ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

黒ずきんちゃん

2016-01-18 16:53:53 | 徒然の記
 稗島千江氏著「黒ずきんちゃん」(H23年再刊 国土社)を読み終えた。
童話を本気で読んだのは、いったい何十年ぶりだろう。赤ずきんちゃんという話ならよく知っているが、黒ずきんちゃんなんて、どんな中身なのだろうと、好奇心に駆られた。

 本には意地悪な狼も出てこないし、人が食べられたり、お腹を割いて赤ずきんちゃんが助けられたり、そんな残酷な場面はどこにもない。主人公はたかしくんと、黒ずきんのナナ子ちゃんで、脇役としてたかしくんのお母さん、ナナ子ちゃんのおじさん、それとクラスの先生が出てくる。

 たかしくんの好きなものは、ひこうき、鳥、せみ、とんぼ、ちょうちょなど、飛んでいるもの全部だ。

<< とぶものだけが すきじゃなんて・・・・、
  それは あんたが じゆうになりたいからじゃわ  >>

 小学校の二年生なのに、そんなことをいう女の子であるナナ子ちゃんに、とても惹かされた。

 作者がなにを意図していたのか知らないけれど、私はこの本を、子供同士の淡い恋の思い出として読んだ。楽しいというより、子供時代の自分の気持と重なる描写に、ほのかな切なさと懐かしさを覚えた。

 事件は何もないのに、次々と読みたくなる文章の魅力があった。童話はたいてい平易な言葉で綴られているが、作者の文章の特徴は、文の区切りを句読点だけにせず、文節の間に、さらにワンスペース入れたところでないかという気がする。童話はどれもこういう書き方なのか、それとも氏だけの特徴なのか、とても読み易かった。

 作者独特の表現と、言葉遣いの新鮮さもあった。
「つりかばんが、たかしの おしりを パンパン たたいて よけいに スピードを だしてくれる。」
 肩掛けかばんが、走る時お尻のあたりで揺れる様子なのだが、簡潔で、うまい描写だと感心した。普通の人間なら、この状況を描くため、たくさん説明をするに違いないのに、氏は巧みな描写で読者を魅了する。

 「きんきらした 高い 声と いっしょに ゴムまりみたいに、なにかが とびだしてきた。 」
ナナ子ちゃんが初めて登場する場面だが、利かん気のやんちゃな少女が、颯爽と現れる様子が生き生きとしている。"きんきらした" という修飾語は、方言なのか、それとも作者の造語なのか、ピッタリの言葉で文字通り光っている。

 幼い頃熊本で育った私には、作者が子供達に喋らせる方言が懐かしかった。すっかり同じではないが、宮崎県と熊本県はどことなく似通った響きがある。方言が沢山使われると読者は難渋するが、この程度の量だと、いい味になる。氏は方言の量を計算して本を書いたのだろうか。だとすれば、大した作家だと感服する。

 たが、何よりも特筆すべきこの本の特徴は、描かれている色彩の鮮やかさと豊富さだ。
何気なく読まされてしまうのは、花や木や道や畑にあふれている豊かな色の力だと思う。作者には無断で、少しはしょって、その文章を引用してみよう。

 「みかん畑を すぎると、あのときは まんじゅしゃげが さいていたのに 」「赤い 花の かわりに クロッカスの 黄色い 花が いちめんに さいていた」「そのむこうに、クロッカスより せの 高い こぎくが さき」「そのむこうに、こぎくより せの 高い 青い はな、」

 花は階段のように咲き、花の間の砂利道を、たかしくんはナナ子ちゃんに会いたくて歩くのである。
子供たちは作者が語る花の美しさに惹かされながら、主人公と同じようにドキドキしながらナナ子ちゃんの畑を急ぐに違いない。

 黒い頭巾をかぶったナナ子ちゃんは、クラスの男子から奇異の目で見られ、からかわれたり意地悪をされたりするが、最後は小さなハッピーエンドで話が完了する。彼女は何かの病気で頭髪が無くなり、黒いずきんをかぶっているのだが、いつの間にか元のように黒い髪に戻る。
ある日悪ガキの男子に、無理やり黒頭巾を脱がされるが、そこで皆が見たものは、ナナ子ちゃんの黒い髪毛の上に止まっている羽の黒い大きな蝶だった。まるで彼女の頭の中からでも生まれたように、蝶は静かに羽を広げ、驚いているクラスの皆を尻目に、空へと舞い上がっていく。

 ただそれだけの話だった。
しかし毎日、心を傷めつけられるような書ばかり読んでいる私にとっては、優しい絵本だった。課題を解決したいと、知識を求めて読書する者には、物足りないのかもしれない。一回目に読んだとき、私もなんとなくそう思った。二回目に読んだとき、即座に別の思いがした。

 「知るために読む本もあるが、感じるために読む本もある。」
それが童話だと思うと、子供たちの大好きな童謡が思い出された。

 ぞうさん、ぞうさん。
 お鼻が 長いのね
 そうよ 母さんも長いのよ
 
 ぞうさん、ぞうさん。
 だれが好きなの
 あのね 母さんが好きなのよ
 
この童謡には、難しい理論も、ややこしい理屈もない。あるのは、母親への思いと、その限りない優しさへの賛歌だ。子供たちは、幾時代もこの歌を歌い継ぎ、この歌に惹かされる。私には象さんを歌うような、無邪気さはなくなっているが、無邪気さを懐かしむ心は残っていた。そうした発見をさせてくれた氏の本へ、謙虚に感謝したい。

 しばらく本棚に飾っておくけれど、時がきたら、この本は可愛い孫にプレゼントしよう。孫娘が二人いるから、喧嘩にならないよう、明日本屋でもう一冊注文するとしよう。 

 




 
コメント (8)
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