移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ
2021年2月のウェリントン旅
行2日目。レンタカーで北島
最南端で島の東側にあたるサ
ウスワイララパに来ました。
有名なマーティンボロに到着
さっきまでのクネクネ道がな
んだったんだ
という真っ平
そしてグルっと取り囲む禿山
6年前の
2015年に1度来てい
ましたがあの時はそのまま北
上し宿泊はしませんでした。
木陰のない牛が暑そうです💦
スプリンクラーが涼しそう
と思ってしまうほどの暑さで
「やってみる?」と言ってい
たサイクリングは即中止決定
(👆暑いのも寒いのも弱い2人)
ネイバーフッドコーヒーハウス
ここでランチをすることに
自家焙煎の店でもあります。
名前のとおりご近所感濃厚で
客と店員が話してる話してる
NZではよくある光景ですが
ここは一段と濃度が濃いかも
オーナーらしい女性の黒いワ
ンピースを客が褒めれば、OP
ショップ(チャリティーショッ
プ)で5ドル(450円)だったと
応えて周りのみんなも大笑い
キャビネットフードが充実し
てるわ大きいわで迷います。
広い店内はキウイアナモチー
フがあちこちにありました。
NZ国家元首エリザベス女王
と女性参政権運動の立役者で
NZ人のケイト・シェパード
これもキウイアナになる
(クイーンの冥福を祈ります)
挟みモノ系好きの夫はこうで
量にこだわりたい私はこう
店も窓も広くて、この解放感
スクエアと呼ばれる町の中心
の広場に面した一等地です。
道の向こうの建物は元銀行
地元の人に愛されているのが
よくわかるカフェ
でした。
外も楽しいキウイアナです
2021年2月の私のウェリント
ン誕生日旅行。到着した日が
誕生日当日で、夜は
前回に続
いて和食の
KAZAGURUMAで
お祝いしました。誕生日プレ
ートまでいただいたのに、カ
メラを忘れるという大失敗💦
私のことなので夫と一緒だと
スマホも不携帯だったはず。
お祝い写真がなく残念です
2日目はホテルをチェックア
ウトしレンタカーを借りて、
ウェリントンを出ることに。
まずはカフェで朝ごはん
オールドバンクショッピング
アーケードのカフェ、
モジョ
でも
お隣さんに心惹かれます。
次回はあっちを試そうかな。
1901年にNZ銀行(BNZ)の本
店として開業。既に築120年
(※
前日のコレは支店でした)
銀行なのでちゃんと金庫が
20世紀初頭前後の銀行はどこ
も壮麗な建物で金庫も立派
重すぎるのか固定されている
のか、今でもそのまま残しイ
ンテリアにしている場所多し
(※この件は
コチラでも)
(※
ハワイ島ヒロにて)
銀行が転居した後こうした建
設当時の装飾はほとんど撤去
されたそうですが、1990年代
後半から修復に着手し、往年
の姿を取り戻したそうです。
白と木目と緑のコントラスト
がなんとも言えずに美しい
その後は北東へ。途中で立ち
寄った広大な2つの貯水池。
段差があるので2つなのか?
