風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

『ベトナムの風 父の風』 最終話 『父の風』

2015年08月16日 07時15分15秒 | 純文学小説『ベトナムの風 父の風』

 父の風


 いつの間にか、空には夕焼けが忍び込んでいた。椰子林が茜色に染まっている。南国特有の鮮やかな美しさだった。みずみずしい夕焼けの上に澄んだ翡翠色の帯が一本描かれ、昼と夜を隔てていた。自転車が次々と道を通り過ぎる。自転車の群れを縫うように小型バイクが追い抜く。道端には人がぞろぞろ歩いていた。夕方の帰宅ラッシュなのだろうか。こんな田舎道にどうしてこんなに人がいるのだろうと思うほど、道は自転車で溢れかえった。白いアオザイを着た少女たちが自転車に乗って目の前を通り過ぎる。裾が風で翻り、濃い赤銅色の流麗な太腿が見え隠れした。
「きれいね」
 イファが目を細めた。
「そうだね」
 僕は相槌を打った。
「それで、リリィさんはアメリカへ帰ってしまったのね」
「そうだよ。五六年くらいはクリスマスカードを交換してたんだけど、それも途切れてしまった。どうしているのかなって今でもときどき思うんだ」
「好きだったの?」
「え?」
「だから、リリィさんのことよ。素敵な人だったみたいね。わたしも会ってみたいわ」
「そんなんじゃないよ。ただ、あこがれたんだ。リリィの澄んだまなざしを想い浮かべると、今でも胸が熱くなってしまうよ」
「それを恋したっていうのよ」
「だから違うってば」
 僕は照れくさくなって頭をかいた。
「マモルがそういうなら、そういうことにしておきましょ。ずっとどきまぎした顔をしながら話してるんだもの。誰だってわかるわよ」
 イファはころころと笑った。
 子供たちの笑い声がひときわ高く響いた。
 すぐそばでスウェーデン人の女の子がベトナムの子供を二の腕に掴まらせ持ち上げて遊んでいる。ベトナム人の幼子が彼女の周りに集まり、嬉しそうに不思議そうに彼女を見上げる。
「がんばって。あなたはいいお母さんになりそうね」
 イファが彼女に声援を送った。
「私はレズビアンだから子供は生まないよ。子供は好きだけどね」
 スウェーデン人の女の子は鼻孔を膨らませながら豪快に笑い、幼い女の子を片手で高く放り投げ、落ちてきたところを抱きかかえた。女の子はまぶしい笑顔ではしゃいでいる。子供たちから歓声ともため息ともつかない声が上がり、今度は自分を持ち上げて欲しいと次々に手を伸ばす。
「平和だね」
 僕がつぶやくと、
「それがいちばんよ」
 とイファはにっこり微笑んだ。
 バスは出発しそうもない。
 あたりが薄暗くなった頃、イファとスウェーデン人の女の子と三人で道端の食堂へ入った。見かけは粗末で小さそうだったけど、裏へ回ると裸電球で照らした庭にテーブルがいくつも並べてあって案外広かった。テーブルは地元の人々で埋まっている。酒盛りをしている客もいて賑やかな笑い声が響く。
 片隅のテーブルに座り、そぼろ肉入りのフォー(米粉の麺)を注文した。イファはスウェーデン人の女の子がレズビアンであることにかなり興味をもったらしく、根掘り葉掘りといろいろ質問する。彼女はストックホルムの港でフォークリフトの運転手をしながら八歳年下の女の子と同棲しているのだと言った。
 フォーを食べ終えた頃、上品そうな白い顎鬚をたくわえた老人が席にやってきた。顔貌は華僑系だが、広がった鼻梁と厚い唇はベトナム風だった。
「日本の方ですか」
 老人は落ち着いた英語で僕に問いかける。
「そうですけど」
 僕が答えると老人は穏やかに瞳を光らせた。
「やはりそうですか。私は日本へ行ったことがあります。一九六二年のことでした」
「旅行ですか」
「いいえ、仕事でです。東京の会議に出席したのですよ」
「日本はどうでしたか」
 僕が訊ねると、老人は好い国だったと言い、東京の街の印象や会議の後日光で観光したことを語った。
「でもなにより良かったのが東京のホテルでした。ホテルオークラに泊まりました。豪華で綺麗ですし、サービスも良くて快適でした。もっと泊まっていたかったくらいです」
 老人は懐かしそうに言い、昔の光景を思い出すかのように目をそっと瞬いた。僕は老人の風貌に惹かれた。人生の華やかだった頃の話とは裏腹に、むしろ華やかな時代があったからこそかもしれないけど、深い皺に長い歳月の辛苦が刻みこまれ、老人の瞳には底知れない悲しみが漂っているように思えた。
「写真を撮ってもいいですか」
「かまいませんとも」
 老人は丁寧に肯いた。僕はリュックからニコンのF2を取り出した。老人に座ってもらい、父さんならどう撮るだろうと思いながら構図を考え、老人だけの写真を一枚写した。次にイファたちに周りを囲んでもらい、絞りやシャッタースピードの設定を直してシャッターを切った。
「私が撮ってあげるわ」
 イファが立ち上がった。僕はイファが来るのを待ち、「この位置からシャッターを切ってくれればいいから」と言ってカメラを渡したのだけど、イファはファインダーを構えているうちに笑い転げ、しゃがみこんでしまった。振り向くとベトナム人の若者がテーブルの後ろでおどけたポーズを取っていた。
「ごめんなさい。どこから撮ればいいのかわからくなってしまったわ。これを廻せばいいのね」
 イファはようやくのことでレンズを廻してピントを合わせ、シャッターを切った。撮影が終わると老人は穏やかに微笑み、お辞儀した。
「写真を送りたいので、よかったら名前と住所を書いていただけませんか」
 僕は老人がうなずくのを見てメモ帳とペンを差し出した。老人は節くれだった手でペンを握り、風雅なアルファベットで名前と住所を書いた。
「そうだ」
 老人はポケットから財布を出し、そのなかから一枚のモノクロ写真を取り出した。フランス風の洋館の玄関で壮年だった頃の老人を取り巻いている家族の集合写真だった。老若男女合わせて十二人ほど写っている。上流階級の家なのだろう、子供まで背広を着て、皆身なりの良い格好をしていた。若き日の老人は真ん中に腰掛け、背広に身を包みながら右手に帽子を持ち、満ち足りた顔でカメラを見据えている。
 白黒写真が僕になにか呼びかけている。ふと、写真のなかから「こちらを見てください」と指示を出す父さんの声が聞こえた。
「私の一族の写真です。日本人のカメラマンに撮っていただいたのですよ」
 老人は言った。
「日本人……」
 僕は写真を見つめた。
 ――そのまま、動かないで。
 また父さんの声がする。その声が心の隅々にまで静かに拡がる。僕は写真を見つめ直した。カメラを操作する父さんの息遣いが聴こえる。確かに、はっきりと。心臓が早鐘のように打つ。
「撮った日本人の名前は覚えておられますか」
「さあ、なんという方でしたか。随分昔のことなので、もう忘れてしまいました」
 老人は首を傾げた。
「いつ頃の写真なのでしょうか」
「一九六九年です」
 僕が生れた年だ。その頃、父さんはベトナムにいた。老人は身じろぎもせず写真を見つめる。その瞳が潤んでいた。
「戦争で散りぢりになってしまいました。今は遠い親戚の世話になりながら独りで暮らしています。長い間、家族を探し続けたのですが、みんなどこへ行ったのかわかりません。たぶん死んでしまったのでしょう。この写真が最後の想い出なのです」
 老人はハンカチを出し咳き、
「つまらない話をしてしまいました。好い旅行をなさってください」
 と穏やかに微笑み席を立つ。僕はまだ話を聞きたい衝動にかられた。もう少し詳しく聞き出せば、老人の記憶が甦り、誰が撮影したのかを思い出してくれるかもしれない。父さんが撮ったのだと言ってくれるかもしれない。だけど、力なく震える老人の背中を見るとなにも言えなくなった。孤独が幾重にも積み重なった背中だった。僕は開きかけた唇をそっとつぐんだ。
 運転手がもうすぐ出発だと呼びに来た。
 バスのなかで出発を待っているうちに空が轟き、雷雨になった。暗い空に蒼い稲妻が走る。大粒の雨がバスの屋根を叩き、乾いた音が虚ろに響く。バスの中は肌寒い。僕は食堂で出会った老人と白黒写真のことをぼんやり考えた。
 待ち疲れた僕はいつの間にかまどろんだ。夢とも現ともつかないぼんやりとした意識のなかで、僕は父さんの姿を探していた。村々を訪ね、人々に父の所在を問うのだが、手掛かりが掴めない。誰も彼も気の毒そうな顔をして首を振る。
 ふと目が覚めた。
 バスのエンジンがかかり、バスは徐行し始めた。対向車のヘッドライトが眩しい。僕は結露した窓を手で拭って暗い水田を見やった。稲が雨風に揺れ、その向こうに影絵のような椰子林が見える。バスはそろりと動いては停まり対向車をやりすごす。
「父さん、僕にも子供ができたんだ。女の子だよ」
 僕はそっとつぶやいた。
 轟音と同時に、ひときわ明るく雷が走った。道端に打ち捨てられた莚が蒼く浮かび上がった。




