で米軍に強襲されて戦死した航空学校の同期生。みな、会いたくてたまらなかった人たちばかりです。
 彼らの声はとてもやさしく響きます。
 思い出ばかりが胸にあふれます。
 迷子がようやく親に出会えた時のように、私は泣き出してしまいました。
 私のふるさとには、死者はあの世へ行く前に必ず三途の川のほとりでその水を飲むという言い伝えがありました。なんでも、三途の川の水を飲めば、現世の記憶をすべて忘れてしまうのだそうです。そうしてこの世の苦さや憂いすべて忘れ、現世で汚れた心を洗い清め、赤ん坊の肌のようにすべすべしたまっさらな心に戻ってからあの世へ行くのだそうです。彼岸はまさに楽園そのものです。浄土です。誰も穢れることなどありません。つまらないことで人を憎んだり、諍いを起こしたりせず、みんな仲良く暮しているのだとか。災害も戦争も飢饉も、人を苦しめることや悲しみはなにもないのだそうです。
「安田、なにしてるんだ。早くこっちへこいよ。みんな待ってるんだぞ」
 飛行帽をあみだにかぶった髭面の戦友は、昔と変わらないまじりっけのない笑顔を浮かべて手招きします。彼はマーシャル群島に設置された水上機基地の宿舎で休んでいたところ、夜陰に乗じて忍び寄ってきたアメリカ艦隊の艦砲射撃を受けて戦死してしまいました。腕利きのパイロットでしたが寝込みを襲われてはどうにもなりません。彼とはよく模擬戦をやり、得点を競い合ったものです。お互いによきライバルであり、よき理解者でした。彼のような友人とはもう二度と出会えないでしょう。戦争でなによりつらいのは、腹を割って話せる友を失うことです。
 私は死んだのだ。
 そうはっきり悟りました。
 きっと出血多量で命がもたなかったのでしょう。掌飛行長にはほんとうに申し訳ないのですが、もうどうしようもありません。
 運よく味方に見つけてもらわない限り、川島さんもおっつけここへやってくるでしょう。その時、彼に謝ろうと思いました。飛行機乗りはみな、死を覚悟の身の上ですから、掌飛行長もきっと許してくださるでしょう。もちろん、小学校のお子さんを残したまま戦死してしまうのはさぞ心残りだろうと彼の心中を察すれば気の毒でなりませんし、無事に『摩耶』へ送り届けられなくてすまない気持ちでいっぱいなのですが。
 私自身は、怖いとも悲しいとも思いませんでした。
 肉体は滅んでしまっても、私の魂はこうして別の世界へ飛んできているのですから、なんてことはありません。この世を離れてあの世へ行くだけのことです。写真でしか知らない母にも会えます。愛機に乗ったまま三途の川へ到着したのですから、本望です。
 私は操縦桿を押し倒しました。
 九五式水偵はゆっくり高度をさげます。
 いったん川へ着水し、川の水を飲んでから、九五式水偵で川を滑走して彼岸へ渡ろうと思いました。それが私らしい最後でしょう。
 水面が近づきます。
 あと少しで着水です。
 突然、誰かが竹竿で私の頭を激しく叩きました。
 掌飛行長の叫び声が聞こえます。
 はっとして目を開けると、目の前に黒い波が立ちはだかっています。復讐に燃える白鯨のような荒々しい波頭が、愛機を呑みこもうとしていました。



