近頃は、新聞の記事を読むたび、込み上げてくる悲しみがある。
こんな感情の起伏に打ちのめされる自分は、おそらく弱い人間なのであろう。理性と信念があるなら、新聞の記事くらいで、一喜一憂するはずがない。
興味を覚えた記事を切り抜き、ノートに貼るようになったのは、昨年あたりからだ。
物忘れが多くなったため、有意義な記事、腹に据えかねる記事、楽しい記事など、気ままに残している。久しぶりの晴天で、日差しも暖かくなったので、切り抜きノートを何気なくめくった。
千葉日報の1月14日に、年始評論というコラムがあった。筆者は吉見俊哉東大教授で、昭和32年生まれの59才である。世界の歴史は、25年の周期で変化していくという意見だ。1945年の日本の敗戦から25年間は、「復興と高度成長」である。1970年から1995年までの 25年間は、「豊かさと消費文化」の年だった。そして95年の阪神淡路大震災とオーム事件を転換点とし、「崩壊の中の苦闘」の時代となった。
遡れば、敗戦の25年前には、第一次大戦終結によるベルサイユ条約が発効し、国際連盟が発足している。その25年前には、日清戦争に勝利した日本が、アジアの帝国への道を歩き出した。さらに25年前の1870年の直前に明治維新が起きている。
と、まあこういう具合の説明だ。読んでいくとなるほどと思わされ、納得もした。
だから面白いと思って深く考えもせず、そのまま記事を切り抜きにした。ところが本日、暖かい日差しに誘われるまま、何気なく記事の最後を読み、唖然とした。25年周期の話とどのように結びつくのか、氏の意見は突然安倍政権への批判となる。
「この平和も豊かさも、今は危うい。」「アベノミクスは一種のバブルで、いずれ大きな反動が日本経済を襲うだろう。」「昨年成立した安全保障関連法案の先に、日本が改憲へと向かうのなら、戦後とはいったい何だったのか。」
何ということはない。吉見氏も専門が「メディア論」で、一昨日ブログで批評した砂川立大准教授や碓井上智大教授と同類だった。「戦後とはいったい何だったのか」と、大上段に問いかける前に、順序からすれば、「日本国憲法とは何だったのか。」と、同時に問い始めなくてはなるまいにと、私は思う。
どうして教授という人々の中には、現在の国際情勢や日本の現状が見えない者が多いのだろうか。
武力放棄を掲げながら、自衛隊を持つことの矛盾が、どれほど今日の日本を混乱させているのか。自衛隊を無くしてしまえば平和になると、お花畑のインテリが言うけれど、果たして世界でそんな思考が通用するのか。
吉見氏に限らず、こういう愚かな教授たちの意見を目にすると、深い悲しみに襲われ、どっと疲れが押し寄せてくる。
こういう人物の語り口は情緒的で、いかにも美しく、わが国に生息するお花畑の馬鹿者には、中身は何もないのに、まるで詩のような響きでこだまするのであろう。
「日本は、破局に至る75年に立ち返るのでなく、それ以前の数百年に及ぶ、」「東アジアの歩みの中における、自らの価値の掘り起こしに向かう方が、可能性は大きい。」
「長い間、アジアは海で結ばれ、無数の島と半島、沿岸が繋がってきたのである。」「ネットワーク化の時代、開かれた連携に未来を託していきたい。」
この綺麗な言葉が結びである。いったい、なにを言わんとしているのか、さっぱり分からない。日本が危機意識を持ち出したのは、中国の軍備増強と、日本の領土領海への侵略がキッカケでなかったのか。民主党でさえ、政権を担っていた時は、竹島も尖閣も日本固有の領土だと明言していたのに、そんなことには目もくれない。
固有の領土を韓国が不法に占拠し、中国が武力で侵犯している。主権国家として、領土を守り、国民の安全を考えるのは当然の話でなかろうか。責任政党として自民党が改憲を言うのは当然なのに、あたかもそれが歴史の針を逆回転させる愚行だとでも言わんばかりの論調だ。
東大には憲法学者でも、現実を見ない愚か者がいる。まして吉見氏は、メディア論が専門というのだから、門外漢の寝言でしかない。こんな記事を大紙面にして飾る、千葉日報の経営陣は、朝日新聞のペテンを真似ているのだろうか。
何もかもが、情けない。
安倍政権の批判をするのなら、堂々と正論でやれと言いたい。安倍氏を支持しているからといって、何もかも正しいなど、そんな国民はいないのだから、国の未来を見据えつつ、もっとまともな主張を展開すべきでないのか。
