お気楽忍者のブログ 弐の巻

ミニカー収集/お魚採取/動植物フォト/行楽記・・・趣味のごった煮ブログ

2月22日は何の日?

2025年02月22日 21時44分08秒 | 忍の里 甲賀2

2月22日は「ニャン、ニャン、ニャン」の語呂合わせでネコの日・・・

ではなくて、地元 甲賀では「ニン、ニン、ニン」の語呂合わせで・・・

忍者の日です ww

忍者装束で勤務する甲賀市役所の皆さん。。

引用:あすは『ニン・ニン・ニン』で忍者の日 忍者の街の職員が忍び姿に“変身”「スピーディーに仕事ができそう」 滋賀・甲賀市(MBSニュース)|dメニューニュース(NTTドコモ)

「忍者の日」は、一般社団法人 日本記念日協会が2015年に登録した記念日で、2月22日に定められてます。

東京日本橋にある滋賀発進拠点「ここ滋賀」は、三重県首都圏営業拠点「三重テラス」、日本橋三越本店とともに、「日本橋ニンニン忍者フェスタ」を2月17日~29日まで開催してるそうですよ。

 

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田村神社の厄除け大祭

2025年02月17日 21時08分52秒 | 忍の里 甲賀2

2月17日

田村神社(滋賀県甲賀市)

毎年2月17-19日に開催される田村神社の厄除け大祭(田村まつり)の宵宮に妻と行ってきました。

旧東海道(国道1号線)の鈴鹿峠の登り口にある田村神社は、平安時代に嵯峨天皇の命で鈴鹿山脈の悪鬼を退治した征夷大将軍 坂上田村麻呂を祀る神社です。

参道に露店がたくさん並ぶ田村まつりでしたが、コロナ禍前に比べると露店の数は少なくなりました。

それでも、お祭りってテンション上がりますよね

福豆授与所で福豆を買いました。

境内を流れる御手洗川に架かる太鼓橋から豆を自分の年の数だけ流す事で厄が落ちる「厄豆落とし」も厄除け大祭の大事な神事。

本殿に上がる階段前の大きな矢のゲート。

坂上田村麻呂が鈴鹿峠の悪鬼を退治した際、「これより後は、この矢の功徳を以て万民の災いを除く。この矢の落ちた地に私を祀りなさい」と言って矢を放ったという伝説に由来します。

今年の無病息災、家内安全を願って本殿でお参り

雪が激しく降ってきました

明日からは再び強い寒波が居座るようで、ちょっと心配です

夕方から時々雨や雪が降ったためか、参拝客は少な目でした。

気温もかなり下がってきたから、熱々のたこ焼きを買って帰路に着きました。。

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水口神社 節分の鬼やらい

2025年02月04日 21時11分02秒 | 忍の里 甲賀2

2月2日

水口神社(滋賀県甲賀市)

地元甲賀市の水口神社で節分の夜に行われた節分祭に妻と出掛けてきました。今年は2月3日が立春で、節分は2月2日でした。

19時からの追儺式に続き、花湯奉納が始まりました。

巫女さんの舞い

笹の葉を束ねたものを持って舞いながら、紙吹雪を舞い上げます。

釜の湯を笹や榊などの枝葉でまき散らし、無病息災、五穀豊穣を祈願する湯花神楽を模した神事なんじゃないかと思います。

そして、鬼が登場

節分祭のクライマックス、鬼やらいが始まりました。

鬼やらいとは、平安時代には大晦日に行われた行事で、方相氏と呼ばれる役職の人物が鬼を追い払い、疫病退散を願う行事だったそうで、それが節分の豆撒きの起源になったと云われます。

拝殿には槍と盾を持った天狗様登場

金棒を振り下ろして襲い掛かる鬼を盾で防御する天狗。

その度に裃姿の人が参拝者に向かって弓を引いて矢を放ちます。

この矢をゲットすると厄除けのご利益があるんでしょうね。

赤鬼、緑鬼が何度も天狗と対峙し、全ての矢が放たれると、節分の追儺式も終了。

とても興味深い節分の神事を観ることができました。この日の夜はそんなに寒くも無かったので助かりました。

最期に行われた豆撒き・餅撒きでは、しっかりと厄除祓豆をゲットしてきました。

これで、今年も無病息災です・・・かね。。

おしまい

過去記事<水口神社 厄除け節分祭

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水口神社 厄除け節分祭

2025年02月03日 21時02分25秒 | 忍の里 甲賀2

2月2日

水口神社(滋賀県甲賀市)