貴女と蒼穹を翔びたかった 第4話

2013年03月24日 20時46分40秒 | 文学小説『貴女と蒼穹を翔びたかった』

 交戦


 一時間もたたないうちに厚い雲におおわれたダッチーハーバーの上空付近へ到達しました。下が見えないのにどうしてわかるのと貴女は訊くかもしれませんが、日頃からなんの目印もない大海原ばかり飛んでいますから、計器飛行はお手のものです。間違えることはそんなにありません。ただ、やはり多少の誤差は出てしまうので、目視で地上を確認する必要があります。
 どこかに雲の切れ目はないかと目を皿のようにして周囲を見渡しました。当時は電探《レーダー》などという便利な機械はありませんから、自分の目だけが頼りです。
 編隊を組んだままあたりを探し回っているうちに、突然、雲のなかからエンジンカバーに鮫の歯模様を描いたカーチスP40が飛び出してきました。手ぐすねを引いて、我々を待ち構えていたようです。私たちは即座に散開し、回避行動へ移りました。
 カーチスP40は、第二次世界大戦の間に一万三千機以上も生産されたアメリカ陸軍の汎用陸上戦闘機です。
 機体が頑丈で使い勝手のよさに定評がありますが、それ以外にこれといった長所はなく、特徴がないのが特徴と呼びたくなるような凡庸な航空機でした。ボディラインも翼の形もあまり洗練されておらず、全体的にやぼったい印象です。
 ゼロ戦なら赤子の手をひねるようにやっつけてしまうところですが、時代遅れの九五式水偵ではそうもいきません。いくら平凡な戦闘機とはいえ、速度、武装といった運動性以外の性能はすべてこちらを上回っています。格闘戦に持ちこみさえすれば勝負の目はありますが、あいにく爆装していますから、もともと遅いスピードがさらに落ち、九五式水偵の取り柄であるサーカスのような身軽さも発揮しにくい状態です。とにかく、逃げるしかありません。私は、隠れやすそうな雲を探しました。
 カーチスP40の一二・七ミリ機銃の銃弾がアイスキャンディのように光りながら愛機をかすめて前方へ流れます。後部座席では掌飛行長が七・七ミリ旋回機銃を放って反撃します。とうとう追いつかれてしまいました。私は右へ左へと機体を旋回させて相手の追撃を振り切ろうと試みましたが、いったんかわしたかなと思っても、相手は持ち前の速力を活かしてすぐに食らいついてきます。これではきりがありません。
「今だ!」
 伝声管から川島掌飛行長の怒鳴り声が響きます。
 私は、操縦桿を目一杯引きました。
 ――反応が遅い。
 焦った瞬間、いつもより一拍遅れて、身重の機体が急上昇します。機首がほぼ垂直に上を向き、そのままくるりと宙返りしました。巴《ともえ》戦法です。
 勢いあまったカーチスP40は我々を追い越し、前へ出ました。敵は目の前にいます。撃墜するには格好の位置です。照準器の真ん中に相手の姿をとらえました。
「いただきっ」
 私は七・七ミリ固定機銃の引き金を引きました。ダダダッと機銃が火を噴き、銃弾がカーチスP40を目がけてほとばしります。と同時に、相手は右へ急旋回をして、照準器の枠から出てしまいました。あと少しだったのですが、惜しくも弾は当たりませんでした。
 こちらも回れ右して相手を追いかけようとしましたが、フル加速した敵機は小さな点になって遠くへ去ってしまいます。私は思わず計器パネルを叩きました。息を継ぐ暇もなく、
「右後方敵一機、逃げろ」
 と、掌飛行長の声が響きます。
 私はとっさに操縦桿を左へ横倒しにして、左のペダルを思いっきり踏みこみました。左急旋回です。掌飛行長はやはり旋回機銃を放ちます。
「命中」
 川島さんの声が聞こえたので、一瞬だけ振り返って相手の姿を確認しました。カーチスP40は左翼から白い糸を引くようにして細長い煙を吐き出しています。ただ、なにしろこちらの武器は口径の小さい七・七ミリ機銃ですから、翼に小さな穴を開けただけで致命傷を負わせることはできなかったようです。ともあれ、これで二機追い払いました。
 不意に、太陽が妙な具合に光ります。
「いけない」
 私はすぐに 機体をダイブさせ、きり揉み飛行に入りました。案の定、太陽を背にして隠れていた敵機が私たちを目がけて急降下してきます。敵ながら、教科書どおりの見事な攻撃です。
 機体を回転させながら螺旋《らせん》状に降下しているので、下に広がる雲の絨毯《じゅうたん》がくるくる回ります。敵機は同じようにきり揉みしながら、我々を追いかけているのでしょう。獣臭い匂いのする背後の気配が消えてくれません。頰のすぐそばをアイスキャンディが流れます。じゅっと頰が焼けるようです。加速のついた敵機は我々を追い越して、そのまま雲海へ飛びこみしました。一瞬、雲に穴が開き、水面に波紋が広がるようにさざめきます。
 私は操縦桿を引いて雲海のすぐ上で水平飛行へ移りました。海を走るように、雲の上を飛びます。ほっと息をつきました。間一髪でしたが、なんとか相手の攻撃をしのぎました。
 肩がじんと痺れます。操縦桿がやけにぬめるなと思ったら、血まみれになっていました。左肩が真紅に染まり、その血が腕を伝って流れていたのです。
「掌飛行長殿、肩をやられました」
 私は伝声管へ叫びました。
「操縦はできるか」
「大丈夫です。今のところ問題ありません」
「止血はしたのか」
「まだです」
「ばか、早くしろ」
 川島さんの声ではっとした私は首に巻いていた白いマフラーをほどき、足のペダルの操作だけで機体を水平に保ちながら、左肩を縛りました。痛くはありません。火がついたように熱いだけです。
 怪我を負ったのに、すぐに手当てをしないとは不思議に思われるでしょうが、こんなものなのです。高い空を飛んでいますから、空気が薄くて体に酸素が行き渡ってくれません。飛行機頭といって、飛行中は平地の七割くらいしか頭が働いてくれないものなのです。そんな状態で空中戦ともなれば、神経が興奮してしまって、なにがなんだかわけのわからなくなってしまうこともしばしばです。
「止血、終わりました」
「機体を確認せよ」
 私は愛機を見渡し、被害を受けていないか確かめました。翼の支柱に弾丸のこすった痕がありますが、それ以外に異常はありません。翼も破れていませんし、エンジンもきちんと回ってくれています。
「異常ありません」
「よし。早いところ爆弾を落として帰ろうぜ」
「僚機はどうしましょうか」
 私は掌飛行長に訊きました。編隊を組んで爆撃したほうが、当然、大きな戦果をあげられます。ですが、残念なことに周囲を見回しても九五式水偵の姿は見えませんでした。
「しょうがないな。ばらばらになっちまったようだ。単独でやろう。安田、高度三〇〇《こうどさんふたまる》へ下りろ」
「危険です」
「ここにいるほうがもっと危ないぜ。鮫口野郎のカーチスさんがうようよしてるんだからよ。鱶《ふか》の海を泳ぐようなもんだ」
「了解。高度三〇〇まで下降します」
 私は操縦桿を倒しました。乱れた気流に飲みこまれないよう気をつけながら、雲のなかをゆっくり降下します。
 きっかり高度三百メートルで雲の底を抜けました。
