仕事柄、広州の周囲を車で行ったりきたりする。バックパック一つ担いでこの亜熱帯の地へやってきて三年半が過ぎた。
バナナ畑や養魚池や田んぼが広がる風景を眺めていると、
――不思議な人生やな。
とつくづく思う。
二十代の頃は、東京でサラリーマンをしていた。
どこにでもいるごくありふれた勤め人だ。
すし詰めの電車に乗って通勤して、帰りも混みあった電車で帰った。
ところが、なにを思ったのか放浪の旅に出て、あちらこちらを回っているうちに雲南が気に入り、そこで語学留学したりした。さすがに中国語を活かして仕事をしようと思ってものどかな雲南省では日系企業が少なすぎて就職口がないので、今は広東省の省都広州で働いている。
よくいえば自由でおおらか、悪く言えば超わがままB型的な中国人に振り回されて、
――やれやれ。
と、あきれたり、やるせなくなることもあるし、
――どうでもいいや。
と、投げやりになることもけっこうある。頭にくることも多い。だけど、日本では味わえない刺激があってそれなりに楽しい。毎日が文化人類学のフィールド調査をしているようなものだ。日本人と中国人の考え方の違いをいろいろ分析してみると面白い。彼らと摩擦や衝突も、考えようによっては、いろんな物事を深く考えてみるきっかけをくれているようなものだ。困った時には、なかのいい中国人の友人が助けてくれたり励ましてくれたりもする。
――なんでこんなことをしてんのやろ?
広州の街をぶらぶらしながら、街角の風景や道行く人々を眺めながら、あるいは、飲み歩いて酔い疲れて、ぼうっとした時にそんなことをふと思う。
あのまま東京にずっといても、それでよかったのだ。なんの変哲もない暮らしだけど、それはそれで満足していた。仕事も悪くなかった。一人で暮らすぶんには生活にも困らなかった。
たぶん、ここで学ばなくてはいけないことがあるから、こんなことをしているんだろう。外国で暮らしているからといって、ドラマチックなことがあるわけでもないし、ヒーローや大金持ちになるわけでもない。だけど、ささやかな人生なりに、こうしてすこしずついろんなことを勉強しているのだと思う。それが大事なことなんだと、つくづくそう思う。
(2012年7月1日発表)
この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第184話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/