NHKの「あさいちで」、平和教育の大切さについてコメンテイターたちが語っていた。
この種の報道に接すると、テレビでも新聞でも、常に強い違和感を覚える。子どもたちに、もっと戦争の悲惨さを語らなくてはいけない、平和の大切さを教えなくてはならないと、こういう思考方式そのものにある苦々しさを感じてしまう。
行くつくところは、戦争を経験した大人たちから話を聞こう、本や新聞で戦争について調べようと、毎年繰り返される陳腐な結論に収束する。今朝の番組では、中学生か高校生か、女生徒三人が留学生たちにインタビューしていた。
国会で審議されている安保法案について、「今まで、武器が使えなかったのですが、これからは、使えるようになるのですがどう思いますか。」と、自分でもよく理解できていないことを、不要領に質問していた。
「武器が使えなかったら、攻撃された時、どうして自分を守るのですか。」
「日本の自衛隊は今のままがいいのです。今のままの自衛隊だから、世界で高く評価されているのです。」
そんな答えを聞いて感心する女生徒の話や、留学生に意見を聞くという着想が素晴らしいと、彼女たちを誉めるコメンテーターの批評だった。
番組を提供するNHKに、今回も情けなさと失望を感じた。
こんな大事な話を立ち話でして、答えている留学生にしても、自衛隊が世界で高く評価されているなどと、どこからそんな断言できるのか。
もし私が他国に留学していて、その国の女生徒に同じ質問をされた時、世界がその国の軍隊をどのように評価しているなど、即座に答えられない。
聞く方も聞かれる方も、いい加減としかいいようのない雑談なのに、このような会話をどうしてNHKが報道したのか。平和教育の一つだと、大仰に取り上げたのか。不思議でならない。
極めつきは、女性教師が各種の新聞を材料にし、安全保障関連法案の授業を行い、これが平和教育であるとする部分だった。各種の新聞と言ったところで、産経を除く他紙は、この法律を戦争法案として反対しているのだから、教師の授業がどんな方向で行われているのか、簡単に想像がつく。
平和教育という名称からして、私には疑問符がつく。これまでの経緯を見ても、平和教育という名前で行われて来たものには、碌なものが無い。
「日本の軍国主義の過ち」というところから出発し、日本が他国を侵略した、残虐な行為をした、世界中から憎まれていると、自分の国を駄目なものとして反省させる内容だった。
本気で平和や戦争を考えるのなら、とってつけたような平和教育など止めにし、韓国の慰安婦問題や中国の南京問題、あるいは中国の海洋埋め立てなどについて、真正面から取り上げる記事を連載すれば良い。そうすれば、半年もすれば国民の目が覚める。
慰安婦や南京問題は、先の戦争がもたらした捏造の産物であり、一方中国の海洋埋め立ては、戦争につながる蛮行である。マスコミが取り上げない理由は、激しく自己主張する中国に遠慮し、自社の意見を述べる見識と勇気がないため頬被りしているだけのことだ。
本気でに平和や戦争について取り組もうというのなら、対立する主張と、繰り広げられている現在の事件をそのまま報道すれば、子どもたちにも、平和や戦争の危険が現実のものとして理解できる。
今日から、七月だ。来月になると、また平和と戦争ためと称し、お祭り騒ぎの、まやかしキャンペーンが始まる。子ども騙しみたいな平和ごっこにも、戦後70年を契機として、オサラバしてはどうなのだろうか。
「終戦記念日」というゴマカシのレッテルも剥がし、「敗戦の日」と正しく表現する正直さをマスコミに求めたい。
子どもたちのための平和教育というのなら、ここから改めなくてならない。
最近はNHKの悪口ばかり述べているが、それでも私は、テレビを見るときはNHKにしかチャンネルを合わせない。騒々しく軽薄な、民報の番組に比べたら、安心してみられるのはやはりNHKだ。
左巻きの役員や、キャスターや職員がいると分かって以来、腹立たしくならないが、そんな者は一部だと信じたい。立派な番組を沢山作っているのだから、1日も早く本来のNHK、国民のための公正な報道機関になってもらいたい。
朝日新聞には期待しても無駄と分かったので、せめてNHKに希望をつなぎたい。今後何年もこのままだったら、朝日新聞の定期購読を止めた時のように、国民として決断する日が来るだろう。
「受信料不払い」のため、「NHK受信拒否」の機具購入と設置という、苦渋の決断だ。