お気楽忍者のブログ 弐の巻

ミニカー収集/お魚採取/動植物フォト/行楽記・・・趣味のごった煮ブログ

杣之庄六体地蔵尊巡礼(2)

2022年08月26日 17時00分00秒 | 忍の里 甲賀1

8月21日

杣之庄六体地蔵尊巡礼 第四番 牛飼地蔵堂(甲賀市水口町)

初盆を迎える遺族が地蔵盆の時期に六体の地蔵尊が祀られた旧杣之庄のお堂を巡る六地蔵参り。

六地蔵はかつてこの地を訪れた伝教大師最澄が彫ったとされています。

四番札所のお地蔵様は綿(?)を被っておられました。

世話役の方のお話によるとこれは髪の毛の表してるそうで、ファンキーなお地蔵さんでした(笑)

ここでは戒名を紙に書き、回向料をお支払いして回向を頼んできました。

杣之庄六体地蔵尊巡礼 五番 浄土宗金池山 圓光寺(甲賀市水口町)

五番札所の圓光寺の創建は792年と云われていますが、詳細は不明とのこと。本尊として阿弥陀如来をお祀りしています。

地蔵堂の前に摩尼車(まにぐるま)がありました。

京都のお寺などでは時々見かけますが、地元の寺院で見たのはこれが初めてです。

立派な本堂ですね~。

ここでも回向料を納め、境内にある地蔵堂で線香や蝋燭を奉納してから次の六番札所へ向かいました。

杣之庄六体地蔵尊巡礼 第六番 浄土宗延命山 法泉寺(甲賀市水口町)

第6番札所はJRと近江鉄道、信楽高原鐡道が乗り入れる貴生川駅の近くにある法泉寺。

お寺の由緒など詳しいことは分かりません。。

門の正面に地蔵尊をお祀りする小さなお堂がありました。

これで8月12日の棚経から始まった初盆の行事を全て終えました。

田舎町は様々な行事や風習があって大変ではありますが、管理人はそんな事もうまく楽しみに変えて田舎生活をエンジョイしています

おしまい

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杣之庄六体地蔵尊巡礼(1)

2022年08月24日 17時30分00秒 | 忍の里 甲賀1

8月21日

杣之庄六体地蔵尊巡礼 第1番 六角堂(滋賀県甲賀市甲南町)

792年、伝教大師最澄が比叡山延暦寺根本中堂の建設のための材木を求めて甲賀の杣川流域を訪れた際、轟々と音を立てて自ら倒れる大木がありました。

人々はこの異変に恐れおののいたそうですが、伝教大師は一刀三礼の元にこの大木から6体の地蔵菩薩を彫り出したと伝えられています。

地獄絵図

江戸時代になると、地蔵盆の時期(8/21-24)に初盆を迎えた遺族がこの六地蔵をお祀りしているお堂やお寺を巡る風習ができ、これが杣之庄六体地蔵尊巡礼や杣之六地蔵参りと呼ばれるようになりました。

今回のお盆は義母の初盆だったため、8月21日に六地蔵参りをしてきました。

杣之庄六体地蔵尊巡礼 第2番 浄土宗功智山方便院 善願寺(甲賀市甲南町)

善願寺は1504年に宗真によって開山され、御本尊として阿弥陀如来像をお祀りしています。

非常によく整備された綺麗な境内でした。

六角堂に続いて和尚さんに地蔵尊のお堂で回向の読経をあげて頂きました。

フクロウの置物がたくさんありました。石碑は浄土宗の宗歌「月かげ」ですね。

杣之庄六体地蔵尊巡礼 第3番 深川地蔵堂(甲賀市甲南町)

 

つづく

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青土ダム リベンジ!