 了


『ベトナムの風 父の風』 第六話 『ずっとそばにいたかった』

2015年08月14日 07時15分15秒 | 純文学小説『ベトナムの風 父の風』

 ずっとそばにいたかった


 今でも、リリィと話した時の風の匂いや太陽の陽射しや、日傘のなかで陰になった彼女の横顔が心に焼き付いている。顔が薄暗く見えるぶんだけ活きいきとした瞳の輝きがいっそう際立った。リリィの存在はなんともいえないぬくもりを放っていた。とても素朴で、たとえば囲炉裏で燃やした薪に手をかざしたような、よぶんなものがなにもない温かさだった。
 考えてみれば、父さんが自分のことを語るためにリリィを僕のもとへ送ってくれたような気がしないでもない。もちろん、リリィの人生は彼女が主人公なのだから、彼女は自分の想いになにかのまとまりをつけるために父さんの墓参りをしたのだろう。彼女は自分自身のためにわざわざ遠いところからやってきた。それでも、僕は父さんの計らいを感ぜずにはいられない。あの時リリィが語ってくれたことが心のなかでだんだん大きくなり、時にはそれにあこがれたり、時には反発を感じて否定しようとしてみたり、ずいぶんとまがりくねった遠い回り道をしたものの、結局のところ、僕は父さんの足跡をたどるようにして今の職業を選ぶことになったのだから。リリィとの出会いが今の僕の人生の出発点になったといえなくはない。
「それからどんなことをしたの?」
 僕はリリィに訊いた。
「ふたりであちらこちらをまわって撮影を続けたわ。そのうちわたしも、たまにだけど外国の通信社に写真を買い取ってもらえるようになった。ツヨシはどんなときでも、目に映るものをどんなふうに撮影したらいいんだろうって写真のことをずっと考えていたから、わたしもいつしかそんなツヨシの癖がうつって写真のことばかり考えるようになったわ。カメラマンってそうあるべきなのよね。いつも心をファインダーにしておかなくっちゃいけないのよ。撮影に出かけたときは、いっしょに目にしたものについてどんなふうに考えればいいのか、どうやって写真にすればいいのか、そんなことをずっと話し合ったわ。
 アメリカ軍が撤退して、それからすこし時間をおいて北ベトナム軍がサイゴンを目指して進軍を開始して、とうとうサイゴンが囲まれてしまったわ。アメリカ大使館から次々とヘリコプターが飛び立ってアメリカ人や南ベトナム政府の要人たちを運んでいった。ヘリコプターの姿をカメラに収めながらわたしは不思議でしかたなかった。アメリカ人が逃げるのはわかるのよ。だって、自分の国じゃないもの。だけど、どうして南ベトナムの人間まで逃げなくっちゃいけないのか理解できなかった。サイゴンに残ってサイゴンの人々を守るのが当然でしょ。つまるところ、戦争の正義を叫んでいた人たちは自分の都合でそう言っていただけなのね。なんにも考えていなかったのよ。いつかトンネルのなかでツヨシが正義は巨大な悪だっていったことがよくわかったわ。わたしの家族も村の人たちも、そんなつまらない人たちのために殺されてしまったのね。怒りが湧くというよりも、なんだか気が抜けてしまったわ。
 サイゴンが陥落したときは街もすこし混乱して危なかったけど、ツヨシは戦争が終わってからもベトナムの姿を撮り続けた。社会主義になってから外国人へのビザ発給が厳しくなったけど、クチトンネルでインタビューした将軍がツヨシをかわいがって面倒を看てくれたからビザも取りやすかった。将軍の紹介状を窓口に渡せばいつでもすぐにビザを出してくれて、延長するにしてもけっこう融通が利いた。将軍のおかげでツヨシはいつでもベトナムにいられたわ。
 ツヨシは平和になって復興してゆく街や農村を撮影した。銃声や爆撃の音が響かないのは、ほんとうにいいものね。人々の顔が明るくなって活気が出てきたわ。もちろん、戦争が終わればそれですべてがよくなるわけじゃなくて、アメリカ軍がジャングルに撒き散らした枯葉剤の後遺症だとかいろんな爪あとが残っていたから、それも取材したわよ。戦争の間はずっとベトナムの南側ばかりをまわっていたけど、北へも行くようになったわ。ハノイで水上人形劇をみたり、ハロン湾へ行ったりして楽しかった。
 ハロン湾はハノイからすこし離れたところにある観光名所なの。海のなかから垂直に切り立った大きな岩山がにょきにょき伸びていて、山水画をそのまま海のなかへ持ってきたようなとても不思議な風景をしているわ。将軍が宿と舟の手配をしてくれて、わたしたちは撮影に出かけたの。
 簡単な帆が一枚ついただけの小さなジャンク船に乗って、奇岩が立ちならぶ湾をなんども回った。一日目はあいにくガスが出ていて天候が悪かったんだけど、かえってそれがよかったの。岩山が霧に煙ってこの世のものとは思えないような神秘さだった。海の仙人でも出てきそうな感じだったわ。二日目は快晴よ。二日目もジャンク船に乗って湾のなかをうろうろしながら写真を撮ったわ。岩山のあいだに落ちてゆく夕陽がきれいだった。
 夕食をすませてから、夜のハロン湾をクルーズした。波の音以外はなにも聞こえないの。満天の星が漆黒の夜空をうめつくして、白く輝く三日月が空にかかっていた。わたしはツヨシの肩に頬をつけて、波間に漂った。言葉なんてなんにもいらないの。ツヨシのそばにいるだけでわたしは満たされた。わたしの悲しみは決して消えないけど、ツヨシがいてくれたから生きぬくことができたわ。わたしは感謝の気持ちでいっぱいだった。星屑に触れてみたくなって思わず手を伸ばしちゃった。このまま月も星も動きをとめて、時間もとまってくれたらいいのにって思った。
 いろんなところへ行けるようになって撮影の幅もぐっと広がったし、ベトナムが元気になる姿を目の当たりにして、ツヨシもよろこんでいた。でも、それも長くは続かなかった――」
 リリィはふっくらとした唇をそっと嚙んだ。
「父さんが死んでしまったんだね」
「あの日、わたしたちはホテルの喫茶室で待ち合わせをしていたの。社会主義になってから外国人向けのカフェがなくなってしまったから、いつもそこで待ち合わせしたわ。外国人専用のホテルだからつくりは立派よ。窓辺からきれいな庭園が見渡せてとても心地良いの。青々とした芝は清潔に刈り込んであるし、色とりどりの亜熱帯の花がいつでも咲いているのよ。かわいらしい白い天使の彫刻の噴水があって、涼しそうに水を打ち上げていたわ。
 ツヨシに会うのは二か月ぶりだった。ツヨシはアメリカへ渡って友だちを訪ねたり、ベトナム帰還兵の取材をしたり、それから日本へ帰って雑誌の打ち合わせをしたり写真の売り込みにまわったりでずっとサイゴンを留守にしてたの。ひさしぶりに会えるって思ったらどきどきしちゃった。時間をかけて髪をブラッシングして、よそゆきのきれいな服をきて、髪に赤いリボンをかけて――ツヨシをよろこばせてあげられるような上手な化粧はできなかったけど、あの人が帰ってくるんだって胸のなかはときめきでいっぱいだった。わたしは一日過ぎるごとにカレンダーに印をつけて、ツヨシの帰りを指折り数えていたのよ。
 時間になってもツヨシはこなかったけど、そのうちきてくれるって思っていたからわたしは平気だった。いつかツヨシがお土産にくれた日本の写真雑誌を眺めながら好きな人を待つ時間を味わった。待っている間は時間がゆっくり流れて、あこがれだけが胸のなかでじわじわにじむのよね。わたしはベトナムコーヒーのおかわりを頼んだ。ベトナムのコーヒーはステンレスのカップフィルターのなかに挽いた豆を入れて、そのフィルターをカップのうえにつけてお湯を注ぐの。フィルターには小さな穴がいつくもあいていて、ぽたぽたとコーヒーの滴が落ちて下のカップにコーヒーが溜まる仕掛けになっているのよ。時間が満ちるのを待つようにして、コーヒーができあがるのを待ったわ。
 突然、風が吹き抜けてカーテンが踊った。カーテンがカップを蹴飛ばして、カップが床に落ちて割れてしまった。ふと、かなしい予感がしたわ。ツヨシがわたしを呼んだような気がして振り向いたら、友だちが喫茶室に駆け込んできてツヨシが大変だって叫ぶの。
