2021年11月
11月に入り、各地から紅葉見頃の便りが届くようになりました。
仕事も忙しく、また父や義母の体調が思わしくないことから今年も紅葉を見に行く機会は無さそうです。
義母に代わり、妻と畑で里芋の掘り起こしをしたのもこの頃でした。
ちょっと小ぶりな里芋が多かったかな。。
神泉苑
そんな11月、マネージャースキルの試験を受けに訪れた京都で少しだけ紅葉を楽しむことができました。
写真は二条城の南にある神泉苑(京都市中京区御池通神泉苑町)です。
神泉苑(しんせんえん)は794年に桓武天皇によって平安京大内裏に接して造営された禁苑(天皇の庭園)で、中世にかけては東寺が管掌する雨乞いを行う霊場となります。
824年には西寺の守敏と東寺の空海がここで祈雨の法を競ったとも云われてます。
そして、江戸時代になると東寺真言宗の寺院となりました。
元祇園 梛神社(もとぎおん なぎじんじゃ)
社伝によると、貞観11年(869年)に京の都で疫病が流行り、播磨の国の広峰神社から牛頭天王を勧請して鎮疫祭を行った時、牛頭天王の分霊を乗せた神輿を梛(なぎ)の木の前に置いて祀ったことが社名の由来だそうです。
律宗大本山壬生寺
京都市中京区壬生梛ノ宮町にある律宗大本山壬生寺にやって来ました。
三井寺の僧 快賢が正暦2年(991年)に地蔵菩薩を本尊として五条坊門壬生(今の壬生寺の東方)の地に寺院を建立したのが始まりです。
律宗は戒律の研究と実践を行う仏教の一宗派で、日本には鑑真によってもたらされたことから、律宗の総本山は鑑真によって開基された奈良の唐招提寺になります。
新選組局長 近藤勇 胸像
幕末維新史が好きな管理人にとっては壬生寺は新選組ゆかりの寺として、以前から1度は訪れてみたいと思っていたお寺でした。
幕末の京都の治安維持のため、京都守護職 松平容保(会津藩主)の直轄組織だった新選組(壬生浪士)の屯所がこの壬生寺の北にある八木邸に置かれていました。
壬生寺の北隣にある御菓子処 京都鶴屋 鶴寿庵さん。
新選組屯所遺蹟 八木家邸宅
上洛する将軍警備の浪士組に応募した近藤勇をはじめとする試衛館の面々が宿所としたのが壬生村の郷士 八木家の邸宅でした。
浪士組が江戸に戻った後も近藤ら試衛館の7名、芹沢鴨(せりざわかも)ら水戸浪士6名は京都に残って、八木邸を屯所としました。これが後の新選組の興りです。
その八木家は今は和菓子屋さんを生業としていて、八木邸の公開もしています。
八木邸の門
ここから先は写真撮影禁止
試衛館メンバーと水戸浪士メンバーの内ゲバで芹沢鴨らが暗殺された場所でもあり、斬り合いの時に柱に付いた刀傷や、逃げる芹沢が躓いたとされる文机などが今も残っていました。
京都国際マンガミュージアム
京都国際マンガミュージアムの裏には徳川幕府の金貨、銀貨の鋳造所だった金座、銀座跡地の碑がありました。
元離宮 二条城
京都市中京区の世界遺産 元離宮二条城(二条城)にやって来ました。
徳川家康の命で、天皇のいる京都の守護と上洛時の宿所として建設された二条城は慶長8年(1603年)に落成しました。
平日でしたが、修学旅行生や観光客がたくさん訪れてましたね。
国宝の二の丸御殿(御殿内は写真撮影禁止)
何と言っても歴史の教科書に載っていた徳川最後の将軍 慶喜によって政権を徳川幕府から朝廷に返還する大政奉還を宣言した大広間を見ることができて感激しました
二条城清流園の紅葉
今年は2月と11月に京都を訪れ、坂本龍馬や新選組、将軍慶喜など幕末維新をテーマに史蹟を巡ることができました
つづく
過去記事<2021 お気楽行楽記総集編 その10>
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