風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

迎え火

2013年06月29日 16時05分26秒 | 短編小説

「はじめよっか」
 ハルは庭の片隅に小さく積んだ薪の下へ使い終えた割り箸の束を挿し入れた。ヒロシは黙ってマッチを擦り、丸めて棒にした新聞紙に火を点けた。片隅に小さく上がった炎がめらめらと広がる。
「火傷するよ」
 ハルがぽつりと言うと、
「わかってるよ」
 と、ヒロシもぽつりと返事して新聞紙の松明を薪の下へ突っこむ。炎が割り箸へ移り、新聞紙の燃えかすが灰となって舞う。乾いた音を立てて割り箸が爆ぜた。
 蒸し暑い真夏の夜だった。
 木綿の浴衣を羽織っているだけなのに、じっと汗ばんでしまう。ふたりはそろいの浴衣を着ていた。模様は咲き乱れる夕顔だった。
 ハルの部屋からこぼれる蛍光灯の灯りだけがぼんやり庭を照らしている。夜空は厚い雲に覆われ、月影も、星一つさえ見えない。台風が近づいていると、ラジオのニュースが言っていた。
 ハルの家のささやかな庭には樅《もみ》の木がそびえ、焼き板の塀沿いにつつじの植えこみがあった。裏木戸のすぐそばに古い蔵が建っている。ヒロシがはじめてハルの制服のリボンを解いたのは、農具がならべてあるそのなかでだった。幼い頃に隠れんぼをして遊んだ蔵がふたりの愛の巣になった。
 テラスには、雨樋から地面までネットが張ってある。蔦が縦横無尽にからまって緑の葉が茂り、葉っぱの陰から瓢箪の青い実が顔を覗かせていた。踏み切りの警告音とディーゼル機関車の汽笛が響いてくる。しんと静まった村の空気がかすかにひび割れる。貨物列車のレールの軋みが遠ざかり、やがておぼろになった。
「早く燃えてくれないかな。暗いから道に迷っちゃうよ」
 枝を手にしたハルは地面にしゃがみこみ、薪の下を突っついた。炎色がハルの顔にゆらめく。
 ハルはぱっちりとした目をしたかわいらしい女の子だった。彼女の顔を漫画に描き、キャンディやチョコレートのキャラクターにすれば似合いそうだ。茶髪を頭の後ろへかきあげ、蝶々をあしらった髪留めでとめている。髪留めからぴんと逆さに跳ねた髪が愛らしい。こんがり陽に焼けた頰にそばかすが浮かんでいた。
「あんまり突きすぎると火が消えるよ」
 ヒロシは隣にしゃがみ、小さな肩を抱いた。ハルはおっとり首を傾げ、ヒロシの肩に頭をもたせかける。ハルの髪はリンスのいい香り。小学生の頃、ヒロシはそれがハルの匂いだとばかり思いこんでいた。
 ヒロシの顔はまだあどけなさを残している。やさしげな目許をしているのでよけいにそう見えるのかもしれない。前髪を短く切り、額を広く出していた。永遠の少年という名の能面のような整った顔立ちだった。
 しばらく、肩を寄せ合いながら炎を眺めた。ふたりの顔がしだいに火照る。ふっと炎が大きくなった。ハルの瞳がきらきら瞬く。薪の底が燃え始めた。
「ほら、帰ってきた」
 ハルは誰もいない裏木戸を見やった。
「誰?」
「おばあちゃん。――お帰りなさい」
 まるで通り過ぎる人を見送るように、ハルはゆっくり顔を動かす。ハルは子供の頃から不思議なことをよく言った。霊感が非常に強く、他人《ひと》には見えないものが見えた。
 幼稚園の夏休みのことだった。
 裏山で遊んでいたハルはヒロシやほかの幼馴染とはぐれ、迷子になった。夕暮れまでに見つけなければと村人が急いで捜し回ったが一向に見つからない。ハルは神隠しにあったのだという村人もいた。幼かったヒロシは、このままハルが帰ってこなかったらどうしようと思い、さみしかった。だが、夕闇が空をつつみ蛍が飛び交い始めた頃、ハルはヒロシの心配をよそに、けろっとした顔をして独りで歩いて帰ってきた。ハルが言うには、曽祖父やほかの先祖の霊魂が山の獣道を導いてくれたそうだ。だから、ちっとも怖くなんかなくて、むしろ楽しいくらいだったのだとか。
 小学校へ上がってからはさすがに人前で言うことはなくなったが、ヒロシにはしょっちゅうそんなことを口にした。ヒロシは慣れっこだったものの、誰かにこっそり聞かれてしまわないかとそれだけが心配だった。告げ口されれば、ハルは叱られてしまうから。