 横丁の入口に警察の車がとまって青いサイレンを回していたわ。横丁のなかは風が通らなくて蒸し暑かった。植民地時代に建てられたフランス風の古いアパルトマンの入口に三四歳くらいの小さな子供が三人ほど立って、道のまんなかにかけた筵をじっと見つめてた。筵のそばには材木や砂がちらかっていた。
 警官が筵がめくってわたしに身元確認を求めたわ。ツヨシだった。お腹を刺されて、流れ出した血が固まっていた。いくら呼びかけてもツヨシは答えてくれなかった。目はかっと見開いたままだけど、ツヨシの瞳は光を失ってもうどこも見ていないの」
「父さんの最期はそんなふうだったんだ」
 僕はしんみりした。リリィが語ってくれたベトナムの裏路地の風景を想像してみた。
「スコールが当たりいちめんに降り注いだ。雷も鳴ったわ。わたしはぼおっとしてしまって、涙も出てこなかった。地面にへたりこんでツヨシの亡骸(なきがら)を抱きしめた。ツヨシをひとりにしたくなかったから。ほんとうは、ひとりになったのはわたしだったんだけどね。
 すぐに犯人が捕まったわ。自転車で狂ったように街中を駆けているのを警察が見つけて、転んだところを取り押さえたそうよ。ツヨシは強盗に襲われたの。ツヨシが財布に入れていたお金は日本人にしてみればたいしたことのない額かもしれないけど、ベトナム人にとってみれば何年分かの給料になるくらいの大金だものね。それに、西側の外国人のパスポートは高く売れるわ。
 ツヨシの家族はビザの取得に時間がかかってすぐにこられないから、サイゴンでツヨシの遺体を焼くことになった。将軍がいろいろ手配してくれて、スムーズにお葬式をあげることができたわ。しばらくしてツヨシの奥さんとおとうさん――あなたのおかあさんとおじいさんがきたの。わたしはそのとき、ふたりを案内してツヨシの遺灰と遺品を渡したわ」
「リリィが父さんの最後の面倒を見てくれたんだね。ありがとう」
「当然よ。ツヨシはずっとわたしを守って導いてくれたんだもの。
 ずっとそばにいたかった。ツヨシに出逢ったのが十六歳のときで、それからずっといっしょだったわ。ツヨシはいつもお父さんになったり、お兄さんになったりしてくれた。わたしの青春そのものなのよ。ツヨシが笑うときって少年みたいな口許をするの。わたしはそれが好きだった。
 こころをどこかへ落としてしまったみたいで虚ろな気分が続いたわ。ふるさとには誰もいないし、サイゴンにもあの人がいない。その頃、不思議な夢を毎晩見たの。ツヨシが夢に現れて『自由に生きなさい』って何度もいうのよ。ふつう、夢って頼りないようなおぼつかないようなあやふやな感じがするじゃない。でもその夢はなんだか現実にツヨシと会って話をしているみたいで、夢じゃないようなリアリティがあったの。
 わたしは将軍に会いに行った。将軍もさみしそうにしていたわ。外国人と仲良くなることができるとは思わなかったし、仲良くなったのはツヨシひとりだけだって。それで、夢のことを話してみたの。将軍はわたしの話を聞いたあと、じっと考えこんでこう言ったわ。
『夢に現れたのはツヨシの霊魂にちがいない。写真家として自由に活動できるところへ行きなさいといっているのだと思う。今のベトナムは社会主義になってよくなった。とはいえ、あなたたちのような芸術家にとってはなにかと窮屈なところが多いかもしれない。ツヨシは、リリィがもっと自由に生きて、才能を伸ばして人生を輝かせてほしいと願っているのだろう。ただ、あなたが自由世界へ行く手伝いはさすがにできない。軍報道部の写真撮影の仕事でよかったら世話しよう。好きなだけカメラを手にすることができる』
 わたしは将軍の解釈におどろいた。だって外国へ行くだなんて考えたこともなかったもの。でも、将軍のお世話になったほうがいいのかどうかも決めかねたから、考える時間をくださいといって将軍の事務所を出たわ。将軍もあなたの人生なのだから好きなようにしなさいといって送り出してくれた。
 結局、ツヨシが亡くなってから二か月後、わたしはボートに乗ってベトナムを脱出した。どうせひとりぼっちなのだから、思い切って別の世界へ行ってみようと思ったの。あのままサイゴンに居る気にはなれなかった。これからどうして生きていこうかって考えて、わたしはやっぱり写真を撮り続けたかった。それがわたしを救ってくれたツヨシへの供養になるとも思ったのよ。写真を撮り続けたかったら自由な国へ行くのがいちばんよ。
 ボート生活は苦しかった。海があんなにぎらぎらして暑くてのどの渇くものだとは思わなかった。ツヨシとハロン湾をクルーズしたときにはやさしく感じた海が、とても怖かった。ボートに揺られながらわたしはそれまでの人生を振り返って考え事ばかりしたわ。どうしてひどいことばかり起きるんだろうって考えたら悲しくなっちゃった。ツヨシといっしょにいたときに感じてた前向きな気持ちがすっかりなくなってしまって、どうにでもなれってやけっぱちなふうにも思ったりした。ふと気づいたら海に引きこまれそうになっている自分がいて、あわててボートにしがみついたりもしたわ。なにを思ったのか、無意識のうちに海へ飛びこもうとしていたのよ。
 厚く垂れ込めた雲がかすかに赤く染まって、闇がやってきた。星ひとつない真っ暗な夜の海だった。ボートのふちにへばりついた夜光虫だけがあたりを弱く照らしていた。荒い波の音がわたしの胸を残酷に切り刻むから、このままこの闇のなかで死んでしまうのかなって思ったわ。丸一日、揺られ続けて疲れ果てていたし、潮まみれになって息が苦しかった。これでツヨシのもとへ行けるのなら、それでもいいかなって、むしろ、こんなつらいことは終わりにして、なにもかもおしまいにしてツヨシのもとへ行きたいって弱気になったわ。
 ふと雲が切れて白い月が顔をのぞかせた。月はわたしを照らした。ツヨシが心配して見にきてくれたんだってわかった。月の光に抱かれているとなんとなくやさしい気分になれて、このまま漂っていけばいいんだって素直に思えた。その先になにが待っているのかはわからないけど、いつでもツヨシが見守ってくれているからどんなことがあっても大丈夫だって、まるでツヨシといっしょにいたときみたいにやすらいだ気分になれた。もうツヨシに甘えてはしゃいでいたわたしのままではいられないけど、生きて写真を撮って、自分が生きた証しを残さなくっちゃいけないのよ。わたし自身のためにも、ツヨシのためにも。わたしはツヨシが死んでしまってからはじめてぐっすり眠ったわ。村が焼かれた光景も、ツヨシの死んだ姿も夢には出てこなかった。
 翌日、運よく貨物船にひろってもらえて、そのままタイの難民キャンプへ送られたわ。難民キャンプにはわたしと同じようにボートに乗ってベトナムを脱出した人たちが大勢いた。しばらくして難民の認定がおりて、わたしはアメリカへ渡ったの」
 それから、僕はアメリカの様子やリリィの暮らしぶりを訊いた。だけど、いまはなにを話したのか覚えていない。ただ、
「いまはもう、わたしの家族を皆殺しにしたアメリカ兵もツヨシを襲った強盗も、だれも恨んでいない。生まれた国や時代や運命は選べないけど、与えられた人生をよく生きるしかないのよ。そうして、命を与えてくれたものになにがしかの答えを出さなくちゃいけないのよ」
 とリリィが語った言葉を印象深く覚えている。僕はその言葉に勇気をもらった。
 自転車の後ろにリリィを乗せて丘を下り、バス停まで送った。こんなきれいな人を乗せるのは照れくさかったから、僕は全速力で村を駆け抜けた。道端のバス停は西日に染まり、ひぐらしが名残りを惜しむように鳴いていた。青い実をつけた稲が風にそよいでいた。リリィはきれいな目を細めて愛しそうにあたりの風景を見つめる。たぶん、父さんのふるさとを心に刻んでおきたかったのだと思う。風がリリィの黒い髪と白いアオザイの裾を揺らした。
 バスがやってきた。
「父さんのことをいろいろ教えてくれてありがとう」
 僕はどきどきしながら言った。
「わたしこそお墓参りの案内をしてくれてうれしかったわ。――あの人に似ているのね」
 リリィはやさしく微笑み、顔を近づける。僕は金縛りにあったみたいに動けなかった。
 バスは坂道を登っていく。顔を赤らめた僕はぼおっとしたまま見送った。