スチュワート・マカスキル湖
1975年に立案、1980年着工
ハット川からの水を貯水し、
周辺地域からウェリントンに
供給するという壮大な計画
スチュワート・マカスキル
ウェリントン地方議会議員を
連続7期務め、うち5期は議長
マカスキルはウェリントン地
方の発展に尽くし、長期的展
望に立つ大型インフラ整備を
次々に行った功労者でした。
ケーキティン(ケーキ型🎂)
の愛称で知られるスタジアム
やハット川の増水に備えた河
川敷整備は貯水池と並ぶ功績
このスタジアムは本当によく
名前が変わりますが同じ場所
貯水池は当初の計画の3倍以
の建設費用とその後の水漏れ
で多大な負担を生みました。
しかし、ここなくして現在の
飲料水は確保できず、今や数
少なくなった長期的な視野を
持つ政治家だったようです。
日光いろは坂どころではない
クネクネ道を通って来たのは
レムタカヒル
こんなにクネクネながら国道
2号線の一部をなす重要な道
1833~1908年
急斜面の山肌にかろうじて通
じていた細い凸凹クネクネ道
かろうじて荷馬車が通れた落
石や倒木が絶えない危険な道
だいぶ改良された1924年頃
これは1915~18年にかけて
の第1次大戦中フェザートン
軍事基地で訓練を受けた6万
人の兵士がウェリントンまで
の悪路21km歩いて出兵した
記念碑リムタカクロッシング
(※当時の呼び方。現在はより
マオリ語に忠実にレムタカに)
戦争は無益。勝者はいません
命を無駄にしてはいけない
クネクネ道の改良は今も地道
に続けられているそうです。
先人たちが切り開いた道はよ
り安全に後世に託されます。
ここを抜けるとウェリントン
地方のサウスワイララパ市に
2021年2月の私のウェリント
ン誕生日旅行。ライアルベイ
の
マラヌイカフェを出て、
ココからはバスでCBDへ
バス停裏の茂みに猫がいる
中心部ラムトンキーに着いて
ノボテル・ウェリントン泊
首都はホテルが充実している
ので毎回違う場所に宿泊中🏨
街ブラのトップはナゼかココ
ダイソー
もちろんオークランドにもあ
りますが、生活圏に店がなく
軽いモノばかりだし、旅行中
にまとめ買いしてみました。
シンプルで美しいアールデコ
旧NZ銀行ビル(本店だったかも)
白い謎のおメメは元は看板で
以前はバーガーキングが入居
していました。転居は新聞で
も報じられるほどニュースに
ウォータフロントに出ると、
大勢が昼間から飲んでる~🍻
ちなみに、この日は日曜日
NZやオーストラリアの救急
車の代名詞セントジョンの建
物でバーが入居しています。
活動の重要な資金源なのか
セントジョンズバー&イーテリー
NZの救急車は有料ですが、
ウェリントンのみ無料です。
建物にも『無料救急車』
ここも見事なアールデコ
ウォーターフロントの解放感
もあるのでしょうが、とにか
くたくさんの人が日光浴をし
ながら飲んでいて驚きです。
短い夏を必死で楽しんでいる
というか、それ以外の季節の
厳しさがうかがえるというか
中心部の中心にある飛込み台
微妙~な水の色ですが、現役
すぐ後ろは国立博物館テパパ
オークランドが目指す解放的
なウォーターフロントのお手
本のようなウォークウェイ
整然と並ぶ青いコンテナは
簡易店舗
コロナのせいか営業している
店がかなり少なくなったか。
クライドキーワーフ。桟橋を
利用した水上アパートメント
ザ・ウェリントンな眺め
後ろはマウントビクトリア
ここにも飛び込み台が🌊
みんな夏をエンジョイ中
ウェリントンの港は小さいの
でレクリエーションとの共存
が可能ですが、規模が格段に
大きいオークランドは港中心
今後、どうなっていくのか
シティートゥーシー橋
水平引込式クレーン
三脚クレーン
これらは
歴史的産業遺産とし
て大切に保存されています。
いつも停泊している目立つ船
ライブ演奏中でした
オーストラリアの老舗デパー
ト、デビッドジョーンズは今
年6月に閉店。2016年に海外
初支店として華々しく開店し
ましたが6年の短命でした。
これがウェリントン最後の大
型デパートだそうで、コロナ
もありますが消費動向の変化