 毎年、お盆の初日になると、ヒロシとハルはふたりだけで薪を燃やし迎え火を作った。
 先祖の霊魂はその灯りを目印にして家へ帰ってくる。このあたりの村では、どの家も迎え火を焚いて先祖の魂を迎えた。特別なものでもなんでもなく、ただ庭でささやかな焚き火をするだけだ。もちろん、ヒロシは自分の家の迎え火をやらなければならないのだが、幼い頃にハルに付き添ってと言われてから、いつもハルとふたりで作った。この春、東京の大学に進学したヒロシはお盆にあわせて帰省した。ハルとふたりで迎え火をするために。
「そろそろ花火をしようか」
 ヒロシはハルの額に口づけた。ハルはこくりとうなずく。
 ふたりで手を添え、花火の先を焚き火に挿し入れた。しゅっと音がなり、ジェットのような火花が噴き出す。ふたりでいっしょに円をぐるぐる描くと、ハルはちいさな笑い声をあげた。迎え火の時に花火をするのも、幼い頃からのふたりの慣わしだった。こうすれば、遠い昔、子供の時に死んでしまった霊はとても喜んでくれるのだとハルは言った。
「しず子ちゃんのおじいちゃん。ここはハルのお家よ」
 ハルは裏木戸を見ながらくすくす笑った。しず子も村の幼馴染だった。ヒロシは去年他界した彼の人懐っこい笑顔を思い浮かべた。飄々としていて冗談好きだったしず子の祖父は村の子供たちに人気があった。端午の節句にボール紙で兜を作ってくれたのを、ヒロシは今でも覚えている。
「バイバイ」
 ハルは顔をくしゃっとさせ、親しげなまなざしで手を振った。
 ヒロシはビニール袋から噴水花火の四角い箱を取り出し、火をつけた。すこし離れた地面に置き、ハルのもとへさっと逃げ帰る。花火の噴水が勢いよく飛び出した。白い火花は藍色へと色を変え、それからまた赤色に変わった。庭の草木が明るく照り映える。瓢箪が紅《くれない》に染まる。草の陰から真っ黒な野良猫が顔を覗かせ、不思議そうな面持ちで花火を眺めた。威勢のよい音がしだいにしぼむ。火花の噴水もしぼんだ。
「あっ」
 ハルは声をあげ、さっきまで噴水花火があがっていたあたりを見つめた。
「どうしたの?」
 ヒロシはきょとんとしてハルの視線の先を目で追った。ヒロシにはなにも見えない。ただ薄暗い庭が見えるだけだ。
「あの子よ」
 ハルは息を飲みこんだ。
「あの子って、誰?」
「わたしたちの――」
「もしかして――」
「そうよ。はいはいしてる。大きくなったのね」
 ハルはうっすら涙を浮かべた。
 ヒロシが東京へ行く前日のことだった。
 ハルの様子がどうもおかしい。今までずっと一緒にだったのに離ればなれになってしまうからふさぎこんでいる、というわけだけでもなさそうだ。言い知れない不安に駆られたヒロシはハルを問いつめ、ようやくのことでふたりの赤ちゃんができたことを聞き出した。思い当たる節はあった。
 もうどうすることもできなかった。
 入学式を三日後に控えたヒロシには、ハルと話し合う時間も付き添ってあげる時間もなかった。生活道具をそろえなさいと祖母がくれたお金をすべてハルに渡し、後ろ髪をひかれる想いのまま東京へ旅立った。それからしばらくの間、ハルはヒロシの電話に出もしなければ、ショートメールの返事も返さなかった。大学のキャンパスはサークルの新人勧誘で華やいでいたが、ヒロシはそれを楽しむゆとりもなかった。ガイダンスが終わり授業登録がすべて済んだ頃、
 ――心配しないで。
 と、それだけを書いたショートメールがヒロシの携帯電話に届いた。
「わたしたちは間違ったことをしたんだね」
 ハルは唇を嚙む。
 ヒロシはハルの言葉にうつむいた。なんと言って慰めたらよいものか、わからない。
 ――間違ったんじゃなくって、しくじっただけだ。
 そう思いたかった。とはいえ、ただの言い訳だとヒロシにはわかっていた。ひどい誤魔化しに過ぎないのだと。
「ママよ」
 ハルは叫ぶように声をあげ、
「合わす顔がないわ。――ひどいお母さんだもん」
 と、消え入りそうな声でつぶやく。