(つづく)

『ベトナムの風 父の風』 第五話 『正義が消えた後に愛だけが残る』

2015年08月12日 07時15分15秒 | 純文学小説『ベトナムの風 父の風』

 正義が消えた後に愛だけが残る


「そのトンネルはクチトンネルっていう名前で呼ばれていて、サイゴンから四十キロくらい行ったジャングルのなかにあったわ。そこがベトコンの秘密地下要塞基地になっていたのよ。クチというのは地名なんだけど、そこからほうぼうへつながって、すべてのトンネルをあわせた全長は二百キロにのぼったそうよ。ツヨシがどういう伝(つて)を頼ったのかは知らないけど、取材許可がおりてふたりで行くことになったの。
 アメリカ軍が必死になってそのトンネルの入口を探していたけど、草と枯葉でカモフラージュしたごく普通の地面に入口があったりして、簡単には見つからないようにしてあった。ジャングルのあちこちに落とし穴を仕掛けて、アメリカ兵がその穴に落ちたら最後、鉄の棒で串刺しになってしまうし、ベトコンがアメリカ軍を偽のトンネルに誘いこんで行き止まりのトンネルに閉じこめたりしたこともあったのよ。アメリカ軍がやっとのことでほんとうの入口を見つけて攻撃をしかけても、トンネルのほんの一部を壊すのがせいいっぱいで陥落させることができずにいたわ。
 サイゴン郊外の農村でベトコンの連絡員と待ち合わせて、ぼろぼろのトラックに乗った。トラックの荷台で目隠しをされて、でこぼこ道をずいぶん走って、着いたあとそのままトラックをおりて歩いて、目隠しを取られたときにはもうトンネルのなかにいたわ。
 トンネルはとても狭かった。高さは一メートルもなかったわ。もちろん、立って歩くことなんてできなくて、しゃがんで足をずらせながら進むのよ。不便だけど、アメリカの兵士が入ってきたとき自由に動けないようにわざとそうつくってあるの。ベトナム人は背が低くて小回りがきくけど、アメリカ人は背が高くてそうもいかないから。ただ手で掘っただけの素朴なトンネルでひんやりとして心地良かった。天然のクーラーのなかにいるようなものよ。あちこちにわかれ道があって、遠くから兵士の足音や物音が響いていた。ときどき、荷物を担いだ兵士とすれ違った。
 わたしはなんだか蟻になったような気分で面白くってわくわくしちゃった。ツヨシも楽しんでいたみたい。『子供のときからいちどこんなところへきてみたかったんだ』ってうれしそうにしていたわ。薄暗くて、謎めいていて、しかもそこでおおぜいの人がうごめいているのがいいのよね。
 武器や爆弾をたくわえている部屋だとか兵士の寝ぐらだとかいろんな部屋を通った。いい匂いがするからなんだろうって思ったら食堂だった。フォー(米粉の麺)をゆでたり、水牛のもつ煮込みを作ったりしていたわ。煙なんかを表へ出したら場所を知られてしまうけど、煙を分散させるしかけをつくって目立たないようにしてたの。
 小一時間くらいトンネルのなかをのぼったりおりたり、わかれ道で曲がったりして、とうとう作戦室へ着いたわ。そこでベトコンの将軍に単独インタビューすることになっていたの。こんなのはスクープ中のスクープよ。だって、全世界が注目している戦争の秘密要塞の司令官が取材に応じるんだもの。秘密のベールをわたしたちがはぐことになるのよ。作戦室へ入ったとたん、ツヨシはものすごく緊張した。わたしはお気楽な気持ちでツヨシについていったんだけど、ツヨシがあんまり体をこわばらせるから、わたしも緊張しちゃった。作戦室といってもゲリラのそれだからそんなに大きくなかった。ちょっとした応接間くらいの広さに地図と黒板があって、会議用の大きなテーブルが置いてあるだけだった。わたしたちは木の椅子に坐って将軍を待ったわ。となりの部屋でモールス信号を打つ音がかたかた鳴っていた。
 将軍が入ってきたわ。将軍って映画に出てくる俳優みたいな格好良くてとても立派な感じの人を想像していたんだけど、全然ちがった。体つきは筋肉隆々でがっちりしているんだけど背が低くて首がすっごく短くて、不機嫌そうに顔をくしゃっとつぶしているのよ。それでいて眼光だけが異様に強いの。なんだか海賊船の船長みたいだったわ。
 将軍はお義理でインタビューに答えるのだからさっさと切り上げたいって感じでつまらなさそうな顔をしたわ。でも、話し出したらとまらなかった。そんな顔をしたのはたぶん、わたしたちを警戒していたからでしょうね。そういう人ってわりといるのよ。取材を受けるのに慣れていないと身構えちゃうのよね。将軍は言いたいことを率直に話すストレートな性格だった。怖い顔を崩そうとはしなかったけどわりとざっくばらんに話してくれたわ。
『好きでこんな穴倉に立て籠もっているわけじゃない。こんなトンネルに何年もいるやつは変態だ』なんていうからびっくりしちゃった。わたしは、将軍っててっきり戦争が大好きでゲリラ戦が好きですきでたまらないような人なんだろうって思っていたのだけど、そうじゃないのね。彼はベトナムを素晴らしい国にしたいって、そんな想いで戦争をしていたのよ。そのためには、アメリカなんてさっさと早く追い出さなくっちゃいけないし、国づくりには社会主義が必要だって将軍はいうの。
 都会へ出て金持ちになるなんてほんの一握りだけの人間だ。資本家が搾取するから人々は働けばはたらくほど貧しくなってしまう。おまけに、資本主義は人間を生ける屍にして、心まで貧しくしてしまう。お金の奪い合いをするがために人々の連帯は断ち切られ、人は嫉妬と猜疑に満ちた目でしか他人を見なくなる。そんな世の中がいいとは思わない。だけど、今のままでは貧しさから抜け出すことはできない。暮らしを豊かにするためには、ベトナムの農村共同体を基本にして、お互いが助け合う社会を築く必要がある。そのためには社会主義がいちばんいいんだ。三百年も経てばお金なんていらない世の中になる。店には物があふれて、人々は必要なものを必要なだけ店から受け取るだけでいい。いまは夢物語にしか思えないかもしれないがきっと実現できる――。そんなことを将軍は力説したわ。
 戦争のことも聞いたわよ。将軍はアメリカ軍の装備がいくらよくても怖くない、むしろ怖がっているのはアメリカ軍のほうだ。解放戦線の兵士は厳しい戦いをよく戦い抜いている、装備は貧弱だが我々の精神がアメリカ軍を打ち負かすだろうって自信満々に言い切ったわ。わたしの村なんて誰も守ってくれなかったし、あっというまに焼き払われちゃったからほんとうかなって思ったけど、結局、最後は将軍のいうとおりになったわね。もちろん、精神が強かっただけじゃなくて、ソ連や中国が北ベトナムと解放戦線を応援してくれたから勝ったわけだけど、ベトナムを食い物にする嫌な外国に出て行ってもらいたいって思えばできなくはないのよ。
 一時間ばかりのインタビューが終わって写真撮影に入ったんだけど、将軍は海賊の親分みたいな目をしょぼしょぼさせて写真を嫌がるのよ。子供の頃から写真が苦手でフラッシュが大嫌いなんだって。それでツヨシは将軍の気持ちをほぐそうといろいろ話かけたわ。ツヨシにしても、将軍の魅力を引き出さないことにはいい写真がとれないものね。べつに下手なおべっかを使うわけじゃないんだけど、こうしたほうがあなたは強く見えるとか、チャーミングだとか、そんなことを言いながらいろんなポーズや表情を作ってもらっているうちに、将軍の表情が変わってきたの。石みたいな顔をしていたのが、人間味あふれるものになってきたのよ。心の鎧が取れて、彼の素顔やいいところが出てきたのね。ふだんはしかめっつらでずっと作戦の指揮を執っているはずなのに、こんな少年みたいな顔も見せるんだって思った。フラッシュもまったく気にならなくなったみたいだし。それもカメラマンの腕なのよ。ツヨシには独特の人なつっこさがあって、被写体になっている人の警戒心をといてしまうの。勘も鋭かったわ。その人がほめてほしいと思っているところを見抜いてそれとなくほめてあげるのがとても上手だった。天性のものね。
 インタビューが終わって帰ろうとしたら将軍がお茶でも飲んでいけって引き止めるの。それから作戦室のテーブルで茶飲み話がはじまったわ。どうもすっかりリラックスしてしまって、くつろぎたい気分になったようなのよ。将軍はすごく楽しそうだった。話といっても堅苦しい話題はいっさいなしで、村の川で遊んだこととか、肝試しをしたこととか、少年時代の話ばっかり。ベトナムの自然はとても豊かで美しいんだって、そんなことをツヨシに自慢してたわ。それから晩御飯もご馳走になって、お酒をすこし飲んで、ようやく帰してもらえることになったんだけど、でももう外は真っ暗だからトンネル基地のなかに泊めてもらうことにしたわ。
 将軍の従兵が暗いトンネルを通って小部屋まで案内してくれた。気のせいかもしれないけど、夜のほうが兵士の行き来が多くて活気があるみたい。病室のそばを通ったとき、突然、「おかあさん」っていう叫び声が響くものだから、わたしはびっくりして立ち止まった。ベッドのうえに少年兵が横たわっていた。おとなしくてひどく生真面目そうな顔立ちの男の子だったわ。彼は首だけ横に向けてわたしを見つめると、やさしそうにほほえむの。たぶん、わたしをおかあさんと間違えたのね。彼の手足が暴れて、顔ががたがた震えて、急に静かになったわ。こと切れたのよ。それまで楽しい気分だったんだけど、わたしはしんみりしてしまった。
 寝室はただ穴を掘っただけの小さな部屋だった。なかにあるのはろうそくとろうそく受けのお皿だけ。わたしたちは地面に毛布を敷いて、もう一枚の毛布にくるまったのだけど、わたしは寝つけなかった。どうしてこんなトンネルを掘ってアメリカと戦わなくっちゃいけないのか、どうしてわたしの家族は死んじゃったのか、こんなところで手作りの手榴弾をつくってなんになるのか、あの少年兵はどうして薄暗い病室で死ななくっちゃいけなかったのか――こころのなかは疑問だらけだった。
『三百年もしたらお金がいらなくなるって将軍はいっていたけど、ほんとうなの?』
 わたしはツヨシに話しかけた。ほんとうに訊きたいのはそのことじゃなかったのだけど、いろんな考えが頭のなかにうずまきすぎていて、そんな言葉がふいに口から飛び出ちゃったのよ。
『どうだろう』
 ツヨシはぼんやり答えた。
『社会主義の国はどこもそんなふうに言うんだけどね。ソ連も中国も東ドイツもベトナムも。ただひとつ言えるのは、お金をなくさないことには人間も社会も変わらないだろうってことさ。お金にいいように使われてというか、お金に支配されて生きるしかないのが、いまの人類の限界なんだろうね』
『お金をなくすっていうことが将軍の正義なの?』
『それはいろんな正義のうちのひとつだね』
『将軍は正義のために戦うんだっていっていたけど、正義ってなに?』
『正義とは巨大な悪のことだよ』ツヨシはすこし考えてから答えた。『ベトコンもアメリカも正義のために戦うんだって言っているよね。だとすると、正義は二種類あるってことになる。もちろん、ベトコンとアメリカの正義だけではなくて、ほかにもいろんな正義があるだろうね。でも、正義って言いながらやっていることはなんだろう? 戦争だよね。人殺しだよね。リリィのお父さんもお母さんも兄弟も、あの少年兵も正義のために死んでしまった。正義のために人殺しが正当化されてしまうのは、どう考えてもおかしくないか。つまり、正義は大きな悪なんだよ。悪いことなんだよ』
『それじゃ、どうしてみんなそんな悪いことを続けるの?』
 わたしは続けて訊いたわ。
『人間はまだ自分のすばらしさによく気づいていないんだ。だから、正義をいいものだと錯覚して、それをふりかざして殺し合いを続けてしまうんだよ』
『将軍はこの戦争が終われば平和がくるっていってたわ』
『戦争はいつか終わって平和がくる。雨が降りやんで太陽が顔をのぞかせるようにね。どちらが勝つにしても、しばらくは平和になるだろう。ただ、平和がずっと続いてくれればいいけど、そのうちまた戦争することになる。ほんとうの意味で自分のすばらしさに気づくまではまだまだ過ちを繰り返すことになるだろうね』
『どうして人間は自分のすばらしさに気づけないのかしら』
『なんでだろう。人間は業が深いからかな。それでも人間はすばらしいものなんだよ。あの将軍だって戦争なんかやっているから怖い顔をしているし、彼は何百何千人という人を殺してきただろうけど、素顔はいい人だと思うよ。今日だっていい顔をしていただろ。戦争がなければ、多少気むずかしくて頑固かもしれないけど、ごく普通のいいおじさんとして一生を送っていたと思うよ』
『わたしもそんな気がするわ。――人間がほんとうに自分のすばらしさに気づけば、正義なんてものはなくなって、戦争もなくなるのね』
『正義が消え去ったあとには、愛だけが残るんだ。今は想像もつかないかもしれないけど、いつかきっとそんな世界になるさ。――さあ、もう寝なさい。明日は朝が早いから』
 ツヨシはわたしの毛布をかけなおして、わたしを寝かしつけてくれた。みんなが正しいって言っていることって嘘が多いんだなって、ツヨシに教えられてようやくわかったの。家族を殺されてひとりぼっちになってしまった悲しみは消えないけど、そのかわりわたしはツヨシと出逢っていろんなことを教えてもらったわ。人生は悪いことばかりじゃないのよね。ツヨシとの出会いと思い出はわたしの宝物よ」
 リリィは空を見上げる。
「父さんはいろんなことを考えていたんだね」
 僕はうれしくなった。
「そうね。自分の頭で理解して、自分の言葉で物事を考えるのが好きだったわ。新聞や雑誌や本もよく読んでいたし、賢そうな人を見つけてはいろいろと話し合うのが大好きだった」
「僕も父さんみたいになりたいな」
「なれるわよ。ツヨシの息子なんだもの」
 リリィはうすくにじんだ目の縁をそっと拭いながら僕を見つめた。