節分の夜、甲賀市水口町にある水口神社を訪れました。

水口神社は垂仁天皇の時代に稲田姫命(イナダヒメノミコト)がこの地で4年間神鏡を奉じるとともに、大己貴命(オオアナムチノミコト、大国主命)を神鏡守護の神として祀ったのに創まると伝えられてますが、伊勢神宮鎮座の伝承を下敷きにした後世の造作と考えられてます。

まずは本殿にお参りして、厄除けを祈願しました。

大きな巳年の開運招福の絵馬

主祭神は大水口宿禰命(オオミナクチノスクネノミコト)

貞観元年(859年)の『日本三代実録』には、水口社が従五位下から従五位上に昇叙されたことが見え、延喜の制では国幣小社に列していました。中世には大岡寺の護法神として「山王新宮」と称され、東西30町、南北25町といった広大な境内地を有していたとされます。

さて、水口神社を訪れたのは19時から行われる節分祭を見るためで、拝殿にはその準備が整ってました。

19時になると拝殿で追儺式(ついなしき)が始まりました。

追儺式とは、節分などに行われる疫鬼や疫神を払う儀式ですね。

氏子の中で還暦を迎える人たちが拝殿に上がり、神主さんによる祝詞や玉串の奉納が粛々と執り行われました。

つづく

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甲賀くすり学習館にて

2025年01月25日 18時00分00秒 | 忍の里 甲賀2

1月19日

甲賀くすり学習館(滋賀県甲賀市)

甲賀地域は古くから薬草の宝庫で、その薬草に注目したのが甲賀の山伏や忍者でした。

また、滋賀には40社を超える製薬企業・製薬工場があって、そのうち10社以上が甲賀に集中しています。。

企画展示を見終えて、常設展示室に入ります。

ここでは近世~現代の甲賀のくすりの歴史を学んだり、健康測定機器の体験ができました。

近江のくすりの歴史

滋賀県は富山、奈良と並んで配置売薬が盛んでした。

江戸末期に農閑期の副業として売薬が営まれており、慶応年間に渡辺詮吾が岡山県北部に行商、解毒剤のテリアカの処方の伝授を受けて製造販売しました。これが甲賀売薬の起こりとされています。配置売薬は、明治24年に近江製剤社を皮切りに、売薬神農会、近江売薬株式会社などが設立され、明治時代の終わりに行商をする者は400余名に達しました。

昔の配置売薬の紙袋のデザインが面白い

お肌の水分量を測定・・・

管理人は、原理がよく解らない生体発電波動測定器を使って元気度を測定 ww

50代のところを見ると・・・疲労でした・・・やっぱり。。

生薬などの薬材を挽いて粉末にしたり、磨り潰して汁を作ったりするための薬研(やげん)も体験してみました。

時代劇などでも時々登場しますね。NHK大河ドラマ『どうする家康』で、家康が薬研を使っているシーンも印象に残ってます。

試しにハトムギをすり潰してみましたが、これがなかなか難しい・・・。

忍者とくすりの里、甲賀のくすり学習館の様子を紹介しました~

おしまい

過去記事<REAL 甲賀忍者

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REAL 甲賀忍者

2025年01月24日 15時00分00秒 | 忍の里 甲賀2

1月19日

甲賀くすり学習館(滋賀県甲賀市)

地元甲賀市にある『甲賀くすり学習館』を久しぶりに訪れました。

甲賀地域は古くから薬草の宝庫で、その薬草に注目したのが甲賀の飯道山(はんどうさん)周辺に居住していた山伏たちと云われています。甲賀の山伏たちの術は甲賀忍術の起源とも言われてますね。

