風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

上海地下鉄の安全検査(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第317話)

2016年03月26日 06時45分45秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 僕は上海で毎日地下鉄に乗って通勤している。
 上海の郊外にある家の最寄りの駅から十駅乗って乗り換えて、それからまた十駅乗って勤務先の最寄り駅に着く。片道は家のドアを出てから事務所に着くまで一時間半。さいわい、僕の乗る路線はそれほど混むものではない。家の最寄り駅ではうまくいけば坐ることができるし、乗り換えた路線でも、十分本を読むことができる程度の混み方だ。もちろん、上海の地下鉄のなかには東京みたいに殺人的な混み方をする路線もある。たまにラッシュ時のそんな地下鉄に乗る時は、東京みたいにお尻で人を押して乗ることになる。ただ、周りの中国人でそんなことをする人は誰もいないけど。
 上海の地下鉄の駅には、テロ対策としてどの駅にも改札の入口の前に安全検査があって、飛行場で使っているのと同じようなX線透視機が置いてある。「鉄路保安」の制服を着た係員が立って鞄を機械に通すように呼びかけ、機械の前に腰かけた別の係員がじっとモニターをにらんでいる。
 とはいえ、空港の検査と違って、それほど厳格なものではないようだ。無視して通り過ぎてしまう人がほとんどで、鞄を透視機へ入れる人のほうがむしろ少数派だったりする。「鞄を検査します」と係員が呼びかけるそばで、人々は無視して通り過ぎてしまう。いちいち鞄を入れるのは面倒だから、誰だって安全検査なんてごめんだろう。地下鉄に乗るくらいで安全検査というのは、いささか大袈裟だと思う。
 不思議だなと思いながら、僕は毎回鞄をX線の機械へ入れる。人々が無視してしまう安全検査をいくらやっても、テロなんて防ぎようがない。経費と手間が無駄なだけなのに。






(2015年1月18日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第317話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/

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海に咲く百合

2016年03月22日 06時45分45秒 | 詩集

 海を見下ろす丘の
 古ぼけたベンチに腰掛けて
 輝く沖を見つめた
 そっと伝えたい言葉があって
 とても言い出せなくて

 海風に揺れる花のように
 うなずくあなたがまぶしかった
 どんなことを話したのか
 もう忘れてしまったけど

 たった一度の
 一度きりの
 海に咲く百合でした


 ゆったりと羽を広げ
 やわらかい弧を描いて舞う
 海鳥はいつまでも漂って
 わたしも遠くへ行ってしまうのと
 あなたはぽつりと言った

 よく晴れた午後の海原が
 僕の心を翳(かげ)らせるから
 水平線に浮かべた恋心は
 海の向こうへこぼれ落ちる

 たった一度の
 一度きりの
 海に咲く百合でした

 たった一度の
 一度きりの
 やさしい百合でした

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恐怖の催眠術(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第316話)

2016年03月05日 09時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 夜、寝苦しくてぼんやり眼を明けると、上海人の奥さんがなにやら僕に話しかけている。ぐっすり寝ているのに奥さんが話しかけてくるものだから、僕は夢うつつのうちに反応しようとして、それで苦しくなってしまったのだ。
「野鶴さん、のづるさん、あなたはまだ前に付き合っていた女の子と連絡を取っているの?」
「ええ? なんのこと?」
「だから、前の彼女たちと連絡しているの?」
 奥さんはとてもにこやかだ。が、にこやかだからこそ、危ない。奥さんは僕に催眠術もどきをかけて、真相を聞き出そうとしているのだ。べつに秘密があるわけではないけど、うかつなことは話せない。言葉を間違えれば、余計な誤解を招いてしまう。僕はますます苦しくなってしまう。
「取っている人もいるし、取っていない人もいるよ」
「わたしが知りたいのはあなたが広州で付き合っていた子のことよ」
「それなら、もう連絡なんてしてないよ」
「ほんとなの?」
「ほんとだよ」
「まあ、いいわ。絶対に連絡しちゃだめよ」
「しないってば」
 ようやくこれで眠れる、とほっとしたら次の質問が飛んでくる。
「野鶴さん、のづるさん、あなたは日式カラオケ(日本のカラオケセットが置いてあって女の子がついてお酌してくれるカラオケ)でなにをしているの?」
 僕は時々、歌仲間と日式カラオケへ歌いに行く。隠してもしょうがいないというか、あとでばれるとよけいに厄介なことになるので、最初からカラオケへ行くよということにしている。
「そりゃ、歌いにいくに決まってるじゃない。歌が好きなのはお前もよく知っているだろ」
「歌いに行く? よくそんなウソがいえるものだわね。女の子はなにをするの?」
「お酒をついで、リモコンで歌を入れてくれるだけだよ」
「嘘ばっかし。女の子の手は触るの?」
「まあね」
「それで手を握るのね」
「うん。――ねえ、僕は寝たいんだけどさあ」
「だめよ。まだ訊きたいことがあるんだから」
「腰に手は回すの?」
「そんなことしないよ」
「太ももは触るの?」
「触らない」
「ふーん。ま、いいわ。そんなこと絶対にしちゃだめよ」
「しない。したいとも思わない」
 話しているうちに喉が渇いてきたから、僕はコップのお茶を一口飲む。眠りたいのに話しかけられ続けるのはちょっとつらい。
「あなたがいちばん愛しているのは誰?」
 奥さんはこれが最後の質問よと前置きして言う。
「お前だよ。僕はお前といっしょになるために上海へきたのだから」
「寝てもいいわ」
 奥さんはふふふっと楽しそうに笑う。これでやっと解放された。まだ一緒になったばっかりなのだから、そこまで疑わなくてもいいと思うんだけどなあ。
 




(2015年1月12日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第316話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/
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朝の交叉点

2016年03月03日 06時30分15秒 | 詩集


 朝の交叉点
 人も車も
 振り返らずに流れてゆく
 生まれ落ちた世界の片隅で
 てくてく歩く
 僕は歩く

 明るく澄んだ雨上がり
 うっすらたなびく朝雲は
 だれかの吐息に似て
 僕は水溜りを
 踏まないように
 スキップを踏んだりして

 流される日々に
 すこしずつやり直す
 変わらないでいるために
 流れゆく日々に
 すこしずつなにかを試す
 変わってゆくために

 心が折れた朝もある
 立ち尽くした午後もある
 人生に躓いた夜もある
 だけど
 絶望してもむだだと
 諭された

 命を授けられた
 この世界では
 つらくても
 あきらめたくても
 時計仕掛けのまま
 明日はやってくるから

 今日のこの日は
 スケッチブックの真っさらな
 白いしろい一日
 なにを描くのも
 あなたしだいの
 自由な一日

 朝の交叉点
 青信号を小走りに僕は渡る
 さてさて今日は
 なにをやり直そうか
 なにを試そうかな

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