2022年08月18日 17時00分00秒 | 忍の里 甲賀1

8月18日

この日も早朝は激しい雨が降りました。本当に今年は雨に祟られたお盆休みになっちゃいました。。

ならば、先月に引き続き甲賀市土山町の青土(おおつち)ダムを見に行ってみましょう

青土ダムは野洲川水系に設置されたロックフィル型ダムで、洪水調節・上水道・工業用水として利用されてます。

そうそうこれこれ、これが見たかったんです。

ゲートレス(自然越流方式)の常用洪水吐(こうずいばき)は半円形で、水位が上がるとこの穴からダムの水が下流に流れ出ていきます。

7月に来た時は穴に水が流れ込むほど水量がありませんでしたから・・・

凄い迫力だけど、吸い込まれそうでちょっと怖い

マジンガーZが出てきそう(爆)

こちらは下流側

青土ダムエコーバレー管理棟

ダムサイトの周辺には広場や公園、キャンプ場の『青土ダムエコーバレイ』が整備されてて、たくさんの人で賑わうんですが、なぜかほとんど人が居ませんでした。まだ夏休みなのにね。。

青土ダム管理棟

管理棟で念願(?)のダムカードを貰ってきました~

水がまだ入ってない状態の写真で洪水吐の形状がよく分かりますね。

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青土ダムをブラブラ散策

2022年07月11日 13時00分00秒 | 忍の里 甲賀1

7月10日

滋賀県甲賀市土山町の国道1号線 頓宮(とんぐう)交差点。

その昔、天皇が即位すると天皇の名代として皇女(斎王)が伊勢神宮に参拝する斎王群行(さいおうぐんこう)という習わしがあり、その旅の途中に斎王が宿泊した場所を頓宮と言いました。

斎王群行は40代天武天皇から96代後醍醐天皇の御代まで続いたそうです。

この近くに過去31人の斎王が宿泊したとされる垂水頓宮跡(国の史跡)もあります。

1号線から鈴鹿山系に向かって山道を車で登っていくと、青土(おおつち)ダムの堤体が見えてきました。

野洲川水系に設置されたロックフィル型ダムで、洪水調節・上水道・工業用水として利用されてます。

堤体の上(天端)には車道、歩道が通ってるから車や徒歩で渡ることができます。

滋賀県の中では一番最初に造られた複数の機能を持つ多目的ダムだそうです。

堤体の上から撮影

細長いダム湖で、湖は写真奥を左に折れてさらに続いてます。

ゲートレス(自然越流方式)の常用洪水吐は円形で、さらに水位が上がるとこの穴からダムの水が下流に流れ出ていきます。

水が穴に流れ込む様は迫力があって、ダムマニアの間ではこの青土ダムは人気があるんだとか。

実は前日の雨で、この常用洪水吐に水が流れ込んでる様子をみれるかな?と思ったんですが、1日雨が降ったくらいではダメでした

ダムサイトの周辺には広場や公園、キャンプ場の『青土ダムエコーバレイ』などが整備されてて、子供が小さかった頃はよく遊びにきました。

めっちゃ長いローラーすべり台もあって、子供が喜んで何度も滑っていたのを思い出します。

堤体からダム湖の反対側を眺めるとこんな感じ。緑が綺麗ですね

歩道に設置されていたキジのタイルは昔の日本画にあるようなデザイン。

山を降り、頓宮大茶園の中を走りました。

土山茶は文和5年(1356年)に常明寺の純翁が京の大徳寺から茶の実を持ち帰り栽培したのが始まりとされてます。

江戸時代には本格的に栽培され、東海道の宿場だった土山宿では名物として売られていたそうです。

甲賀ではこの土山と信楽で滋賀県産の茶の9割を栽培しています。

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甲賀 滝の龍福寺にて

2022年06月19日 20時15分00秒 | 忍の里 甲賀1

6月19日

梅雨入りしたとは言え、この週末は暑かった

新しいタイヤを購入したので、近くのガソリンスタンドでタイヤ交換してもらってる間、カメラ片手にブラブラ散歩してきました。

甲賀忍者は薬の知識に長けていたとされ、甲賀には多くの製薬会社があります。

杣川(そまがわ)

川は水量多めですね。

かつて川の周囲には鬱蒼とした大美林が広がっていて、杣は神社仏閣などの建材となる木材を供給する森林のことを指します。東大寺や延暦寺の建材もこの地の木が使われていました。

田んぼの脇に紫陽花が咲き誇ってます。

天台宗向陽山 龍福寺にやって来ました。

平安時代初期、比叡山延暦寺根本中堂建立のために必要な用材を調達するためこの地を訪れた最澄が悪疫に苦しむ人々の平癒を祈願して薬師如来を祀ったのが始まりと伝えられてます。