現在は企画展『Real 甲賀忍者 -くすりを活かす知恵-』が開催されてました。

企画展示はこれまで何度か見させて頂きましが、今回は非常に興味深い内容でした。

盟文之事【御忍役人御用】

江戸時代に甲賀忍者が実在したことを示す資料で、尾張徳川家に仕えた甲賀者が藩に提出した起請文だそうです。

近年見つかった資料で、延宝7年(1672年)に尾張徳川家が5名の甲賀忍者を雇い入れていたことがわかりました。普段は甲賀に住み、御忍の御用がある時に馬で尾張藩まで駆けつけるという非常勤の勤務形態だったそうです。

戦国末期に徳川家康が甲賀忍者を雇い入れ、江戸期になると、江戸城の警護の職務を与えたことは知ってましたが、尾張徳川家に仕えた忍者の話は初めて聞きました。

山伏のお札

忍者も普段は農業や薬作りを生業としており、山伏姿で加持祈祷して、お守り札や薬を全国で売り歩き、諜報活動などもしていたそうです。

修験道で、「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前(りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん)」の九字の呪文と九種類の印によって護身、戦勝等を祈る作法。

忍者が用いた薬草

兵糧丸は、老談集(武田信玄に仕えた山本勘助、馬場美濃守が話した馬術と忍術に関する書)に載る忍者食。

8種類の原料を粉にして、水を加えて蒸しあげて作るそうです。糖分ベースで、サポニンも含み、体力や持続力が期待できるそうです。

こちらは萬川集海(江戸時代前期の日本の忍術伝書)に載る火薬の原料を集めた展示。

服部半蔵、百地丹波守とならんで伊賀流忍術の大家であった藤林長門守は火術に長けた忍者だったとされ、長門守の居城があった地域には古くから火筒や狼煙などの火薬に対する技術が伝承されてます。

今回は忍者とくすりの関係だけでなく、忍者の知恵や技術に関する興味深い展示物を見ることができました

つづく

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三社参り2025 油日神社

2025年01月04日 17時00分00秒 | 忍の里 甲賀2

1月1日

油日神社(滋賀県甲賀市)

初詣の三社参り、三つ目はこのブログでもお馴染みの油日(あぶらひ)神社。

油日神社の創祀年代は不明ですが、用明天皇あるいは天武天皇の時代の創建とも伝えられている他、聖徳太子が社殿を建立し、油日大明神を祀ったとの伝承もある由緒ある神社です。

油日神社公式ホームページより引用

また、油日神社は、中世の神社建築様式を残していることから、映画やドラマのロケにしょっちゅう使われてます。

神社の公式ホームページにもロケ情報が出てるのが面白いですね。

拝殿

かつて、甲賀武士団(甲賀忍者)の頭領たちが合議をしたとされる拝殿は、2020年に放送されたNHKのブラタモリ「甲賀・信楽」の回でも取り上げられました。

本殿

縁起物の熊手

三社参りを終えた後は、これまた恒例になってるイオンとアピタに正月限定トミカを買いに行ってきました。

元日の朝10時なのに、福袋目当てなのか、お客さんは結構多かったですね。。

霊峰 綿向山は薄っすらと雪化粧しています。

12月中は心配していた雪も大丈夫で、2回ほど薄っすらと積もっただけでした。

大鳥神社では厄除けのお福梅、油日神社では黄金糖を頂きました。

以前は櫟野寺では年越しそば、大鳥神社では甘酒、油日神社では紅白餅が振舞われましたが、コロナ禍以降は無くなっちゃいました。。

おしまい

過去記事<三社参り2025 大鳥神社・櫟野寺

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三社参り2025 大鳥神社・櫟野寺

2025年01月03日 19時00分00秒 | 忍の里 甲賀2

1/2の goo blog 障害につき、再アップします。

1月1日

大鳥神社(滋賀県甲賀市)