 眼下にはタールを流したような黒い海が広がり、水平線のあたりにぼんやりとかすんだ陸地が見えました。いつの間に合流したのでしょうか。『摩耶』水上機隊の僚機が私たちの後ろをついてきていました。カーチスP40に執拗に追い回されましたから、『摩耶』の水上機隊がいっしょになれただけでも幸いというべきです。『高雄』隊の無事を祈るばかりでした。敵機の餌食になっていなければよいのですが。
 陸地まで行き、海岸線沿いを飛びました。掌飛行長は海図と眼下の地形を照合します。どうやら西へ二十キロほどずれてしまったようでした。
 さらに地表すれすれまで降りて、岩ばかりの海岸を飛びます。
 趣のある繊細な日本の海岸や彩り豊かな熱帯の海岸を見慣れた私の目には、もの悲しささえ感じる風景です。短い夏を謳歌する最果ての森こそ深い緑につつまれていましたが、荒涼とした渚には、人の姿も見当たらなければ漁船の影もありません。掘っ立て小屋すら見かけませんでした。
 二匹の子供熊を連れた母親熊を岩浜に見つけました。彼らの後を大きな熊が追いかけています。大きな熊はなにかに焦り、いきり立っているようです。母親熊は後ろを振り返っては、子供熊をせかしすような仕草をします。後から追いかける熊は、きっと雄熊なのでしょう。
 こんな話を聞いたことがあります。
 母親熊は子育てをしている間、母性本能が強く働いて雄熊に交尾させないのだとか。子育てが最優先というわけです。そうとはいえ、発情期の雄熊は相手の事情などかまっていられません。盛りがついていますから、とにかく交尾をして自分の子孫を残したがります。その方法はただ一つ。母親熊が連れている子供熊を殺して食べてしまうのです。残酷ですが、事実です。自分の子供がいなくなってしまえば、母親熊はまた雌熊へ戻り、雄熊を受け容れて子供を作ろうとします。それを狙って雄熊は親子熊を必死になって追いかけます。自分の子供を殺した相手と子作りに励むとは、人間から見れば不可解なことですが、それが野生熊の本能なのだそうです。海岸線を小走りに駆ける熊たちは、どうやらそんな差し迫った状況のようでした。
 いくら子孫を残すためとはいえ愚かなことをするものだと、人間は熊を嘲笑《あざわら》うかもしれません。ですが、ひるがってみれば、私たち人間も愚かな本能にあやつられているのでしょう。たとえば、戦争がそうです。人と人が殺し合う道理など、なにもありません。いちばん苦しむのは最前線の兵士ですし、いちばん悲しむのは銃後の人たちです。
 今になって思うのは、戦争というものは、武器を売って大儲けしたいだとか、大戦果を上げて出世したいだとか、権力を握りたいだとか、そんな不純な動機を抱く政府や軍部の高官や財閥の指導者といった特権階級の人々が始めるものではないのかということです。それは日本もアメリカも、他の国々も変わらないのではないでしょうか。私も軍人のはしくれでしたから、自分にも罪があります。私は飛行機乗りになりたくて、志願して海軍へ入隊しました。言い訳はできません。それを承知のうえであえて言いたいのですが、戦争のせいでとんでもない苦労を背負いこまされるのは、ごく真面目に働いて、ごく真面目に暮らす市井の人々だと思わずにはいられません。その意味では、水上偵察機の操縦士にすぎない私も一介の庶民です。私は、迂闊にもなにかに踊らされていたのです。ほんとうの正義の意味も知らずに、別のものと取り違えていたのです。
 見えない壁があります。
 愚かさの壁です。
 自覚していない本能にあやつられる人間の限界です。
 それを乗り越えることができたら、どんなにいいでしょうか。まだまだ未熟な私は、これからも学ばなければならないことがいろいろあるようです。私は闘うべき相手を間違えていました。大切な貴女を失ってから気づくだなんて、私はつくづく愚かだと慙愧《ざんき》に耐えません。
 自分の子孫を残したいという欲望に駆られ、罪のない親子熊を追いかけていた雄熊を思い出して、いまさらながらこんなことをふと思いました。
 細長く突き出た岬を越えました。
 河口近くにささやかな街が広がり、港に並んだ倉庫が見えます。第一次攻撃隊が爆撃した重油タンクが無残な姿をさらしていて、その向こうに滑走路のようなものが横たわっていました。
「飛行場らしきものを発見」
 私は叫びました。風がうなっています。岩場に砕ける波がひときわ高く吼《ほ》えます。
「間違いない。あれだ。――目標を確認。安田、雲へ入れ。目標付近で雲からおりるんだ」
 掌飛行長は、闘志満々に答えます。
「了解」
 私は軽くバンクして、僚機へついてくるようにと合図を送りました。町へ近づきすぎると敵に発見されるおそれがあるので、いったん逆戻りしてから高度を上げて雲へ入りました。
 心臓が波打ちます。久しぶりの爆撃ですから、頭のなかで手順をもう一度確認します。正確に目標まで飛び、爆撃態勢を維持しなくてはなりません。爆弾投下レバーの操作は後部座席に坐っている掌飛行長の役割です。二人の息を合わせる必要があります。
 頃合いを見計らって雲の下へ出ました。
 どんぴしゃり。
 ちょうど真下に目標が広がっています。短い滑走路が一本あるだけの小規模な飛行場でした。滑走路も格納庫もそのほかの施設もきれいなままで、空母艦載機隊が攻撃した形跡は見受けられません。水上機隊よりも足の速い彼らはとっくに到着していなければおかしいのですが、まだどこかで迷っているのでしょうか。
 アメリカ軍の飛行場は、まどろむようにひっそり閑《かん》と静まっていました。
 ふだんなら機体が並んでいるはずの滑走路の脇は空っぽで、敵機の姿は見えません。戦闘機はすべて迎撃に上がり、他の航空機は、おそらく、日本軍の攻撃を見越して上空へ退避してしまったのでしょう。燃料に余裕があれば、爆撃をあきらめたと見せかけていったん退き、相手の飛行機が戻ってくるまで待って攻撃を仕掛けたいところですが、残念ながらそんなゆとりはありませんでした。
「格納庫」
 掌飛行長の冷静な声が響きます。
 第一目標は滑走路脇に置かれた敵の飛行機。それがなければ格納庫もしくは航空燃料タンクとあらかじめ攻撃の優先順位を決めていました。
 格納庫へ向かって緩降下します。ここまでくれば慌てることはありません。じっくり腰を据えて命中させるだけです。
 目標が近づきます。はがれかけた屋根のトタンが一枚、風にあおられて、こちらへ向かって手を振るように揺れています。
「テッ」
 川島さんの声と同時に、二発の爆弾が翼から落下します。機体がふわっと持ち上がり、今まで重たかった操縦桿が軽くなります。三番爆弾は、格納庫に吸いこまれるようにして落下しました。命中です。爆音とともに屋根が吹っ飛びます。続いて、二番機も爆撃に成功しました。
 この頃になって、ようやく敵基地が対空砲火を打ち上げてきました。銃弾が宙に飛び交いますが、身軽になってしまえばもうこっちのもの。アクロバットをするように機体を躍《おど》らせ、あっという間に雲のなかへ遁《のが》れました。