本堂は新しそうですが、丸みを帯びた屋根の形状が独特ですね。

本尊は平安時代後期に造られた薬師如来坐像で、国の重要文化財に指定されてます。

不動明王像(多喜不動)

この辺りの字(あざ)は滝と呼ばれますが、その地名は鎌倉~室町時代に甲賀東部で勢力を誇った多喜氏に由来するようですね。

観音菩薩立像

毎年1月にはエトエトと呼ばれる子授かり、子孫繁栄にご利益があるとされる行事があって、多くの参詣者が訪れます。

こんな仏様がいました。

龍に乗った龍上観音だろうか

この綺麗なブルーの龍の造形イイですね

梅垣城は多喜氏の城で土塁・井戸・五輪塔が現存しているそうです。今度行ってみよう!

豊臣政権の三中老の一人、戦国武将の中村一氏も多喜一族の出身ですね。

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水口散歩 水口神社から旧東海道へ(2)

2022年04月17日 13時00分00秒 | 忍の里 甲賀1

4月16日

水口神社の参道を通って、旧東海道に向かいます。

クロマツ並木も昔の街道の雰囲気を醸し出してますね。

水口神社の春の例大祭、水口曳山まつりで使われる曳山を保管している各町内の蔵を眺めつつ、北東方向へ進んで行くと・・

三叉路に出ました。

この真ん中の道が旧東海道で、左右にも道が伸びていますね。

豊臣時代以前は東海道になる真ん中の道と農村があるだけでしたが、豊臣時代になると道を3本にして城下町とし、甲賀武士を住まわせたそうです。

秀吉は甲賀武士(甲賀忍者)に対しては懐疑的で、裏切りが起きないよう水口岡山城から監視していたと言われます。写真の左の緑はかつて水口岡山城があった古城山の裾野です。

NHK『ブラタモリ』の甲賀・信楽の回でタモリさんもこの場所を訪れていました。

三叉路の真ん中には曳山を模した時計があり、東海道水口宿を示すモニュメントになってます。

石橋に彫られた東海道の文字。

近くには近江鉄道 水口石橋駅がありますが、この東海道の石橋が駅名の由来になったそうですね。

甲賀市ひと・まち街道交流館では水口宿を中心とした市の歴史の紹介や観光情報を発信している他、ご当地グッズの販売も行われてます。

水口岡山城 歴代城主の顔出し看板

過去記事<水口岡山城跡散策

歌川広重が描いた東海道五十三次 水口宿

400年前から続く名物の水口干瓢(かんぴょう)を干している女性たちの姿が描かれています。

交流館の裏手にある公園もいい雰囲気ですね~

水口宿は京三条大橋まで50km、江戸日本橋まで445kmの位置です。

こちらの建物には曳山が保存されてます。

交流館でお願いすると中を見学させてもらうこともできますよ。

これが水口神社の例大祭 水口曳山祭で奉納される曳山で、屋根までの高さはおよそ6m、京都祇園祭の山鉾の屋根までの高さに比べて2mくらい低いサイズ感ですね(祇園の山鉾は屋根の上の飾りの鉾先まで含めると15-25mになります)。

三叉路そばの精肉店の駐車場。

かつて江戸の徳川将軍家へ京都宇治の茶を献上するための行列、御茶壺道中の休憩場所だった御壺置所がこの辺りにあったそうで、ブラタモリでも紹介されてましたね。

おしまい

過去記事<水口散歩 水口神社から旧東海道へ(1)

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水口散歩 水口神社から旧東海道へ(1)

2022年04月16日 17時30分00秒 | 忍の里 甲賀1

4月16日

息子を部活に送り、朝から滋賀県甲賀市水口町(みなくちちょう)をぶらぶら散歩してきました。

写真は水口の中心地域にある水口温泉つばきの湯。

水口は関西、東海、北陸を結ぶ要衝の地で、豊臣時代は豊臣五奉行の長束正家が水口岡山城に入りました。

徳川時代になると東海道五十三次の宿場町としても整備され、水口宿を過ぎれば石部宿→草津宿→大津宿を通って京三条大橋に至ります。

市街地を通って水口神社方面へ向かってみましょう

かつてTOKIOが司会で放送されていたバラエティ番組『ガチンコ!』の企画 ガチンコラーメン道で、講師の佐野実氏のお弟子さんだった方のお店ということです。

息子は学校帰りに寄ったりしたこともあるみたいですが、管理人はまだ1度も訪れたことありません。

甲賀市役所

水口神社に着きました。

水口神社は垂仁天皇の時代に稲田姫命がこの地で4年間神鏡を奉じるとともに大己貴命を神鏡守護の神として祀ったのに始まると伝えられてますが、伊勢神宮鎮座の伝承を下敷きにした後世の造作と考えられてます。

