ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

子をもって知る親の恩

2016-02-17 21:37:20 | 徒然の記
 子をもって知る親の恩

 自分は今年73才だ。しかし今なお、この言葉は私に人生を教え続ける。亡くなった父には限りない感謝と、存命の母にはできる限りの恩返しをと、心から思う。

 もし息子たちが見ると困るので、具体的には書けないが、自分がかってやったことが、いかに親に負担をかけ、不愉快な思いをさせていたかと、しみじみ反省させられる今晩だ。

 「いったい、何を考えてんだ。」と怒りをぶつけると、家内が決まって宥めてくる。
宥められると、意地を張るのが私の癖だ。幾つになっても変わらない。
「自分のことは、自分でやるという気がないのか。」「なんでも親に頼ろうなんて、甘え過ぎだ。」「親には親の生活がある。」「自主独立の精神が足りない。」

 家内に言われて、理性を取り戻した。
「そこまで言うんなら、親子の断絶を覚悟してね。」「子供たちが離婚することも、覚悟ね。」

 親子の断絶、子供の離婚・・・・。

 昔々、私たちが若く、三人の子供が小さかった頃、自分が両親に何をしてきたか。それはもう、家内のいうとおりだった。「若い時ってね。みんなそんなものよ。」「親の負担なんて考えないし、自分のことだけよ。」

 家内が病気をし、幼い子供の面倒が見られなくなった時、仕事の忙しい私は郷里の母に助けを求めた。
一月くらい来てもらい、掃除洗濯、子供の送り迎えや食事の世話など、してもらった。そんなことが、二度も三度もあった。私はそれを当然のことと思い、たいして感謝もせず、ありきたりのお礼しか言わなかった。往復の交通費だって、出したのかどうか覚えていない。

 息子夫婦は、一度私たちに救いを求め、夫婦で一ヶ月応援した。
今度は国内でなく、北欧ときた。言葉も分からず、気候も大きく変わり、てんやわんやの大騒ぎだ。物価が高いので、日本で買ってきてくれと、生活雑貨を多量に頼まれる。年をとると、大きな荷物を抱えての旅はしんどい。

 外国で暮らす人間なら、もっと自主独立すべし、弱音を吐いて親に負担をかけ、それを当然と思うのか。
子供の育て方を間違ったのではないか、などなど息子夫婦の窮状は知りつつ苛立ってくる。

だが、何度考えても、家内の言うとおりだ。私たちだって、若い頃は親に甘え、苦労も知らず過ごしてきた。孫が可愛いから手助けに行くが、私の父や母も同じ思いだったのだ。文句があっただろうに、顔に出さず、口にも出さず、普通のことのように応じてくれていた。なんという有り難さだったことか。

 「子を持って知る親の恩」は、そのまま「孫を持って知る親の恩」につながっている。
「自分のことばかり考えないで、もっと我慢しないでどうする」とは、私自身に言うべき言葉だった。親たちは、自分の感情を抑え、いろいろなことを思い巡らせ、我慢していたのだ。

 嫁の父親は、昨日帰国し、私の家で一泊して帰郷した。
「これも楽しい経験だと、楽天的に考えました。」「何でも楽しい方に考えないと、ダメですから。」
大きな荷物を抱え、外国への一人旅が初めてだというのに、笑って三週間を過ごしてきた。不満も不平も漏らさず、笑顔で行き笑顔で帰ってきた。嫁の父親もたいしたものだ。私よりずっと人間ができている。

 来週から約三週間、私が行く番だが、どうせ行くのなら笑顔で行くこととしよう。冥土の土産のノルウェーだ。
 
 シベリアから復員してきた父は、捕虜生活の苦労も苛酷さも語らなかった。それどころか、陽気な冗談で周りを笑わせていた。
父の偉さを、しみじみと思う。その子である自分が、たったこれだけのことで腹を立てるなんて知ったら、父は悲しむに違いない。あすは、久しぶりに郷里の母に電話をしてみようか。びっくりするだろうな。
 





コメント (15)
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