貴女と蒼穹を翔びたかった 第3話

2013年03月23日 09時10分06秒 | 文学小説『貴女と蒼穹を翔びたかった』

 一路、ダッチハーバーへ


 カタパルトに仕掛けた炸薬が爆発します。
 九五式水偵はロケットのように飛び出し、体にGのかかった私はシートの背もたれに押さえつけられました。
 視野がきゅっと狭まります。
 目の前の一点だけがはっきり見え、周囲の景色は川のように流れます。愛機はさっと左旋回して、弧を描きながら上昇しました。
 どす黒い海を見下ろせば、二十・三センチ連装主砲をずらりとならべた『摩耶』が二十二ノット(時速約四十キロ)の高速を出し、荒波をものともせずダッチハーバーへ向けて走る姿が目に入ります。ダッチハーバーとの距離をすこしでも縮め、我々の帰り道を短くしようとしてくれているのでしょう。飛行機隊を全力で支えようとするそんな姿勢を見れば、いよいよ心が引き締まります。
 エンジンの回転数を上げて勢いをつけます。回転数のメーターが上がるにつれて、スピードメーターも右へ振れ、機体の振動が増します。低く垂れこめた重い雲の底が迫ります。逆巻く雲へ突入しました。
 こまかい灰をばらまいたような雲のなか、風のうなり声だけがあたりに響いていました。なにも見えません。
 今度は風にもまれます。地上から眺めた時、雲はなんとも優雅で穏やかな姿に見えますが、なかへ入ってみれば、雲の激しさがわかります。雲はかた時もじっとしてなどいません。すさまじい気流が流れ、爆発的といっていいほどの速度で刻一刻とその形を変えているのです。まるで、その動きをとめてしまえば、世界全体が死んでしまうとでも言いた気に。
 早く晴れた空へ突き抜けたいところですが、どれだけ高度を上げても雲ばかり。粘ついた乱気流に弄《もてあそ》ばれ、揺れるだけです。荒れ狂う風にさらわれて翼がふらつき、時折、ひっくり返りそうになります。愛機は、悪い夢にうなされてのたうつようでした。
 こんな時は、意識して心を緩めてやります。按摩《あんま》を受ける時ように体の力を抜くのです。妙に力を入れてしまうと、うまく操縦できません。
 乗馬の世界では人馬一体ということがよく言われるそうです。人が馬を操るのではなく、人と馬がひとつになってこそ、うまく馬を乗りこなせるのだとか。
 水上機も似たようなものです。
 私が飛行機を操縦するのではありません。私が九五式水偵とひとつになっていっしょに飛翔するのです。そうしてこそ、鳥のように自由自在に舞うことができるのです。
 ゆったり坐りなおして、体を機体に任せます。
 ついでと言ってはなんですが、心も預けてしまいます。
 深く息を吸い、細くゆっくり息を吐きます。できるだけなにも考えないようにして雑念を追い払い、胎児が母のお腹で眠るように、羊水にたゆたうようにリラックスします。操縦桿にかけた手は、小指と薬指だけしっかり握り、あとは軽くそえるだけ。耳を澄ませて、心を澄ませて、なににもとらわれない自由な心を作ります。
 心が溶け出すようでした。翼の端から端まで、機体の隅々まで、自分の神経が行き渡り、私は機体のすべてを感じ取っています。鳥になったようです。
 なにをおかしなことを言っているのだろうと思われるかもしれません。
 航空学校へ入って飛行機の操縦を習いだした頃、ベテランパイロットの教官がこんな話をしてくれたのですが、信じられませんでした。ほんとうにそんなことがあるものなのか疑問でした。ですが、訓練や日々の任務で何千時間も飛行するうちに、教官の言ったことが次第に理解できるようになりました。これは理屈ではありません。皮膚に染みこむようにして、体でわかるようになったのです。私がひとつになりたいと願えば、飛行機は私の気持ちに応えてくれます。ちっぽけな己を捨てて自分の心を無にした時、私はたしかに愛機とひとつになっているのです。
 風を感じます。
 雲の粒子を感じます。
 気流の乱れを感じます。
 心が揺れたら、ごく自然に操縦桿を引いたり倒したり、操縦ペダルを踏んだりします。うまくやってやろうとか、思い通りに動かしてやろうなどといきがってはいけません。心のままに、あくまでも自然に操縦するのです。
 この雲を抜け出すことができるだろうかといった不安は、まったく感じませんでした。
 無限の雲などありません。
 雲には必ず果てがあります。
 地球のどこかは晴れているものです。そして、どこかが晴れていたなら、他の場所では曇っていたり、雨が降っていたりするものです。それが世界の在り様なのですから。
 私は、世界に逆らったりすることはできません。
 九五式水上偵察機に乗って地球の片隅を飛ぶのが関の山です。
 私は、風や雲といった自然の恵みをちょっとだけ拝借して空を泳ぎ、蒼穹《そうきゅう》の上から世界を眺めます。そうしていると、自分はこの世界の一部なのだとおぼろげながら胸にしみます。私はなんにも支配することはできませんし、そうしたいとも思いません。逆に、なにかに支配されたり、その言いなりになって生きるのもごめんです。私は、ただ風に乗って空を飛びます。そうして、すこしずつこの世界の在り様を学ぶのです。
 太陽がまぶしくて、思わずまぶたを閉じました。
 ようやく雲の上へ出ることができました。真っ青な空が広がっています。高度計は四千三百メートルを指していました。
『高雄』と『摩耶』の僚機が、白い雲の絨毯の上に小さな影をぽつりと落としているのが見えました。仲間たちはバンク(翼を左右に振って合図すること)してこっちへこいと誘《いざな》います。私は翼を傾け、彼らに追いつきました。首尾よく合流した四機の九五式水偵は雁行編隊を組みました。
 第二次攻撃隊は、空母艦載機隊と水上機隊が別々に行動して爆撃を行なうことになりました。速度が違いすぎるので、九五式水偵が空母艦載機隊と行動をともにすれば足手まといになってしまいます。敵の航空基地があるのにもかかわらず戦闘機が護衛についてくれないのは、不安といえば不安ですし、作戦上もまずいことですがいたしかたありません。
 すこし汗ばんできたので、電熱服《パイロットスーツ》の温度を調整しました。電熱線が埋めこんであるので、電気毛布を着ているようなものです。高い空は気温がとても低いですし、おまけに九五式水偵には小さな風防しかついていませんから、吹きさらしのまま飛ぶことになります。これがなければ寒くて凍えてしまいます。
 風は冷たいですが、太陽のほのかなぬくもりを頰に感じます。私は雲の上を飛ぶのが大好きでした。晴れた空は気持ちがいいものですし、冷たい風はさわやかです。なにより、なんにもさえぎるもののないまっさらな陽光は、誰かが私を生きさせてくれている証のように思えてなりませんでしたから。
 時折、なんともいえない不思議な気分にとらわれます。
 こんなにきれいな光を放つ太陽はいったいどうしてできたのでしょう?
 科学雑誌をめくればその答えは載っていますが、それだけではどうにも納得しきれません。人智を超えた何者かがある意図を持って太陽をこしらえたとしか私には思えません。陽光にあたためられ、生きとし生けるものはみな生きています。私は生かされています。当たり前のことのようですが、それがなによりもありがたいことだと思えるのです。
 死と紙一重の危険を何度となく潜り抜けました。
