一九四五年八月十五日、日本中に流れた玉音放送についての回想を読むと、大勢の人が「雑音がひどくて聞き取りにくかったが、ともかく戦争が終わったようなのでほっとした」と書いている。
名編集者で名エッセイストだった宮脇俊三さんの『時刻表昭和史』には玉音放送が流れて戦争は終わったけど、それでも汽車はいつも通り走っていたといったことが書いてある。これなどは杜甫の「国破れて山河在り」という感覚とほぼ同じだ。たとえ国家が敗れても世の営みは変わることがないのだと。
それだものだから、堀田善衛さんの次の文章を読んだ時、こんな憤慨を抱いた人もいたのだと驚いた。
放送がおわると、私はあらわに、何という奴だ、何という挨拶だ、お前の言うことはそれっきりか、それで事が済むと思っているのか、という、怒りとも悲しみともなんともつかぬものに身がふるえた。 ――『上海にて』(堀田善衛)
正当な怒りであり、やり場のない悲しみでもある。
戦争は人間のおぞましさをすべてさらけださせる。そんなものをひき起こしておいて、いったいどう責任を取るのだ? と問い詰めたい気持ちでいっぱいだっただろう。
先の大戦で露呈したのは、日本政府の杜撰さと戦争のいかがわしさだった。
戦争に大義はない。
戦争を始める人たちはいつも戦場のはるか後方の安全な場所に居て、戦争へ行きたくない庶民たちを戦場へ送り込む。なぜ戦争を始めるのかといえば、それで出世できたり商売が繁盛するからだ。口先だけでは勇ましいことやもっともそうなことを言いながら、腹のなかでは自分の損得勘定をしているだけである。
作戦指導も杜撰だった。
兵隊のいちばんの死因は戦闘による負傷ではなく餓死だ。食料の補給が届かずに大勢の兵隊が飢え死にしてしまったのだ。「腹が減っては戦ができぬ」というがまさにその通りで、腹ペコでは戦争どころではない。真っ先に考えなくてはならないのは、兵士の腹をどうやって満たすかだ。戦はそれから始まる。飢餓が生じた前線ではおぞましい地獄絵巻としかいいようのない事態が出現した。まだ学校に通っている若者たちは特攻隊にさせられて自殺を強要された。
それを玉音放送で「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」みなでがんばろうと呼びかけられても到底納得できるものではないだろう。堀田さんが憤慨したとおり「それで事が済む」わけではないからだ。個人の尊厳を踏みにじるだけ踏みにじった後で、そんなことを言われてももはや手遅れだ。死人が生き返るわけでも、踏みにじられた人生が元通りになるわけでもない。
日本を守るためと素朴に信じて戦場へ赴いた人々の気持ちは尊い。だが、戦争を始めた日本の指導者たちは正義のための戦いと称し、国民を騙して戦場へ送り込んだのだ。先の大戦で騙されたのは仕方ないとしても、二度騙されるのは避けたい。
堀田善衛さんが怒りの矛先を向けた昭和天皇は、絞首刑になってもおかしくない敗戦から四十数年も生きながらえ、天皇として君臨し続けた。この面からいえば、昭和天皇はしたたかなマキャベリストだったといえるのかもしれない。
(2014年8月15日発表)
この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第308話として投稿しました。
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