 ヒロシは、はっとしてハルの横顔を見つめた。
 あの時、正直言って、ヒロシはハルが身籠ったことがどういうことなのか、よくわからなかった。自分が父親だという認識もなければ、育てようという気もなかった。ただ、とんでもないものができてしまったと思い煩っただけだった。だが、ハルの想いは違った。どんな母親でも抱くように、我が子を慈しむ気持ちをその心に身籠らせたのだ。ヒロシはそんなハルの気持ちに気づきもしなければ、気遣いもしなかった。この四か月あまり、ハルはどんな思いで過ごしていたのだろう。そう思うと、ヒロシは自分が情けなかった。ヒロシは、ハルになにをしたのかを今頃になってようやく理解した。それは無関心という名の裏切りだった。
「僕たちの子供はどんな格好をしているの?」
 ヒロシはささやいた。堕《おろ》した赤ん坊がはいはいしているというのは不思議だった。生きていたとしても、生まれるにはまだ早い。ハルのお腹のなかでぐっすり眠っているはずだ。
「よだれかけをつけて、はしゃいでるわ。――かわいい」
 目を細めたハルの顔を見て、ヒロシは疑問をそのままにしておこうと思った。この世とあの世のことでは、理屈のうまく合わないこともあるだろうから。
「楽しそう。でも、ぜんぜん気づいてくれない」
 ハルは眉をひっそりさせる。
「しょうがないか。わかるわけがないよね。だって、二か月しかお腹のなかにいなかったんだもん」
「――」
「ちゃんと産んであげればよかった。わたしのことを恨んでるだろうな」
「そんな――」
 ヒロシはうなだれた。
 ――ほかにしかたがなかった。
 そんなことを言ってもなんの慰めにもならない。悲しみが汚れるだけだ。
 遠いどこかに純粋な愛の泉があり、生きとし生けるものはすべてその泉から生まれる。命こそ愛にほかならない。いつかそんなことを読んだことがあった。もしそれがほんとうだとすれば、ふたりは愛を殺してしまったことになる。ヒロシは、ハルに愛を殺させたことになる。
「あの子ができた時、とっても嬉しかったの。体の具合がおかしくて吐きそうになったりして大変だったし、なんだか不安でしょうがなかったけど、それでも満たされた気分になれたのよ。あたたかい気持ちだった」
 瞠《みひら》いたハルの瞳から涙がこぼれた。熱い滴があごの先を伝い、ヒロシの腕へぽとりと落ちる。
「ごめんね。僕はハルがそんな気持ちでいただなんて、ちっとも知らなかった」
「謝るんだったら、あの子に謝って」
「そうだね」
 暗闇へ向かって合掌した。心が痺れる。
 ――謝ることしかできないだなんて、なんて苦しいんだろう。
 ヒロシはしんみりした。
「あら、気づいてくれた。わたしに向かっておててを叩いてる」
 にっこり笑ったハルは、小さく手を叩き返した。
「わたしがママよ」
 ハルのまなざしは母親のそれだった。愛おしそうに我が子を見つめている。目がやさしい弓なりになった。
「僕にも見えるといいのに」
 そうつぶやいたそばから、ぼんやりとした白い人影がヒロシの目に映った。
 可愛いベビー服を着た赤ん坊が地べたに坐り、ハルの言ったとおり楽しそうに手を叩いていた。つぶらな眼《まなこ》は、たしかにハルを見つめている。健やかな頰。ぽっちゃりとした愛らしい手。ハルがまた手を叩き返すと、赤ん坊は愉快そうに口を開け、けらけらと笑った。幸せいっぱいの笑顔だった。ヒロシは穏やかにほほえみかけた。
 さっと風が吹き、葉ずれの音が鳴り渡る。赤ん坊の姿がかき消える。ハルは叩きかけた手をとめた。
「行っちゃった」
 迎え火は燃え盛り、取り残されたふたりを照らす。ハルは身じろぎもしない。
「いつか、ここへ帰ってきてもらおうよ」
 ヒロシはハルの下腹に手を当てた。ハルの体はほっそりと息づいている。そのぬくもりがヒロシの掌に伝わった。母なるもののぬくもりだった。
「今度は大切にする」
 ハルは人差し指で涙を拭った。ハルの顔は悲しみに耐えるような、ほほえむような。
 なんとなく、ふたりは空を仰いだ。
 雲の一角にぽっかり穴が開き、蒼い星が夜空の窓にひときわ輝いていた。



