あ、そうきましたか。
と、そういう言葉が軽々しくも出てしまいました。
日本各地が、予想外の天災で涙する中、
もう誰に寄り添っていいのかわかりません。
今朝飛び込んできた沖縄、首里城の火災のニュース。
悲しいかな、そうきたか、の言葉になった理由。
遡って。
つい先日、当社では沖縄行きのツアーがありました。
しかも。
企画手配した私としては、
ほとんどの方が、沖縄は何度か目の訪問で、
そもそも今回の目的は、
ニューオープンのリゾートホテルと、マングローブカヌー。
だとしたら、今更、首里城もなぁ、、、
それなのに、出発の少し前に、
「でも、沖縄本島に行くなら、やっぱりここは外せない」
何だか、そう思い直して、行程に急遽入れたのでした。
今となっては、不思議です。
さらに。
昨日まで、東京に行っていました。
目的は、正倉院展。
その会場で知ったですが、森鴎外が語ったという言葉、
『 夢の国 燃ゆべきものの 燃えぬ国 木の校倉の永久に立つ国』
(天平の昔から、木造の倉庫で守られている正倉院の宝物がある、
そのことがすごい。平和なこの国は素晴らしい)
その言葉の意味に、なるほどと、感心しきりで帰って来たところでした。
沖縄戦で、燃える首里城。
それをふたたび目の当たりにした方もあったでしょう。
あの戦火で焼失してから、
沖縄の皆さんにとっては復興の証でもあり、
琉球王国存在の歴史と誇りの象徴でもあったはずの首里城。
現地の方々の気持ちを思うと、やるせません。
思い出したことがあります。
以前、同じ頃、沖縄へ添乗したのですが、
ドライバーさんが話された具志堅用高さんのお話。
今ではバラエティ番組で人気のお茶目なコメディアン的存在。
でも彼が、沖縄本土復帰まもなく、ボクシングでタイトルを取った時、
沖縄中が歓喜に沸き、これでようやく日本に認められたと、
そう思われたそうです。
もちろん、当時も沖縄はれっきとした日本国であったにもかかわらず。
小さな身体で、大きな相手に立ち向かう具志堅さんが、
沖縄の皆さんの代弁者のようだったと話されました。
まさに、日本中が認める大スター、
それは、必然、沖縄のヒーロー誕生だったと。
世界遺産にもなった首里城もまた、
沖縄の方にとっての、代弁者、シンボルだったはずです。
あの激戦で焼失からの、30年にもわたる復興作業によって、
今年、ようやく完成を成した首里城。
行き場のない、心の行く先。
誰もが戸惑うこの事態。
「夢の国」、あれは日本の国のことと信じたい。
森鴎外のいう、木造は燃えてしまった、でも、
後世に語り継ぐのは、やはり人です。
失ってもなお、英知結集で復元させてきた日本の匠。
ふたたび。
これを日本各地に願う、今日この頃です。
それにしても、世の中は何事も帳尻合わせがあって、
結局トントンでまわっていくはず。
ならば、これは一体全体、何の試練なのでしょうか。
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