今回の水害で悩まされた泥。
同じ向町でも上地区と下地区でもこの泥の量が違うように感じました。
道路に積み上げられた泥は、上地区の方が多く感じました。
また堤防や橋の登り口には多くの木材などが架かっていました。
川の石垣に電柱を固定するワイヤーにゴミが架かり、電柱が傾いていました。
早い所は家財道具を出され、ホッとされていらっしゃる所も。
それでも難敵泥!
今回の水害で悩まされた泥。
同じ向町でも上地区と下地区でもこの泥の量が違うように感じました。
道路に積み上げられた泥は、上地区の方が多く感じました。
また堤防や橋の登り口には多くの木材などが架かっていました。
川の石垣に電柱を固定するワイヤーにゴミが架かり、電柱が傾いていました。
早い所は家財道具を出され、ホッとされていらっしゃる所も。
それでも難敵泥!
7月12日ようやく写真を撮ろうという気持ちになりました。
地元の光景を写真に残しておきたいと思い、朝皆さんが作業をする前に、撮ろうと歩いて回りました。
画像が多いので、少しづつのアップになりますが、ご容赦ください。
大好きな佐敷の町が、こんなにも無残に被災するとは、夢にも思いませんでした。
それでも、記録として残したいと思い、変わり果てた町の様子を撮りました。
野坂屋旅館の勝手口も、皆さんのおかげでずいぶんと片付き、通れるようになりました。
町案内の時に紹介するなまこ壁の蔵の前には、残念ながらピアノが置かれ、壁も壊れていました。
明治時代に建てられた福島屋さん。
なぜ明治時代かといいますと、佐敷の当時のお金持ちで流行った建築様式、
軒下に飾り瓦を1本直線的に入れるという造り方をしてあります。
佐敷の町には、明治時代のこのような建物が、4軒だけ残っていました。
出された指物にも年代を感じるものがあります。
まだまだ出し切れていない家財道具ですが、随分出されているようでした。
被災1週間、周りが見えなくて、目の前の物事を精一杯やるしかなく、
自分の事は記憶が薄いのですが、ボランティアに来た頂いた、肥後銀行八代支店の皆様、
中小企業経営者経済同友会男性部の皆様、福岡平和ライオンズの皆様、そして支援物資を届けていただいた皆様へ、
心より感謝申し上げます。
撮り落とし、またはアップ落としがある場合はご容赦ください。
皆様のおかげさまで、一歩一歩進んでいっております。
漸く、ブログまでたどり着きました。
ボランティアの皆様、支援物資をお届けの皆様、お見舞いに駆けつけてきていただきました皆様。
心より感謝申し上げます。
今日は、5日にお世話になったロハス南阿蘇たすけあいの皆様と、中小企業経営者経済同友会女性部の皆様、
7月7日に支援物資をお届けいただいた皆様へ感謝を込めて、画像アップさせていただきます。
他にも、お見舞いをいただいて写真を撮っていない方々には、お詫び申し上げます。
それと、お名前は申し訳ありませんが、省略させていただきます。
被災後、初めて家の周りを回ってみました。
それまでは、旅館の事で手がいっぱいで、周りを見る余裕すらもない精神状態でした。
それで記録に残しておきたいと思い、写真に撮りました。
この状況の一片でもお伝えし、残していけたらと思います。
今回の水害で思い知らされた事。
題名通り「難敵 泥!」です。
佐敷川の対岸は、割と田んぼが少なく後ろが山なんですが、向町側は後ろが田んぼ。
上がってきた水には、田んぼの泥が混ざり、これがかなり苦労しました。
最初の画像ですが、これくらい雪が積もっていたならば、最初に踏み入れる足跡を撮るのですが、
長靴が流されてない時でしたので、行くに行けない!
自宅へ行く事を躊躇させる泥、粘着性があってとても気持ちの悪い泥の中を、自宅へ行きました。
車も5台とも水没、廃車になりました。
自宅へ行ってみると、もちろん床上浸水!
保険屋さんの測定で71cmと判定されました。
7月4日夜が明けると、上空を低空で飛ぶ飛行機が、芦北上空を旋回していました。
一緒に避難していたフジ写真館の蓑田憲明君が、「自衛隊の偵察機ですよ。」と教えてくれました。
彼は海上自衛隊に入隊していた経験があり、沖縄に駐屯していました。
屋上へ上って空を見上げると、青空が少しだけ覗き、さっきまでの豪雨が嘘のように感じられました。
冠水してしまった大好きな佐敷の通りに、現実を感じさせてられ、夢ではない事をしみじみと確認しました。
そんな佐敷向町通りを歩く人を発見。
膝下まで水に浸かりながらも、ゆっくりと確かな足取りで進んで来られました。
近くまで来られ挨拶をすると、役場の方で今から役場へ出庁されるとの事。
7月4日は土曜日だったので、本当はお休みだっただろうなぁと思いつつ、労って見送りしました。
今日は未公開画像をアップします。
激しく流れる佐敷川。
水位の目安として、野坂屋旅館から見える山崎橋を入れて撮りました。
宮島医院さんも水害に遭って大変でしたが、診察を再開されていらっしゃいます。
佐敷川を眺めている時に、目の前を軽自動車が流れて行きました。
実を言うと、その30分前には野坂屋旅館の軽ボンゴも流されて、その時はあまりの出来事に、
写真を撮る事さえも忘れていました。
2台目だったので、撮る心の余裕が出来て、撮る事が出来ました。
水が引くと、フジ写真館さんの裏に2台勝手に2台駐車してました(笑)
水害でバタバタしていると、八代の宗覚寺さんから、実照寺が大変な事になっていると聞き、お見舞いに行きました。
すると、裏山の土砂によって倒壊していました。
天長山実照寺さんは、加藤清正がお亡くなりになられた際に、佐敷城の城主だった加藤重次公が、
弔いのために建立されたお寺です。
子供の頃15年ほどご住職がいらっしゃらず、熊本の正立寺(しょうりゅうじ)の三男の方が実照寺へお入りいただきました。
檀家も50件ほどしか無く、苦しい中にも、精一杯お努めされていらっしゃいました。
私も、最近総総代として努めていく最初の試練になっています。
ブログをご覧の皆様へお願い!
ぜひ天長山実照寺をご支援ください。
被災をよそに猫は我が道をゆく!
水害の当日、LOHAS南阿蘇TASUKEAI(ロハス南阿蘇たすけあい)の井出順二さんが、野坂屋旅館へ来ていただきました。
いろいろ今からするべきことのアドバイスを頂き、次の日にはボランティアのスタッフさん、中小企業家同友会女性部の皆様が駆けつけていただき、いろんなものを救出して頂きました。