 了



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ファーストガンダムの思い出1 プラモデル(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第180話)

2013年06月23日 04時01分03秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 小学生の頃、ファーストガンダムがブームになった。
 あの頃、男の子の遊び道具は、ガンプラ(ガンダムのプラモデル)、ルービックキューブ、ゲームウオッチが三種の神器だったような気がする。
 僕もガンダムが大好きだった。再放送を何度も繰り返し観ては、ガンプラを作って遊んだ。いちばん安い百四十四分の一モデルで三百円。小学生のお小遣いでも買える手頃な値段だった。
 ところが、欲しくてほしくてたまらないガンプラなのだけど、売り切れでなかなか手に入らない。近所のおもちゃ屋へ行ってはおばちゃんにいつ入荷するのかと聞いても、「もうちょっと待ってね」とだるそうに言うだけで、いつまで経ってもガンプラが棚に並ばない。今から思えば、おばちゃんは毎日子供たちにガンプラはいつ店に入るのかとせっつかれてうんざりしていたのだろう。郊外の小さな店では、問屋に注文したところで売れ筋の商品はなかなかまわしてもらえない。あきらめモードだったのだと思う。
 大手スーパーのなかに入っているプラモデル屋はひどかった。ガンプラが売れるものだから、わけのわからない不人気プラモデルと抱き合わせで売るのだ。ガンプラの箱とほかのプラモデルの箱とを紐で縛った姿を見て、何度ため息をついたことか。わけのわからないプラモデルなんて作りたくもないし、抱き合わせ販売なんてされてしまえば、もう僕のお小遣いでは買えない。今ならクレームの嵐になってそんなことはできないだろうけど、当時はそんなことがまかりとおっていた。
 ようやくのことでガンプラが手に入った時はほんとうに飛び上がるくらい嬉しかった。宿題なんてほったらかしにしてガンプラ作りに熱中したものだった。
 僕がいちばん好きだったのはガンキャノン。
 なんとなく重厚な感じがするし、両肩にキャノン砲がついているのも格好いい。畳のうえにザクのプラモデルを置いて、自分の手でガンキャノンを振り回しては、ザクをやっつけるシーンを空想しながら遊んだ。
 ガンダムは、敵のモビルスーツも格好よかった。敵のロボットが格好いいというのはロボット物ではガンダムが最初かもしれない。
 敵のモビルスーツではグフが好きだった。
 基本的にはザクの発展型といった感じなのだけど、そのぶんいろんなパーツがついているので、作り甲斐があった。
 ガンダム、ガンキャノン、ガンタンク、ザク、シャア専用ザク、グフ、ドム、ズゴック、ゲルググ、ジオング……数え上げれば切りがない。あれやこれやで二十体くらい作っただろうか。
 ただ残念なのは、組み立てるだけで塗装までできなかったことだ。
 プラモデル用の塗料が欲しかったのだけど、子供の小遣いではとてもそこまで手が出ない。塗料を一セットそろえるとなると、かなりの額になる。油性の白ペンで「008」とガンキャノンの機体番号を書き入れたり、ねずみ色の塗料だけ買ってきて汚れをつけたりするのが関の山だった。それだけでも十分楽しかったのだけれど。
 今住んでいる広州のおもちゃ屋にもガンプラが置いてある。
 昔の単純なプラモデルとは違って大型で精巧に組み立てられるやつだ。シャア専用の赤いザクのパッケージを見ると、いい歳をしたおじさんになってもやっぱり格好いいよなあと思ってしまう。
 三つ子の魂百までもってやつなのかなあ。