奥に見えるのが本殿で、主祭神は大水口宿禰命、相殿神として大己貴命、素戔嗚尊、稲田姫命を祀ってます。

『日本三代実録』では貞観元年(859年)に従五位下から従五位上に昇叙されたことが見え、延喜の制で国幣小社に列したことが記されています。中世には大岡寺の護法神として「山王新宮」と称され、社伝によると東西30町、南北25町といった広大な境内地を有していたそうです。

ソメイヨシノはあっという間に終わってしまいましたが、枝垂れ桜が綺麗🌸

4月の例祭の水口祭では各町内から曳山が奉納されるため、「水口曳山まつり」とも言われていて、県指定の無形民俗文化財になってます。

コロナで2020年、2021年は中止となりましたが、今年は来週の19, 20日に開催されるそうです。

水口祭の曳山は享保20年(1735年)に登場したそうで、今も各町内に16基の曳山が伝存しています。

ちょうど来週の祭に向けて、境内では準備が行われていて、蔵から神輿を出すところに出くわしました。

拝殿に金ピカの神輿が置かれました。

横では神輿に取り付ける担ぎ棒やのぼり旗の準備をしてるみたいでした。

こちらは2019年の水口曳山まつりに行った時に撮影したものです。

今年はコロナ感染防止策を講じた上で規模を縮小して開催され、曳山は4基のみ奉納される予定だそうです。

この後は旧東海道の面影を残す場所に向かってみます。

つづく

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子どもの森で野鳥と出会う

2022年04月02日 20時41分13秒 | 忍の里 甲賀1

4月2日 みなくち子どもの森

滋賀県甲賀市にある『みなくち子どもの森』の遊歩道を散策してきました。

気温は12度でしたが、風も無いので快適です

タンポポ

翅裏の斑紋が写ってないから断定はできませんが、ヤマトシジミだと思います。

蝶を見ると春だなぁという感じがしちゃいますね。

さぁ、ここからは登り坂、鈍った身体にはキツいかも。。。

鳥の声や枯れ葉の擦れ合う音に聞き耳を立ててゆっくりと上がっていきますね。

若芽を食べるヒヨドリ

途中の湿地にはアメンボがいました。

遊歩道の中では一番標高の高い所に着きました。

東屋前の桜は色が濃いからソメイヨシノではなさそうです。。

ジョウビタキ(♀)にも出会えました。

陽の当たる場所のソメイヨシノはだいぶ咲いてきましたが、日陰ではまだ一輪も咲いてない桜の木もありますね。

今度はジョウビタキの♂ですね。

ユキヤナギ

モズを写真に納めることができたのは初めてで、めっちゃ嬉しい

子どもの森自然館にもまた今度行って見よう!

ハクモクレンの花だけでなく、コブシも白い花を咲かせ始めました。

いつのまにか土筆(胞子茎)も段々とスギナ(栄養茎)に置き換わりつつあります。

昼間は春の息吹を感じるようになってきましたが、朝晩はまだまだ寒い甲賀の里山です。

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雪割一華を見に

2022年03月31日 16時00分00秒 | 忍の里 甲賀1

3月30日

土山茶は文和5年(1356年)に常明寺の純翁が京の大徳寺から茶の実を持ち帰り栽培したのが始まりとされてます。

江戸時代には本格的に栽培され、東海道の宿場町だった頃から名物として売られています。

さて、その滋賀県甲賀市土山町にある瀧樹(たき)神社を訪れました。

古くから川田神社として地主神を奉斎し、垂仁天皇4年に倭姫命が天照大神を奉じて近江国甲賀郡垂井日雲宮に至りここに座したことが興りと云われてます。

毎年5月に奉納される室町時代から始まった田楽踊りが伝承されたケンケト踊り(国の無形民俗文化財)が有名です。

境内の紅白の枝垂れ梅が綺麗でした

瀧樹神社とその前を流れる野洲川の間にある希少植物のユキワリイチゲ(雪割一華)の群生地を2年ぶりに訪れました。

ユキワリイチゲは日本固有の植物で、本州の滋賀から九州にかけての渓谷沿いや山麓の樹林内に分布しています。

分布域では数を減らしていて、滋賀では絶滅増大種となってます。

県の条例でここはユキワリイチゲの育生保護区に指定されていて、採取や損傷は禁止。

違反には1年以下あるいは50万円以下の罰金が科されますのでご注意を!

