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映画『カナリア』の試写

2005-03-10 | movie/試写会・映画祭など
○3月8日(火)○

塩田明彦監督の『カナリア』を観ました。
今まで以上に関係者が多くて、しかも由希ちゃん役の子も来てた…たぶん。
かわいくて見とれてしまった。

オウム真理教の施設で生活していた子供、という想定で描かれるこの映画は、
リアルにあの事件の背景を説明するのかと思っていたら、
最後、観客は突如映画がフィクションであることを目の当りにします。

主人公の光一は、父を亡くした後、母に連れられ
妹と共に宗教団体の生活施設に入ることになるが、
教団が起こした社会的無差別殺人の実行犯として母が逃亡し、
強制介入によって施設から外の世界に戻される。
妹は祖父の元に引き取られるが、光一は引取りを拒否され、
児童相談所で生活することになる。

その彼が、児童施設を抜け出して、
偶然に知り合った同い年の少女・由希と出会い、
(彼女もまた母を失い、恵まれない少女生活を送っている)
ふたりで妹と行方のわからない母を見つけ出そうと
走り出すところから映画は始まっていく。

最後の光一の変化(ちょっと吃驚するのであえて書きませんが…)からエンディングまでで、
あ、これはフィクションなのかとはっきり分かります。
それまでは、現実とフィクションの距離の取り方に困ってしまいます。
彼らのお金の手に入れ方もすごく安易な気がしたし、
事実を元にしているけど、「お話」を強く感じる、でも事実。
その行ったり来たりです。

どうしても『誰もしらない』と比べてしまいました。
(実は撮影監督さんが『誰もしらない』も撮ってるらしいですよ)
主役の石田法嗣君が柳楽君に似てる印象があったからかもしれないけど、
あれはそのまま事件を(そのままじゃないにしても)映し出してるように思えた。
それに観客に挑戦してくる気配がない映画だった。
こんな大人をどう思うんだ?とか、意見を求めて来ない、ありのまま。
何があっても人間は生きていくことを静かに感じ取ります。

一方、『カナリア』の挑戦的なこと。
監督は意図していなくても、観客としてみていると、
怒りと苛立ちが淡々とした進行の中で燃えて、最後に吹き上げるよう。
そしてZAZEN BOYSの『自問自答』。
まるでSFアニメを観たような鋭さ。
(関係ないですが、主人公を見て『CASHERN』を思い出した。観たら確かにと思うはず…)
コメント
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