 嵐に見舞われたり、敵に襲われたり、突然エンジンが不調になったりと、死んでもおかしくないことが何度かありました。
 もうだめかもしれないと思った瞬間、そのたびに不思議としか言いようのない力が働き、私は救われました。奇蹟とでも呼べばいいのでしょうか。これをなんと言えばいいのか、私にはわかりません。うまく言えなくてもどかしいのですが、ただ、自分を超えたなにかのはからいを感じることだけは確かです。空に命を預けてみれば、偉大ななにかの懐に抱《いだ》かれているような気がします。
 一度でいいから、貴女を連れてこの蒼穹《そうきゅう》を翔《と》んでみたかった。
 風に乗って緑の大地や青い海を見つめ、空の果てに高くそびえる入道雲を眺め、それから、私がスリル満点の曲芸飛行を披露したなら、貴女はきっと笑顔になってくれたことでしょう。
 世に棲《す》む日々は、埃まみれの毎日です。
 それが人間の悲しい性なのか、それとも業の深さなのか、どうでもいいようなことでついつい悩んでしまいますし、人を傷つけてしまいます。うわべだけは善良そうに振舞っていても、一皮むけば煤だらけの心をした哀しい人たちとも付き合ってゆかねばなりません。そして、かく言う私自身も、つまらない我欲を満たしたり、体面を保つために肩肘を張ったりしてしまいます。心のなかには消そうにも消しようのない暗い煩悩の火が燃え盛っています。他者を傷つけずには生きていかれません。自分自身を傷つけずに生きることなど、不可能です。地上は汚濁《おじょく》にまみれています。戦争とは、そんな煩悩の火が野火のように燃え広がり、この世をどこまでも焼き尽くす現象なのでしょう。
 もしかしたら、この世は地獄かもしれません。いえ、あんなむごたらしい世界大戦を引き起こした人間の世界など、地獄に決まっています。人は哀しい生き物です。
 そんなこの世で様々な現実や自分自身と折り合いをつけながら暮らすよりほかに手立てがないのですが、悪いことばかりではありません。ひとたび空を飛んだなら、すべてが変わります。
 風が魂を洗ってくれます。
 特別なことなどなにもしなくても、ただ翼を広げるだけで、風が勝手に心をぴかぴかに磨いてくれるので、煩わしいことや憂いを忘れて子供の頃のようなまっさらな気持ちへかえることができるのです。煩悩の火に焼かれた心の草原に新しい若草が芽生え、青々と甦るようなすがすがしい心持ちにさえなります。生きるということはこんなにうれしいことのなのだと、たとえ現世が地獄だとしても希望を抱きしめることができるのだと、空が教えてくれます。
 太陽の光に誘われて、ふと思い出しました。
 いつか白い日傘を差した貴女と二人で、江ノ島の海岸沿いを散歩しましたね。曲がりくねった線路をゆっくり走る江ノ電に乗り、小さな駅で降りました。九月の終わり頃だったでしょうか。青空が広がっていて、いささか汗ばんでしまうほどの陽気だったと覚えています。
 あの日は、久しぶりの休暇でした。
 艦隊勤務でずっと洋上にいたために、貴女と会う時間をなかなか作れなかった私は、艦《ふね》から陸《おか》へあがったその足で、すぐに貴女のもとへ駆けつけたのでした。
 ふたりでただ散歩するだけで、くつろいだ気持ちになれました。私は、貴女と所帯を持ち、いろんな話をしながら夕餉《ゆうげ》をともにすることができれば、さぞ楽しいだろうなと空想したものです。あるがままの愛情を貴女へ注げたらどんなにいいだろうと。
 大海原を見つめていた貴女は、思い出したようにくすりと笑います。口許をおおった貴女の白い指には、まだ誰の指輪もはまっていません。私は、ほっと胸をなでおろしました。
「ゆうべ、兄が面白いことを言いましたのよ。ソクラテスの言葉なのだそうですけど、『ぜひ結婚しなさい。よい妻を持てば幸せになれる。悪い妻を持てば私のように哲学者になれる』ですって。兄は変わり者ですから、悪妻をもらって大哲学者になるんだって言ってましたわ。稔さんは、どちらがよくって?」
「よい妻のほうがいいですね。哲学という柄でもないですし、考えるのは苦手ですから」
 貴女と結婚することを考えていた矢先にそんなことを言われ、思わずどぎまぎしてしまいました。
「稔さんのようなやさしい方に嫁ぐ人は幸せね」
 貴女は、まるで夢を見つめるようにまぶしそうに海の彼方へ目をやります。それから、ふと浮かない顔をしました。
「どうかしましたか?」
「なんでもありませんわ」
「話していただけませんか。私になにかできることがあれば、いくらでも力になりますから」
「わたしの願いが叶うことなんて、きっとないでしょうから。いつも、気持ちと逆の方向へばかり行ってしまいますのよ」
「そんなことはありませんよ」
「ごめんなさい。せっかく連れてきていただいたのに、しめっぽい話をしてしまって」
 貴女はそっと唇を噛み、さびしそうに背中を丸めてしまいました。心なしか、貴女の瞳が潤んでいるように見えます。
 喉が渇いたという貴女を連れて浜辺の茶屋へ入りました。店の婆やが冷えたラムネを二本持ってきてくれました。
 きらめく波の向こうを九月の船が通り過ぎます。
 ――今しかない。
 三日後には、私はまた海と空へ戻らなくてはなりません。今度貴女に会えるのは、ずっと先になってしまうでしょう。
 ふんぎりをつけた私は、妻になって欲しいと思い切って胸の内を打ち明けました。貴女の手にしたラムネの瓶が震え、なかのガラス玉がかたかたと硬い音を立てます。貴女は、目を伏せて黙ったままでした。
「すみません。お雪さんを困らせるつもりはなかったのです。忘れてください」
 てっきり、私はほかにいい人がいるのかと勘違いしてしまいました。
「忘れることなんてできませんわ」
 貴女の白いうなじがとまどいがちに紅く染まります。
「稔さんほど、私によくしてくださる方はおりませんもの」
 ぽつりと言った貴女は、恥ずかしそうに私にもたれかかります。私は、そっと貴女の肩を抱きました。ぬくもりだけが心に満ちあふれ、胸の奥にいつもわだかまっていたさびしさが消えました。貴女との未来に想いを馳せ、美しい花が心に揺れます。どんなことがあっても貴女の幸せを第一に考えよう。晴れた空を見上げながら、そう誓いました。
 あのまま時間がとまってくれたら、どんなによかったでしょうか。
 私たちの愛は、運命の糸にあやつられるままでした。
 なにもかもがままならない時代でした。時代のせいにしたくありませんが、個人ではどうにもならない現実があったことも事実です。戦争は個々人の事情などおかまいなしに、人生のすべてを縛ってしまいます。生活のすべてを国家へ捧げることを求めます。個人の自由はありません。とはいえ、貴女との愛を守るために手を尽くしたのかと問われれば、やはり悔いが残ってしまいます。
 貴女を連れて大空を飛ぶ夢は潰《つい》えてしまいましたが、それは後生に預けておきましょう。生まれ変わった後でもご縁があれば、きっと出会えるはずですから。
 もし来世でお付き合いさせていただいたら、今度こそ、貴女を手放したくはありません。なにもかも振り切って、貴女との愛情を守りたい。ふたりで命の花を精一杯咲かせたい。心からそう思います。
 太陽は輝いています。
 陽光を照り返す僚機がまばゆく輝きます。
 九五式水偵の編隊は、滞りなく一路ダッチハーバーを目指しました。