その帰り、今シーズン初めてソメイヨシノが咲いてるのを見つけました。

皆さんのブログでは桜満開の便りがたくさん届いてますが、滋賀の甲賀地方はまだこんな感じです。。

この日の気温は22度と汗ばむ陽気でしたが、週末はまた寒くなりそうです。。

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2022年 新年三社参り

2022年01月02日 18時51分50秒 | 忍の里 甲賀1

大晦日の晩から元日にかけては雪が舞う天候でしたが、1月2日は御覧の通りがっつり晴れました。

大阪や東京でコロナ新規感染者が増える傾向が見え始めてます。

滋賀も長らく新規感染者ゼロが続きましたが、12月中旬からほぼ毎日のように感染者が報告されるようになってきて心配になります。

大鳥神社

さて、今年も初詣の三社参りで地元の寺社を三つ巡ってきました。

お待ちかね、お正月の手水鉢はこんな感じ。

薔薇や白い菊に赤い実を付ける千両があしらわれてました。龍の後ろには羽子板もありますね。

本殿の本坪鈴(ほんつぼすず)は今年も感染防止対策で綱に触ることができないようになってました。

二礼二拍手一礼の作法のみでお参りしました

鈴を鳴らせないのに神様はちゃんとこちらに気付いてくれるんだろうか??

楼門には絵手紙年賀状が昨年以上にたくさん飾られてました。

どれも上手ですね

天台宗福生山 櫟野寺(らくやじ)

