goo blog サービス終了のお知らせ 

お気楽忍者のブログ 弐の巻

ミニカー収集/お魚採取/動植物フォト/行楽記・・・趣味のごった煮ブログ

熊野那智大社 増補版(2)

2021年09月14日 18時00分00秒 | 行楽・旅行記(過去編2)

2018年に訪れた和歌山県那智勝浦の世界遺産 熊野那智大社。

このブログでも何度か紹介しましたが、お蔵出し写真を追加し、増補版として再録します。

過去記事<熊野那智大社 増補版(1)

2018年8月

大鳥居をくぐって正面にあったのは那智熊野大社宝物殿。

ソ〇トバン〇の犬みたいな大きな絵馬がありました。もしかして紀州犬かな

実は来るまで知らなかったんですが、拝殿は那智大社御創建1700年記念境内施設整備事業で改修工事中でした。。

これはかなり残念でした

※改修作業は2019年3月に終了してます。

那智大社の御祭神は熊野夫須美大神(イザナミノミコト)ですが、創成時期は不明で、那智の滝を神聖化する原始信仰がその起こりとも云われています。

社殿が創建されたのは熊野三山の中では一番後になり、仁徳天皇5年(317年)と伝えられています。

全国に四千社あると言われる熊野神社の総本宮です。

日本一でっかいおみくじを引く息子(笑)

樟霊社(しょうれいしゃ)

平重盛のお手植えと云われている樹齢約850年の樟(くす)が御神木として祀られてました。

空洞化した幹をくぐる胎内くぐりで有名です。

幹の下の穴から中に入って階段を登ると上に出てきました。

御縣彦社(みあがたひこしゃ)

その前に八咫烏の像がありました。

熊野の海に上陸した神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)が那智の滝にたどり着き、これを大己貴命(大国主神のこと)を表すご神体としてお祀りしました。

その後、高皇産霊尊によって高天原から神日本磐余彦命のもとへ遣わされた八咫烏が熊野から大和への道案内をし、大和に入った神日本磐余彦命は神武天皇になったと云われてます(神武東征伝説)。

拝殿が工事中だったから御本殿を正面から見ることはできませんが、横から見渡せるスペースはありました。

6つの社が並ぶ本殿。一番手前は第二殿の証誠殿で、家都御子大神をお祀りしています。

第四殿が主祭神の熊野夫須美大神を祀る西御前になります。

天気もよくて本当に絶景でした 

『那智山熊野大権現』

大権現とは神が仏の姿を借りて現れるという意味で、かつての神仏習合の名残りです。

那智大社の横にはその神仏習合を現在にも伝える場所があります。

つづく

 

よろしければ、応援クリックお願いします!


にほんブログ村


熊野那智大社 増補版(1)

2021年09月13日 18時00分00秒 | 行楽・旅行記(過去編2)

昨年夏にこのブログで全33回に渡って記事にした『紀伊半島一周の旅』。

そこで和歌山県の熊野三山のひとつ、熊野那智大社を紹介しましたが、お蔵出しの写真も加えて再録増補版をお送りします。

2018年8月

和歌山県東牟婁郡那智勝浦町、那智山参道から熊野那智大社の境内を目指します。

つれもて参道って書いてありますね。

「つれもて」は和歌山弁で「一緒に」、「連れだって」の意。

学生時代、和歌山出身の友人がよく「つれもていこら(一緒に行こう)」って言ってたのを思いだしました。

那智山郵便局。

ここからは参道の石段沿いにお土産物店が並んでました。

木工細工のお店ですね。

こちらは石細工のお店。

参道途中にある実方院跡。

その昔、上皇や法皇の熊野行幸の時に御宿所となった実方院の跡で、熊野信仰を知る上で貴重な史蹟になってます。

那智黒石を使った工芸品のお店などを見つつ長い石段をさらに上がっていきます。

那智大社に向かう有名な熊野古道『大門坂』はこの参道よりもう少し標高の低い場所に入り口がありますが、まだ歩いたことはありません。。。

いつも大門坂入口の前を素通りして、車で上がってきちゃいますから(爆)

ラムネが冷たそう!

振り返ると、熊野の山々と海が見えました、絶景です

大きな鳥居が見えてきたけど、さらに石段が続いてる・・・

このスペースでちょっと休憩してから境内を目指しました。

この鳥居をくぐればようやく世界遺産 那智熊野大社の社殿が見えてきますよ~

つづく

よろしければ、応援クリックお願いします!


