玄宮園から臨む彦根城天主閣。
彦根城は江戸時代の初期、西国への睨みを効かすため、徳川の重鎮 井伊氏の拠点として置かれた城で、築かれた山の異名に因んで金亀城(こんきじょう)とも呼ばれたそうです。
この玄宮園(げんきゅうえん)は彦根城の麓にある旧大名庭園で、国の特別史跡、名勝に指定されてます。
玄宮園の造営が始まった時期や規模は明確でないそうですが、江戸初期の延宝6年(1678年)に彦根4代藩主 井伊直興が整備し、江戸時代後期になると、第11代藩主井伊直中の隠居屋敷として再整備されて今の形に近くなったとされてます。
国宝 彦根城天主閣
創建された当時のまま現存する日本現存十二天守閣のひとつですね。
※現存十二天守閣: 弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、丸亀城、松江城、伊予松山城、備中松山城、宇和島城、高知城
彦根城はこじんまりした天守閣でありながら、防御力に秀でたまさに江戸幕府の要衝とも言うべき城でした。
さらに、京都の天皇家にもしもの時があった際は彦根城からわずか6時間で兵が京都に駆けつけることができたそうです。
この日はゆるキャラ界のキング 「ひこにゃん」には出会えませんでしたが、天守閣前のひこにゃんパネルの前で記念撮影
天守閣の中で撮影した井伊直弼(いいなおすけ)像。
ご存知、幕末期に大老となり、将軍後継問題では一橋派への弾圧である安政の大獄を行い、桜田門外の変で暗殺されました。
その後、幕政の混乱の責任を押し付けられて10万石を没収されてしまった彦根藩は大政奉還後、徳川幕府の譜代筆頭だったにもかかわらず新政府側に転向し、新政府軍として旧幕軍と戦いました。
これ、最後まで彦根藩が幕府サイドだったら、彦根城も無くなっていたかもしれませんね。。
彦根城博物館
この時は井伊家歴代の甲冑の特別展示がされてました。
徳川四天王として名を馳せた井伊直政の頃より「井伊の赤備え」と呼ばれた赤い甲冑は全国の戦国大名の中でも勇猛果敢な軍団として恐れられたそうです。
2015年に家族で訪れた彦根城の様子を紹介しました。
※新型コロナの感染拡大防止のため、5/31まで彦根城、玄宮園の有料区域の公開は休止されています。
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