(つづく)

『ベトナムの風 父の風』 第四話 『メコン河のレストラン』

2015年08月10日 07時15分15秒 | 純文学小説『ベトナムの風 父の風』


 メコン河のレストラン


「ツヨシが支えてくれたおかげですこしずつはよくなってきたんだけど、それでも元気のない日が続いたわ」
 リリィは話を続けた。
「悪夢の光景を胸のなかで反芻(はんすう)しながらまだぼんやりしているような感じだった。なにもかもが悪い夢だったらどんなにいいだろうって思った。ぱっと目覚めて、誰かがみんなただの夢なんだよって言ってくれたらどんなにいいだろうって。わたしはまだ現実を受け容れることができないでいたの。頭ではわかるのよ。でも、どうすれば納得できるのかわからなかった。
 そんなある日、見るに見かねたツヨシがたまには気晴らしでもどうってメコン河へ連れて行ってくれたの。メコン河ってほんとに広いのよね。水がゆったり流れているし、向こう岸が遠くに見えるの。わたしは海を見たことがなかったから、海なのって本気でツヨシに聞いて笑われちゃったわ。
 小舟をチャーターしてメコン河をいっしょにクルーズしたわ。ちょうど雨季が終わったばかりの時期だったから、岸や中洲が沈んで水のなかからいっぱい木が伸びていて、魔法の国にいるみたいで面白かった。メコン河から見る青空ってとっても広いのよ。なんにもさえぎるものがないから空に終わりがないの。気分がすっとしたわ。ツヨシはいっぱい写真を撮ってた。
 お昼前、広い河を滑るように走っていた小舟が中州の桟橋にすっと横付けした。きれいなレストランがあって、磨き上げた板張りのテラスに白い布をかけたテーブルがならんでいるの。わたしたちは見晴らしのいい席について、ツヨシが白ワインを頼んでくれた。メコン河の川面がきらきら光って、河を行き交うジャンク船の帆がゆらゆら揺らめいて見えたわ。ワインで乾杯するのははじめてだったからうきうきしちゃった。
 白身魚のフライを平らげて、デザートにドラゴンフルーツを食べたわ。魚のフライはなかがふわっと揚がっていて、口当たりがさくさくしておいしかった。ドラゴンフルーツはちょうどいい具合に熟れてた。まっさらな空に白い雲が浮かんで、太陽が隠れたり顔をのぞかしたりしていたわ。食後のコーヒーを飲みながらわたしたちはたわいもないおしゃべりを続けたんだけど、ツヨシがわたしを笑わせてくれるから楽しかった。雲が流れて、まぶしい光がさっとわたしを照らした。そのとき、それまでツヨシがわたしに語ってくれた言葉が頭のなかでひとつながりになったの。
 ツヨシはしっかり見ることが大切だっていつも強調していたわ。相手がなんであっても対象から目をそらさずにじっと見つめ続けることがだいじなんだって。そうして対象を見つめているうちに、その対象の本質はなんだろうって考えはじめるようになって、すこしずつその対象のことがわかるようになるんだって。現実を受け容れるためには、まず対象を見つめることが大切なのよね。でも、わたしは現実を受け容れなくっちゃいけないって思いながらも、その対象を見つめることを避けていたわ。家族や村のことを考えたとたん苦しくなって、苦しみにのみこまれて、なにもかも放り投げたい気分になって現実から逃げていた。
 それじゃいけないってわたしは思ったわ。あのつらさは戦場を経験した人しかわからないかもしれない。だけど、つらいことだからこそ、きちんと克服しなくちゃいけないのよ。そうしなかったら、ツヨシのいうようにわたしの人生を損ねてしまうことになるわ。わたしが悲しみの海におぼれたまま暮したら、わたしを産んでくれたおかあさんにも、育ててくれた家族にも、わたしを支えてくれたツヨシにも申し訳ないわ。
 悲しみを乗り越えるには、まずわたしの目に映るものをしっかり見ること。事実を事実としてとらえること。そうして、きちんと見つめてその対象の本質を探っているうちに、なにかがわかるようになるかもしれない。いまはまだわけがわからないままでいるけど、そのうちわたし自身の身になにが起きたのか、その意味が理解できるかもしれない。わかるようになりたい。わたしはそう思ったわ。
 それで、ふっとひらめいたの。ツヨシの助手にしてもらおうって。ツヨシにくっついてカメラを勉強すれば、自然といろんな対象を見つめることになるでしょう。そうすればいろんなことが理解できるようになるわ。それに、ツヨシみたいにしっかりした技術を身につけて自由に生きてみたかった。
 カメラマンになりたいからわたしを助手にしてってせがんだら、ツヨシは目を丸くしたわ。ツヨシは自分は助手を抱えるほどのカメラマンじゃないし、あんまり儲からないし、危ない仕事だからってとまどったわ。でも、一生懸命お願いしたら、最後にはそれでわたしが元気になるならっていって受け容れてくれた。やさしいのよね。わたしはうれしくっておおはしゃぎしてしまったわ。グラスにワインを注いで一気に飲み干しちゃった。あのときのメコンの川風はとてもこころよかった。
 次の日からさっそくカメラの基礎を教えてもらって、撮影についていった。邪魔なものを脇へよけたり、反射板を持って人の顔を照らしたり、露出計で測光したり、撮り終わったフィルムやプリントを整理したり、とにかくツヨシが撮影に専念できるようにがんばって雑用をこなしたわ。
 はじめのうちは米軍キャンプとかサイゴンの街中へ行くことが多かったわ。ツヨシはときどき戦場へ出かけたけど、絶対に連れて行ってくれなかった。わたしがいっしょに行ったのは、避暑地の高原や郊外の村といった比較的安全なところばかりよ。ツヨシはベトナム語が上手だったけど、いなかの人はなまりが強くて聞き取れないから、そんな時はわたしが通訳してあげたりしたの。わたしがいっしょにいて便利だったと思う。彼の役に立ててわたしはうれしかったわ。
 ツヨシがいちばん楽しそうだったのは浜辺の漁村へ行ったときかな。ベトナムの伝統的な漁船はお椀みたいに丸い形をしていて、それが浜辺からすこしはなれた海にずらりとならんで漁をしているのよ。舟が波にぷかぷか揺れてかわいらしい感じよ。ツヨシはとても面白がっていたわ。なんていう名前だったかしら、日本のおとぎ話……」
「一寸法師」僕は言った。
「そんな名前だったわね。ツヨシは『ファンタジーだと思っていた舟がベトナムには現実にあるんだ。日本もベトナムもルーツは同じかもしれないね』って感激していた」
「僕もベトナムの海へ行ってその舟を見てみたいな」
「行こうと思えばいつでも行けるわよ」
「そうだね。もうすこし大きくなったら行かせてもらえるかな」
「その漁村はビーチの近くにあったわ。ベトナムのビーチは白い砂浜でとっても美しいのよ。海もほんとに青い色をしていてきれいだし。新鮮なエビをゆでて作った生春巻きは最高だったわ」
「生春巻きかあ。ときどき父さんが食べさせてくれたっけ」
 僕は父さんの作った生春巻きを思い出した。子供の頃、僕は生春巻きが大好きでむしゃむしゃ食べたものだった。
「わたしが作り方を教えてあげたのよ」
「そうだったんだ。――それで、リリィは対象を見つめて現実を受け容れられるようになったの?」
「ほんのすこしずつだけどね。ツヨシは身近なもので手頃な題材をひとつ選んでそれを撮り続けなさいって言ったわ。それでわたしは花を選んだの。どこにでも咲いているし、きれいだから。わたしは街角に咲く花を取り続けた。そうしているうちになんとなくわかってきたの。咲く花も花。しおれる花も花。枯れる花も花。村で暮していたわたしもわたし。サイゴンで暮すわたしもわたし。さびしいと思うわたしもわたし。楽しいと思うわたしもわたし――。
 ふと、漁村の漁師さんのことを思い出してうらやましくなっちゃった。あの漁村の人たちは自分たちの伝統通りに生きている。幼い頃から教えられたとおりにしていいんだもの、そのほうが暮らしもうまくいくし、こころが落ち着くわよね。でも、村がなくなってしまったわたしはサイゴンで暮している。悲しいことだけど、事実としてみれば、それもわたしなのよ。それがわたしなのよ。生まれてこなければよかったなんて思ったこともあったけど、現実は現実なんだって身にしみるようになって、そんな気持ちはうすらいでいったわ。なぜ生まれてきて、なぜ生きているのか、その意味はまだわからないままだけどね。
 そうだ、ベトコンが作った秘密のトンネル基地へいっしょに行ったことがあるんだけど、その話をしてもいい?」
「聞きたいな」
「わたしがツヨシのアシスタントになって一年くらい経った頃、ようやく戦場へも連れて行ってもらえるようになったの」
 リリィは懐かしそうに遠い目をした。



