三陸ツアーの初日、
お客さまを前にしての最初のご挨拶でのこと。
寸前まで何を話せばいいのか迷っていたのに、
いざマイクを持ったときに自然と出てきた言葉がありました。
「桜を見たり、紅葉を見たり、
ツアーではふつう、見ることが中心になりがちです。
でも今回は見るだけではなく、たくさん聞いていただきたい、
そう思っています」
そうでした。
「見る」だけではたぶん不十分。
「聞きたい」…というのは私の本音でもありました。
だからこそ、バスには被災地をまわっているガイドさんに乗っていただき
大船渡市では仮設住宅を訪問したり、気仙沼では語り部さんのお話を伺ったりと、
ただ通り過ぎるだけではない、「聞く」ための時間を随所に設けていたのでした。
そうして実際に、いろんな方々の声を聞きました。
そのなかで、ずっと頭から離れない言葉があります。
「国のために何ができるのか」
もしこの言葉を発したのがテレビのなかの政治家だったなら、
なんだか厭な匂いがする空疎なことばとして
わたしの耳を素通りしていったでしょう。
でも、その言葉を発したのは、被災地の方でした。
岩手県の釜石で生まれ育ち、
これからも釜石で暮らしていこうとされている方でした。
「釜石が大きな被害を受けたのは今回が初めてじゃないんです。
先の戦争でも、製鉄所があったから艦砲射撃で狙われて
甚大な被害を受けたんですよ」
「でも当時、釜石の復興は速かった。
国策としても鉄が必要だから、
どんどんお金も人も集められて、ほんとうに短い期間で復興できたんですよ」
でも今は…とつづけられます。
「けっきょく、国のために何ができるのか。
いま、釜石にはそれがない。
三陸にはそれがない。だから…」
阪神大震災のときとはまったく違うんです、と断言されました。
「ずっと役所で勤めてきました。
一度でいいから人口が増えてほしいと思いましてね。
でも私が勤めている30数年間、ただの一度も増えることはなかった。
ずっと、減る一方でした。」
最盛期には人口9万人を超えたという釜石市。
けれども、製鉄所の合理化縮小に伴って減りつづけ、
高炉が廃止された今では3万7000人足らずだそうです。
一方、私の生まれ育った神戸市の人口は150万人あまり。
人口の差に顕著にあらわれているように
同じ日本のなかに、強い地域と弱い地域があり、
今回の震災では、弱い地域が大きな被害を受けたのだということ。
私はそれを、強い地域から遠くに見ているんだということ。
「神戸では…」
「阪神大震災のときは…」
お話を聞くためのよりどころにしていた自身の小さな体験。
かんたんに並べおけるものではないのだよ、そうやんわりと突き放されたようでした。
でも
聞けて、ほんとうによかった。
「お話、胸にしみました。ありがとうございました」
日本の製鉄史をいまに伝える「鉄の歴史館」の館長さんに
深々と頭を下げて、かつての鉄の町をあとにしました。
***************************************
貸切バス・オーダーメイド旅行のご相談は…
銀のステッキ旅行
TEL 0797-91-2260(平日8:30~17:00)
■公式ホームページ:http://www.gin-st.com
■銀ステ旅先案内人:http://ameblo.jp/arailuka
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お客さまを前にしての最初のご挨拶でのこと。
寸前まで何を話せばいいのか迷っていたのに、
いざマイクを持ったときに自然と出てきた言葉がありました。
「桜を見たり、紅葉を見たり、
ツアーではふつう、見ることが中心になりがちです。
でも今回は見るだけではなく、たくさん聞いていただきたい、
そう思っています」
そうでした。
「見る」だけではたぶん不十分。
「聞きたい」…というのは私の本音でもありました。
だからこそ、バスには被災地をまわっているガイドさんに乗っていただき
大船渡市では仮設住宅を訪問したり、気仙沼では語り部さんのお話を伺ったりと、
ただ通り過ぎるだけではない、「聞く」ための時間を随所に設けていたのでした。
そうして実際に、いろんな方々の声を聞きました。
そのなかで、ずっと頭から離れない言葉があります。
「国のために何ができるのか」
もしこの言葉を発したのがテレビのなかの政治家だったなら、
なんだか厭な匂いがする空疎なことばとして
わたしの耳を素通りしていったでしょう。
でも、その言葉を発したのは、被災地の方でした。
岩手県の釜石で生まれ育ち、
これからも釜石で暮らしていこうとされている方でした。
「釜石が大きな被害を受けたのは今回が初めてじゃないんです。
先の戦争でも、製鉄所があったから艦砲射撃で狙われて
甚大な被害を受けたんですよ」
「でも当時、釜石の復興は速かった。
国策としても鉄が必要だから、
どんどんお金も人も集められて、ほんとうに短い期間で復興できたんですよ」
でも今は…とつづけられます。
「けっきょく、国のために何ができるのか。
いま、釜石にはそれがない。
三陸にはそれがない。だから…」
阪神大震災のときとはまったく違うんです、と断言されました。
「ずっと役所で勤めてきました。
一度でいいから人口が増えてほしいと思いましてね。
でも私が勤めている30数年間、ただの一度も増えることはなかった。
ずっと、減る一方でした。」
最盛期には人口9万人を超えたという釜石市。
けれども、製鉄所の合理化縮小に伴って減りつづけ、
高炉が廃止された今では3万7000人足らずだそうです。
一方、私の生まれ育った神戸市の人口は150万人あまり。
人口の差に顕著にあらわれているように
同じ日本のなかに、強い地域と弱い地域があり、
今回の震災では、弱い地域が大きな被害を受けたのだということ。
私はそれを、強い地域から遠くに見ているんだということ。
「神戸では…」
「阪神大震災のときは…」
お話を聞くためのよりどころにしていた自身の小さな体験。
かんたんに並べおけるものではないのだよ、そうやんわりと突き放されたようでした。
でも
聞けて、ほんとうによかった。
「お話、胸にしみました。ありがとうございました」
日本の製鉄史をいまに伝える「鉄の歴史館」の館長さんに
深々と頭を下げて、かつての鉄の町をあとにしました。
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TEL 0797-91-2260(平日8:30~17:00)
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