風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

Let’s be alive

2013年11月24日 15時05分42秒 | 詩集

 忙しさに追われて
 こころをどこかに落としていたんだ
 夢から覚めて見上げた空に
 朝陽が輝くよ

 今日いちにち
 味わうように生きたい
 悲しみも苦しみも
 すべてを喜びにかえて
 愛に背かぬように
 自分に背かぬように
 Let”s be alive


 どうしてなんだろう
 世界はこんなに生きているのにさ
 ほほえむように揺れるように
 緑が輝くよ

 今日いちにち
 生きいきと生きたい
 こころが口ずさんでいるから
 こころが軽やかだから
 まっさらな気持ち
 このままでいたいんだ
 Let”s be alive


  自分を見失ったこともあった
  さすらいの旅に出た夕暮れもあった
  壁を蹴りつけた夜もあった
  すべては今の自分のため

 
 今日いちにち
 味わうように生きたい
 悲しみも苦しみも
 すべてを喜びにかえて
 愛に背かぬように
 自分に背かぬように
 Let”s be alive
 Let”s be alive





「小説家になろう」サイト投稿作品
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亜熱帯でスタッドレスタイヤ(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第214話)

2013年11月13日 23時30分45秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 大型トラックの運ちゃんと話をする機会があった。
 田舎の農村から出てきた素朴そうなおじさんだ。
 自分のトラックを走らせてはお金を稼ぎ、それで家族を養っている。
 見慣れないタイヤを履いていたのでよく見てみると、スタッドレスタイヤ(雪道用タイヤ)だった。
「おじさんは北のほうまでトラックを走らせるの? 雪が降るところへさ」
 僕が訊くと、
「いや、広東省のなかだけだよ。そんな遠くまで行かないよ」
 と首を振る。
「えっ? それじゃどうしてスタッドレスタイヤなんか付けてるの?」
 僕は驚いてしまった。ここは亜熱帯の広東省。雪は降らない。いくら寒くなっても路面が凍結することもない。スタッドレスタイヤはいらないはずだ。
「なにそれ、スタッドなんとかっていうのは?」
 おじさんはぽかんとする。
 僕が雪道でも滑りにくく作ってあるタイヤだと説明し、
「おじさん、このタイヤは摩擦係数が高いから、用もないのにこんなタイヤをつけて走っていると燃費が悪くなるだけだよ」
 というと、おじさんはますますぽかんとして、
「安かったんだよ」
 と頭をぽりぽり掻く。
「どこで買ったの?」
「近所のタイヤ店でだよ。とにかく、このタイヤがいちばん安かったんだ」
 どういったルートでなのかはわからないけど、北のほうからスタッドレスタイヤが流れてきたのだろう。広東では売れるはずがないし、燃費が悪くて人気もないから、それで安い値段がついたのだろう。
「次に買う時は普通のタイヤにしておいたほうがいいと思うよ」
 僕がそういっても、
「でも、ほんとに安かったんだよ」
 と、おじさんは照れくさそうに頭をぽりぽり掻くだけだ。
 おじさんはやっぱり普通のタイヤと雪道用のタイヤの区別がつかないみたい。いくらタイヤの値段が安くても、燃費を考えたら、結局損することになると思うんだけどなあ。



(2012年12月2日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第214話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
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御飯が時々切れてしまう広州の吉野屋(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第210話)

2013年11月08日 20時07分56秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 広東省広州のショッピングモールには牛丼の吉野屋があるので、たまに行って牛丼を食べる。ジャンクフードといえばそうだけど、外国で暮らしていると日本のファーストフードの味が恋しくなってしかたないことがあるから、そんな時、吉野屋の牛丼を食べるとすこしほっとした気分になる。
 こちらの吉野屋は中国人の好みに合わせてキノコ牛肉丼やトリなんとか丼などといったいろんなメニューを取り揃えていて、店内は中国人で賑わっている。牛丼を注文する客は、だいたい全体の三分の一くらいだろうか。ほかの人たちはキノコなんとか丼やトリなんとか丼を食べている。
 ただ、こちらの吉野屋には、残念ながら生卵がない。中国人は生卵を食べる習慣がないうえに、こちらの卵は日本のような鮮度管理をしていないから生では食べられない。どうしても牛丼に生卵をかけて食べたい日本人は、吉野屋で牛丼をテイクアウトして、こちらのジャスコで売っている生食用の卵(一般のスーパーでは売っていない)を買ってきて家で生卵をかけて楽しんでいる。
 この間、吉野屋へ行ったら、ずいぶんレジで待たされた。こちらはマクドナルドやケンタッキーと同じようにレジで注文して、そこで牛丼を受け取るセルフサービス式だ。
 ようやく順番がきて牛丼を頼んだのはいいのだけど、品物が厨房から出てこないことにいらいらしたレジの店員が、
「どうするんだよ」
 と厨房へ向かって怒鳴っている。
 なんと御飯がなくなってしまったのだ。
「十五分だって? そんなに待てるかよ」
 とレジ係が怒っても、厨房係りはただ、
「どうしようもないよ」
 と、肩をすくめるだけだ。
 レジ係りは御飯が炊き上がるまで十五分かかるからラーメンに変更しないかと僕に勧めるけど、吉野屋でラーメンを食べてもしかたないから、僕はお金を返してもらって店を出た。
 この店では時々御飯がなくなってしまう。僕がその吉野屋で御飯が切れた場面に出くわしたのはこれで二回目だ。知人からも吉野屋で御飯がなかったから牛丼を食べられなかったという話を何度か聞いたことがある。ショッピングモールにはレストランがたくさん入っているから、ほかの店から御飯を買ってきてその場を凌いでもよさそうなものだけどそんなことはしない。
 店が流行っているからこそ御飯が切れてしまうわけだけど、やはり厨房の管理があまいのだろう。丼物が売り物の店で御飯が切れたのでは商売にならないと思うんだけどなあ。




(2012年10月31日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第210話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
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酒豪は朝、日本海を見る(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第209話)

2013年11月05日 07時03分46秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 今は昔、上野発金沢行き夜行急行『能登』が元気よく走っていた頃の話。
 酒豪のHさんは酒が好きで、飲むたびにぐでんぐでんになった。よく通っていたのは飯田橋のとある焼き鳥屋。
 ある日のこと、最終電車に乗り損ねたHさんは上野から急行『能登』に乗った。昔は、高崎線沿線に住んでいる人が終電に乗り遅れた場合、『能登』に乗ることが多かった。急行料金を払っても、タクシーで帰るよりははるかに安くあがる。
 ところが泥酔状態だったHさんはぐっすり眠りこんでしまい、降りるはずの駅を通過してしまった。
 ふと目が覚めると急行『能登』は海沿いを走っている。
 あろうことか、というべきか当然というか、その海は日本海だった。しまったと思ったがもう遅い。Hさんはしかたなく、
「すみません。今、日本海が見えています。これから東京へ戻ります」
 と会社へ電話をかけた。日本海に吹く朝のさわやかな風を吸いこんだHさんは大急ぎで逆方向の電車に乗って東京へ帰った。会社では大笑いされてそれですんだので助かったのだとか。
 別の酒豪Kさんは、東京駅から大垣行き普通夜行電車に乗ったものの、こちらも同じく熟睡してしまい、小田原で降りるはずが名古屋まで行ってしまった。もっとも、Kさんは早朝の新幹線で東京へ舞い戻り、遅刻もせずに何食わぬ顔で仕事場へ出たそうだ。
 今では夜行列車はほとんど廃止になってしまったから、もうこんな話は聞けないのだろうけど。



(2012年10月27日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第209話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
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