こんな感情の起伏に打ちのめされる自分は、おそらく弱い人間なのであろう。理性と信念があるなら、新聞の記事くらいで、一喜一憂するはずがない。
興味を覚えた記事を切り抜き、ノートに貼るようになったのは、昨年あたりからだ。
物忘れが多くなったため、有意義な記事、腹に据えかねる記事、楽しい記事など、気ままに残している。久しぶりの晴天で、日差しも暖かくなったので、切り抜きノートを何気なくめくった。
千葉日報の1月14日に、年始評論というコラムがあった。筆者は吉見俊哉東大教授で、昭和32年生まれの59才である。世界の歴史は、25年の周期で変化していくという意見だ。1945年の日本の敗戦から25年間は、「復興と高度成長」である。1970年から1995年までの 25年間は、「豊かさと消費文化」の年だった。そして95年の阪神淡路大震災とオーム事件を転換点とし、「崩壊の中の苦闘」の時代となった。
遡れば、敗戦の25年前には、第一次大戦終結によるベルサイユ条約が発効し、国際連盟が発足している。その25年前には、日清戦争に勝利した日本が、アジアの帝国への道を歩き出した。さらに25年前の1870年の直前に明治維新が起きている。
と、まあこういう具合の説明だ。読んでいくとなるほどと思わされ、納得もした。
だから面白いと思って深く考えもせず、そのまま記事を切り抜きにした。ところが本日、暖かい日差しに誘われるまま、何気なく記事の最後を読み、唖然とした。25年周期の話とどのように結びつくのか、氏の意見は突然安倍政権への批判となる。
「この平和も豊かさも、今は危うい。」「アベノミクスは一種のバブルで、いずれ大きな反動が日本経済を襲うだろう。」「昨年成立した安全保障関連法案の先に、日本が改憲へと向かうのなら、戦後とはいったい何だったのか。」
何ということはない。吉見氏も専門が「メディア論」で、一昨日ブログで批評した砂川立大准教授や碓井上智大教授と同類だった。「戦後とはいったい何だったのか」と、大上段に問いかける前に、順序からすれば、「日本国憲法とは何だったのか。」と、同時に問い始めなくてはなるまいにと、私は思う。
どうして教授という人々の中には、現在の国際情勢や日本の現状が見えない者が多いのだろうか。
武力放棄を掲げながら、自衛隊を持つことの矛盾が、どれほど今日の日本を混乱させているのか。自衛隊を無くしてしまえば平和になると、お花畑のインテリが言うけれど、果たして世界でそんな思考が通用するのか。
吉見氏に限らず、こういう愚かな教授たちの意見を目にすると、深い悲しみに襲われ、どっと疲れが押し寄せてくる。
こういう人物の語り口は情緒的で、いかにも美しく、わが国に生息するお花畑の馬鹿者には、中身は何もないのに、まるで詩のような響きでこだまするのであろう。
「日本は、破局に至る75年に立ち返るのでなく、それ以前の数百年に及ぶ、」「東アジアの歩みの中における、自らの価値の掘り起こしに向かう方が、可能性は大きい。」
「長い間、アジアは海で結ばれ、無数の島と半島、沿岸が繋がってきたのである。」「ネットワーク化の時代、開かれた連携に未来を託していきたい。」
この綺麗な言葉が結びである。いったい、なにを言わんとしているのか、さっぱり分からない。日本が危機意識を持ち出したのは、中国の軍備増強と、日本の領土領海への侵略がキッカケでなかったのか。民主党でさえ、政権を担っていた時は、竹島も尖閣も日本固有の領土だと明言していたのに、そんなことには目もくれない。
固有の領土を韓国が不法に占拠し、中国が武力で侵犯している。主権国家として、領土を守り、国民の安全を考えるのは当然の話でなかろうか。責任政党として自民党が改憲を言うのは当然なのに、あたかもそれが歴史の針を逆回転させる愚行だとでも言わんばかりの論調だ。
東大には憲法学者でも、現実を見ない愚か者がいる。まして吉見氏は、メディア論が専門というのだから、門外漢の寝言でしかない。こんな記事を大紙面にして飾る、千葉日報の経営陣は、朝日新聞のペテンを真似ているのだろうか。
何もかもが、情けない。
安倍政権の批判をするのなら、堂々と正論でやれと言いたい。安倍氏を支持しているからといって、何もかも正しいなど、そんな国民はいないのだから、国の未来を見据えつつ、もっとまともな主張を展開すべきでないのか。