1日の内、ジャンキー達が動き出す夕方の時間帯、プッシャー達が網を張っている筈なのだがマリー、キシトー、フィリップス達には会えない。3月、カトマンズのビソバーサ・キャンパスの入学手続きは全て終った。7月始業までの約3カ月間、ネパール人のスンダルを連れ北インドへ旅をした。避暑地ムスーリ、聖地リシケシやハリドワールを旅して5月末、熱風の吹くメインバザールへ戻って来た。標高1000mのネパール、カトマンズ郊外の山育ちのスンダルにとってその熱さは耐え難いものであったに違いない。早くカトマンズに帰りたいと言う。その時フィリップスからスタッフ50gを買った。奴に会ったのはそれが最後で以来会っていない。10月ぼくがデリーに入った時、既にフィリップス、キシトー達は逮捕されデリー中央第1刑務所、第2収監区、Aバラックに収監されていた。94年12月、ぼく達はそこで再会することになる。
ホテルのベットの上、取調べの為に広げられた荷物をぼくはバックパックに再び詰めさせられた。それを背負って私服のスクーターの後部シートに乗せられパールガンジ警察署に連行された。明日のカトマンズ行きは如何なるのだろうか、朝、帰してくれるのだろうか、そんなありそうもない事を粉で効いた頭でぼんやりと考えていた。2階の広い会議室のような部屋で待たされた。何故だかホテルのボーイも連れて来られている、奴が密告したのだろうか?
チェンマイで銃を構えて踏み込んで来たタイ・ポリスの姿が頭をよぎった。昼飯でも食べに行こうと友人のホテルに寄った時、廊下に脚立を立て何か作業をしている1人のタイ人を見た。部屋に入ったぼくはそれまで開けたままになっていたドアーを粉を入れる為に閉めた。どの部屋にも高い通気用の小窓があり、そこから粉を入れていたぼく達は覗かれポリへ通報された。その夕方、チェンマイから夜行列車でバンコクへ戻る事になっていた。列車の切符、少しのタイ・バーツと旅行小切手を残してドル・キヤッシュ約2000ドルぐらいを巻き上げられて放免された。タイ・ポリスの目的は逮捕ではないお金だ。密告者との配分比率も決まっているらしい。密告者は熱心に何時も獲物を物色している。
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