風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

昔の豆腐はおいしかったよね、なんて(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第335話)

2016年09月15日 13時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 昨日は中秋節。中国では春節の次に大切な祝日。家族で御馳走を食べる。
 奥さんと繁華街の外国食材を扱うスーパーまで出かけて買い出しをした。奥さんは奮発してステーキ肉を買う。僕も高知産の純米レモンゆず酒を買った。
 家へ帰った後、奥さんは人生二度目のステーキに挑戦する。前回は焼き過ぎて失敗してしまったので、今回はちゃんと焼くと気合が入っている。いろいろと反省して臨んだだけあって、きれいなレアに仕上がった。
 ところが、僕に味見をさせた奥さんはなかの赤い肉を見て、ほんとうにこんなものを食べて大丈夫なのかと目をぱちくりさせる。
「これはレアと言ってこんなふうに食べるものなんだよ」
 と僕が言っても信用してくれない。
「こんなの食べたら、お腹を壊すわよ」
 奥さんはステーキを電子レンジにかける。お義母さんも奥さんと一緒にレンジでチンをした。もっとも、半熟ものに慣れていないからミディアムくらいにしたほうが無難だろう。僕はレアのままおいしくいただいた。
 純米レモンゆず酒を飲みながら、昔の豆腐屋の話になった。奥さんは子供の頃の豆腐はとてもおいしかったし、作り立ての豆乳は味が濃くてよかったという。お義母さんは、昔は豆乳一袋が一分(一元の百分の一、日本で言えば一銭)で買えたのが、五分、一角(一元の十分の一)と値上がりして、五角になった頃には味がだめになったと言う。機械で作るから手作りの味のよさが失われてしまったと。
 奥さんの家族は上海の下町に住んでいた。
 昔は、豆腐屋が天秤を肩にかけて両端にぶらさげた籠に豆腐を入れて売りに来たそうだ。表まで出て豆腐を買うのはいささか面倒なので、二階の窓から紐にぶらさげたボールを下し、そのボールのなかに豆腐を入れてもらって豆腐を買った。古き良き時代ののどかな風景だ。奥さんが子供の頃は、夜、鍵をかけなくても安心して眠れたという。
 よもやま話をした後、がんばってステーキを焼いたご褒美に背中をマッサージしてあげた。お互い中年だからマッサージが気持ちいい。ふと窓の外を見ると満月が空に懸かっている。心地よさげに鳴く虫の音が聞こえた。


(2015年9月28日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第335話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


コーヒーハウス

2016年09月01日 21時30分15秒 | 詩集

 日曜日の昼下がり
 ぶらりと入ったコーヒーハウス
 軽やかな午後の陽ざしが
 窓の外の常緑樹を揺らして
 君の顔にまだらな影が落ちて

 隣の席は若い夫婦
 よだれかけをつけた赤子が
 つぶらな瞳を光らせては
 テーブルをたたいてはしゃいだり
 じっとなにかを見つめたり

 この世へ生まれ落ちてきたことを喜ぶ
 無邪気さが
 この世界の謎を解こうとする
 好奇心が
 たゆたう時間をかき混ぜるから
 カップを口へ運ぶ手がふととまり
 僕たちは知らずしらず
 赤子を見つめる
 
  「早く僕たちのところへもこないかな」
  「男の子がいいわね」
  「女の子もいいものだよ」
  「健康なら、どちらでも」
  「僕たちが決めることじゃないし」
  「それもそうね」

 僕たちのもとへ
 赤ん坊がくるかどうかは
 わからないけど
 それはそれ
 どうなるかは
 神様が決めることだから
 きてくれたほうが
 もちろん嬉しいけど

 日曜日の昼下がり
 ぶらりと入ったコーヒーハウス
 ほほえみあうのは
 ささやかに期待する未来
 君の顔に真夏の影が落ちて
 

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