ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

大韓民国の物語 -3

2016-01-13 21:39:33 | 徒然の記
 寒い朝だった。バードバスの水が硬く凍るほど、今年一番の冷え込みだった。
金槌で叩いて割ったが、縁周りの氷が割れずに残るくらい厚かった。それでも小鳥たちは、待っていたようにやって来て、元気に水浴びをした。ヒヨ、シジュウカラ、ヤマガラ、メジロと、みんな常連たちで、ツガイでやって来て賑やかだ。

 ひまわりの種とピーナツを花壇に撒いているので、シジュウカラとヤマガラがそれを見つける。地面では食べず、必ず口にくわえ木の枝に止まってついばむ。枝の上で実を足で抑え、くちばしでつつきながら器用に食べている。ヒヨは細切りのリンゴやミカンを食いちぎって食べる。メジロはヒヨが食べ残したミカンを、周囲を気遣いながら忙しくついばむ。

 猫庭の愛らしい小鳥たちを眺め、気持ちを穏やかにし、昨日の続きである「大韓民国の物語」へ最後の挑戦だ。

 「帝国主義者たちの植民地支配が可能だったのは、彼らに友好的な多数の協力者が存在していたからです。」「植民地朝鮮に居住していた日本人は、最も多い時で七十五万名余りで、全人口の2.75%程度でした。」「彼らは主に都市と港湾の付近に居住し、内陸であっても、鉄道が通じている地域から遠く離れることはありませんでした。」

 「にもかかわらず、総督府の支配体制は極めて逞しく、効率的に機能しました。」「多数の自発的な協力者のお陰でした。」「韓国の歴史家たちは、民族の恥ずかしい面として、このことについてきちんと語って来なかったのですが、もうその必要はありません。」

 「李朝は平安道の人々を差別していました。彼らには、科挙に対応する機会が極めて制限されていました。」「そのように集団的差別を受けていた住民は、李朝を倒した日本に協力しました。」「慶尚道では、平民たちが解放されました。」「協力者たちは、李朝時代に身分が抑圧されていた階層から、多く輩出されました。」

 「親日派の代表ランナーとして知られる李光洙は、近代文学を開拓した先駆者であり、当代きっての人気を誇った作家です。」「彼が親日派になったのは、朝鮮が見習わなければならない先進的な文明として、日本を認めていたからです。」
「彼は朝鮮の不潔、無秩序、卑怯、無気力などに絶望します。」「そのように野蛮な朝鮮が、日本に積極的に協力し、日本人のように清潔で、秩序があり、勇敢で、共同する文明人として生まれ変わる道こそが、朝鮮民族が再生する道であると信じました。」

 「そのような李光洙は、" 親日ナショナリスト " と呼ばれます。 」「親日行為を行う民族主義者 ! なんという矛盾した表現でしょう。」「しかし私は、そのような矛盾した表現の中に、李光洙だけでなく、植民地時代を生きた多数の知識人の精神世界を見ることができると考えます。」

 「彼らにとって協力と抵抗は、新旧二つの文明が激烈に衝突する苦痛なのであり、文明人として蘇生するための実存的選択の身悶えでした。」

 氏の著作を、私が「悲しみの詰まった本」と呼ぶのは、韓国における親日派問題を語る時の痛ましいまでの苦しみを知るからだ。日本国内の反日日本人を、私は「獅子身中の虫・駆除すべき害虫」として嫌悪しているが、韓国における「親日派の問題」は、比べ物にならないほどの大きさと深刻さを持っていた。

 彼らが抱えている親日派問題は、今現在も将来にわたっても、国全体にのしかかる重大事だった。それを教えてもらっただけでも、感謝したい。氏の本に沢山の事実が述べられているが、私の独断で割愛・省略し、必要な箇所だけを抽出することにした。