にほんブログ村


熊野速玉大社 増補版(2018年)

2021年09月09日 12時00分00秒 | 行楽・旅行記(過去編2)

昨年夏にこのブログで全33回に渡って記事にした『紀伊半島一周の旅』。

そこで和歌山県の熊野三山のひとつ、熊野速玉大社を紹介しましたが、お蔵出しの写真も加えて再録増補版を記事にしました。

2018年8月

熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)は熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ;イザナギノミコト)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ;イザナミノミコト)を主祭神としています。

熊野三山の熊野本宮大社、熊野那智大社が山の中にあるのとは対照的に速玉大社は新宮市の街中に鎮座してました。

熊野神宝館

神宝館の前にあった像

一見、中国の武人のようにも見えますが、武蔵坊弁慶の像です。

弁慶の生涯は謎に包まれてますが、そのルーツは熊野速玉大社に仕えた鈴木一族という伝説もあるそうです。

摂社の熊野恵比寿神社と新宮神社。

境内にそびえる樹齢およそ千年と云われる梛(ナギ)の大樹は熊野権現の象徴として信奉されてます。

古来から道中安全を祈り、この葉を懐に入れ熊野詣ですることが習わしだったそうです。

熊野速玉大社参詣曼荼羅

大社の右横に描かれているのは熊野川ですね。

熊野川はかつて水運交通の大動脈でしたが、暴れ川でもあり、昔から度々大洪水をもたらしてきました。

2011年の台風12号の集中豪雨では熊野川の氾濫で新宮市でも甚大な被害が出ました(紀伊半島大水害)。

訪れた少し前には台風20号で熊野川中流域が氾濫し被害がありました。

手水舎で手洗いの作法を見ながら・・

神門

熊野速玉大社拝殿・本殿

朱塗りの社殿と後ろの木々の緑のコントラストが素晴らしい

自然信仰が根付く熊野の神倉山ゴトビキ岩に神々が降臨し、景行天皇五十八年、現在の地に真新しい宮(新宮)を造営して神様をお迎えしたことが熊野速玉大社の起こりです。

熊野信仰とは元来、自然をご神体とする信仰に始まり、それが神社神道へと型を変えて現在に至ったものです。

ご利益は富貴隆昌、現世安穏、災厄除け、縁結び、病気平癒などなど。。

ここから1kmほどのところに神々が降臨したゴトビキ岩を祀る神倉神社がありますが、まだ行ったことはありません。

コロナが終息したら一番に行ってみたい場所のひとつです。

熊野三山、高野山、吉野大峯の霊場とそこへ向かう参詣道は2004年にユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道(熊野古道)』に登録され、この熊野速玉大社ももちろんその世界遺産の構成資産のひとつなってます。

新宮市の指定天然記念物 オガタマノキ。

西日本以西に分布する暖地性のモクレン科の木で、その名前は神の魂を招く「招霊(オギタマ)」に由来してます。

熊野速玉大社御幸(上皇や法皇が外出されること)の碑。

鳥羽上皇、後白河上皇、後鳥羽上皇は20回以上の熊野詣を行ってますね。

都からおよそ1か月かかる行程なのに凄い回数です。

源平合戦から承久の乱など世の中が乱れている頃の上皇だから、神様にすがりたかったのかな あるいは現実逃避?(笑)

おしまい

よろしければ、応援クリックお願いします!


にほんブログ村


海洋深層水の日(2019年)

2021年09月07日 13時00分00秒 | 行楽・旅行記(過去編2)

2019年10月

三重県尾鷲に釣りに行く度にいつも気になってた『みえ尾鷲海洋深層水アクアステーション』。

家族で釣りに来たついでに初めて立ち寄ってみました。

偶然、その日は「みえ尾鷲海洋深層水の日」(謎)ってことで、『深層水フェスタ2019』なる催しが行われてました。

朝から振る舞い食事券が先着200名に配布されてたようですが、管理人家族が着いた時はもう無くなってました。。

深層水で炊いた炊き込みご飯のおにぎりみたいでした。

まぁ、たまたま立ち寄っただけなんですが、ちょっと食べてみたかったですね(笑)

このアクアステーションはみえ尾鷲海洋深層水利用協議会や尾鷲市商工課が運営する事業のひとつで、深層水を有効に活用し、様々な分野への利用研究や事業化促進、地域活性化への寄与を目的としているそうです。

海洋深層水は太陽光が届かず、水深200メートルより深く、表層の海水と混ざらない深さにある海水のことだそうで、必須微量元素や各種ミネラルがバランス良く含まれているため、さまざまな有効利用の研究が進められてます。