(つづく)


『ベトナムの風 父の風』 第三話 『その人は丘をのぼって』

2015年08月08日 07時15分15秒 | 純文学小説『ベトナムの風 父の風』

 その人は丘をのぼって


 夏の盛りの丘を歩いた。
 舗装していない土道が夏の陽射しを銀色に照り返す。リリィは白いレースの日傘をさし、僕は自転車の籠にリリィが持ってきた花束と墓参りの道具を入れて自転車を押した。白い日傘と白いアオザイの取り合わせはよく似合う。リリィが歩みを進めるたびに、ゆったりとした白いズボンが風をはらんでふくらむ。蝉時雨がシャワーのように降り注ぐから、僕はじっとり汗ばんだ。
「疲れない?」
 僕は訊いた。
「平気よ。わたしは農村で育ったんだもの。毎日、野菜だとか山菜だとか柴だとかを背負って山道を歩いていたのよ」
 リリィは狭い盆地を見下ろし、
「わたしのふるさとににているわ。山があって、緑があって、鳥がないて、小さな川が流れて、田んぼがあって……。ツヨシもおなじようなところで育ったのね」
 とまぶしそうに目を細めた。
 村の墓所は南向きの斜面にあった。
 山の湧水を引いたホースからバケツへ水を入れ、ひしゃくを突っこんだ。墓地の端の小さな祠にお釈迦様とお地蔵様が祀ってある。僕はお釈迦様へ線香をあげた。僕が拝もうとすると、リリィは手を合わせようかどうか迷った仕草をみせる。
「どうしたの?」
 僕は訊いた。
「わたしも昔はお釈迦様を拝んでいたんだけど、今はクリスチャンになったからお祈りしていいものかどうかわからないの。でも、子供の頃は毎月一日にお寺参りしていたんだから、神様も大目に見てくれるわよね」
 リリィは首をかしげて微笑む。
「大丈夫だよ」
「そうね」
 リリィは僕といっしょに手を合わせた。
 いい香りがする。それはリリィが抱いている白い花の匂いでも、線香の匂いでも、香水のそれでもなかった。とても素朴な香りで気分が落ち着く。気持ちがやすらかになる。それでいて、あこがれを誘うようで心がどきどきしてしまう。これがリリィの香りなんだろうか、とぼんやり想った。
 先祖代々の墓に水をかけ、リリィの花束を花立てに入れた。僕は墓誌に刻んである父さんの名前を彼女に見せた。
「ほんとうにここにツヨシがいるのかしら?」
 リリィは首をかしげる。
「父さんの骨はいちおうこのなかに入れてあるけど。どうして?」
「ツヨシがこのなかにいるような気がぜんぜんしないの。どこかほかのところにいるんじゃないかって」
「父さんはリリィの胸のなかにいるんだよ」
「そうかもしれない」
 リリィははっとした顔をして頰を赫(あか)らめる。
「父さん、友達がきてくれたよ」
 墓石に声をかけて合掌した。
 すすり泣きが聞こえる。
 リリィはつややかな褐色の頰に涙を流していた。つらくてたまらなさそうな泣き顔だ。嗚咽はすぐに号泣にかわった。アオザイに透けた肩が震えている。
「入口のところで待っているから、好きなだけ父さんと話をして」
 僕はリリィにそう声をかけて墓石から離れた。
 墓所の階段に腰掛け、村を見渡した。
 黒い屋根瓦が輝き、田んぼの緑の絨毯がどこまでも続く。豆粒ほどに見える軽トラックが村の外れの養鶏場へゆっくり入った。村を取り囲む森は風にそよぐ。いつもと変わらないのどかな風景だ。村には家族や幼馴染みがいる。ここにいればさびしくはない。
 祖父の跡を継いで農業をしてもよかったのに、どうして父さんはカメラマンになってベトナムへ行っただろう? 僕はぼんやり考え、
 ――戦争は残酷だ。だが、戦争のなかにもきらりと光るやさしさがある。戦争だからこそやさしさの貴さがわかるのかもしれない。
 と、父さんが日誌のなかに記した言葉を想い起こした。
 戦争という極限状態のなかでしかわからない人間性がある。それを探求しようとしたのだろうか? 戦争のなかでほんとうの人間の姿をとらまえようと奮闘していたのだろうか?
 ――言葉は嘘をつく。しかし、写真は嘘をつかない。事実を写し撮るだけだ。
 父さんはこんな言葉も書きつけていた。
 混じりけのないはっきりとした時代の証言を残そうとして撮影を続けていたのだろうか? 真実は人の数だけある。真実は案外、頼りないものなのかもしれない。だけど事実はたった一つだけだ。
 父さんのことを想っているうちに、やがてリリィが戻ってきた。
 リリィの鼻は真っ赤にはれている。彼女が僕の隣に坐ろうとするから、焚きつけ用に持ってきた古新聞の残りを階段に敷いた。
「ごめんなさい、泣いたりして」
「いいんだよ。わざわざ遠くからきてくれて、父さんも喜んでいるよ」
「そうだといいんだけど」
 リリィは自信なさそうにうなずく。「ベトナムから来たの?」と訊くと、リリィは首を横に振り、アメリカから来たのだと言った。今はベトナムからアメリカへ移住して、ロサンゼルスでモデルのアルバイトをしながら美術学校に通っているそうだ。
「サイゴンへ行ってからどうしていたのか、よかったら聞かせてもらえないかな。父さんのことも」
「いいわよ。――ツヨシがカフェのウェイトレスの仕事を紹介してくれたの。給料はすごく安かったけど、農村から出てきたばかりの十六歳の娘ができるような仕事はほかにないし、ぜいたくはいってられなかったわ。住み込みで三食付きだから生活には困らなかった。とにかく、サイゴンでサバイバルしなくっちゃいけないんだもの。屋根のしたで眠ることができて御飯が食べられればもうそれでじゅうぶんだった。
 サイゴンは華やかだった。農村で育ったわたしにははじめてのものばかだったから、びっくりしてしまったわ。街中にいろんなお店があって市場は品物があふれているものね。お店が終わってからみんなで夜店へ行ってバーベキューや山羊鍋なんかを食べたりしたし、ときどきディスコにも連れて行ってもらったわ。村で暮していた頃は、夕方の六時に夕御飯を食べて、それから囲炉裏のそばで同い年くらいの女の子とちょっとおしゃべりして、九時にはもう眠りにつく生活だったのに、サイゴンでは毎日お祭りのなかにいるようなものよ。でも、わたしはさびしかった。外のにぎやかさを感じればかんじるほど、わたしはひとりぼっちだって思ってしまったの。運命ががらりと変わってしまったことについていけなかった。
 ツヨシはいつもわたしをなぐさめたりはげましたりしてくれた。サイゴンには親戚も知り合いもいないし、心細くてしかたなかった。ツヨシがお父さん代わりになってわたしの面倒を看てくれたのよ。わたしが勤めたところは、バドワイザーやハイネケンが置いてあって、ハンバーガーやスパゲティを出す外国人向けの店だった。外国人のお客さんから注文を取るのはなんだか不思議な感じがして面白かったわ。そのうちすこしずつ英語や日本語を覚えてちょっとした世間話ならできるようになって、お客さんと話をするのが楽しかった。
 もちろん、嫌なことだってあったわよ。
 戦場から還ってきたアメリカ兵は気が立っているから、お酒に酔って暴れだす人がわりといたの。ウェイトレスをむりやりトイレへ連れこんで乱暴しようとする人もいたりして怖かったわ。そんなことがあるたびに、この人たちはわたしの家族を殺したんだって思い出さずにはいられなくて、落ちこんで憂鬱な気分になった。
 いちどだけだけど、わたしはお店のなかでアメリカ兵を殺そうとしたことがあったの。へべれけに酔っ払った兵隊が『ベトナム人を皆殺しにしろ』って繰り返し叫びながらお店のなかにいた人を片っ端から殴りつけようとするものだから、わたしは目がくらくらして、村を焼かれたあの日の光景が目の前に甦ってきちゃった。煙を出して燃えるわたしの家、機関銃の音、村人の叫び声、血まみれの死体――思い出したくないことばかり走馬灯のように次からつぎへと目の前に見えるのよ。はっと気がついたら、ツヨシがわたしの手首を掴んでいた。わたしはその人の後ろに立って背中にナイフを突き刺そうとしていたのよ。ツヨシはわたしの手からナイフを奪ったわ。ツヨシがとめてくれて助かった。そうでなかったら、ほんとうに彼を殺していたかもしれない。
 そんなことがあってから、わたしはいろいろ考えたわ。わたしがナイフで刺そうとしたのは、やっぱりアメリカ兵が憎いからなのよ。心のおくにとてつもない怒りが渦巻いていて、一度怒りが噴き出してしまったら、わたし自身どうにもとめることができなくなってしまうのよ。あんなことをしようとしたわたし自身が怖かった。わたしはすっかり混乱してしまって、ずっとツヨシに話を聞いてもらったわ。ツヨシにひどいことを言ったり、こぶしで胸をどんどん叩いたりしてしまったけど、ツヨシは辛抱強くわたしを受けとめてくれた。
 家族に会いたくてたまらなかった。ひょっとしたら、わたしの家族は生きているんじゃないかって、おとうさんやおかあさんやきょうだいに会えるんじゃないかって、そんなことばかり想うようになったわ。家族が生きていることがわかれば、胸のおくに抱えたつらい憎しみが消えてくれるだろうって、そんなふうに考えたの。
 それでツヨシが調べてくれたんだけど、やっぱりわたしの家族はあの日皆殺しにされてしまったみたいなの。でも、わたしはどうしても信じたくなくて、ツヨシに頼みこんでふるさとまで連れて行ってもらったわ。とちゅうで爆撃があったり、銃撃戦をやっているすぐそばをとおったりしてけっこう危なかったんだけど、ツヨシのおかげでなんとかふるさとにたどりつくことができた。
 村に着いたのは霧の深い朝だった。あたり一面、ミルクを流したみたいに白く染まっていたわ。ツヨシがいっていたとおり、村は廃墟だった。悪霊がすべてを壊していったのね。家は焼け爛れたまま放置されて誰もいないの。人だけじゃなくって、犬も水牛もにわとりも、みんないなくなっていた。少しずつ霧が晴れて、なんとなく村を見渡すことができるようになった。わたしはぶるっと震えたわ。なんともいえない悲しい雰囲気だった。村人たちの叫び声やうめき声がまだあたりに満ちているの。顔をゆがめながら助けてって叫ぶ声がいつまでも村のなかでこだましているのよ。戦争さえなければ、あのままのんびり過ごせたはずなのに。きれいに暮してゆけたはずなのに。
 わたしの家はすっかり焼け落ちていた。真っ黒に焦げた材木があたりに散らばっていたわ。せめて家族の写真だけでも残っていないかなって探したんだけど、どこにもなかった。鍋や釜や鋤は鉄でできているから残っていてもいいはずなんだけど、それもきれいに消えていたわ。おかあさんが嫁入りのときに持ってきたきれいな翡翠の腕輪もなかった。誰かが取っていったのね。村のなかで変わらなかったのは小川くらいかな。村も田んぼも荒れ放題だったけど、村を流れる小川だけは昔とおなじようにきれいな水が流れていたわ。あめんぼが川面で散歩して小さな波紋を作っていた。
 それから、近くの村へ行って親戚を訪ねたの。おじさんとおばさんが家族の最期を教えてくれたわ。みんな納屋のなかで折り重なって斃(たお)れていたそうよ。隠れていたところを見つかって銃で皆殺しにされたみたい。わたしの家族はなにもしていないのに、幼い子供まで殺してしまうだなんておかしいわよね。むごいわ。おじさんがわたしの家族の遺体を埋葬してくれたそうよ。
 わかっていたといえばわかっていたことなんだけど、わたしが勝手な夢を描いていたといえばそうなんだけど、つらい事実を確認するのはたえがたいことだった。ツヨシに助けてもらったときからその日までずっと涙をがまんしていたけど、とうとうこらえられなくなっちゃった。わたしはおばさんのひざにうずくまって泣いた。おばさんはわたしを抱きしめてやさしく背中をさすってくれたわ。
 村育ちのわたしにサイゴンみたいな大都会でずっと暮らしなさいっていわれても、むりよ。村の暮らしなんてほんとにシンプルだけど、都会は複雑だもの。村にいればお金なんてすこししかなくてもちゃんと暮していけるけど、都会はなにをするにもまずお金がいるものね。わたしみたいな田舎娘には、お金がないとなんにもできないというのはなんだか不自由で窮屈な感じがしたわ。人間関係もこみ入っているし、お店であんなことがあって精神的にも参っていたし、わたしはおじさんとおばさんのところに残ろうかと迷ったの。だけど、ふたりはこのあたりは危ないからサイゴンへ戻りなさいっていったわ。わたしの村といつおなじことが起きてもおかしくないって。それに、戦争で働き手が減ってしまって村の生活もたいへんだから残ってもいいことはないだろうって。わたしはおじさんとおばさんがすすめたとおり、サイゴンへ戻ることにしたわ。
 最後に家族のお墓をお参りした。土を盛って木の板に名前を書いただけの簡単なお墓だった。『わたしだけ逃げてしまってごめんなさい』ってあやまったわ。みんな死んでしまったのに、わたしだけ生きていることがすまない気がしてしかたなかった。助けてあげられたらよかったのだけど」
「リリィが悪いわけじゃないよ。生き残ってくれて家族の人も嬉しいと思うよ」
「ツヨシもおなじことを言ったわ。でも、ひとりだけ生き残ってしまうとどうしても罪悪感がつきまとうものなのよ。サイゴンへ帰ってからわたしは抜け殻みたいになって、ぼおっとしてしまうことが多かった。お店が忙しいときは、仕事で気がまぎれるからいいんだけど、ひまになって手持ち無沙汰になると心の底から怒りがじわっと湧いてくるの。わたしは自分の心に抱えた憎しみをもてあましたわ。
 ツヨシはつらくても現実を受け容れるしかないんだよって繰り返しわたしにいった。わたしもそうするしかないんだって思うようにした。ツヨシのいうことが正しいというのはわかるの。だって、ふるさとへ帰ってこの目で村や家族がどうなってしまったのかを見たんだもの。ツヨシは現実を受け容れなかったら人生が始まらないし、そうしないと結局は自分自身を損なってしまうんだよってさとしてくれた。わたしたちは憎しみについてよく話をしたわ。
『憎しみは心をむしばんでしまう。だから憎しみを克服する道を考えなさい』ってツヨシはなんどもいってくれた。『カフェで暴れる人たちは憎しみで心が腐ってしまったから、あんなことをするんだ。リリィも憎しみに飲みこまれてしまって、もうすこしでとんでもないことをするところだった。でも、そんなふうにはなりたくないだろう』って。ツヨシのいうことはもっともだと思ったわ。
 たぶん、ふだんはみんな善良な人なのよね。でも、戦場で暴力にされされて、敵をたおすために暴力を振るって、そんなことを繰り返しているうちにおかしくなってしまうのよね。それに、あのアメリカ兵にしても好きこのんでベトナムへ戦争しにきたわけじゃないんだし。人を傷つけるのは弱いからのなのよ。弱いのはだれもおなじ。そして、みんなおなじ人間なのよ。今はもうアメリカ兵を憎いと思ったりしないわ。ただ悲しいだけ」
「憎しみが消えてよかったね」
「そうね。ツヨシのおかげだわ」
 リリィはこくりとうなずいた。



