ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・17

2013-03-05 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward


 ワード替えの話しは進んでいるようだ。大部屋ではなくBバラックのように4~5名一部屋になるらしい、がそうなると火の事が心配だ。今はBバラックに行けばどこかの房に隠し火があり不自由はしない、スタッフ、ビリ、それにチャラスを売り捌いているのはBバラックなのだから。それを消費させ次のドラッグを売る為には火の用意は不可欠だ。マッチ1本・1ルピーと言われるのも全くのジョークではない。金のないインド人、特に年寄りはよくマッチや摺り板を隠し持っている。それだけで吸うグループに入り込みビリを1~2服吸い取るが貴重な存在である。塀の中では火は大切だ。

   12月25(日曜日)
元プレジデントが死んだので今日のスケジュールは全てキャンセルになり1月1日に変更された。どんなスケジュールだったのか分からないが。
 朝、アフリカン・キリスト教徒のミサが長く続けられていた。神父(収監者)の言葉に唱和し祈りが終った後、金属製の食器を叩いての鳴り物入りミサ・ソングがBバラックから聞えてきた。アフリカのリズムだ。
 今日は何故だか特別食だった。昼は美味しいソヤビンのサブジとナン、夜はビスケットと小ケーキが付いていた。アシアナからここに替わって食生活が豊かになったようだ。スリランカ人のセガ、ディクソン、ショッカンとそれぞれに面会があり色んな食べ物の差入れがあった。大使館から借りた2000ルピーもあったので何かと贅沢をしている。何が贅沢と言えるのか分からないが。
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ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・16

2013-03-04 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward


スタッフを買う為リキシャの車夫について行った事がある。ヤムナ河の河川敷きに不衛生なバラック群があり迷路に入って行った。帰り道の目印を記憶に残そうとしたが無理だった。廃材で建てたようなバラックのドアーを奴が押し開けると車夫仲間だろう5~6人の男達が胡散臭そうにぼくを見た。吸ってやがる、一瞬、危ないと思った。ヤムナ河に浮いて流れる死体がひとつ増えるだけだ。奴の小屋に案内され待たされた。畳一枚分の広さの4隅に棒を立て莚で囲われていた。ベッドの代わりだろう10cm程の土盛りに莚が敷かれ土盛りの回りには浅い溝が掘られていた。荷物は何もない。奴が持って来た5gのスタッフは良質だった。1g・400ルピーで交渉は成立したが5gの代金2000ルピーはここでは見せられない,危険だ。
「お金はホテルにあるそこで支払う」奴の先導でやっとそのスラムから脱出した。 
 夕食は自分達でチョウメンを作って食べた。粉も少し多目に吸った。食後蚊よけネットの中でディクソン、アミーゴ、サンダーとビリを吸っていたらショッカンが戻って来て騒ぎ出した。自分が外されたと思って怒っているのだろう。面会で入った粉をお前達に吸わせてやったのにその態度は何だ、とでも言っているのだろう。今日は3回、粉が回ってきた。明日からはもう粉を回さないと言った。出すのが惜しいのだろう、せこい奴だ。
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ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・15

2013-03-02 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward


 警察に捕まってちょうど2ヶ月が経った。塀の外に出て街の風景が見られるのは裁判所へ行く護送車の中からだけだ。昨日裁判所でぼくを逮捕した私服のポリに会った。
「元気かい」
と言われて少し話しをした。何となく変な気分だった。
「顔色も良くなって健康そうじゃないか」
その後
「君は幾らお金を持っていたか知っているか」
と言って奴はぼくの私物の記録からお金の部分を見せた。驚く事はない予想していた通りだ。キャッシュはポリが猫ババしゃがった。旅行小切手は手が出せない。警察署での取り調べ中、何枚かサインをさせられた、その中の一枚だろう。サインをさせた後、調書を書いたのだ。最初から現金は取るつもりだったのだろう、手持ちの現金が少なくて良かった。小切手が返還されても現金化は難しい。コンノートンにある東京銀行へぼくは行く事が出来ない。面倒だが裁判所にアプリケーションを提出し許可が出れば弁護士か大使館員に行ってもらう事になるのかもしれない。
刑務所に入って2ヶ月の生活費が約100ドル、当然スタッフやビリ代も含む、安上がりだ。アシアナを退所した5人のインド人と第1刑務所に移送された。全員の収監区が決まる迄仮収容所で2日間過ごした。そこで会った一人のインド人は皮ジャンを着て小奇麗にしていた。奴は冬の寒い間は刑務所に入ると言った。3度の食事やティーは確実に食べられるしインドの宗教的祭日には特別食や甘いお菓子にもありつける。懲役の義務はない。外では満足な食事もしてない奴が多くいる。
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