実際、お酒や醤油の醸造に使われたり、温泉や魚の飼育・養殖にも利用されてるそうです。

尾鷲の海や漁に関する展示物。

マダイやクロダイ、ガシラ、カゴカキダイなんかが泳ぐ水槽もありました

おっ!このポスター欲しいなぁ~。

おにぎりにはありつけませんでしたが、息子はかき氷、妻はコーヒー、管理人は麦茶を頂きました。

超軟水深層水淡水で作ったお茶はとても口当たりがまろやかで、息子もかき氷がめっちゃ美味しいと言ってました。

通常は三重県内の企業や研究施設向けの大口の有償分水のみで、使用目的の審査も必要とのこと。

一般への有償分水は行っていませんが、この日はイベントということで10Lまで無料で深層水を頂くことができました。

家で飼ってる海水魚用に海水を汲んでおこうと思い、2Lの空のペットボトルを何本か車に積んでいたから、2Lだけ深層水淡水を貰いました。

深層水淡水は紫外線殺菌済みで、炊飯やコーヒー、お茶に使って下さいと言うことだったので、帰ってから炊飯に使ってみました。

まぁ、普段の炊飯との違いはよく分からなかったけど、少しふっくら感が出たような気がしました。

よろしければ、応援クリックお願いします!


にほんブログ村


富岳風穴 夏と冬(2016年)

2021年09月04日 18時00分00秒 | 行楽・旅行記(過去編2)

2016年の夏と冬に訪れた山梨県南都留郡富士河口湖町の青木ヶ原にある富岳風穴。

夏バージョンは前に紹介しましたが、今回は冬と対比させて紹介記事にしてみました。

2016年8月

夏には家族で訪れました。

国道139号線沿いにある『森の駅 風穴』が目印で、大きな駐車場も完備されてました。

森の駅 風穴から風穴の入り口までは御覧のように樹海の中を歩いて行きました。

青木ヶ原樹海は864年の富士山の貞観大噴火の溶岩流が広く流れた場所で、溶岩が冷えて固まる時に出来た空洞が風穴です。

2016年2月

こちらは真冬に訪れた時の樹海の遊歩道。

押し寄せた溶岩がそのまま固まってできた溶岩棚。

溶岩にまとわりつく樹木の根やシダ植物もいい雰囲気ですね

冬の同じ場所・・・よく分かりません

ここで入場料を払って先に進みます。

風穴内は狭いところもあるので、安全のためヘルメットが必要な方には無料で貸し出してもらえます。

真夏でも風穴に降りていく階段付近は10℃くらいだそうで、冷気が吹き上がってきますね。

風穴の中を流れる富士山の冷たい湧き水によって中の年間平均温度は3℃で冷蔵庫なみです。

こちらは冬の風穴の入り口。

ビックリするくらいの温度のギャップを感じたい方は夏場がおススメですね

でも、真夏は風穴の中の氷の多くは溶けちゃってて、地面を氷が覆ってるだけ・・・

夏に氷が残ってるってだけでも凄いなぁとは思いますが・・・

こんな綺麗な氷柱を見たい人はやっぱ冬がおススメ。

ライトアップもされてます。

風穴の総延長は201mで、縄状溶岩や網状溶岩、溶岩棚といった溶岩の冷え方によって出来る岩の様々な造形を見ることができて、風穴の一番奥には光る苔(珪酸華)の群生もありました。

この風穴は昭和30年頃までは蚕の繭玉の保存などに使われていたそうです。

また、良質な種子を保存し、芽吹きを良くするため冷蔵状態で貯蔵していました。

今も観光用の見本なのか(?)、繭玉や種子がご覧のように置かれていました。

森の駅 風穴で買ったトウモロコシのソフトクリーム。

トウモロコシの甘みというよりコーンポタージュスープっぽい味だったように記憶しています

もちろん、夏に訪れた時に食べました。

よろしければ、応援クリックお願いします!


にほんブログ村


伊勢国津藩 崇廣堂(2017年)

2021年09月03日 18時00分00秒 | 行楽・旅行記(過去編2)

2017年1月

三重県伊賀市街の中心部にある崇廣堂(すうこうどう)

崇廣堂は伊勢国津藩の第10代藩主 藤堂高兌が伊賀・大和・山城の領地に住む藩士の子弟を教育するために津の藩校・有造館の支校として伊賀の地に建てたものです。

1930年(昭和5年)には、「旧崇廣堂」として国の史跡にも指定されています。

入館するとまず薄暗い展示室に案内され、有無を言わさず崇廣堂の歴史に関するビデオを見ることに・・(笑)

当時使われていた論語の教本。

豊臣秀吉、徳川家康に仕えた藤堂高虎が伊勢津藩主となり、この崇廣堂を造った藤堂高兌は江戸時代中期に津藩第10代藩主を務めました。

嘉永7年(1854年)に伊賀地方を襲った安政伊賀地震で建物の大半が大破したそうですが、翌年には復興され、明治の世になってからは小学校や市立図書館として使用されていた時期もあったそうです。

講堂は創建時の姿のままだそうです。

当時、この広間で藩士の子供たちが机を並べて勉学に励んでいたんでしょうね。

息子もあやかりたいものです。。

台所には大きなかまどがありました。

木でできた小便器なんて初めてみました

崇廣堂は伊賀上野城や伊賀流忍者屋敷のある上野公園の南側すぐのところにあります。

よろしければ、応援クリックお願いします!


にほんブログ村


大日本仏法最初 四天王寺2(2018年)

2021年09月01日 18時00分00秒 | 行楽・旅行記(過去編2)

2018年10月

六時礼讃堂(重要文化財)

1623年(元和9年)に建立された薬師如来坐像と四天王像を安置するお堂です。

1日を六分割して、その都度勤行(読経や念仏)を行う浄土教(浄土信仰)の教えに従って、 昼夜6回諸礼讃をする場所なのでこの名が付きました。

太鼓楼

元々、刻を知らせる太鼓を鳴らすお堂でしたが、再建の際に鐘を設け、大晦日には除夜の鐘も撞かれます。

伊勢神宮遥拝石

境内にある転法輪石、熊野権現礼拝石、引導石とこの伊勢神宮遥拝石四天王寺四石と呼ばれます。

江戸時代はここで伊勢神宮の方を向いて遥拝する習慣があったそうです。

四天王寺の石槽(大阪府有形文化財)

いわゆる手水鉢ですね。

いつの頃からか四天王寺の境内にあったこの石はその形から蛙石とも呼ばれていて、触れると安産のご利益があったそうです。

明治時代になってからの調査でこの石は荒陵(現在の天王寺区茶臼山)から出土した古墳時代の石棺の蓋であることが分かりました。

野沢菜原種 旅の起点

2016年に建立された「野沢菜伝来記念碑」。

今では長野県を代表する名物の野沢菜ですが、江戸時代に現 野沢温泉村の僧侶が京都へ遊学した際に手に入れた天王寺蕪(かぶら)の種が野沢菜の先祖と云われてます。

こんなとこで野沢菜のルーツを知ることができるとは思いもよりませんでした

太子井戸屋形

その云われは知りませんが、応龍や菖蒲、流水などの見事な彫刻意匠に目を奪われました

南鐘堂(鯨鐘楼)

大黒堂

一体の像に大黒天・毘沙門天・弁才天の顔を持つ三面大黒天を本尊として祀ってます。

子孫繁栄・福徳智慧・商売繁盛などにご利益があるとされる欲張りにはもってこいの神様ですね(笑)

今年の2月に訪れた京都東山の圓徳院でも豊臣秀吉の出世守り本尊だった三面大黒天にお参りしました。

 

元三大師堂

比叡山延暦寺中興の祖で第18代天台座主だった元三慈恵大師良源を祀ったお堂。

四天王寺は中心伽藍だけでなく、境内に様々なお堂があるのも特徴で、全部回ろうとすると結構時間がかかっちゃいます

元三大師堂の敷地にあった魚籃観音

魚籃観音(ぎょらんかんのん)は三十三観音に数えられる観音菩薩のひとつ。

中国 唐の時代、魚を扱う美女がおり、観音経、金剛経、法華経を暗誦する者を探して結婚しましたが、まもなくして死んでしまいました。その後人々はこの女性は法華経を広めるためにこの世に現れた観音様だとして信仰されるようになりました。

魚の入った籠を持った姿や魚に乗った形で表される観音様です。

この像は水産業者がお祀りしたようですね。

お魚好きの管理人が四天王寺巡りの最後にこの観音様に出会えたことも何かの縁かなと思いました

おしまい

過去記事<大日本仏法最初 四天王寺1(2018年)

 

よろしければ、応援クリックお願いします!


にほんブログ村


大日本仏法最初 四天王寺1(2018年)

2021年08月31日 18時00分00秒 | 行楽・旅行記(過去編2)

2018年10月

JR天王寺駅から北へ10分ほど歩いた所にある日本仏法最初 和宗総本山 四天王寺に立ち寄った時の記録です。

四天王寺は推古天皇元年(593年)に造立が開始された聖徳太子建立七大寺のひとつとされ、山号は荒陵山(あらはかさん)、本尊として救世観音菩薩をお祀りしています。

境内の西側に建つ極楽門(西大門)