櫟野寺の本殿は青空に映えます。

いつも大晦日の年越しの夜は参拝客に無料で年越し蕎麦がふる舞われていたんですが、コロナ禍が始まって以来中止されてます。

大鳥神社の振る舞い甘酒や油日神社の紅白餅の配布も無くて寂しい限りです。。

実父と義母が11月頃からかなり具合が悪く、早い回復を願って無病息災や病気平癒の蝋燭を奉納してお祈りしました。

山門の大提灯の幾何学的な輪宝紋が格好イイ

奉納された石仏は秘仏本尊の十一面観世音菩薩坐像のお姿ですね。

夏の千燈祭の時には全ての石仏の前に蝋燭が灯され、幻想的な空間となります。

油日神社

油日神社にやって来ました。

聖徳太子による創建と云われ、油日大明神を祀る古刹で、中世の神社建築様式を残していることから、映画やドラマのロケにしょっちゅう使われてます。

先の大鳥神社や櫟野寺へのお参りは地元の方々がメインだと思いますが、油日神社は地元感のない人たちも結構訪れてましたね。

忍検定って何ぞ

拝殿は甲賀武士(甲賀忍者)の集会所であったとNHKの番組『ブラタモリ』で紹介されてました。

追記:1月3日放送のNHK正月時代劇『幕末相棒伝』の冒頭の新選組入隊選考会のシーンでこの拝殿の前がロケに使われてました。

大鳥神社で交通安全や学業成就のお守りを買って、厄除けのお福梅をもらいました。

「一日も早いコロナの収束を祈りましょう」の一文が今の世の中の状況をよく表してます。

今年も良い年になることを願って

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水口岡山城跡散策

2021年10月10日 17時00分00秒 | 忍の里 甲賀1

10月9日

滋賀県甲賀市水口町にある標高282mの古城山に登りました。

その山頂には豊臣時代に水口岡山城が築かれ、今は水口岡山城跡として整備されてます。

写真は西の丸跡にある展望台の天翔の櫓。

西の丸跡

天翔の櫓から眺めた水口町

眼下には東海道が通り、江戸時代になると東海道五十三次の水口宿が置かれました。

きっと水口岡山城があったころは東海道沿いの町家や人々の姿がここからもっとよく見えたんでしょうね。

豊臣秀吉はこの城下町に甲賀武士(甲賀忍者)を住まわせて、ここから監視したとも云われてます。

レンズかセンサーに付着物があって、露出を下げると画像に黒いシミが出てしまう。。

遠くに霞んで見えるのは比叡山です。

栄子姫は1595年に5万石で水口岡山城に入場した豊臣五奉行 長束正家(なつかまさいえ)の正室で、徳川四天王のひとり 本多忠勝の妹でした。

本丸の石垣跡

関ケ原の戦いではもちろん豊臣方の西軍として参戦した長束正家でしたが、吉川広家の軍勢に囲まれて戦線を離脱し、水口岡山城に戻りましたが、池田輝政の命を受けた池田長吉の軍勢に取り囲まれます。

竪堀跡

山の斜面に直角に掘られた空掘ですね。

伝 本丸櫓跡(天守とする説あり)

天翔の櫓から一人で景色を眺めていたら、笛の音がどこからともなく聞こえてきました。

この水口岡山城の悲劇と重なってちょっとドキッとしましたが、この本丸櫓跡の斜面に腰かけたご婦人2人が縦笛の練習をされてました(爆)

なんで

阿迦之宮は古城山の麓にある大岡寺の奥の院。

水口岡山城をなかなか落とせない池田長吉は正家に「兵卒の命と所領の安堵」を約束し、正家は開城に応じます。

しかし、それは池田の謀略で正家は捕縛されて自害、その首は京都三条河原に晒されました。

池田軍は水口岡山落城の際、城内、城下で略奪、凌辱の限りを尽くしたと云われてます。

正家の妻 栄子も辱めを受け、正家の旧家臣に救われました。身重だった栄子は後に子を産みましたが、産後の肥立ちが悪く亡くなってしまいます。。

阿迦之宮は正家をお祀りしたお宮で、今も山の上から城下の安全を守ってくれている気がしてなりません。

ようやく山頂に到着しました

山頂の南東側には天守跡がありました。

この日気温は29度もあって汗だくになりましたが、地元の歴史に触れ、良い時間を過ごすことができました。

古城山散策の帰り、季節外れの紫陽花にも出会いました。

おしまい

過去記事<古城山リベンジ 花と虫たち

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古城山リベンジ 花と虫たち

2021年10月09日 17時58分37秒 | 忍の里 甲賀1

10月9日

1か月ぶりに滋賀県甲賀市水口町の古城山にやって来ました。

前回は南西の登り口から上がっていったものの、道の悪さと時間切れで引き返しました。

今回は北側の登り口からリベンジです

アキチョウジが咲いてました。

シソ科ヤマハッカ属の多年草で、主に山地の木陰に自生しています。

花は一見、メドーセージにも似てますね。

アカネ系のトンボだと思いますが、翅の先端が黒いのでコノシメトンボでしょうか。

下の写真は腹部だけでなく胸部も真っ赤に染まっているから雄のコノシメトンボだと思います。

水道局の施設だと思われる建造物の脇の道に入ります。

カラスウリの実が成ってました。

こっちの黄色とシマシマの実はまだ未成熟なカラスウリですね。

いつの間にか舗装されていた道も砂利道に変わってました。

鈍った身体には結構キツい登り道だけど、緑の中を歩くのって気持ちイイ

久しぶり出会ったアサギマダラ。

ノコンギクかな

おっ!ちょっと開けた場所があるみたいです。

トイレでした~(笑)

さらに頂上を目指すには左側の道をさらに登っていくみたいです

悠って誰

明らかに某名探偵のパクリですね(爆)

頂上まではまだ130mありますが、水口岡山城跡の西の丸にやっと到着しました。

この古城山の山頂にはかつて水口岡山城がありました。

天正13年(1585年)に豊臣秀吉が甲賀郡と蒲生郡の一部を支配させるために、家臣の中村一氏に命じて水口岡山城を築かせました。

その後、1959年には豊臣五奉行のひとり、長束正家が5万石で水口岡山城に入りました。

つづく

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水口古城山散策(2)

2021年09月11日 18時00分00秒 | 忍の里 甲賀1

滋賀県甲賀市水口町の古城山(大岡山)の南西側の登山道を上がると、神社に出ました。

過去記事<水口古城山散策(1)