(つづく)

『ベトナムの風 父の風』 第二話 『白いアオザイの女』

2015年08月06日 07時15分15秒 | 純文学小説『ベトナムの風 父の風』

 白いアオザイの女


 夏休みだった。
 中学二年生の僕は、部活から帰ってきて仏間で宿題を広げていた。自分の部屋も勉強机もあったけど、襖と障子を開け放った仏間は広々と感じるし、縁側から風が吹き抜けてさわやかだから、僕は仏間で寝転んで本を読んだり卓袱台を引っ張ってきて宿題をするのが好きだった。僕は英語の例文集を睨みつけてはざらばん紙の裏に書き写し、片っ端から暗記していった。覚えるのに疲れると庭に咲くアメリカデイゴの赤い花をぼんやり眺め、インスタントコーヒーと牛乳を混ぜた手作りのコーヒー牛乳をひと口すすり、それからまた例文集に集中した。
 チャイムが鳴る。
 僕は中元の配達だろうと思いながら玄関へ出た。僕のふるさとは山に囲まれた盆地のなかの農村だ。みんな知り合いだから誰もチャイムなんて鳴らさない。勝手に玄関をあけるか、庭へ入ってきて大声で呼ぶ。
 扉を引いた僕ははっと息を飲んだ。
 とても恥ずかしくなった。
 目の覚めるような純白のドレスを着たベトナム人の女が立っている。
 ドレスはベトナムの民族衣装のアオザイだ。白い立襟が格好いい。薄絹が上半身の線をくっくり浮かび上がらせ、はちきれそうな胸と引き締まった腰を強調していた。セクシーな上半身とはうらはらにズボンはたっぷりとしている。ラッパのようにゆったり広がった袖口と足元から腰のあたりまで深いスリットの入った丈が優雅だ。生地がとても薄いから、ブラジャーもすらりとした足も透けて見えた。
 その人はふっと懐かしそうに微笑み、
「こんにちは。マモル君ね」
 と、いささか舌足らずな日本語で挨拶する。
「初めまして。どうして僕の名前を知ってるの?」
 僕はどぎまぎした。
「あなたのお父さんのともだちだったの。わたしはリリィ。ツヨシはよくあなたの写真を見せてくれたわ。これくらいの子どもだったのに」
 彼女は手のひらで腰の辺りの高さを示す。
「ずいぶん立派になったわね」
 その時になってようやく僕は、彼女が白い花束を抱えていることに気づいた。
「父さんの墓参りにきたの?」
「そうよ」
 リリィはこくりとうなずく。
「とにかく上がってよ」
 僕は手招きした。
 彼女を仏間へ通して来客用の座布団に坐ってもらい、台所へ行ってカルピスを二杯作った。心臓がどきどきしてしかたないから、カルピスを一気に飲み干してもう一杯作った。
 お盆にコップを並べて仏間へ入ると、リリィは欄間に飾った父さんの遺影を眺めていた。
「ツヨシにはとてもお世話になったの。子どもだったわたしを守ってくれたわ。ツヨシがいなかったら、わたしはとっくに死んでいた」
 リリィは、朝露のようにしっとり光る瞳で僕を見つめる。
 木の実のような眼が開き気味で可愛らしい。すこしめくれた上唇が蠱惑的(こわくてき)だ。低い鼻梁に横に丸く広がった鼻ときれいな褐色の肌がいかにも亜熱帯の民族らしかった。顔立ちは全体的にゆったりしているのだけど、勁(つよ)い視線はいつも対象を見つめながらその本質を探っているかのようだ。画家か写真家のまなざしだった。
「父さんとはどうやって知り合ったの?」僕は訊いた。
「わたしの村が戦場になったとき、ツヨシが助けてくれたの。わたしは十六歳だった。アメリカ軍が村のベトコンを殺しにきたんだけど、ツヨシも従軍カメラマンとしてアメリカ軍についてきたのよ」
「戦場で出会ったんだ」
 僕は、びっくりしたというよりも、いささか感動した。戦いの最中にこんなきれいな人と知り合うだなんて、まるで映画みたいな話だ。父さんはベトナムでいろんなことを体験したんだろうなとぼんやり想像していたけど、そんなドラマチックなことがあったとは思いもしなかった。
「戦場ってどんな感じなの? ごめん。こんなことを訊いていいのかな?」
「いいわよ。話してあげる。――戦場はすべてが見放される場所。愛から見放されて、悪霊だけがうろつき回るのよ」
「悪霊――」
「そう、善いものが追い払われて、悪霊の楽園になるの。白い闇につつまれるのよ」
 リリィの目がすうっと細くなり、宙に浮かんだ亡霊を睨みつけるような怖いまなざしをする。僕が思わず怖気を震うと、
「おどかすつもりはなかったの。ごめんなさい」
 と、リリィは申し訳なさそうな、僕のことを心配したような色を目に浮かべる。
「怖くなんかないよ」
 女の人に意気地なしと思われたくないから、僕は強がった。リリィは話を続けた。
「わたしは畑仕事をおえて村へ帰るとちゅうだった。村のほうからものすごい物音が聞こえて、ライフルを手にしたアメリカ兵の走り回る姿が遠くに見えたわ。わたしはとうとうきたんだって、わたしの村にもきちゃったんだって思って、呆然としてしまった。あちらこちらの村が襲われたことはいろいろ話に聞いていたし、村の人はみんないつ戦場になってもおかしくないって毎日のように話し合っていたから覚悟はしていたんだけど、いざそうなってしまうとなにも考えられなくなってしまうものなのよね。アメリカ兵の姿がスローモーションみたいにゆっくり動いて、村のなかからぱっと煙があがった。
 ――逃げなさい。
 お母さんの声が頭のなかに響いて、わたしははっと我に返った。たぶん、ぼおっとしていたのはほんの短い間なんだろうけど、ずいぶん長い時間そうしていたように感じたわ。わたしは急いで道の横の斜面を滑り降りて、茂みのなかに隠れてうずくまった。機関銃の音や村人の叫び声がずっと続いていたわ。怖かった。頭のなかはもう真っ白になってしまって、体は震えっぱなしだった。膝ががくがくしてとまらないし、歯の根が合わなくなって歯がずっとかちかち叩きあうの。わたしはお父さんお母さんを助けてください、村の人みんなを助けてくださいって、心のなかで繰り返しくりかえし何度もお祈りをしたわ。心臓を鷲摑みにされたみたいで、ぎゅっと体を踏み潰されてしまったような気持ちになって、助けてくださいってそれだけしか言葉が浮かばないの。
 突然、なにかがわたしにぶつかって、わたしは息がとまった。胸が破れそうなくらい動悸がして、頭のなかにまで波打つ心臓の鼓動が響くの。恐るおそる眼を開けたら、アメリカ軍のヘルメットをかぶった男の人が腰を押さえてうなっていた。男の人は道から転げ落ちてしまったみたい。殺されてしまう、逃げなくっちゃって心は叫ぶんだけど、足の力がまったく抜けて動こうにも動けなかった。
 男の人はわたしに気がついて、わっと一声叫んであわてて飛びのいたわ。でも、すぐににこっと笑って、胸にさげていたカメラを手にもって揺らすの。『ほら、ぼくは兵隊じゃないよ』って感じで。それがあなたのお父さんのツヨシだったのよ。ツヨシはすぐにわたしの写真を何枚か撮ったわ。これがそのときのよ」
 リリィはハンドバックから古ぼけた写真を出した。丸い菅笠をかぶった素朴な少女がジャングルの茂みで坐りこんでいる。泥だらけの顔はじっと息をこらえ相手の様子を窺う。彼女の心の叫び声が聞こえてきそうだ。恐怖と困惑がないまぜになった複雑な眼をしていた。彼女の足元には竹で編んだ背負い籠が横倒しになり、なかから飛び出たとうもろこしがあたりに散らばっていた。
「出会ったのがツヨシでほんとうによかったわ」
「もし父さんじゃなくて、本物のアメリカ兵だったらどうなっていたの?」
 僕は写真をリリィへ返した。
「まず殺されていたでしょうね。アメリカ兵はゲリラのベトコンと一般のベトナム人の区別がつかないものだから、ベトナム人はみんな殺してしまえという感じだったもの。皆殺しにされるかもしれないっていう恐怖感はそれを味わったことのある人にしかわからないものかもしれないけど、さっきわたしが話したことは大げさでもなんでもなくてほんとうよ。だから、ツヨシが急に真剣な顔になって、こっちへおいでって手招きしたとき、わたしはとまどってしまった。
 悪い人ではなさそうだけど、アメリカ軍といっしょにやってきた人をどこまで信じていいのかわからなかった。外国人はみんな敵だって思っていた。でも、隠れていてもそのうちアメリカ軍に見つかって殺されてしまうかもしれないし、ひとりでどうしていいのかもわからなかった。どうしてあんな決心をしたのかわからないけど、ツヨシが早くって腕を差し出したとき、わたしはとっさにツヨシの胸に飛びこんだの。たぶん、この人なら信じていいのかもしれない、守ってくれるかもしれないって思ったのでしょうね。
 今から思えば、あのとき、わたしの人生がほんとうに始まったんだわ。わたしは村で生まれて村で育った。十八くらいになったらお嫁に行って、子供を産んで子供を育てて、そのままずっと村で暮すはずだった。よそへ行こうなんて思ったこともないし、自分の村以外の世界なんて想像したこともなかった。ましてや、外国の人と友だちになったり、外国へ行ったりするだなんて思ってみたこともなかった。村と村の人たちがわたしのすべてだったの。
 ツヨシとの出会いを振り返ると、まるで奇蹟が起きたみたいに感じてしまうわ。見ず知らずの外国の人なのに、ツヨシは彼の隣人としてわたしを選んでくれて、わたしはわたしで、わたしの隣人としてツヨシを選んだのよ。あのときは気づいてもいなかったけど、たぶんわたしは神様から大切な贈り物を受け取ったのね。新しい出会いと新しい人生よ。そんなことはめったにあるものじゃないわ」
 リリィはいただきますと小さな声で言い、カルピスのストローに口をつけた。ストローに口紅の跡が残る。
「それからどうしたの?」
 続きを聞きたくてしかたなかった僕はせきこんだように訊いた。
「ツヨシに手を牽かれて村までもどったのだけど、悲惨だったわ。
 村は焼かれて煙と火薬と血の匂いが立ちこめていた。村人の死体がそこらじゅうに転がっているの。みんな子供の頃から知っている人たちばかりよ。村のおばあさんやおじさん、幼馴染の友だち、生まれた時から知っている村の子供たち。みんな血を流して倒れてた。さっきも言ったけど、白い闇のなかにいるみたいだった。悲しみ、痛々しい叫び声、あきらめ、無念さ――そんな感情があたりに渦巻いて、わたしの肌を凍らせるの。
 わたしの家は燃えていたわ。ツヨシの手を振りほどいて家へ戻ろうとしたら、ツヨシはわたしの手を強く握ったまま悲しそうに首を振ってがまんしなさいって諭すようにじっとわたしを見つめるの。ふりかえってはいけないだって、泣いちゃいけないだってわかった。いまふりかえったり泣いたりしたらすべてが終わってしまうんだって。わたしは唇を嚙んでうつむいてツヨシの後についていったわ。
 とちゅうでアメリカ軍の兵隊にライフルの銃口をほっぺたに突きつけられたりして怖かったけど、ツヨシのおかげでどうにか切り抜けることができた。米軍のトラックにいっしょに乗ってサイゴンへ行ったの。あとになって聞いた話だけど、ツヨシが仲のいいアメリカ軍の将校に頼んでわたしをアメリカの協力者だということにしてもらって、わたしがぶじにいられるように取り計らってくれたらしいわ」
 リリィは父さんの遺影を見上げ、ほっとしたように頰をゆるめ、
「わたしはすべてを失ったけど、そのかわり、ツヨシと出会えたわ。あの時死んだはずだったわたしがツヨシのおかげで生まれ変わることができたのよ」
 と静かに微笑んだ。
 彼女のほほえみに誘われてか、突然、僕は心の底から嬉しさがこみあげてきた。はじめて父さんがなにをしていたのかを教えてもらえた気がした。もちろん、父さんはベトナムのことをいろいろ話してくれたし、僕は父さんが遺した写真を何度も眺めた。だけど、父さんは幼い僕に理解できることしか話さなかったし、写真にしてもたんに父さんの足跡の表面をなぞったにすぎかった。リリィの話は父さんのベトナムでの息遣いを伝えてくれた。父さんがひとりの人間の命を救い出し、その人の人生を変えてしまうような強烈な影響を与えたとは考えたこともなかった。写真を見ただけではわからないことだった。そんな父さんがちょっぴりヒーローに思える。誇らしかった。
「お墓へ案内するよ」
 僕は立ち上がった。



(つづく)