に対応できなかったのでは
私も買い物はダイソーだけ(笑)
仮住まいも4日目を迎え、だ
いぶ落ち着いてきました🏡
昨晩見た夢は心身とも余裕が
出てきたのか舞台はハワイ
内容は超辛辣なものでした。
「私」は夫とハワイのカウア
イ島らしい島にいます。大の
夕日好き🌅の夫に付き合って
海辺の遊歩道のような場所に
来ています。周囲にも夕日目
当ての人がそぞろ歩いており
有名スポットのようでした。
(※夫は大の夕焼けフェチ。
これは
ハワイ島カイルアコナ)
「パーティー🎉に行きたい」
と夫が突然思いがけないこと
を言い出し、先週行った取引
先のパーティーで意気投合し
た有志が、今日は別のパーテ
ィーをやっているとのこと。
もちろん行くのは夫1人で、
「私」を1人ここに残してい
くつもりのようで、さすがに
「ハワイまで来たのにナゼ」
と聞くと驚いたことに答えは
「ボクの誕生日だから🎂」
夫の誕生日を祝いにハワイま
で来たのに、知らない誰かと
祝いたがっているとわかり、
「別れてあげようか?」
と「私」は単刀直入に聞きま
した。別に売り言葉に買い言
葉ではなく独身のような生き
方を好むなら夫婦を解消して
はどうかという提案でした。
夫は明らかに気分を害して、
「わかったよ」と言わんばか
りに、肩を揺らして遊歩道を
歩いて行ってしまいました。
「私」を待つ意志のないスピ
ードに、人混みで夫を見失う
まいと「私」は遊歩道の隣に
平行してある、踏み固められ
た獣道のような人のいない細
い道を行くことにしました。
土が剝き出しの獣道と舗装さ
れた遊歩道は目と鼻の先なの
に、間は細く長く底が見えな
い谷のようで、落ちたら挟ま
って戻れないことでしょう。
「私」は落ちないように下を
見ながら急ぎ足でしたが、ど
んどん道が細く悪くなって、
とうとう諦めて山道と遊歩道
の別れ道の部分にまで戻り、
姿が見えなくなった夫の行っ
た方角に向け歩き始めます。
周りは夕日と休暇を楽しむ楽
しそうな人々が三々五々歩い
ていて、ガイドが数人を率い
て説明をしていたりします。
ハワイらしく見事な色の夕日
でしたが、屋根やアンテナな
どの障害物も多く、格好のス
ポットはまだ先のようです。
=============
夢の中で時々ある重大な事態
人を殺してしまったり殺され
たり、
死にそうになったり、
死別したり。今回のように離
婚を切り出したり
離婚されて
いたりと、書き出してみると
見た夢でもけっこうあるもの
「正夢になったらどうしよう」
ともはや慌てることもない夢
見スト
こうした究極の夢は
避難訓練なのだと思います。
夢の中で自分がどう感じ、ど
う判断し、どう動くかは実際
の時と非常に近いものと思わ
れ、あやふやな夢の中とはい
え『経験』しておくことは、
いざという時に役に立つので
はないかと思っていますが、
でも、殺人はちょっとねぇ💦
夢日記をつけるようになって
起きている時と同様、壮大な
夢を見るには気力と体力がい
るので心身の健やかさが重要
という事を感じ始めました。
病気で熱にうなされていても
夢は見ますが、体調が優れず
心身に余裕がないと、夢のス
ケールが小さい気がします。
夢は寝ている間の幽体離脱体
験だと感じており、体調不良
だと魂が身体を離れても遠く
まで飛び立てないようです。
急に自宅の床の研磨をするこ
とになり、2日前に引っ越し
同様に家の中の家具家電をす
べて撤去し、仮住まい開始
転居した最初の夜に見たのは
無数の鍵🔑が袋に入っている
という引っ越しがらみの夢。
袋を差し出した誰か(夫?)が
「この中にスペアキーがある」
と教えてくれました。鍵はい
くつあってもいいしと思い、
鍵の山に手を伸ばしますが、
「そんなに長く居ないしなー」
と思い、手を引っ込めます。
自分の鍵は持っていました。
夢の中でも仮住まい中である
ことを漠然と理解しており、
現実と紙一重のような夢です。
引っ越しでぐったりしていた
上、慣れない場所に居ること
もあって、一昨晩の魂は身体
を抜け出すのがやっとで、距
離で言えば庭先🏡に出たぐら
いだったのかもしれません。
