■6月17日■
土曜日の仕事が終わった後、当日券情報が目に入り、
思い切って当日券で初日の舞台「兎、波を走る」を観に行くことにしました。
NODA MAPは昨年の「Q」の再演もやはり当日券で観に行きました。
仕事の都合で、前もってチケットを取っておくということが難しいゆえ…
NODA MAPの「Q」、当日券で観てきました。3年ぶり3回目✉️✉️✉️
— ミウモ 𝕄𝕖𝕨𝕞𝕠🌈 (@notfspurejam) August 12, 2022
再演で演出の違いは多少ありながらも基本的には初演と変わらず。
個人的には頼朝(橋本さとし)の風船のパワーアップを期待してました。結果は…実際に見て確認してくれ! #野田地図 pic.twitter.com/HlWQ2UG3Qt
職場の最寄り駅から真っ直ぐ池袋に向かい、
東京芸術劇場に到着したのが当日券の販売される18時。
列は売り場からぐるりと回って劇場の正面入り口近くの階段の中ごろまで伸びていました。
昨年の「Q」の時は、コロナ対策もあり、当日券は整理券を配っての抽選式でした。
どんなに遅くきたとしても席に座るチャンスがあったのですが、
今回は昔に戻って先着順で販売している様子。
(これは立ち見すらも危ういかなぁ…)と思いつつも、ダメもとで並ぶこと約50分。
なんとか2階立ち見で見ることが出来ました。
先日のロンドンで、足首が痛い中、立ち見で舞台を観に行って、途中でロビーに出て行くことにした経験をしたばかりだったので、
ちょっと心配なところもありましたが、もたれかかれる壁もあるし、演者に合わせて動くこともないので
なんとかなるのではないかと思っていました。
そして、やはり脚は痛くなりましたが、最後は内容に引き込まれてすっかり痛みが気にならなくなりました。
いや、本当にそれほど、終盤の展開に釘付けでした。
今回の公演のお目当ての役者でもある大倉孝二さんのように、
私も波とウサギといえば「因幡の白兎」の話かと思っていたのです。
しかし、蓋を開けてみると、兎を追うアリスという少女が登場。
「そっちか!」と思いながら見始めましたが、
不思議の国のアリスと異なるのは、兎を追っていなくなったアリスを探す母親が登場する点です。
※ここからは本編に触れていますので、ご注意ください
アリスの母が娘を探しまわる一方、売却されようとしている「遊びの園」という遊園地で、
「桜の園」のラネーフスカヤを思わせる元女優が、
子供の頃に母親と見たアリスの話をもう一度見たいためにチェーホフの孫を名乗る作家に脚本を書かせますが、
納得いかずにブレヒトの孫を名乗る作家にも物語を書かせます。
これが前述の兎を追うアリスを追う母の物語、ということなのですが、
その2つの軸の中に、ピーターパンと母親のいない迷子たちや空港建設反対の座り込み運動や今や話題が尽きないAI技術など、
数々のモチーフが持ち込まれ、
最初はこれがどう最終的にエンディングに集束していくのか??とハラハラしながら見守っていました。
野田さんお得意のダジャレの言葉遊び…
今回は「もう、そうするしかない国」=「妄想するしかない国」というセリフが劇中で何度も出てきます。
これは私も大好きな、夢の遊眠者の「小指の思い出」にも出てくるフレーズなので、
えっ、言葉遊びの使い回し?とちょっと納得いかないこともあり、
徐々に反抗的な気分になりながら見ていたのですが、
終盤、逃げ続けている「兎」の正体がハッキリと明言されます。
アンミョンジン。
そこで、ああ、やはりそうなのか!と確信します。
勘のいい人は初めから、この話は工作員と拉致被害者の話だとわかっていたのかもしれませんが、
逃げた兎は元はピーターパンで、迷子たちは「USA GI」、というセリフを聞いている時は、
ん??USA??と混乱していて、ハッキリ明言されるまで確信が持てませんでした。
そして、妄想の国に引き込まれ自動書記の力を手にいれたチェーホフの孫とブレヒトの孫は、