 「初代大統領の李承晩を含む、大韓民国の建国史について国民の評価が否定的なものになっているのは、」「親日派を清算できないまま、親日派の主導で国が作られたという大衆的認識が、最も重大な原因だと思われます。」
「親日派問題は、60年前の当時であれ、現在であれ、何かのきっかけがあれば間違いなく火を噴き、わが建国史に痛烈な批判を加える傷跡として残っています。」

 「1948年(昭和23年)に、国会が " 反民族処罰法 " を制定しました。 」「特別委員会が組織され、559名が特別検察に送致されました。」「特別委員会と最も激しく対立した勢力は、警察でした。」「当時、警察の半分以上は、日本統治期から警察に勤務していた人でした。」
「特別委員会が警察の幹部3人を逮捕すると、ソウル市警局長の指揮下で警察部隊が特別委員会を襲撃し、委員会の要員を連行するという重大な事態が発生しました。」「李承晩大統領は、そのような不法行為を黙認しました。」

 「警察の立場からすると、特別委員会の活動は、少数の左翼たちが右翼陣営に圧迫を加える政治攻勢に他なりませんでした。」「スターリンの秘密指令にも明白に出ていますが、当時、左派勢力が大衆の政治的な支持を引き出すため、」「親日派の清算という民族主義的な感情に訴えた戦略は、まさに伝家の宝刀にも似た政治的な武器でした。」

 「親日派の清算は大義名分があるにもかかわらず、最初から左右両翼間の熾烈な対立軸を作り出すしかありませんでした。」「左右両派の間だけではありません。同じ右翼同士でも、この問題は分裂を引き起こす種でした。」「書物でこうした事実を知った私は、やりきれない気持ちになりました。」「このように、何もかもが分裂していたのです。」

 敗戦後の韓国のことは韓国自身の問題であり、現在の私たちがあれこれ言う話ではないが、日本の影がここまで大きなものとして残っていることを、今日まで知らなかった。 慰安婦問題のみならず、軍艦島の世界遺産登録への執拗な攻撃にしても、背後にあるのは親日派問題の影だった。彼らが攻撃しているのは日本だけでなく、今も未解決で残る親日派問題への怒りと苛立ちでもあったということ。悲痛とも言える氏の言葉の重さが、やっと理解できた。

 「わが民族は、アメリカが、日本帝国主義を強制的に解体したはずみで解放されたのです。」「自分の力で解放されたのではありません。」「自力で解放を迎えることができなかったという、厳然たる歴史の制約の前において、親日派の清算という大義名分は叶うことのない夢に過ぎませんでした。」

 だから氏は、こういって著作の終わりに韓国民へ提案する。
「韓国の政治は、過去の歴史の亡霊から解放される必要があるという思いを、強くします。」「過去をあげつらう行為ほど愚かなことはありません。」「もうこれ以上、死者が生者の足を引っ張ることができないようにしなければなりません。」
「歴史戦争がいつ果てるともなしに続いていますが、そんなことは歴史研究者に任せてもらって十分だと思うのです。」

 氏の気持ちは痛いほどわかるが、その意見が韓国で受け入れられることはないだろうと、私は予測する。残念ながら、韓国人はそういう割り切りのできない人間たちなのだ。しかも皆が唯我独尊で、他人の意見を聞かないのだから、議論は深まることなく平行線のみだ。
一見無節操と見えても、私たちのご先祖様は、他国の良きものを進んで取り入れ、いつの間にか自分たちの色に染めてきた。争いや対立が無数にあっても、必ず一つの和へと収斂させてきた。私は氏と違うから、八百万の神々が存在する日本の有難さを噛みしめ、歴史や文化や民族をいつまでも大切にしたいと、そう思う。

 氏は、まだ多くの問題提起をしているが、ここいらで止めるのが潮時だろう。
いよいよ明日は病院の検査だし、ややこしい話を忘れ、猫庭を訪れる小鳥たちのことでも思い出しながら眠るとしよう。
コメント (11)
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