ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

北方謙三氏の作品について

2016-04-14 22:38:36 | 徒然の記
 北方氏の著作を、まとめて読んだ。
「風烈」(平成12年刊 集英社)、「海嶺」(平成13年刊 集英社)、「罅」(平成9年刊 集英社)、「疾走の夏」(平成13年刊 恒文社)の計4冊だ。
氏は昭和22年唐津市に生まれ、今年69才だ。48年に中央大学を卒業し、ハードボイルド作家と呼ばれ、一貫して荒々しい男の闘いをテーマに作品を書いている。度胸が座り、喧嘩に強く、衆を頼まず一人で敵と向き合っていく男。それはもう、子供漫画のヒーローみたいに、胸のすく不死鳥のような一匹狼だ。

 図書館の廃棄本を貰ってくる習慣がつく前まで、私は作家の作品をまとめて借り、一気に読むというやり方をしいていた。
菊池寛、松本清張、司馬遼太郎、吉川英治、伊坂幸太郎、大橋菜穂子氏等々だ。北方謙三氏もそんな作家の一人だった。ブログを始めていなかった時だから、もちろんパソコンには記録していない。

 石原慎太郎氏の「殺人教室」は、平然と人を殺す若者を主人公にしていたが、北方氏の主人公も、非情なほどの残酷さで敵と闘う。どちらの作品にも荒唐無稽な筋立てと、人物描写があるが、北方氏には何故か好感を覚える。日本冒険小説協会賞、吉川英治文学新人賞、柴田錬三郎賞などを受賞し、直木賞は貰っていないが、選考委員の一人に名を連ねている。

 今でもそう言われているのかどうか知らないが、私の中には「芥川賞は純文学」「直木賞は通俗小説」という区分が残っている。いわば「朝日新聞は日本の良識」と、そんな通説みたいなもので、今はとっくに打ち捨てた「常識」でもある。その反動なのか、取り澄ました芥川賞の作家より、世俗を描く直木賞作家に甘くなっているのかもしれない。

 本の内扉を見ると、最初から単行本として出されたものでなく、週刊誌や月刊誌に連載された作品だったことが分かった。「週刊プレイボーイ」「週刊小説」「小説すばる」「小説推理」「小説現代」などだ。週刊誌や月刊誌は今でも軽視し、読む気になれないので、図書館がなかったら、一生北方氏を知らずに終わっただろう。偏見がどれだけ世界を狭くしているのかという、いい見本だ。

 同じハードボイルド作家と言っても、大藪武彦氏には心を動かされなかったから、やはり北方氏の方が技量が上なのだろうか。まずもって文章が簡潔で、無駄がない。喧嘩のやり方や無謀な運転の仕方など、何が何やら分からない詳しさだが、それでも冗長と感じさせないものがある。一流のエンターテイナーと呼べるのではないかと、勝手にそんな判断をしている。

 サマーセット・モームは、自らをストーリーテラーと称したと聞く。モームはヤクザや死闘は扱わない紳士だったから、北方氏と同列に論じたら機嫌を損ねるのかもしれない。だが読者を退屈させない文章が書けるという点では、共通した職人技を見る。

 芥川賞作家に拘る訳でないが、村上隆氏との比較でも、私は北方氏に肩入れをする。同じ残酷な殺人を扱っていても、石原氏や村上氏には、嫌悪感しか覚えない。理由は、単純で簡単だ。北方氏のむごたらしい喧嘩や殺人には、それなりの理由がある。愛する者のためか、あるいは信義を守るためか、主人公は世間が納得のいく理由のため命を賭ける。馬鹿馬鹿しいとは思いつつ、主人公を応援せずにおれなくなる自分がいる。

 それは、日本人の心の底にある、人情とでも言えば良いのだろうか。忠臣蔵や水戸黄門の話など、誰もが知っていて、筋書きだって分かっているのに、それでも多くの日本人は、あの単純な話に涙をこぼす。意識して氏がそうしているのか、いないのか、でも間違いなくそれが作品の魅力だ。勧善懲悪の単純な話とせず、現代風にアレンジしてあるが、主人公を愛せずにおれなくする秘密がここにある。