元日の朝は、妻と地元の氏神様に参拝。帰省している息子は友人たちと多賀大社に初詣に行って朝帰り・・まだ寝てます

手水舎もお正月モードですね。竹にはわら縄で作られた蛇が巻き付いてました ww

楼門は京都の八坂神社の西楼門に似ているため、大鳥神社は大原祇園社とも呼ばれます。

楼門脇に巳年に因んだ絵手紙が飾られてました。

昨年授かった御守りや御札をお返しし、新しい交通安全のお守りを買ってから、本殿に参拝します。

主祭神は素戔嗚尊。

大鳥神社は平安時代の元慶6年(882年)に創建された古い神社で、その神宮寺であった天台宗の河合寺とともに栄えました。河合寺は36院もあって隆盛を誇り、鎌倉から室町時代には近江守護の六角氏の崇敬も厚かったそうです。

天台宗福生山 櫟野寺(滋賀県甲賀市)

お正月恒例の初詣の三社参り、二つ目は天台宗櫟野寺(らくやじ)です。

櫟野寺は、延暦11年(792年)に伝教大師最澄が比叡山延暦寺根本中堂建設の材木を得るためこの地を訪れた時、霊夢を感じて櫟の生樹に一刀三礼の下、観音像を彫刻安置されたことに始まります。

仁王門の金剛力士像は迫力満点、甲賀市の有形文化財に指定されています。

去年は息子の受験だったから「合格祈願」、今年は「無病息災」の蝋燭を奉納してきました。

「今年1年、病気や災いに見舞われませんように」

どんと焼き用の焚火が暖かい。

北陸や北日本は大雪となっているようですが、穏やかな天候の元日となった甲賀地方です。

つづく

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陶芸の森 信楽産業展示館

2024年12月14日 01時00分00秒 | 忍の里 甲賀2

12月8日

滋賀県立陶芸の森

寒空の下、訪れた滋賀県甲賀市信楽町にある『滋賀県立陶芸の森』。

太陽の広場に並ぶ陶芸作品や登り窯施設などを見学した後は信楽産業展示館に入ってみます。

甲賀市立信楽産業展示館

信楽焼のカエルも現代アート風 ww

おむすびカフェの『銀月舎』さん

信楽にある『釜炊近江米 銀俵』が経営してるみたいですね。銀俵さんの本店はいつも行列ができてる人気の食堂です。

産業としての信楽焼の「今」を発信する信楽焼産業展示館は、信楽にある様々な陶器店の商品を展示している施設。

食器より、こういった陶器製のオブジェを見るのが好き

信楽では来年の干支の置物の製造が最盛期ってことを数日前のローカルニュースで見ました。

東京コミックショウの「レッドスネーク、カモン!」を思い出してしまった(爆)

館内のショップでは、信楽焼の販売もされてました。

真ん中のタヌキはビリケンさんですね。

おしまい

過去記事<陶芸の森 太陽の広場にて

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陶芸の森 太陽の広場にて

2024年12月11日 16時00分00秒 | 忍の里 甲賀2

12月8日

滋賀県立陶芸の森

滋賀県甲賀市信楽町にある『滋賀県立陶芸の森』は、信楽焼の情報発信と文化創造の環境提供、そして県民のレクリエーションを目的として開園した公園で、陶芸館や信楽産業展示館、創作研修館、野外公園から成ってます。

駐車場の陶器でできた犬型の車止めが可愛らしいね

この日は昼間の気温も8℃で風も強く寒い1日でしたが、太陽の公園を散策してみます

園内には様々な陶器製のオブジェが配置されてますが、ぶっちゃけ 芸術は難しい ww

春と秋の『信楽陶器まつり』のシーズンは多くのお客さんが訪れる陶芸の森ですが、シーズンオフは閑散としてますね。

この日の午後からは信楽産業展示館のホールでクリスマスコンサートがあるみたいですが。。。

夜見たら怖そうなオブジェ・・・

足が生えとる・・・

抽象芸術より写実的なものの方が好きだから、適切なキャプションが思いつきません(爆)

お次は信楽産業展示館でも覗いてみましょうか

つづく

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信楽駅 タヌキのサンタクロース

2024年12月09日 03時00分00秒 | 忍の里 甲賀2

12月8日

TOKYO MXで放映しているアニメ『忍ばない! クリプトニンジャ咲耶』と甲賀市のコラボ企画のスタンプラリー。市内にあるJRと信楽高原鐡道の6つの駅を巡ってスタンプを集めると、オリジナルグッズがもらえる企画です。