『ベトナムの風 父の風』 第一話 『ベトナムの風』

2015年08月04日 07時16分00秒 | 純文学小説『ベトナムの風 父の風』

 ベトナムの風

 使い古した莚から褐色の足首が出ている。
 二本の足首は亜熱帯の勁(つよ)い陽射しを艶やかに照り返し、まるで喧嘩別れでもしたみたいにそれぞれ不自然な方向へ向いていた。檸檬色のビーチサンダルが足元にひっくり返っていた。
 莚は灰色に変色して四周の端がぼろぼろにほつれている。強い風が吹けばばらばらになってしまいそうだ。足首の反対側では赤錆色の血が流れ、焼けたアスファルトの上にどろりと溜まっていた。僕は、父さんの遺したベトナム戦争のドキュメンタリー写真を想い起こした。
「ハイティーンの男の子だわ。かわいそうに」
 イファが悲しそうに小さな口許を手で押さえた。イファは小柄でのんびりとした面差しの女の子だった。つぶらな小さな瞳をしていて、時折、ふと少女のようなあどけないまなざしをする。真面目でやさしい中学生の女の子がそのまま大人になったようだ。彼女は暑い国ばかり半年ほど旅行していたそうで、顔は幾重にも日焼けしている。インドで買ったという鮮やかな柄の更紗を腰に巻いていた。
「見たの?」
 僕は訊いた。
「うん、さっきね。――マモルが来るちょっと前に農夫が莚を持ってきたのよ。それまでは倒れたままだった」
 一〇〇ccの赤いバイクが莚の傍に転がり、砕け散ったヘッドライトの破片がきらきら光る。ハンドルが不気味にひしゃげ、へこんだエンジンからオイルが滲み漏れていた。バイクの前には、黄色いダンプカーがハンドルを切って斜めになったまま停まり、ほかの車に通せんぼをしていた。
「筵の周りだけ、時間が止まっているみたいだね」
 僕がつぶやくと、
「とまっているわよ。男の子は死んだんだもの」
 と、イファはひっそり合掌する。
 父さんがこの国で死んだ時も、こんな風に莚を掛けられていたのかもしれない。そう思うと胸が疼く。いたたまれなくなった僕は筵から目を逸らした。青い稲が揺れる田圃のなかにアスファルト道が向こうの丘へ真っ直ぐ延び、バスやトラックが数珠繋ぎに並ぶ。遠くで陽炎が揺れた。深く澄んだ蒼穹にちぎった真綿のような白い雲がぽつりぽつり浮かんでいた。
 お揃いの赤い野球帽を被ったベトナム人の若い男が二人、見物人の輪に割りこんだ。二人ともかなりの長身でTシャツに短パン姿だった。面白おかしそうに莚を指差しては長い腕を振り回し、大きな声で愉快そうにはしゃぐ。
「時間がかかりそうだね」
 僕は言った。ベトナムでは交通事故の時、車を道の脇へよせたりせず、そのままの状態で警察の処理が終わるのを待つのだといつか父さんが言っていたことを思い出した。
「警察が男の子の家族を捜しているんですって」
 イファはかすれた声で言い、筵をじっと見つめたまま身じろぎもしない。
 僕は今朝、カンボジアのプノンペンでサイゴン行きツーリストバスに乗った。十一人乗りのミニバスが二台用意してあって、乗客は全員外国人のバックパッカーだった。東洋人もいれば西洋人もいた。席に坐って出発を待っていると旅慣れた感じの女の子が、
「アニョハセヨ」
 と、韓国語で僕に声をかけて隣に腰掛けた。それがイファだった。
「Hi, I`m a Japanese」
 僕がほほえみながら英語で返すと、イファはびっくりした顔をして小さく舌を出し、「Sorry」と照れ笑いした。
「食べて」
 イファはビニール袋に入れたフランスパンを僕に勧める。フランスの植民地だった影響からプノンペンの街角ではあちらこちらでフランスパンを売っていた。
「ありがとう。でも、いいよ。さっき朝食を食べたばかりなんだ」
 僕は断ったのだけど、
「遠慮しなくていいから。男の子はたくさん食べなくっちゃいけないのよ」
 と、イファは僕にフランスパンを手渡した。焼き立てのパンは温かい。僕は礼を言ってフランスパンを齧った。お腹が温まったおかげで、今日はついにベトナムへ行くんだぞと昂(たかぶ)っていた気持ちがほっこり落ち着いた。
 プノンペンを出発してから舗装の壊れたひどい道を走って河をフェリーで渡り、またでこぼこ道を走った。プノンペンから離れればはなれるほど道は悪くなり、窓ガラスが土煙に濁る。僕とイファはアンコールワットやプノンペンでの旅の体験を楽しくおしゃべりしていたのだけど、そのうち悪路にくたびれてしまい二人ともぐっすり眠りこんだ。
 プノンペンから七時間ほど走り、午後二時頃、ようやくベトナム国境に着いた。僕は揺れと暑さでくたくただった。バスを降りて重いバックパックを背負いながら徒歩で国境(ボーダー)を越え、待機していたベトナム側のバスに乗り換えた。こちらは大型の観光バス一台だった。出発して十分ほど走ったところで、バスはトラックの列の最後尾について停まってしまった。十分経っても走り出す気配がないから、僕はどうなっているのだろうと様子を見にきたのだった。
 野次馬が増えた。地元のベトナム人もいれば、ツーリストバスの乗客もいる。
 イファは、プロレスラーのような逞しい体格をした西洋人の若い女の子に話しかける。彼女はまぶしい金髪を兵隊のように短く刈り込み、迷彩色のタンクトップにアーミーパンツで身をかためていた。
「スウェーデンからきたんだって」
 イファは僕に言い、
「こちらはジャパニーズよ」
 と、僕を紹介した。
「にているねえ。コリアンもジャパニーズも見わけがつかないよ」
 スウェーデンの女の子が野太い声で愉快そうに笑うと、
「わたしも区別がつかないのよ。けさだってマモルのことを自分の国の人と間違えちゃったし」
 と、さっきまでショックを受けて悲しそうにしていたイファもようやく笑った。
 赤い野球帽のベトナム人たちがスウェーデンの女の子を指差し、なにごとかを陽気に話しかける。彼女が手を振ると、ベトナム人の二人は両手を頭の上で叩いて欣(よろこ)んだ。一人が腕を上げて二の腕に瘤を作ってみせる。彼女は、負けないよとでも言いた気な顔でウエイトリフティングのポーズを作った。
 突然、赤い野球帽の一人がしなやかに身を躍らせ、莚をさっと捲った。
 莚は想いの外、高く舞い上がる。
 仰向けの死体は腰のあたりから下が折れ曲がり、かっと眼を見開いたまま首を横に向けている。莚はふわりと影を落として覆い被さったのだけど、莚の位置がずれて血糊のこびりついた側頭が露(あらわ)になった。僕は死んだ男に近づき莚を正した。アスファルトが焼けついているから、血の焦げた匂いがした。
 野球帽のベトナム人たちは自慢げに拳を突き上げ、二人でハイタッチをしてはしゃぐ。
 ――死体を弄ぶだなんて。
 僕は首を振り、見物人の輪を離れた。
 道路の端に立って水田を見渡すと、竹で編んだ円錐形の菅笠をかぶった老人が膝上ほどの高さに並んだ稲のなかでせっせと草抜きをしている姿が見えた。田圃の向こうには瓦で屋根を葺いた高床式の家が建ち、誰かが軒先に吊り下げたハンモックで昼寝をしている。僕はひとつ伸びをしてから、心に刺さった何かを抜こうと深く息を吸った。強く青く、稲の匂いがする。
「ベトナムは好いわね」
 イファが肩を並べた。
「そうだね」
 僕はあいまいに相槌を打った。
「道が舗装してあるし、稲も植わっているわ。なんだかベトナムへくるとなにもかもが急に明るくなったみたい」
 カンボジアはすべてが赤茶色に染まり荒涼としていた。田圃も畑も道も荒れ果てたままだった。ベトナムもカンボジアも降り注ぐ陽光は同じはずなのに、国境を跨いだだけでイファの言うとおりなにもかもが変わった。
 そよ風がやさしく吹く。
「好い風ね」
 イファが腕を広げるから、僕も同じようにしてみた。
 瞳を閉じて体いっぱいで風を受ける。
 爽やかな風の粒が身体を吹き抜ける。
 ベトナムの風は軽やかだ。まるで森林浴をしているみたいで空気がおいしい。僕の田舎も空気のきれいなところだけど、こちらのほうが味わいが深いような気がする。森や林に植わっている木の種類が多いほど空気は味わいを増してよりおいしくなる。たぶん、このあたりにはいろんな木が生えているのだろう。
 父さんはきっと、ベトナムのこの風が気に入ったに違いない。
 この風を好きになってベトナムと関わり続け、この国で死んだのだろう。仏間の額縁で三十七歳のままでいる父さんの顔を想い浮かべた。僕が子供の頃、父さんはベトナムから帰ってくると土産物に買ってきた竹細工の玩具で一緒に遊んだり、ベトナム産の蜂蜜を一緒に舐めながらベトナムの話をしてくれたりしたものだった。
 ふと眼を開けると、七歳くらいのベトナム人の少年が僕たちの横で真似をしていた。少年と眼が合う。彼は白い歯を出して笑った。肌の色が濃いぶん、歯の白さが際立つ。それが少年の健やかな笑顔を一層まぶしいものに見せていた。少年はいい遊び相手を見つけたという風に甲高い声でなにごとかを言い、じれったそうに僕の腕を取ってじゃんけんの仕草をした。僕がグーを出すと少年はパーを出して勝ったと喜ぶ。後出しなのに無邪気にはしゃぐ彼がかわいかった。
 僕は少年とイファにあっちむいてほいを教え、三人で遊んだ。
 じゃんけんで勝った時、トンボを捕まえるように指をぐるぐる廻してどこへ向けるのかわらないようにした。少年は厚い唇を嬉しそうに結び僕の指の動きを追いかける。
 さっと上へ向ける。
 少年はつられて空を仰ぐ。
 とびきりの笑顔が弾けた。
 しばらくそうして遊んだ後、少年は「もう行かなきゃ。また遊んでね」というようなことを元気よく言って駆け去った。
「かわいい子ね。うちの甥っ子みたいだわ」
 イファは楽しそうに肩をゆらして目を細める。
 少年はふと立ち止まって振り返り、ちぎれんばかりに手を振った。僕とイファも「元気でね」と叫びながら手を振り返した。彼と出会い、じゃんけんをして遊ぶことはもう二度とないのだろう。一期一会。少年の後姿が愛しかった。
「のどが渇いたね。なにか飲もうよ」
 僕はイファを誘って道端の小さな売店へ入った。
 竹で作った粗末な小屋の軒先に冷蔵庫を置き冷たい飲み物を売っている。店の棚には缶詰や蚊取線香や洗剤といった日用雑貨が並んでいた。僕とイファはガラス瓶のオレンジジュースを買って店先の長椅子に座った。椰子の葉で葺いた屋根が張り出して日蔭になっている。日向(ひなた)にいると汗ばむほどだけど、蔭へ入れば涼しかった。
 透明な瓶にストローを挿す。
 子供の頃に駄菓子屋で飲んだような甘ったるい味だった。
 イファはジュースを飲みながらサイゴンへ着いてからのことを話し始めた。バスはサイゴンのファングーラオ通りという安宿街に着くらしい。そこには一泊三ドルのゲストハウスが軒を連ねているので、陽が暮れてからサイゴンへ到着しても宿に困ることはないそうだ。
「ベトコンツアーが面白いって聞いたわ。クチトンネルっていうベトナム戦争のときにベトコンが掘った地下トンネルへ入るんだって。そこがベトコンの基地になっていたそうよ」
「そういえば、僕の父さんがそのトンネルへ入ったって話してくれたっけ」
「お父さんもベトナムを旅行したことがあるの?」
「旅行じゃなくて、仕事でしょっちゅうきていたんだ」
「旅行ガイドなの?」
 イファは楽しげにころころと笑った。
「戦場カメラマンだったんだ。ベトナム戦争を撮影していたんだよ」
「すごいわね。銃弾のなかを潜り抜けるなんて、ジャパニーズスピリットの塊ね」
「そんなんじゃないよ。どこにでもいるごく普通の人だよ。でも、ベトナムから帰ってくるとちょっと怖かったかな。そばに近づくとなんだか怒られているような気がしたもの。たぶん、父さんは戦場の匂いをまとって帰ってきたんだろうね。いっしょにお風呂に入ったら、肩や足に針で縫った痕があったりしてさ、父さんは帰ってくるたびに傷を作ってたよ」
「いまもベトナムの写真を撮っているの?」
「ずいぶん前に逝っちゃった」
「ごめんなさい」
「いいんだよ。戦争が終わってからも父さんは日本とベトナムを行ったり来たりしてベトナムが復興する姿を撮り続けていたんだけど、戦争の四年後、サイゴンで強盗に襲われてしまった。僕は父さんがベトナムの話をしてくれるのをいつも楽しみにしていたんだ。『お前がもうすこし大きくなったら、もっといろんな話をしてあげるよ』って言ってくれてたけど、話を聞くことができなくなっちゃった」
「お父さんを偲(しの)ぶ旅なのね」
「そうなんだ。正直言って、今までベトナムには複雑な想いもあったし、おっかないところだと思っていたけど、この頃、父さんが遺してくれた写真を見ながら、父さんはなにを話そうとしてくれてたんだろうってよく考えるようになったんだ。ここへくれば父さんが話そうとしていたことがすこしはわかるかなって思って、それで思い切ってベトナムを旅することにしたんだよ」
「お父さんの声が聞こえればいいわね」
「そうなればほんとにいいな。――父さんのことを教えてくれた人もいたんだけどね。父さんが死んでから四年経った頃、父さんの友人だったベトナム人が訪ねてきていろいろ話してくれたことがあったんだ」
「日本まで?」
「うん。わざわざ遠くから来てくれたんだ。その時の話を聞いてくれるかな」
「もちろんよ」
 イファは穏やかにうなずく。
 この話は今まで誰にもしたことがなかった。
 少年時代からずっと胸の奥にしまっていたことだった。だけど、今はどうしても誰かに話したかった。イファが話を聞くと言ってくれたおかげで、気持ちが楽になった。ジュースをもう二本買って一本をイファに手渡し、僕は話し始めた。



(つづく)

ベトナムの風 父の風   はじめに

2015年08月04日 07時15分15秒 | 純文学小説『ベトナムの風 父の風』
 本作は『小説家になろう』サイトで投稿した小説です。
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