(2012年6月3日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第180話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
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影がなくなる日(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第178話)

2013年06月14日 20時51分41秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 広東省には北回帰線が通っている。
 だから、夏至前後になると太陽の光がほぼ真上から射す。
 この頃、お昼に外へ出ると、ほんとうに影が短くなった。
 身長の十分の一くらいしか影がない。ひしゃげた自分の影は、なんだかドラえもんが歩いているみたいだ。
 こんな強い太陽が出るのだから、もちろん暑い。広州で三年半暮らすうちに、顔も腕もかなり日焼けしてしまった。黒いからわからないけど、しみとかそばかすがいっぱいできてるんだろうなあ。
 これから夏至にかけてもっともっと影が短くなって、夏至の南中時には太陽が文字通り真上にくる。影がまったくなくなる。影がないというのはなんとも不思議な感じだ。御伽噺のなかへ入ったみたい。
 広東の夏至は、日本では味わえない年に一回のちょっとしたイベントだ。
 今からわくわくしている。




(2012年5月25日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第178話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/

真昼間から白酒を飲むおっちゃんたち(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第176話)

2013年06月05日 19時21分44秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 昼ごはんは広州の郊外のレストランに入ることが多い。
 適当に炒め物を頼んで中国茶を飲みながらご飯を食べるのだけど、郊外のレストランには必ず真昼間から白酒を飲んで大騒ぎしているおっちゃんのグループが何組もいる。
 ある日入った郊外の海鮮レストランでは、おっちゃんたちは白酒のボトルを円卓に置き、川魚の刺身を肴にして白酒を飲み続けていた。おひさまが燦々と輝く真昼間なのに、レストランのそこかしこで宴会モードだ。おっちゃんたちはみな農民か肉体労働者の顔をした人ばかりだった。
「ねえ、彼らはなんの仕事をしてるの?」
 僕はいっしょに食事をしていた広州人の男の子に訊いた。
「たぶん、仕事はしてないですよ」
「そうだろうねえ。あんなに飲んだら午後は仕事にならないよな。でも、どうやって生活しているの? 短期間で稼げる仕事でもして、あとは遊んで暮しているの?」
「仕事をしなくてもお金がいっぱい入るんですよ」
「え?」
 広州人の男の子はからくりを教えてくれた。
 もともと彼らは農民で、田畑で米やさとうきびやバナナを作っていた。
 ところが改革開放後、広州郊外ではマンションや工業団地の開発が進み、村の農地を不動産会社や工場へ貸すことになった。村は企業から土地の賃貸料を受け取り、それを村人に分配する。収入の多い村では一人当たり年間十万元(百三十万円)もの「不動産収入」があるという。広州の大学新卒の二倍以上の年収があるわけだ。
「そりゃ、年間十万元ももらえたら仕事をしないわな」
 僕はレストランを見渡した。酔ってご機嫌のおっちゃんたちは天国で暮しているような気分なんだろうな。
「うらやましいですよ。なんの心配もせずに毎日楽しく過ごせます。そんな村の若い人たちは大学とか専門学校に行かずに、やっぱり遊んで暮しています。不動産の収入を元手にして自分の店を開いたりして商売をする人もいますけど」
 男の子はいいよなあという顔をする。
「うーん」
 僕は考えこんでしまった。
 お金が欲しいのは僕も同じだ。
 宝くじを買う時は、もしも三億円をあててしまったら、勤めを辞めてなにをしようかと想像を膨らませる。
 でもなあ。毎日、真昼間から飲んだくれてるのは、やっぱりよくないと思うんだけどなあ。




(2012年5月15日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第176話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/

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