貴女と蒼穹を翔びたかった 第2話

2013年03月21日 07時02分11秒 | 文学小説『貴女と蒼穹を翔びたかった』

 出撃準備


「やったぞ」
 誰かがデッキで叫びました。
 乗組員がわっと彼を取り囲みます。
 私はスパナを持った手をとめ、甲板にできた人だかりを愛機の上から見下ろしました。
『龍驤』飛行機隊がうれしい知らせを打電してきたそうです。作戦の日は誰も彼もが興奮気味で、いいニュースも悪いニュースもすぐさま艦中《ふねじゅう》へ広がります。
 天佑《てんゆう》というべきかダッチハーバーの上空だけぽっかり晴れていたそうで、『龍驤』飛行機隊はダッチハーバーへの突入に成功しました。爆撃隊が無線電信所と重油タンクに打撃を与え、戦闘機隊が港に繋留してあった哨戒飛行艇へ機銃掃射を浴びせて破壊したとのことです。地味かもしれませんが、貴重な戦果です。とにもかくにも、目的の一部を達成できました。このほか、港近くの入江に米軍の駆逐艦が五隻も停泊しているのを発見したとのことでした。魚に喩《たと》えれば鰯みたいなものですが、ようやく獲物らしい獲物が見つかったとみんな大はしゃぎです。
「第二次攻撃隊が出て駆逐艦をやっつけることになるな」
 私はつぶやき、作業を急ぎました。
 今度は、機体内部に張り巡らされた操縦索の調整です。
 操縦索とは、操縦桿や操縦ペダルと舵を繋《つな》ぐ鉄製のワイヤーのことです。操縦桿と操縦ペダルの動きに連動して伸縮し、舵を動かしてくれるのですが、寒さのために縮んでいますから、長さを調節して操縦しやすいようにしなければなりません。私が操縦するのは偵察機なので、こちらから相手へ空中戦を挑むことはめったにありませんが、万が一、敵と交戦することになった場合はとっさにうまく回避運動をできるかどうかが勝負です。ワイヤーの長さを何度も微妙に変えてみては操縦桿と操縦ペダルを試し、自分の手足にしっくりくるようにしました。これで思う存分、翼を操れます。
 九五式水上偵察機は、デビュー当時は傑作機と呼ばれたほどの非常に評価の高い飛行機でした。
 癖のないすっきりとしたデザインの複葉機です。ひいき目かもしれませんが、何度眺めても飽きのこない美しさがあります。クラシックな感じがなんともいえません。
 木材と金属の混合式骨組みに、今では珍しい布張りの翼。鍛え上げたバレリーナの体に肋骨が浮かぶように、翼の骨組みがきれいに縦に並んでいます。胴体の下に着水用の大きな主フロートがあって、翼の左右の端には子供が乗る独楽《こま》付き自転車のように小さな補助フロートがついていました。複座式ですので独立した座席が二つ並んでいて、前に操縦士が乗り、後ろに偵察兼爆撃員が乗り組みます。
 エンジンは、タイヤのような丸いカバーのついた寿二型改・空冷式星型発動機。出力は六百三十馬力で、最高時速は二百九十九キロ。あと一キロで三百の大台に乗るのに惜しいところですが、私の同期には追い風参考記録とはいえ時速三百二十キロを記録したパイロットもいました。整備を良好に保って品質のいいガソリンを使い、あとは気象条件さえそろってくれれば三百キロは出せるようです。武装は機首の七・七ミリ固定式機銃一丁と、後部座席についた七・七ミリ旋回式機銃一丁の合計二丁でした。威力の弱い七・七ミリ機銃がたった二丁だけとは貧弱な武装ですが、なにぶん偵察機ですので、これで十分です。
 水上機はお腹の下に余計なものをぶら下げていますから、艦上機や陸上機と比べれば当然速度も遅く、ほかの性能も落ちてしまいますが、九五式水偵は水上機ながらも運動性能に関してはゼロ戦の一世代前の九六式艦上戦闘機と比べてもひけをとりませんでした。むしろ、こちらのほうがいいのではないかと言うパイロットもいたくらいです。速度、航続距離、上昇性能、操縦性、安定性といった各性能に関しても当時の水上機としては抜群によく、この高性能ぶりを買われた九五式水偵は、偵察機にもかかわらず中国戦線で爆撃作戦を実施したり、はたまた、陸上戦闘機の替わりに用いられて敵の陸上戦闘機と空中戦を行ない、敵基地上空を制圧したことさえありました。実に優れた水上機です。
 そんな大活躍を見せた九五式水偵ですが、日米開戦の頃にはすでに旧式化していました。全金属性複葉機の零式水上観測機や単葉機の零式水上偵察機が新登場したため、急速にその地位を譲り、練習機として使用されるようになっていました。
 第一次攻撃隊の飛行機がぽつりぽつりと帰ってきました。『龍驤』飛行機隊は首尾よくやったのですが、『隼鷹』飛行機隊は、残念なことにダッチハーバーまでたどり着けなかったそうです。やはり厚い雲に行く手を阻まれて道に迷ってしまったとか。北緯五十五度という未知の領域で、しかも悪天候下での作戦ですから、『龍驤』飛行機隊が敵を爆撃できただけでも、よしとすべきなのでしょう。北の最果ての海では、敵と戦う前にまず天気と格闘しなくてはなりません。厳しい戦いです。
 攻撃隊も帰還したことですし、そろそろ偵察命令が下りてもいい頃だと思ったのですが、その命令はまだ届きません。
 通常、攻撃隊がどこかの目標へ向けて発進する際は、偵察機が先乗りして現地の模様を報告します。天候、雲量、風向き、風速といった気象情報や敵情を調べて打電するのです。ちょっと様子を窺えばいいように思われがちですが、実は危険な任務です。
 相手の姿を見るということは、私の姿もまた見られているということです。敵を発見した時には、こちらも発見されたと思わなければなりません。
 偵察機に上空をうろちょろされたのではいい迷惑ですから、敵は必ず迎撃戦闘機を何機か発進させて偵察機を撃墜しようとします。偵察の後は敵戦闘機と鬼ごっこです。もっとも、こちらは鈍足の複葉水上機ですから、鬼にはなれません。隠れやすそうな雲を探してそのなかへ突っこみ、ひたすら逃げるだけです。
 首尾よく逃げ切った後は、別の方角から敵基地上空へ接近して再び偵察します。そして、敵の戦闘機に見つかれば、また逃げます。身軽で小回りが利く飛行機なので、蝿のように逃げ回ることはできますが、真正面から相手に立ち向かうなどということは、相手が時代遅れの飛行機でない限りむずかしいです。刀の抜けない忍者のようなものでしょうか。開戦当初の南方作戦では、偵察先で英軍の最新鋭陸上戦闘機スピットファイアに襲われ、もうこれでお陀仏かなと観念しかけたことも何度かありました。
 ようやく整備も終わり、ほっと一息つきました。いつでも偵察へ出かけられます。ちょうど戦闘食のおむすびが配られたので操縦席に坐りながら頰張っていると、
「安田、爆弾をつけろ」
 と、飛行帽をあみだにかぶった川島掌飛行長が下から私へ声をかけてきました。
 川島さんは『摩耶』水偵隊の隊長でした。飛行長の前についた「掌」という肩書きは現場を掌握するベテランの責任者というほどの意味です。掌飛行長は私の操縦する九五式水偵の後部座席に乗り組み、いつもコンビを組んでいました。見た目は華奢で痩せているのですが、鍛え上げた刀を思わせる強靭な筋肉の持ち主でした。剣道、柔道、銃剣術、相撲、水泳、バスケットボール、ラグビー、野球となんでもこなせるスポーツ万能の人です。親分肌の掌飛行長は仕事のできる方ですし、部下の面倒をよく看てくれましたので、私たちはみんな彼を信頼して慕っていました。仕事の後は、毎晩水上機隊員の部屋で車座になって酒を飲んだものです。掌飛行長は犀のような小さい目を人懐っこく緩めながら冗談を言い、いつでも私たちを笑わせてくれました。
「えっ、爆弾ですか?」
 私は思わずコックピットから身を乗り出し、聞き返してしまいました。
「聞こえただろ。三番を二発だ」
 掌飛行長の目は私をせかしています。三番とは三十キロ爆弾のことで、航空爆弾のなかでもいちばん小型のものでした。さっきも話したように九五式水偵は旧式になっていましたから、太平洋戦争の開戦以来、訓練以外で爆弾をつけたことはありませんでした。
「どこへ行くんです?」
 いつも掌飛行長に叱られてしまうのですが、私は納得できないことがあればとことん質問してしまう性質《たち》です。
「決まってるだろ。ダッチハーバーだよ。さっき司令から命令が下りた。空母艦載の二十機と『摩耶』『高雄』の水偵が二機ずつ出て、第二次攻撃隊を編成する。目標はダッチハーバー付近の敵飛行場だ」
「飛行場があるんですか」
 私はびっくりしてしまいました。こんなさびしいところですから、基地といっても歩兵隊と工作隊の駐屯地くらいで、さすがに航空基地はないだろうというもっぱらの噂でした。
「第一次攻撃隊の連中が撮影した写真を現像したら、飛行場が写っていたんだとよ。こいつを叩いておかないと俺たちがやられちまう。わかったか。急げよ。――おい、復唱はどうした」
「はい。三番を二発、至急装着いたします」
 私は、はっと気をつけの姿勢をとりました。
「よし。俺はこれから『高雄』水偵隊の連中と作戦のすり合わせをやるから、準備は頼んだぞ」
 掌飛行長は忙しそうに去ってゆきました。
 私はさっそく作業にかかりました。射出機《カタパルト》に載っていた愛機をクレーンでいったん水上機甲板へ下ろし、整備員が弾薬庫から運び出してくれた三番爆弾を右翼と左翼に一つずつ取り付けます。
 旗艦の小型空母『龍驤』には猛将と謳《うた》われた角田覚治《かくたかくじ》少将が坐乗し、ダッチハーバー攻撃作戦の指揮を執っておられました。どんな時でも闘志にあふれ、なにがあっても諦めない方です。状況が困難であればあるほど心の炎をたぎらせ、敵に立ち向かう提督です。小型の三十キロ爆弾を二発しか搭載できない水偵を出してでも敵を叩きたいという角田司令の意志に、熱い激情を感じました。なにがなんでも米軍飛行場を爆撃しなくてはなりません。飛行機の不調のために途中で引き返す羽目にでもなれば、掌飛行長は大目玉を食らうことでしょう。
 私はもう一度エンジンをチェックし、それからまたクレーンで吊り上げて射出機へ戻しました。いざ発進という時にカタパルトがきちんと作動してくれなければなんにもなりませんから、それも点検しました。すべて正常です。九五式水偵とカタパルトの間に射出用のゲタをかましてあるのですが、固定用のピンさえ抜けば射出準備完了です。
 私はパイロット控室へ入り、川島さんが戻ってくるのを待ちました。
 出発前には必ず、任務の概要と目的、飛行経路、爆撃目標、敵情、天候について打ち合わせをしなくてはなりません。控室には僚機のパイロットと偵察兼爆撃員もいて、ふたりはたわいもない冗談を言い、猫がじゃれあうようにしてふざけあっています。ふだんなら私も会話に加わって出撃前の緊張をほぐすところですが、とてもそんな気にはなれませんでした。嫌な胸騒ぎがします。どんよりとした天気のせいばかりではなく、なにかが胸の奥でひっかかってしかたないのです。
 飛行靴の紐を締めなおしていると、紐がぷつりと切れました。
 ――帰れなかったらどうしよう。
 不安が胸をかすめます。我知らず、足が震えてしまいました。
 ――そんな弱気じゃいけない。
 私はすぐに首を振り、不吉な予感を頭から追い払おうと努めました。
 悪いことを考えていると、本当にそうなってしまうことが往々にしてあるものです。私の同僚の飛行機乗りでも、今日は縁起でもないことを口にするなと思ったら、そんな時に限って出撃したまま還ってこなかったりしたものでした。
 私はじっと目を閉じて、貴女の姿を思い描きました。
 貴女はまだ覚えているでしょうか?
 夏の日暮れ時は、鹿の子模様のかわいらしい浴衣を着た貴女と連れ立ち、夕涼みがてら蛍狩りへ出かけたものでしたっけ。貴女は、小川のほとりを乱れ飛ぶ蛍をまぶしそうに見つめていましたね。草むらや川面に現れては消える萌黄色の光がきれいでした。貴女のつぶらな瞳に流れ星のように照り映る蛍の光がとても素敵でした。虫のすだく音が今でも耳の奥に残っています。貴女の姿さえ心のなかで抱きしめていれば、貴女が見守ってくれるような、そんな気がします。生き永らえることができるように思えます。
 新しい靴紐に取り替え、ずっと貴女のことばかり考えていました。
 どれくらいそうしていたでしょう。泣き叫ぶようだった私の心は、ようやく落ち着きを取り戻しました。