で、行ってきました!信楽高原鐡道の信楽駅 ww

駅前の巨大タヌキ(高さ5.8m)は、この時期にピッタリのサンタコスに衣替えしてました。

駅舎の中もクリスマスモードですね

イケタヌ(イケてるタヌキ)総選挙の投票最終日だったから、妻はスマホで⑤のタヌキに投票してました(出口調査)。

『手作り陶器の店 ギャラリー高原』さん。

平成3年(1991年)、信楽で開催された世界陶芸祭の最中、信楽高原鐡道とJRからの乗り入れ列車が正面衝突し、死亡42名、負傷者600名という大惨事になりました(信楽高原鐡道列車衝突事故)。

歪んだヘッドマークや圧し潰された列車無線機が生々しい・・・。

ご遺族の要望で、二度と事故を起こさないという願いと事故の風化を防ぐため、駅舎内に展示されてます。

ちょうど、滋賀に移り住む前年の出来事だったから、ニュースは鮮明に覚えています。自宅から信楽へ来る途中はいつも事故の慰霊碑の前を通ります。。

信楽高原鐡道では12月になると団体予約制でクリスマス装飾を施したサンタ列車が運行されます。

息子も保育園の頃は遠足でサンタ列車に乗って喜んでたっけな

この後は『滋賀県立陶芸の森』でもブラブラしましょうかね、寒いけど・・。

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隠れ紅葉スポット 明王寺

2024年11月29日 12時00分00秒 | 忍の里 甲賀2

天台宗清涼山 明王寺(滋賀県甲賀市)

本堂から見たよく手入れされたモダンな庭園もこのお寺の魅力のひとつ。

晩秋になると境内が美しい紅葉に彩られます。

「今年は猛暑の影響で葉の状態があまり良くなく、色付きもイマイチ」と和尚さんは仰られてましたが、それでも十分綺麗な紅葉を愛でることができました

もみじだけじゃなく、灯台躑躅(ドウダンツツジ)の紅葉も綺麗ですね。

1991年に栃木の烏山天文台で発見された小惑星6786には、ドウダンツツジの名が与えられ、漢字では「満天星」の表記があてられたことから、ドウダンツツジの漢字表記としては、「灯台躑躅」あるいは「満天星」が使われます。

三重の伊賀、滋賀の甲賀の県境近くで、東海自然歩道が貫く山あいのこの場所はとても静かで、森の中から百舌鳥の鳴き声が響いてました。隠れた紅葉スポットだと思いますよ w

「難を転じて福をなす」縁起木の南天(ナンテン)

お茶室の前の真紅の楓も美しい

永源寺、百済寺、明王寺と毎日1か所の紅葉スポットを巡り、季節の移ろいを存分に感じることができた週末でした

過去記事<天台宗清涼山 明王寺にて

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天台宗清涼山 明王寺にて

2024年11月28日 13時00分00秒 | 忍の里 甲賀2

11月24日

天台宗清涼山 明王寺(滋賀県甲賀市)

畑へ玉ねぎを植え付けるため、ホームセンターに肥料の牛糞を買いにいったついでに、滋賀県甲賀市の明王寺を訪れました。

昭和40年にこの寺で徳川4代将軍(家康、秀忠、家光、家綱)の名(戒名)が刻まれた位牌が見つかり、家康の伊賀越え(神君伊賀越え)にゆかりのある場所ではないかと云われてます。

昨年はNHK大河ドラマ『どうする家康』に因んで、地元に残る家康の痕跡をテーマに関連史跡を巡った時にこの明王寺も訪れました。

秋明菊(シュウメイギク)

延暦年間(782-806年)に伝教大師最澄が比叡山延暦寺諸堂建設のための用材を求めにこの地に入り、里人が悪病に苦しんでいることに心を痛め、一刀三礼のもとに五大明王を刻まれてこれを安置すると里人の病が平癒したと云われています。後に堂宇を建てて、五大明王を祀ったことが明王寺の始まりと伝えられています。