1962年、松下電器の松下幸之助氏の寄進によって再建された門です。

極楽の入り口とされる門で、極楽浄土があるとされる西に落ちる夕陽を見ながら日想観が行われます。

阿弥陀堂。

今の本堂は昭和28年に四天王寺末寺の三重県国束寺(くずかじ)の本堂を移築したものだそうで、法然上人二十五霊場の札所となっています。

萬燈院

紙の衣を着て修業した羅漢さんを形どった仏(紙衣仏;かみこぶつ)をお祀りしているお堂で、病気回復に功徳があると云われています。

実は訪れた日が偶然、衣替え法要の日で、御堂の前ではその準備が行われてました。

この後、病気平癒を願う多くの信者さんで賑わったんでしょうね。

宗派は天台宗に属していた時期もあったそうですが、元来は八宗兼学の寺で、日本仏教の祖とされる聖徳太子の寺であることから、全仏教的な立場として、宗派に拘らない「和宗」の総本山として独立しています。

そのため、境内には真言宗の空海(弘法大師)(上)、浄土真宗の親鸞(中)、浄土宗の法然(下)といった各宗派の祖の銅像も祀られていました。

境内の南側に回って、外側から眺めた南大門

元は推古元年に創建されましたが、現在の南大門は昭和60年に再建されたものです。

南大門の内側には熊野権現礼拝石が鎮座してて、古来より熊野詣に出発する前にはまずこの場所で熊野を遥拝してから旅立ったと云われています。

こんな飛出し坊やを見つけました!

笑いながら飛び出す聖徳太子・・・シュールですね~(笑)

仁王門

仁王門の左右には仏法を護る力強い金剛力士像(仁王像)が睨みをきかせてます。

西側(青)が密迹金剛力士で、東側(赤)が那羅延金剛力士ですね。

大仏師 松久朋琳・松久宗琳両師の手による代表的な仏像です。

訪れた前年に修復・再塗装作業が行われたそうなので、めっちゃ色鮮やかな仁王様でした!

四天王寺 中心伽藍。

南から仁王門、五重塔、金堂、講堂の順に並ぶ四天王寺式伽藍配置で、日本で最も古い寺院建築様式です。

時刻はまだ朝の8時前だったから、中心伽藍の拝観は叶いませんでした。。。

つづく

よろしければ、応援クリックお願いします!


にほんブログ村


志摩スペイン村の思い出3(2015年)

2021年08月28日 18時00分00秒 | 行楽・旅行記(過去編2)

2015年8月

志摩スペイン村のコロンブス広場へやって来ました。

池の奥にある城壁はアドベンチャーラグーンというアトラクションの一部でしたが、2012年に営業が終わっちゃいました。

ディズニーのカリブの海賊と急流すべりを合わせたようなウォーターライドでめっちゃ面白かったのに残念でした・・

跡地の池は「フェリスクルーズ」というメルヘンチックな船型ライドに変わってました。

お次はコロンブス広場から「太陽の洞窟」を通ってバビエル城博物館方面に向かいます。

太陽の洞窟は綺麗なイルミネーションが灯る幻想的なエスカレーターと階段の通路でした。

バビエル城博物館

日本に初めてキリスト教を伝道した宣教師フランシスコ・ザビエルってポルトガル人かと思っていたら、生まれはスペインだったんですね。

実はザビエルは地方貴族の家に育ち、この建物はザビエルの生家だったバビエル城を原寸大で再現したものなんだそうです。

旧石器時代の洞窟「アルタミラ洞窟」の壁画の実物大レプリカ。

実物大レプリカは世界で3つしかありません。

コロンブスの大西洋横断に使われたサンタマリア号の模型

古代から中世、近世のスペインの文化や生活を紹介する展示が興味深い博物館でした。

マヨール広場

マヨール広場(プラサ・マヨール)は大広場の意味だそうで、スペインの多くの都市や街の中心には大きな広場が設けられてるそうです。

この像はフェリペ3世騎馬像で、マドリードのマヨール広場中央にもフェリペ3世像が置かれてます。

スペイン村の帰り、パールロードの鳥羽展望台から眺めた海。

派手なアトラクションや有名なキャラがいるテーマパークではありませんが、のんびりとマイペースで巡ることができるスペイン村はお気に入りの場所です。

おしまい

過去記事<志摩スペイン村の思い出2(2015年)

 

よろしければ、応援クリックお願いします!


にほんブログ村


RALLY NIPPON in Shiga(2012年)

2021年08月27日 17時55分31秒 | 行楽・旅行記(過去編2)

2012年11月

前年の2011年に引き続き、この年もRALLY NIPPONが地元滋賀県甲賀市にやって来ました。

朝に京都上賀茂神社スタートし、東京靖国神社までのおよそ1,000kmを4日間かけて旧車、名車、スポーツカーが駆け抜けます。

ラリー初日、甲賀市がお昼のチェックポイントになっていたので、出掛けてみました。

ブガッティ T35A(1927年)がやって来ました。

85年前の車が1,000km走れるなんて、まめなメンテナンスができてないと無理でしょうね。

ブリストル 420DHC(1950年)

イギリスの高級車メーカー、ブリストル・カーズの車ですが、日本では馴染みが無いですね。

タルボ 90 スポーツ(1933年)

タルボ(Talbot)はかつて存在したイギリスの大衆車メーカーでした。

なんか凄いクラシックカーが来ました、W.O.ベントレー(1929年)です。

W.O.ベントレーはベントレーの創業者の名でイギリスの自動車産業の先駆的役割を果たしました。

昔の軍用車両のような重厚さですね

ジャガー SS100(1936年)

ボルボ 122S(アマゾン)(1964年)

ボルボ アマゾンとして登場しましたが、某バイクメーカーが商標登録していることが分かり、122Sに改称されちゃいました。。。

ボルボ PV444(1957年)

フロント/フェンダーとボンネットに段差がついた面白いデザインの車でした~。

ランボルギーニ ミウラも来ましたよ~。

子供だった頃のスーパーカーブームが懐かしいね

これも懐かしいホンダ Z!

マツダ ファミリア プレスト ロータリークーペ(1970年)

ファミリアは1969年から海外レースにも出場していて数々の輝かしい戦歴を残しました。

純白のジャガーXK140で登場したのは雅楽奏者の東儀秀樹さんでした。

東儀さんはクラシックカーマニア、ミニカーコレクターとしても知られてます。

そして、可愛らしい三菱 500。

当時、国が掲げた国民車構想に呼応して三菱重工業が1960-1962年に製造・発売していた車です。

ドライバーは自動車マニアとしても知られる俳優の唐沢寿明さんでした

前年はトヨタ2000GTでスタートしたものの、お仕事の関係からか途中で離脱され、甲賀には来てくれませんでしたが、この年はナマ唐沢さんを見ることができました!

ラリー参加車はまだまだたくさんありましたが、特に管理人が印象に残ったものを紹介しました。

会場では他にも子供向けに働くクルマの展示や飲食物の屋台が並び、めったに見ることがない珍しいクルマをたくさんの方々が見にこられてました。

よろしければ、応援クリックお願いします!


にほんブログ村


京都市市民防災センター(2017年)

2021年08月26日 18時00分00秒 | 行楽・旅行記(過去編2)

2017年10月

市の外郭団体主催のバス研修ツアーで息子と京都市南区西九条にある『京都市市民防災センター』に行った時の様子を再録します。

京都市市民防災センターは1995年にオープンした施設で、災害時に不可欠な防災知識や災害時の行動を『見る/聴く/触れる/感じる』ことで学ぶことができました。

管理人たちが訪れた直前に来場者が200万人に到達したそうです。

近畿地方の断層を説明したパネルや防災用品を興味深く眺める子供たち。

まずは1階にある地震体験室で震度7(阪神・淡路大震災や東日本大震災クラス)の揺れを体験しました。

こりゃ、立ってることもできませんね

こんな揺れが突然襲ってきたら、冷静に判断することもままならないような気がします。。

近い将来必ず起きると言われている南海トラフ巨大地震のことを考えるとかなり心配になりました。

地震が起こり得ることを前提に準備・訓練しておくことの重要性を感じました。

強風体験室で風速32m/s(時速115km/h)を体験

風速10m/sで傘の骨が折れる、20m/sで瓦が飛ぶ。30m/sでは電柱が倒れたりするレベルの風速だそうです。

体験中はバーを掴んでるから大丈夫ですが、かなり怖いです・・・

2階の避難体験室で火災時避難のレクチャーを受けた後、ホテル火災を想定して、ホテルの廊下を再現してある煙が充満した通路で訓練です。

姿勢を低くして、煙の中にかすかに浮かぶ非常灯や非常ドア表示をたよりに脱出することができました。

この訓練をすると、知らない建物内で火災にあった時、パニックになりかねないということが良く分かると思います。

ホテルに宿泊する際は最低限、非常扉・避難経路の確認と懐中電灯の場所を把握しておくだけでも冷静に行動できるという係の方の説明は納得できました。

3階はこれまでに無かったような都市型災害を体験できるコーナーになっていて、この都市型水害体験コーナー「4Dシアター 迫りくる地下街の恐怖」が結構インパクトありました(※劇場内撮影禁止)。

この体験コーナーはステージの壁面、床面、階段全てがスクリーンになっていて、地上から押し寄せる雨水で地下街が浸水していく様子の映像が映し出され、その状況をリアルに体験することができました。

水深40cmに設定した非常扉は管理人と息子二人で押してもビクともしません  

30cmでは何とか開くのですが、10cmの差でこんなにも違うとは驚きです。

都市型水害体験コーナー 「アンダーパスの恐怖」

水深50cmに設定すると、車のドアを開けようと思ってもドアがビクともしません・・・

3階のフロア中央には京都市消防局航空隊の「ひえい号(ユーロコプター社ドーファンⅡ型)」がドーンと鎮座。

航空隊には当時、「ひえい」と「あたご」の2機の防災ヘリが現役で活躍してて、これはおそらく同型機を使ったレプリカでしょうね

災害・防災体験をした後は少し自由時間があったので、参加した子供たちは3階のキッズ・ファイヤーパークで消防士のゲームなどで楽しんでました

疑似体験とはいえ、かなり怖い思いをしました。事前の準備って凄く大切なことがよく分かりました。

※今は緊急事態宣言中のため体験プログラムは休止しているそうです。

よろしければ、応援クリックお願いします!


にほんブログ村


志摩スペイン村の思い出2(2015年)

2021年08月24日 18時00分00秒 | 行楽・旅行記(過去編2)

2015年8月

三重県志摩市のテーマパーク、志摩スペイン村パルケ・エスパーニャ訪問記の2回目です。

過去記事<志摩スペイン村の思い出1(2015年)

遊園地エリアのフィエスタ広場にある急流すべりの『スプラッシュモンセラー』は家族みんなが好きなアトラクション。

夏だとすぶ濡れになってもすぐ乾いちゃうからね~(笑)

スペインの建築家アントニ・ガウディの世界観をモチーフにしたメリーゴーランドの『ガウディカルーセル』。

コーヒーカップはバレンシア州で毎年行われるトマティーナ(トマト祭り)に因んで可愛いトマト型になってました。

遊園地をたっぷり楽しんだ後はさらにスペイン村の一番奥にあるコロンブス広場を目指しまーす。

カルメン通りにあったライド型アトラクションの『くるみ割り人形』。

くるみ割り人形ってスペインと関係あったっけ

童話はドイツだし、チャイコフスキーの組曲はロシアだよねぇ・・・

サンタクルス通りはスペイン村の中で管理人が一番好きな景観の場所。 

本当の地中海やカナリア諸島に来てるみたいですね~、知らんけど(爆)

色んなモニュメントやアイテムもしっかり造り込まれてます。

『クエントスの森』はスペインの4つの童話をモチーフにしたオブジェが並ぶ林の中の散歩道。

遠くに見えるレンガ造りの大きな建物は『バビエル城博物館』です。

コロンブス広場に到着しました!

この大きな風車の建物は『ドンキホーテ冒険の旅』。

空飛ぶガリオン船型ライドに乗ってスペインの大地、海、そして宇宙を巡ります。

スペイン村のキャラクターたちも総出演で、お子様にとっては人気のあるライドなんじゃないでしょうか。

コロンブス広場には他にも『3Dトリックツアー』や『フェリスクルーズ』などのアトラクションがありました。

後ろの船は2012年に営業を終了した『アドベンチャーラグーン』の一部。

スペイン村で一番の設備投資額(36億円)を誇った面白いアトラクションだったのに何で無くなっちゃったんだろう

つづく

 

よろしければ、応援クリックお願いします!


にほんブログ村


志摩スペイン村の思い出1(2015年)

2021年08月22日 18時00分00秒 | 行楽・旅行記(過去編2)

2015年8月

三重県志摩市の志摩スペイン村に家族で訪れた時の記録です。

志摩スペイン村は近鉄の総合リゾート施設で1988年に開園。テーマパークのパルケ・エスパーニャを中心にホテル志摩スペイン村や天然温泉ひまわりの湯で構成されてます。

管理人はこれが4回目のスペイン村でした。

ショップが並ぶエスパーニャ通りを抜けた先はシベレス広場。

そのシベレス広場に面した場所に建つのはヨーロッパの移動遊園地をイメージした屋内施設の『ピエロ・ザ・サーカス』。

ライド型アトラクションの『空中サーカスアドベンチャー』や消防士のように放水銃を扱う『ファイヤーシュート』といったアトラクションが面白かったですね。

遊園地エリアのフィエスタ広場にやって来ました。

志摩スペイン村は超有名な某2大テーマパークに比べるとストレスにならないほどの混み具合(≒ガラガラ?)もイイ感じなんです(笑)

吊り下げ式インバーテッドコースターの『ピレネー』。

これは、ちょっと無理っス・・・

遊園地で遊んでると、スペイン村名物パレードの『エスパーニャカーニバル "アデランテ"』が始まりました。

複数台のフロートやダンサーたちがシベレス広場からフィエスタ広場を巡ります。

スペインの闘牛をモチーフにしたフロートの前では闘牛士による演舞も。

写真はメインフロートの"ロゴフロート”

スペインの太陽、ドンキホーテとサンチョパンサ像などのスペインのイメージをコラージュしたフロートですね。

ネスミのキャラが出てこなくても軽快な音楽に合わせたキャストの皆さんのダンスや笑顔を見てるとめっちゃテンション上がっちゃいます

スペイン村のマスコットキャラクターのドンキー(左)とサンチョ(右)。

もちろん、ドンキホーテと従者のサンチョパンサがモチーフなのはお分かりですね。

つづく

 

よろしければ、応援クリックお願いします!


にほんブログ村


甲賀の奥座敷(2016年)

2021年08月21日 03時00分00秒 | 行楽・旅行記(過去編2)

2016年10月

滋賀県甲賀市土山町の山中、甲賀の奥座敷と呼ばれる大河原地区にある『大河原温泉 かもしか荘』。

東側は鈴鹿山脈で、近くには三重県に抜ける鈴鹿スカイラインの入口があります。

鈴鹿山脈には天然記念物のニホンカモシカも生息してます。

昔は鈴鹿山系御在所岳の山頂に日本カモシカセンターがあって、ニホンカモシカをはじめ世界のカモシカの仲間も飼育されてましたが、残念ながら2006年に閉園してしまいました。

かもしか荘は宿泊だけじゃなく、温泉だけの利用も可能です。

泉質は炭酸水素塩泉/放射能泉で、痛風、高血圧、美肌に効能があるそうです。

写真はホームページより拝借しました<かもしか荘公式ホームページ

休憩スペースにあったのはスマートボール。

子どもにとってはかなり珍しかったようで、玉を弾くのに熱中してました

温泉で火照った身体をかき氷でクールダウン(笑)

お土産もの売り場には甲賀の名産品が並びます。

天然鹿や天然猪の缶詰。

狩猟も盛んな地域だけにジビエ食材や料理も楽しめる土地柄です。

裏手にあるのが大河原園地。

この辺りは琵琶湖に注ぐ大きな河川である野洲川の上流にあたります。

夏はすがすがしい緑、秋は隠れた紅葉スポットにもなってます。

もう、覚えてませんが、川が濁ってるから数日前に大雨でも降ったのかな

普段はもっと綺麗な清流です。

コロナ禍が始まってからは1度も温泉施設へ行くことができてません。。

よろしければ、応援クリックお願いします!


にほんブログ村


Hotel & Resorts Kyoto Miyazu(2019年)

2021年08月18日 18時00分00秒 | 行楽・旅行記(過去編2)

2019年8月

京都府宮津市、宮津湾に面した高台に建つHotel & Resorts Kyoto Miyazu。

このブログではお馴染み、ダイワホテルグループのひとつです。

兵庫の城崎で遊んでから京都宮津にやって来たので、時刻はすでに夕暮れ。

宮津湾を挟んで対岸方向を撮影してみました。

対岸の手前に天橋立が横たわってるんだけど、暗くてよく分かりませんね。。

温泉にゆっくり浸かった後の夕食はバイキング。

バイキングコースがあるのもダイワホテルを選ぶ理由なんです。

海の幸やカレー、但馬牛のステーキは旨かったなぁ

夕食の後は腹ごなしに家族で卓球しました~。

息子は卓球部に入ったから、もう今やったら負けちゃうだろうなぁ。

朝5時に起きて、ホテルの周囲をお散歩。

どんよりして雨が降りそうな空模様です。

綺麗なプールがありました。

夕方にホテルに着いたから、今回はプールで泳ぐこともありませんでした。

ホテルの敷地内にあったイチゴハウス。

この時は夏場だったので営業してませんでしたが、シーズンの2月下旬~5月下旬にはイチゴ狩りができるそうです。

ありゃ~、心配してた雨がポツポツと降ってきました。

朝食も嬉しいバイキング

午前中は天橋立に行こうと思っていたのに雨なので、天気が回復するまで先に関西電力宮津エネルギー研究所内にある水族館に行くことにしました。

------------------------------------------------------

今年も夏前にホテル&リゾーツ 和歌山 串本から宿泊割引ハガキが届きました。

海を見るだけでもいいから行きたいなぁ~。

でも、海のない滋賀県だから、『海を見に行く=県境を跨ぐ』ことになっちゃいます・・悩ましい

よろしければ、応援クリックお願いします!


にほんブログ村