 残念ながら、石原氏や村上氏の殺人には、根底に流れる日本人としての情が欠落している。
石原氏への書評が心の傷となり、今日までブログに向かえず時間を空費してきたが、北方氏の作品を前にすると、やはり言葉を綴りたくなる。私たちの心の奥に流れる、義理や人情というもの・・・・。封建時代の残滓だとか、時代遅れの感情だとか蔑視してきたが、どうもそうではないらしい。

 北方氏の闘いのエネルギーは、愛する妻や子を守るための男気でもある。あるいは年長者や友との約束の履行だ。それは、故郷への熱い思いや、属する集団への愛の激しさでもある。国歌や君が代に対しても、そうであろうと願うのは私の深読みだ。

 「疾走の夏」はフィクションでなく、彼の回想録だった。無謀な37才の時の、アメリカ旅行の思い出だ。虚構の作品しか書かない彼が、珍しく飾らない自己を語っていた。それによると、学生時代は左翼の中にいて、警官隊ともみ合った経験を持っている。簡単に国歌や日の丸を大切にする人間になるはずもないのだが、それでも私は氏の作品の向こう側を、深読みする。氏の得意なセリフで表現すれば、「そう考えるのは、あんたの勝手で、おれの知ったことか。」と、こうなる。

 堀江健一氏が太平洋を一人で、ヨットに乗って横断した時、日本中が大騒ぎになった。
本の中で彼は、次のように書いている。「他人の目を気にするというのは、日本人の特徴なのだろうか。」「行為の本質を見つめる前に、他人がどう思うだろうかということで、全てを判断し、対処してしまう。」

 「政府は、堀江氏がパスポートを持っていないことを、アメリカ政府がどう思うか、という危惧だけで対処してしまったのである。」「アメリカで英雄視されると、表彰でもしかねない空気になったのが、日本の日本たるゆえんだろう。」

 「最初の開発者などを、率直に受け入れない空気がどこかにある。」「いずれにせよ、最初に何かやる人間は、純粋な行為だけでなく、もろもろの負担を負ってしまうことになる宿命があるのだろう。」

 こうした政府批判や日本人論は、反日の人間の主張でなく、ごく普通の意見だ。
当時のことを思い出すと、賛成したくなる常識的な思考だ。今回は氏の作品の一つ一つを取り上げず、全体の感想を述べて終わりたいと思うのだが、もう一ヶ所心に留まった文章がある。

 「肉体が生命を失うことを死というならば、人間の死は一度きりである。」「心が生命を失うことを死というのなら、人生には何度でも死がある。」「経験できる死、蘇りのある死。」「売れもしない原稿をえんえんと書き綴っていた頃、自分はすでに死んでいるのではないかと、ふと思ったことがある。」

 「書くことをやめてしまわなかったのは、死ぬことをほんとうは怖れていたからだ。」「書くことが生きることだと、信じようとしていた。」

 「純粋に夢を語ることができる自分は、死んだ。」「愛している女と別れようとしていた時の自分も、死んだ。」「そうやって、何度も死んできた。」「そして、青春というやつを失った。」


 小説が売れなかった頃の氏は、貧乏な一匹狼を描き、売れっ子になりしこたま懐が豊かになると、贅沢な狼を登場させる。境遇の変化に合わせ、氏の主人公が変化した。まとめて読むから発見した、作品の移り変わりだった。

 さて、随分褒めたけれど、ほんとうのことを言うと、4冊の中には一冊だけ駄作があった。
「海嶺」(平成13年刊 集英社)だ。詳細は省略するが、簡単に言えば「過ぎたるは及ばざるがごとし」の好例だ。どうしてこのように、肩に力を入れ強調したのか。息子を守る父親としての姿や、恋人を救うための意気込みなど、下手な舞台俳優からオーバーな演技を見せられ、いい加減にしろと言いたくなる観客の気持ちだった。

 ても後の三冊は、本当に楽しく読ませて頂いた。私もまた、心の死から救われたのだから、北方氏には感謝せずにおれない。

 
 
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする