夢見:競馬場の盗人(前編)
夢見:競馬場の盗人(後編)
の夢を自分なりに考えます。
まず目覚めた瞬間にわかった
あの少女は自分だ
という夢見歴10年選手の発見
(👆経験値がものを言うかも)
私は夢の中で子ども時代の自
分に会いに行っていました。
私は日本で生まれ育ち、おカ
ネを盗んで周る子どもではあ
りませんでしたが(笑)、ナゼ
か自分だとわかったのです。
少女の年齢である6、7歳の頃
私は人生で最も辛い時期を送
っていました。母から執拗に
「出て行け出て行け」
と言われ、それは私の存在を
否定し、消そうとしている言
葉なのだということを、母本
人以上に理解していました。
口にしている母は心の底から
「これは躾」
と信じており、自分のメンタ
ルを疑ったことは一度もなか
ったと思われます。それゆえ
に言葉の暴力が虐待のレベル
にまで達していたことを、私
は40年かけて理解しました。
当時の私がなによりも求めて
いたのが「第3の人」でした。
親でも学校の先生でもない、
大人の誰か。ただ、自分の存
在を認めてくれる誰か。何も
言わず何も聞かず、ただそば
に居て私を否定しない誰か。
競馬場の高齢の男たちが、夢
の中の私の「第3の人」でし
た。小さな子どもが盗人にな
らなければならない切羽詰ま
った事情を問わず、ただ黙っ
て受け入れてくれる人たち。
7歳でも過酷な状況に置かれ
れば、自分の身を守るために
急速に成長し「大人になる」
ことを私は知っていました。
母が何よりも恐れたのが、私
の成長でした。強く、賢くな
ることは唯一の防衛でした。
その中で息を抜ける場所、心
を開ける人がどれほどほしか
ったことか。家が主戦場だっ
た以上、眠る以外私に心休ま
るときはありませんでした。
夢の中の競馬場では善悪より
も、愛が優先していました。
第3の人たちから、水浴の水
のようにたっぷりと愛を注が
れて育った小さな私は、しっ
かりとグラウンディングし、
自力で善悪を見極め、切羽詰
まった事情を脱し次第、悪事
から手を引き、堂々と正道を
歩んでいったことでしょう。
救いのなかった7歳の自分を
還暦の自分が夢で癒している
かと思うと人生は深淵です。