明王寺本尊の五大明王

中央が不動明王で、その左右に大威徳明王、金剛夜叉明王、軍荼利明王、降三世明王が配置されています。

河原撫子(カワラナデシコ)

前日の百済寺に続いて、ここでも本堂横の鐘を撞く妻 ww

時無し之鐘と書かれてますが、どういう意味なんでしょう

この明王寺を訪れた理由は次回のブログで紹介します(謎)

つづく

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もみじの色付きを見に

2024年11月16日 20時26分51秒 | 忍の里 甲賀2

11月16日

昨日の午後から時々雨がパラついたりの天気。今日も朝からどんよりしています。

風邪を引いてから1週間、熱は全く出ないものの、喉のイガイガ感と咳がなかなか取れません

そんな中、近くの氏神様まで散歩に行ってきました

そろそろモミジも色付いてきたかな?

珍しく本殿の扉が開いてますね。七五三の御祈祷でもあるのかな。

この大鳥神社は平安時代の元慶6年(882年)に創建された古い神社で、その神宮寺であった天台宗の河合寺とともに栄えました。

河合寺は三十六院もあって隆盛を誇り、鎌倉から室町時代には近江守護の六角氏の崇敬も厚かったそうです。

夏の例大祭の大原祇園まつりもついこの前だったような気がするのに、既に4カ月が過ぎました。

時の経つのが早すぎますね。あと1か月半もすれば初詣の時期になっちゃいます

盆栽置いてありました。

鳥居前のモミジは半分ほどが赤く色付いてました。

滋賀県も比叡山延暦寺は紅葉の見頃だそうですが、他の紅葉の名所は色付きはじめのようで、例年より2週間くらい遅れてる感じかな。

来週は寒いそうだから、風邪がぶり返さないように注意しないとね

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信楽焼ミュージアム

2024年09月20日 20時23分14秒 | 忍の里 甲賀2

9月15日

甲賀市信楽伝統産業会館(滋賀県甲賀市信楽町)

信楽焼は昭和50年(1975年)に国から伝統的工芸品に指定され、昭和52年(1977年)には信楽伝統産業会館が開設されました。その建物も古くなったため、令和2年(2020年)に信楽高原鐵道信楽駅そばに新しい信楽伝統産業会館が竣工しました。

信楽焼ミュージアム(入場無料)

常設展示の信楽焼ミュージアムでは、鎌倉時代から現代までの信楽焼が紹介されてました。

現在の信楽焼に繋がる焼き物は13世紀後半の鎌倉時代に生産が始まりました。その頃は穴窯と言われる窯で壺や甕、鉢などの日用雑器を焼いていたそうです。

この当時の陶器は古信楽と呼ばれ、日本独自のわびさびを体現しているとされてます。

古信楽から現代の信楽焼

赤い陶器は岡本太郎氏の作品の「座ることを拒否する椅子」ですね。大阪吹田の太陽の塔の背面の黒い太陽の部分には信楽焼のタイルが使われました。

茶の湯の普及とともに発展する信楽焼

甲賀は滋賀県内でも有数の茶の産地で、信楽で栽培されている朝宮茶(日本五大銘茶のひとつ)も有名です。

こちらは信楽焼の製造工程を紹介したコーナー。

ダイハツ ミゼットがありました。

信楽焼の代名詞ともいうべきタヌキの置物。

タヌキの置物の歴史は比較的浅く、明治期に陶芸家の藤原銕造が作ったものが始まりと言われてます。戦後の昭和26年(1951年)に昭和天皇が信楽町を行幸された際、たくさんの信楽焼のタヌキに日の丸の小旗を持たせ沿道に設置したところ、昭和天皇は大変喜ばれ、それ以降、全国に信楽焼のタヌキが知られるようになりました。

このタヌキの形は「八相縁起」と呼ばれる縁起を表現しています。

そして、2017年には中世から現代まで生産が続く越前・瀬戸・常滑・信楽・丹波・備前が日本遺産『きっと恋する六古窯 -日本うまれ日本そだちのやきもの産地 -』に認定されました。

過去記事<信楽の里の新宮神社

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