ジョン・ロドリックの著作で、副題が「毛沢東から鄧小平まで」、を読んだ。
AP通信の元北京支局長だった彼が、長年にわたる、中国報道の成果をまとめた労作だ。分厚い本なのに一気に読み、久しぶりに手にした面白い本だった。
カレル・オルフレンはオランダの新聞記者だったが,ロドリックは米国人だ。同じ特派員と言っても、ものの見方や考え方が大きく違う。自民党と民主党では議員と名がついても大きな相違がある訳だし、違って当たり前なのに、なぜか不思議な気がする。
彼が、間近に接した毛沢東、周恩来、朱徳、劉少奇等々、共産中国の指導者たちが、生き生きと描かれている。彼らの長所や欠点が、遠慮なく書かれ、冷静に観察された叙述には、魅力がある。
平行して、城山三郎氏の「中国、激動の世の生き方」を読んだが、小説家である城山氏より、記者のロドリックの方が、数段面白い本を書くという発見をしたのも、意外だった。
両氏とも文化大革命に関し、記述しているが、これは毛沢東の大きな失策だったと、率直にいうロドリックに対し、ペンクラブの一員として、中国を訪問している立場がそうさせるのか、城山氏の言葉は、奥歯に物が挟まったような曖昧さだ。遠慮なく物をいう米国人と、あちこちに気遣い、婉曲にしか意見を言わない日本人と、こんなところにも国民性が現れるのだろうか。
日本軍と戦う蒋介石、蒋介石と覇権を争う共産党、資金や武器援助をするアメリカなど、この書では、私が一番興味を持っている歴史が語られている。
ほとんどが、知らないことばかりで、驚くことだらけだった。それなのに、こうして日が経ってしまうと、本の中身の大半を忘れている有様だ。年を取るということが、無惨な老いである事実を、嫌でも知らされる。
ロドリックの本は、いずれ再読する予定だが、その時はきっと、初めて読むような感激を味わうに違いない。もの忘れのせいで、たった一冊の本に、何度も新鮮な感激が味わえるのなら、老いていくことの面白さもあるではないか。
ロドリックについては、もっと書きたいことがあったのに、記憶の限界だ。本日は、これまでとする。