穂徳(ほとく)稲荷神社です。

明治時代中期に伏見稲荷大社から勧請された神社のようで、比較的あたらしい神社でした。

この穂徳稲荷がある開けた場所も曲輪跡ですね。

穂徳神社のお隣には白玉稲荷神社も・・・

天照皇大神や出雲大神、猿田彦命大神、菅原道真大神、石見不動尊などたくさんの神様の名を記した碑が立ち並び、まさに神様のデパート状態

欲張りさんにはピッタリの超パワースポットです(笑)

白玉社の裏手に登山道が続きますが、ここからは舗装もされてない狭い道・・・

これ一応、大手道らしいんですが、蜂やらヘビが居そうなので、ここで断念しました。

来た道を引き返し、途中から古城山の西から北へ回り込む道を歩いていると、夏の長雨の影響なのか道に亀裂が入り、崖崩れが起こってる場所がありました。

ガードレール下では補修工事を行っていたからまたまた前進を断念。

翅の模様からクロヒガケと思われます。

日本全国に生息する蝶でそろそろ成虫の出現時期も最終盤です。

花(咢)がグリーンの紫陽花。

ヤブランでしょうか?

今回は時間切れで古城山を後にしましたが、今度 時間のある時は北側の登山道から攻めて山頂を目指したいと思います。

 

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水口古城山散策(1)

2021年09月08日 18時00分00秒 | 忍の里 甲賀1

滋賀県甲賀市水口町にある標高282mの古城山(大岡山)。

少し時間があったから、山の南西側の登山道をブラブラ散策です。

この古城山の山頂にはかつて水口岡山城がありました。

天正13年(1585年)に豊臣秀吉が甲賀郡と蒲生郡の一部を支配させるために、家臣の中村一氏に命じて水口岡山城を築かせました。

水口の町が東海道五十三次の50番目の宿場に指定されるのは徳川時代に入ってからですが、すでに室町時代から宿場の機能を有していたようで、眼下に東海道の要衝を見渡せる場所を押さえておくという秀吉の戦略的な意図は明らかですね。

水口岡山城縄張図・・・竹が邪魔だ・・・

前進あるのみ!!

登山道には所々に仏像が安置されてました。

第二十二番 補陀洛山総持寺 千手千眼十一面観世音菩薩・・・

どうやらこの仏様たちを拝んでいけば、西国三十三か所を回ったのと同じ功徳を積むことができるというものみたいですね。

えっちらおっちらと登り坂を進みます

がんばれ~!!

公園に出ました。

お母さん二人が小さい子供たちを遊ばせてました。

管理人、ここまで登るだけで結構息が上がってるのに、子供は元気だなぁ。。

山の中腹にある平らに開けた場所なので曲輪(くるわ)跡でしょうね。

招魂碑

さらに150mほど進むとお社がありました。

続きはまたあらためて

 

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天台宗 楊柳山 千光寺

2021年08月30日 03時00分00秒 | 忍の里 甲賀1

滋賀県甲賀市水口町にある天台宗楊柳山千光寺(ようりゅうさん せんこうじ)に立ち寄ってみました。

千光寺は天平21年(749年)に行基によって興された寺院です。

かつては甲賀六大寺のひとつで十数坊からなる巨刹で全盛を誇りましたが、天正8年(1580年)の織田信長の兵火によって全ての堂宇が灰燼に帰してしまいました。

この地に移ったのは正保2年(1645年)だそうですが、度々火災に見舞われ、またまた堂宇や古文書は全て消失してしまいました。

今は本堂と収蔵庫のみの小さなお寺となってます。

明治時代に再建された本堂。

川枯寺の石碑はもともと川枯寺(せんこじ)と呼ばれていたものが千光寺になったんだとか。。

収蔵庫

本尊の木造 十一面千手観音菩薩像は平安時代の作で国の重要文化財に指定されてます。

度重なる火災から本尊だけは守られ今に至るそうです。

神仏分離の前は横の八坂神社の神宮寺でもありました。

八坂神社には川枯神(かはかれのかみ)や川枯姫命(かはかれひめのみこと)が祀られていて、これが川枯寺の由来になったんでしょうか?

8/27から滋賀県にも緊急事態宣言が発出されました。

県を跨ぐ行楽はまだしばらくはお預けです。。。

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