貴女と蒼穹を翔びたかった 第1話

2013年03月20日 06時57分11秒 | 文学小説『貴女と蒼穹を翔びたかった』

 北緯五十五度の海


 昭和十七年六月四日払暁《ふつぎょう》のことです。
 日華事変や南方作戦に従事した歴戦の小型空母『龍驤《りゅうじょう》』、建造中の欧州航路用客船を改造してついひと月前に竣工したばかりの特設中型空母『隼鷹《じゅんよう》』、高雄型重巡洋艦『高雄《たかお》』『摩耶《まや》』、それに駆逐艦三隻を加えた合計七隻の小部隊が、アラスカからカムチャッカ半島へ延びるアリューシャン列島のダッチハーバーへひそかに近づいていました。
 その日は、ミッドウェー海戦の一日前でした。
 私たちの小部隊の役割は、日本の主力空母部隊が太平洋の真ん中に位置するミッドウェー島を攻略するにあたり、彼らに先立って北の最果ての島を攻撃。囮《おとり》となって米海軍の艦隊をおびき寄せるというものでした。
 私は、いつものように重巡洋艦『摩耶』の甲板で愛機の調整に勤《いそ》しんでいました。貴女《あなた》に何度か話したことのある九五式水上偵察機です。真珠湾攻撃の直前に『摩耶』水上機隊へ着任した私は、日米開戦以来、パイロットとして『摩耶』とともに各地を転戦していました。
 北緯五十五度の海は、もう六月初めだというのに真冬の日本海のようにしばれる寒さでした。もしこんな海へ転げ墜ちでもしたら、十分と持たずに凍死してしまうでしょう。海は荒れ、艦は右へ左へとローリングを繰り返します。整備用の工具を手にした私の体も、それにあわせてか傾《かし》ぎます。喪服のように黒々とした波間には死神が潜んでいるようで、何度か死線を乗り越えてきた私でも、思わず身震いしてしまうような不気味さが漂っていました。
 あたりは一面、霧でした。
 夏至に近い白夜の頃ですから、日の出前にはとっくに明るくなっていなければおかしいのですが、『摩耶』後部の水上機甲板から見上げる煙突や艦橋の後ろ姿はぼんやりと白くかすみ、約千メートルほどの間隔をおいて隣を走る空母『龍驤』はわずかにその灰色の輪郭がわかる程度です。細長い船体に重箱を載せたような頭でっかちの形をした『龍驤』は、自分の位置を教えるために探照灯《サーチライト》を照射しています。それが暈のかかった月のようにおぼろに見え、『摩耶』の甲板では、警笛の替わりに鳴らす鐘が誰かを弔うようにひっそり響いていました。すべてが、頼りなげに物憂げにつつまれています。どこか別の世界にでも紛れこんでしまったみたいで、夢幻《ゆめまぼろし》のなかにいるようでした。
 空母『龍驤』『隼鷹』の飛行甲板にはダッチハーバー攻撃隊が待機しているはずですが、一向に飛び立つ気配がありません。霧が深いために発進できないでいるのです。零下七度の寒気に艦載機をさらしていれば、部品が凍りついて不具合が発生し、動けなくなってしまうものがでるかもしれません。私は、作戦開始予定時刻をとうに過ぎているのに、このぶんではいつ発進できるのだろうかとやきもきしてしまい、時々手を休めては霧に煙る『龍驤』の艦影へ目を走らせました。
 陽が高くなったおかげか、霧が薄らいだからかはわかりませんが、ようやく僚艦の姿がはっきり見えるようになりました。ほっとしたのも束の間、別の不安が脳裡をよぎります。空には雲底高度一五〇メートルから三〇〇メートルほどのぶ厚い雲が垂れこめていて、頭のてっぺんを抑えつけられるような圧迫感がありました。今にもみぞれ混じりの雨か雪が降り出しそうで、果たしてこんな空模様で航空作戦を実施できるものかどうか、危ぶまれるところです。
 ダッチハーバーは、文字通りオランダ人が開いた港でした。彼らの入植以来、捕鯨船の基地やラッコなどの毛皮の貿易地として栄えています。アリューシャン列島の重要な拠点ですから、港を爆撃して港湾機能を麻痺させること、そして、アメリカ陸軍の基地も設置されているらしいという噂でしたので、その基地を発見して襲撃することも大事な任務でした。ただし、大正年間に作成された古い地図と当時の写真しかありませんでしたので、ダッチハーバーのはっきりした様子はわかりません。現状がどのようなものなのか、誰も知る術もありませんでした。
 ふと爆音が響き、『龍驤』と『隼鷹』の飛行甲板から小さな黒い点が次々と空へ飛び出します。空母艦載機だけで編成した二十七機の攻撃隊が悪天候をついていよいよ出発したのです。私は帽子を取り、低い雲へ突っこんで行く攻撃隊へ向かって精一杯振りました。攻撃を成功させて欲しい。無事に帰還して欲しい。ただそれだけを祈りました。
 今から振り返れば無謀としか思えないあの戦争がどうして始まったのか、一介の飛行機乗りにすぎない私にはよくわかりません。
 アメリカが世界の超大国として我が物顔に振る舞って世界中の国々を痛めつけるので、我々がアメリカに対抗して立ち上がらざるを得なかったのだという人もいれば、日本の軍部が己の力量も省《かえり》みずに暴走したのだという人もいます。どちらの理由も正しいようで、それだけではないような気もします。いずれにせよ、私にははっきりとわかりません。もどかしいことですが、国家の大事は私の理解の範囲を超えています。頭のいい人たちは自信満々な面持ちでいろんな意見を主張しますが、誰がどんな見解を述べようと、歴史の評価というものはしょせん人間のすることですから、あてにならないものなのかもしれません。
 私に言えることは、へぼなパイロットだったかもしれませんが、私なりに精一杯任務に励んだということだけです。私は軍人でしたから、飛べと言われれば飛びますし、待機していろと言われたら、いつまでも待機します。ひたすら命令に従う――それが軍人の仕事です。そして、与えられた任務に最善を尽くすのが軍人です。
 とはいうものの、貴女《あなた》を守りたいという気持ちはいつも心の底に流れていました。
 アメリカとの戦争が始まったために、婚約まで交わしていた貴女と別れることになってしまいましたが、どうしても忘れることができなくて、ずっと貴女のことを想っていました。この戦争に勝てば貴女は無事でいられる。いつも、そう思いながら任務についていました。お国のためにではなく、貴女のために戦うというのは、自分勝手な非国民だと批難されるかもしれませんが、なんにも知らない人にどう言われようとかまいません。これが私の心の真実です。あなたを慕う気持ちは誰にも譲れません。私にとっては、宝箱にしまった子供の頃の宝物のようにかえがえのない想いなのです。
 厳しい任務の最中に、あるいは戦いが終わってふと我へ返った時、心が折れそうになったことが何度もありましたが、そんな時は、すぐにまぶたを閉じて貴女の姿を思い浮かべたものです。
 上質の碁石のようにつややかに光る黒い瞳。くりっとした愛らしい目が大好きでした。心配性の貴女は、いつも困ったように目を伏せたり、眉をひっそりさせたりしていましたね。そんな貴女を見るにつけ、ずっとそばにいて守ってあげたいと思ったものでした。可憐《かれん》な貴女が、私のすべてでした。谷間にひっそりと咲く白百合のような貴女の姿だけが、私の心の支えでした。
 すみません。
 自分の気持ちをはしたなくしゃべってしまいました。
 身勝手な言い分ですよね。誰よりも大切に思っていた貴女につらい思いをさせてしまったことは、今でも申し訳ない気持ちでいっぱいです。後悔してもしきれません。
 私は、九五式水偵の整備作業に戻りました。
 こんな寒い海域での作戦は初めてなので、エンジンがきちんと回ってくれるか気がかりです。
 航空母艦の艦載機は格納庫に収容すれば寒風を遮ることができますが、巡洋艦に搭載する水上偵察機はそうはいきません。格納庫なんてありませんから、九五式水偵は『摩耶』の甲板上で雨ざらしのまま凍てついてしまっています。もちろん、整備は毎日行ないますが、氷点下の寒さにはどうしてもかないません。一晩経てば調子が狂ってしまいます。潤滑油が凍結していないかどうか、エンジンの各機構がきちんと作動するかどうか、何度もアイドリングをしてみては点検を繰り返し、整備士といっしょに念入りに調整しました。最初はプスンプスンとなにかがつまったような嫌な音を立てていたエンジンも、整備を繰り返すうちになんとか正常に動いてくれるようになりました。