しかし、紙一重は瞼一重とも
言え、心身に余裕がない時の
夢は目が覚めた後も目を閉じ
るとすぐにまた同じ夢に戻る
という傾向がありそうですが
これについてはまたいつか
コロナ禍でも夏休みに飛行機
に乗って
南島旅行を決行した
ことに自信を得て、2021年2
月の私の50代最後の誕生日は
首都ウェリントンとマーティ
ンボロに行っていました
2019年の前回同様、徒歩で
空港を出ました。それを見越
して荷物もそれぞれがコンパ
クトにまとめて来ています。
前回カフェで教えてもらった
滑走路下を貫くトンネルを通
ってみることにして下調べ済
地元の人がどんどん向かう
難なく入口が見つかりました。
これはスゴい近道
すぐに反対側へ。前回約40分
歩いたのが半分になった感じ
石を投げれば届きそうな距離
保安上大丈夫なのかというの
はさておき長閑な首都です。
ウェリントンらしくいきなり
坂が多く、一番上は給水塔か
荷物があっても街歩きはいい
地震の多いウェリントンでド
キっとする丘の上のビル。風
水上もややこしそうな建物
山肌までびっしり家が続いて
これまたウェリントンらしい
途中で見つけた素敵なカフェ
道が途切れ対岸に空港を望む
ライアルベイに到着
ライフセーバークラブにある
マラヌイカフェ
前回同様にベストなテーブル
に案内されてラッキー
早速カフェカルチャーの首都
でもあるウェリントンの1杯
歩いて来たのが報われる味
なんとも不思議と和むカフェ
チビッ子たちがサーフィン中
砂の上だけど気分は🏄(笑)
手を抜かない正統カフェ飯
カフェカルチャーは食にまで
反映されていると感じます。
夫が見逃すわけがない
夢見:競馬場の盗人(前編)
夢見:競馬場の盗人(後編)
の夢を自分なりに考えます。
まず目覚めた瞬間にわかった
あの少女は自分だ
という夢見歴10年選手の発見
(👆経験値がものを言うかも)
私は夢の中で子ども時代の自
分に会いに行っていました。
私は日本で生まれ育ち、おカ
ネを盗んで周る子どもではあ
りませんでしたが(笑)、ナゼ
か自分だとわかったのです。
少女の年齢である6、7歳の頃
私は人生で最も辛い時期を送
っていました。母から執拗に
「出て行け出て行け」
と言われ、それは私の存在を
否定し、消そうとしている言
葉なのだということを、母本
人以上に理解していました。
口にしている母は心の底から
「これは躾」
と信じており、自分のメンタ
ルを疑ったことは一度もなか
ったと思われます。それゆえ
に言葉の暴力が虐待のレベル
にまで達していたことを、私
は40年かけて理解しました。
当時の私がなによりも求めて
いたのが「第3の人」でした。
親でも学校の先生でもない、
大人の誰か。ただ、自分の存
在を認めてくれる誰か。何も
言わず何も聞かず、ただそば
に居て私を否定しない誰か。
競馬場の高齢の男たちが、夢
の中の私の「第3の人」でし
た。小さな子どもが盗人にな
らなければならない切羽詰ま
った事情を問わず、ただ黙っ
て受け入れてくれる人たち。
7歳でも過酷な状況に置かれ
れば、自分の身を守るために
急速に成長し「大人になる」
ことを私は知っていました。
母が何よりも恐れたのが、私
の成長でした。強く、賢くな
ることは唯一の防衛でした。
その中で息を抜ける場所、心
を開ける人がどれほどほしか
ったことか。家が主戦場だっ
た以上、眠る以外私に心休ま
るときはありませんでした。
夢の中の競馬場では善悪より
も、愛が優先していました。
第3の人たちから、水浴の水
のようにたっぷりと愛を注が
れて育った小さな私は、しっ
かりとグラウンディングし、
自力で善悪を見極め、切羽詰
まった事情を脱し次第、悪事
から手を引き、堂々と正道を
歩んでいったことでしょう。
救いのなかった7歳の自分を
還暦の自分が夢で癒している
かと思うと人生は深淵です。
なぜ高齢の男たちは
カネを盗
む少女を見逃し責めないのか
「私」には衝撃の展開でした。
子どもに善悪を教えるのは大
人の務めではないのか。これ
では悪を助長してしまうだけ
その一般的な社会通念はここ
では通じなそうでした。道徳
