梅雨前に撮影したので、とても綺麗な青空が広がり、
どこまでも続く線路が、歩いた心地良い疲れと共に北海道までつながっているんだなあ。
と一人感慨深く思っておりました。
年配の方々がよく仰るのは「昔はどこへ行くにも、山越えはせずに、線路を歩かれた。」
というお話が良く出ます。
一番最短距離であることは確かですね。
どこまでも続く線路が、歩いた心地良い疲れと共に北海道までつながっているんだなあ。
と一人感慨深く思っておりました。
年配の方々がよく仰るのは「昔はどこへ行くにも、山越えはせずに、線路を歩かれた。」
というお話が良く出ます。
一番最短距離であることは確かですね。
津奈木駅を出発するとすぐトンネルがあります。
ちなみにトンネルの上は旧薩摩街道で、線路沿いに向かって右側を下りてきます。
ただ昔は線路がなかったので、駅辺りを横切っていたのだと思われます。
現在は今申し上げたコースを通ります。
ちなみにトンネルの上は旧薩摩街道で、線路沿いに向かって右側を下りてきます。
ただ昔は線路がなかったので、駅辺りを横切っていたのだと思われます。
現在は今申し上げたコースを通ります。
肥薩おれんじ鉄道の津奈木駅ですが、たぶん初めてここから電車に乗りました。
その津奈木駅には孝女千代の像があります。
つい最近津奈木町の彫刻マップなるものを、肥薩おれんじ鉄道の車内で入手しまして
孝女千代さんについてのお話が書いてありましたので、ここに載せます。
孝女千代は、江戸時代後期に実存されていました。
幼い頃に両親と別れて祖父母と暮らし、祖父母を助けて田畑を守った。
その孝行ぶりが、肥後藩主の耳に入り、年に10俵のお米を褒美として賜ったというお話です。
彫刻は孝女千代が馬を招き寄せるところを、彫刻家の岩野亮介氏によって制作されたものです。
その他にも津奈木には全部で15体の作品が、町のいたるところに展示されています。
その津奈木駅には孝女千代の像があります。
つい最近津奈木町の彫刻マップなるものを、肥薩おれんじ鉄道の車内で入手しまして
孝女千代さんについてのお話が書いてありましたので、ここに載せます。
孝女千代は、江戸時代後期に実存されていました。
幼い頃に両親と別れて祖父母と暮らし、祖父母を助けて田畑を守った。
その孝行ぶりが、肥後藩主の耳に入り、年に10俵のお米を褒美として賜ったというお話です。
彫刻は孝女千代が馬を招き寄せるところを、彫刻家の岩野亮介氏によって制作されたものです。
その他にも津奈木には全部で15体の作品が、町のいたるところに展示されています。
重磐岩眼鏡橋に到着しました。
何日にも渡って紹介した津奈木太郎越えの薩摩街道は、
約12キロの行程で、10時過ぎに出発して、途中で昼食時間が30分くらいとって
津奈木駅に到着したのが3時半でした。
ゆっくり徒中で休憩を取りながらのウォークで、天気にも恵まれて楽しく歩く事が出来ました。
何日にも渡って紹介した津奈木太郎越えの薩摩街道は、
約12キロの行程で、10時過ぎに出発して、途中で昼食時間が30分くらいとって
津奈木駅に到着したのが3時半でした。
ゆっくり徒中で休憩を取りながらのウォークで、天気にも恵まれて楽しく歩く事が出来ました。