貴女と蒼穹を翔びたかった はじめに

2013年03月20日 06時55分05秒 | 文学小説『貴女と蒼穹を翔びたかった』

 本作は『小説家になろう』サイトで投稿した小説です。
 横組みで小説を読むのは苦手というかたは、『小説家になろう』サイトのほうでご覧ください。各話のなかに横書きと縦書きの切り替え機能がありますので、そちらのボタンを押していただければ、縦組みで読むことができます。またPDFファイルに落とせば、自動的に縦組みになります。

↓『小説家になろう』サイトでのアドレス
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謎のUBC上島珈琲(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第163話)

2013年03月16日 11時11分21秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 幼い頃、住んでいた団地の近くにUCCコーヒーの工場があった。
 母に連れられて新幹線のガード脇のスーパーへ行く道すがら、UCCの看板が遠く見えた。それでよく母にUCCの缶コーヒーをおねだりしたりしたのだけど、子供だからコーヒーはだめということで、かわりに明治のコーヒー牛乳を買ってもらっていた。
 今でもUCCの缶コーヒーを無性に飲みたくなる時がある。でも、広州に住んでいるので飲めない。そこで、実家へ帰った時は必ず近所のスーパーで特売のUCC缶コーヒーを買うことにしている。甘ったるいし、おいしい味だとは思わないけど、なんだか飲みたくなってしまう。飲めば気分がほっと落ち着く。
 ところで、中国にはUBC上島珈琲という名の喫茶店のチェーン店がある。
 初めて見た時、
「ふーん、上島珈琲が大陸中国へ進出して喫茶店をやっているんだ」
 と思ったのだけど、はたと首をひねってしまった。上島珈琲はUCCじゃなかったっけ。なんだか微妙な名前だ。
 なんと、UBC上島珈琲は日本のUCCはまったく関係のない台湾資本の会社だそうだ。つまり、日本の上島珈琲のブランド名とまぎらわしい名前をつけ、さっさと商標登録してしまったのだ。しかも堂々とあちここちらにいっぱい店を出している。
 大陸中国で仕事をしていると台湾系に煮え湯を飲まされることがよくあるのだけど、やっぱり台湾人は商魂たくましいよなあと妙に感心してしまう。彼らのバイタリティは見習わなくっちゃいけないかも。




(2012年3月16日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第163話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/

海や死にする 山や死にする(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第160話)

2013年03月09日 11時30分54秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 次にご紹介するのは、万葉集の一首。

 鯨魚(いさな)取り
 海や死にする
 山や死にする
 死ぬれこそ
 海は潮(しほ)干(ひ)て
 山は枯れすれ
 (詠み人知らず)

「鯨魚(いさな)取(と)り」は、「海」に掛かる枕詞。意味を訳すると次ぎのようになる。

 海は死にますか?
 山は死にますか?
 死ぬからこそ
 海は干上がり
 山は枯れるのです

 古代日本らしい精霊信仰に裏付けられた短歌だ。この歌は、ありとあらゆる生き物や森羅万象を尊い生命として尊重する心から生まれた。ここには自然に対する思い上がりなどひとかけらもない。人間もまた森羅万象の一つに過ぎないという深い覚悟がある。
 近代文明は、この精神とは逆の方向で発展した。自然を征服し、自然を管理することこそが人間の使命だという「思い上がり」だ。もちろん、このおかげで便利な生活を送るようになることができたわけだけど、ただこの「思い上がり」も度が過ぎると、メリットよりもデメリットのほうが大きくなってしまう。自然を殺すことになってしまう。自然を破壊するのは簡単だ。だが、ひとたび殺してしまった自然は、恢復するのに何十年、何百年もの歳月が必要になる。ましてや、放射能などばらまいてしまっては、何千年、何万年と時間がかかってしまう。
 日本人に必要なのは「自然に生かされている」という考え方をいま一度取り戻すことなのかもしれない。おそらく、自然のなかにこそ、日本人が信じている清らなものがあるはずだから。



(2012年3月6日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第160話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/

満天の星(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第158話)

2013年03月01日 20時10分51秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 夜空には満天の星が浮かんでいる。
 人類はまだ地球外生物とコンタクトしたことがないけれど、あれだけの星が浮かんでいるのだから、数多くの知的生命体がいるはずだ。この広い宇宙で人類だけが知的生命体のはずがない。
 もし人類よりはるかに進んだ知的生命体が地球へやってきて、今の地球や人類を観察したら、どう思うのだろう?
 たぶん、コンタクトするのはまだ早すぎると思うに違いない。友人付き合いできるようになるのはまだまだだと。
 地球の人類は、この地球の主人のように我が物顔で振る舞っているけど、まだまだ成熟からはほど遠い。化学物質や放射能で地球を汚しまわったり、互いに核兵器を向け合ったり、つまらない我欲のために嘘をついたり、他人を利用しようとしたり、他人をおとしめたり。幼稚な振る舞いを数えれば切りがない。もちろん、やさしさもあるけど、自分がいちばん大切だと思っていることにはかわりないのだから、たかがしれている。もちろん、これは僕自身も含めてのこと。
 それでも、いつの日にか、人類は宇宙へ旅立ち、未知の知的生命体に出会うのだろう。そうして、いろんなことを学ぶのだろう。異質なものと触れ合うことで、いままでとは考え方ががらりと変わるはずだ。おそらく、よい方向へ。欠点の多い人間でも、それくらいの強さは持ち合わせているはずだと、そう信じたい。
 今度生まれ変わった時は、手軽に宇宙旅行できるようになっているといいな。バックパックを背負って満天の星々を旅してみたい。



(2012年2月28日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第158話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/

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