より貧困が優先されるのか。
しかし、そんなに単純な話で
もなさそうです。衣食足りて
も礼節を知るとは限らないの
もまた周知の事実でしょう。
詳細は忘れましたが、「私」
は競馬場に留まり、少女と1
日一緒に過ごし自分の疑問の
答えを見つけようとします。
最初こそ警戒していた少女も
「私」が怪しい者ではないと
判ると心を開いてきました。
その辺の機微は成人と同じで
少女は「小さな大人」です。
会話に敬語はなく、男性とも
「私」とも対等に話し、内容
もいっぱしの大人並でした。
夕方になると少女は唐突に、
「じゃ帰るから」
と言いあっさり帰りました。
「帰るところがあるの」
驚いて男たちに聞くと難なく
「そりゃあるさ」
という答えでした。盗みをは
たらくぐらいなので、家のな
いストリートチルドレンだと
勝手に思い込んでいました。
人工知能がインプットされた
情報を急速に学習していくよ
うに、「私」の脳と感情は今
日1日見聞したことを、フル
回転で復習
していました。
=============
80年代前半らしい私が慣れ親
しんだアジアの空気、陽射し
香港、マレーシア、タイ、フ
ィリピンを足しただけで割ら
ないような設定でした。私た
ちは夢特有の共通の言語で会
話をしているものの、男たち
が少女にかけた言葉は、私に
はわからない外国語でした。
質素で正直で、ゆったりと温
かみのあったあの頃のアジア
外国といえばまだまだ欧米に
限定されていた時代に、そう
いう場所があるのを知ったこ
とは、私を本気で海外に向か
わせる原動力になりました。
夢の解説はまた改めて
「私」は東南アジアらしいど
こかの国にいます。旅行者の
ようで、ちょうど見つかった
公衆トイレに入りました
どうもそこは競馬場でした。
個室のドアの両側は曇ガラス
になっていました。中に入っ
てドアフックにハンドバッグ
を掛けると、曇ガラスだと思
っていたのは目隠シートで、
それもかなり剥がれています。
中から外が良く見えるという
ことは外からも中が見える
慌てて個室を出て他の個室に
入りました。トイレを出よう
とした時にハンドバッグを忘
れたことに気づき、最初の個
室に戻ると女の子がいます。
少女は「私」のハンドバッグ
を床に置き、中を漁っていま
す。小さな手にはお札が握ら
れ、500ドルや1000ドル札ま
であります。声を上げ慌てて
バッグを取り返し、少女を捕
まえると、泣き出すどころか
大声を上げて抵抗しました。
6、7歳に見えたので意外な
行動と反応に驚いていると、
私たちの声を聞きつけ着古し
たランニング姿の痩せた高齢
男性数人がやって来ました。
競馬場の従業員のようです。
「この子がおカネを盗ったの。
500ドル札まで持ってるのよ」
と男たちに言うと、意外にも
「500ドルはお前のじゃない」
と言い、彼らは少女がおカネ
を盗んでいるのを見ていなが
ら、見逃していたようです。
「私」の財布には100ドル札が
3枚ほど入っていたはずなので
男が言ったことは正しく、少
女の「罪」を強調した自分を
心密かに恥じる思いでした。
1000ドルではなく500ドルと
言ったのが責めてもの救いか
男たちは実に中立で、少女を
責める訳でも、「私」の味方
につく訳でもなく、「私」が
バッグの中身を確認し終える
と少女に短く声を掛けます。
そして少女を外壁の脇に立た
せ、服を着せたまま頭から水
をかけ、低い位置にあるシャ
ワーで洗ってやっています。
シャワーは物か車両を洗うた
めのもので囲いはなく、いつ
もそうしているのか、男たち
も少女も慣れたものでした。
南国の強い日差しの下、水浴
でも寒くはなく、服
もすぐ
に乾いてしまうのでしょう。
すべてが衝撃の展開で「私」
は立ち尽くしながら、少女と
男たちを見つめていました。
(つづく)
=============
場所が競馬場だったのは、た
またまインバーカーギルの競
馬場に隣接するホテルの写真
を見ていた夜だったからか?
アスコットパークホテル
夢において核心以外はかなり
アバウトな設定のようです。
これも夢日記をつけての発見