戻ってきたうつつの世界で競って新作を書きますが、2人でどうしても同じ結末を書いてしまうように。
第三の作家、AIが彼らを媒体として作品を作り出すようになっていたのです。
同じく妄想の国に引き込まれた元女優も自分自身がアバターと化して、実体のない存在として、
本当にここで母親とアリスの物語を見たのだろうかと、記憶が曖昧になりながら、売却された遊園地を後に去っていくのです。
何か、全てが判然としているわけではないのでうまくいえないのですが、
両端のように見えた2つの軸が、最後に畝るようにあざなっているように感じられます。
最近横田滋さんが亡くなって3年というニュースを聞いて、
どんどん月日ばかりが過ぎていくんだなと思ったばかりでした。
ニュースで久しぶりに拉致事件のことを思い出し、
こうやってニュースで知らされないと、ふと思い出せない世の中の大事なことが多すぎる、と…。
その上に、創作だけではなく自動的に作成された最もらしい物語が混然と入り混じる現代で、
忘れてはいけない現実を、どうやって語り継いでいけるんだろう?
どうやって記憶に留めておけるのだろう?
実世界の「兎」について、芝居を観た後に色々記事を読んだら、
晩年は、経済的に困窮し、事件について信憑性の低い話を語りながら高い取材費を受け取っていたそうで、
当初は有り難がられた彼の発言自体も、日本国内でだんだんと信用を失っていったそうです。
その人生はとても数奇で、それこそ不条理でもあり、アリス側の苦しみと同じくらいに重いものがあります。
昨年再演された「Q」もロミジュリを主題にしながら、シベリア抑留の実話をモチーフにした非常にシリアスな物語でしたが、
今回も観客にただ物語を提供するだけでなく、何日も思い出して考えさせられるような舞台を見せてくれています。
野田さんは、それこそ自分の作品の中に、現実の種を仕込んで、観客の中でそれを育てさせるような、
そんな仕事をするのだと、覚悟を決めて作品を作っているのではないでしょうか。
そしてそれは確かに、どんな媒体よりも力強く、観たものに植え付けられます。
だからこそ、やはり演劇はいい、特別なものだと、しみじみ思わされるんです。
…でも、個人的にはアナグラムやふざけた役名はちょっと食傷気味かなあ。
カーテンコールは4、5回ほどあったように思います。
だんだんとスタンディングオベーションする人が増えていく感じ。
最後の最後に野田さんが一人残って両手で盛り上げながらお辞儀をする。
とりあえず野田さんが最後に受け止めてくれないと終われないですね(笑)。
ところで、役者についてですが、
前半の、まだまだ話がハッキリ見えない時に、
大倉さんのあのいつものクネクネとした動きやとぼけた台詞回しにとんでもなく癒されました。
初めて舞台で見た20年以上前から変わらない輝く個性。
当時は共演することもなかった野田さんと対になる作家役で舞台に出てるなんて、
それだけで私のような観客にとってはご褒美です。
松たか子さんは野田地図の常連なので、いつも通りの安心感がありましたが、高橋一生さんは舞台で初めて見ました。
(「フェイクスピア」は見られなかったのです。悲しい…)
映像作品に出ているときは、喋り方がちょっとクセがあって苦手だな、と思うことがあるんですが、
今回の兎役で見たら、いい役者さんなんだな!と思えましたね。
身体的な動きや笑いとシリアスの緩急がうまい。
近年、野田地図に出ている主役級の男性俳優で一番好きかもしれない!
でも、今日テレビで放送していた「引っ越し大名」でもいい演技してたので、
声がどうのっていうのは、単に好きなキャラかどうかの問題なのかもしれない…
とにかく、また舞台で見たくなる存在でした!
「フェイクスピア」再演してくれないかな!!
あと「桜の園」を見直そうかなと思ったりしてね。
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