ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

祝祭日の国旗

2016-04-17 00:07:22 | 徒然の記
 4月3日午前9時から、自治会の総会があった。
27年度の活動報告を会長が行い、監査役が監査報告をし、誰も異議を唱えなかったので、私たち役員の任務が無事終了した。

 1丁目自治会、2丁目自治会、3丁目自治会、4丁目自治会等々、地区に沢山の自治会があるが、私たちの自治会には、分別のある住民が多かった。多少文句を言っても、無理難題で役員を困らせたり、騒ぎを起こし立ち往生させたり、そういう性悪がいなかった。

 温厚な会長を中心に、副会長、会計、総務の三役が、難題が生じてもチームワークで処理した。自治会の役員は、会長以下班長まで数えると24名になる。組織の長に人を得ると、たとえ自治会であっても人間の和が生まれるという、貴重な経験をさせてもらった。

 慣例に従い当日の午後7時から、自治会館で旧役員だけの慰労会が行われた。自主参加なので、およそ半分強の17名が出席した。一人三千円の費用で弁当やビールやお茶など、質素ながらささやかな歓談の場ができた。倹約家の女性二人が会計係だったから、安くて量のあるツマミが工夫され、残ったものは欠席者に配ることもできた。ただし欠席の連絡をくれた人だけへのサービスとし、無断欠席者には届けなかった。

 さて、表題に何の関係もなさそうなことを、どうして長々と語るのか。
実は、決して無関係でないことを、これから徐々に明らかにしていきたい。慰労会は9時で御開きとなり、連れ立って会館を後にした。
「あっという間の、一年間でしたね。」
「もう一年、やりますか。」「とんでもない。それは別の話。」
「でもこのメンバーでなら、あと1年やってもいい。」「私も、そんな気持ち。」
「引き継ぎが済んだら、安心して何でも言いますね。」
「◯◯さん、間違えて来週の土曜日に出席しないようにね。」「なんだか、間違えそう。」

 皆が小さな気持ちの高揚と満足感を覚えつつ、他愛のない冗談を言いながら、自宅の近い者から一人抜け、二人抜け・・・・、こうして私たちは散会した。最初は義務感で渋々やってきたけれど、終わりには楽しい思い出となった。


 あれから約二週間後の今日。会長がタケノコを持ってきてくれた。
「家内がいないので、ちょっと上がりませんか。」
女房がいると、飲み物や菓子などあれこれ気を使うので、互いに遠慮し、話があるときは外ですると、いつの間にかそうなっていた。
「コーヒーでも、どうです。」
「そんなら、ちょっとだけお邪魔しますか。」
懐かしさも手伝い、私たちは久しぶりに顔を合わせた。ところが何としたこと、いつもあるはずのコーヒーが、どこを探しても見当たらない。菓子だけは皿に載せ、気取って二人分用意したのに、肝心のコーヒーが見つからない。
「参りました。」
「Nさんも、奥さんがいないと、どこに何があるか分からないんですね。」
笑っている会長に、私は焦って提案した。
「酒とウイスキーとビールならあります。どれにしますか。」
「昼間から、飲んでもいいんですかね。」
言いながら、会長がビールを所望したので、あり合わせのツマミを大皿に盛った。ついでに話も、盛り上がった。もともと気の合う二人だったので、自治会の思い出話がはずんだ。
「ゴミステーションの改修作業は、手がかかったけど楽しかったですね。」
「10ヶ所もあるのに、自治会の有志が作っていたなんて、知りませんでした。」
「あんな人たちが、同じ町内に居たんですね。」「役員をしてなかったら、無縁なままでしたよ。」
「あのときのメンバーで、一杯やろうという話があります。楽しみですね。」
「役員を止めても、町内の仲間は失くしたくないもんです。」

 そのうちほんのりと酔いが回り、私は本音で語りたくなった。
「実は、私、最近いつも考えてるんですが、なかなか決心がつきかねてることがあるんです。」
怪訝な顔をする会長に、心のうちを出してみた。
「祝祭日の国旗なんですがね。世界中どこの国でも、祝日には国旗を飾るし、大切にしています。」
コップをテーブルに下ろして会長が聞き入っているので、踏み込んで話した。
「いくら戦争のシンボルだったからと言って、70年前の話を、いつまで引きずればいいんでしょう。」「戦争なんて、世界中の国がやってますよ。」「歴史を考えてもみてください。酷い戦争はいくらでもあったのに、どうして日本だけが悪者になり、謝ってばかりいなくてならないんでしょう。」

 自治会では政治の話をしないと決めていたのに、喋りだすと止まらなくなった。
「こんなことを言うと、すぐに右翼とか軍国主義者だとか決めつけられるんですが、自分の国を大切にしたいというのは、右翼や軍国主義者の占有物なんでしょうか。」「私のは単純な気持ちなんです。」

 「ふるさとを大事にするのと同じ気持ちで、日本も大切に思うんですよ。」「今年はなんとかして、祭日に国旗を、自分の家に立てたいんです。」
「一緒に立てましょうか。」
会長の言葉に、今度は私が驚いた。
「実は私も、同じ気持ちだったんです。祭日になっても、どこの家も国旗を揚げていません。」「それはやっぱり、おかしいことですよ。」「誰かが立てたら、そのうちあっちでもこっちでも、家の前に日の丸が立つんじゃないでしょうか。」

 今度は会長が、沢山喋りだした。
「きっと、誰もがそう思ってるんだと思いますよ。」「貴方の話を聞きながら、私は嬉しかったんです。国旗がどこで売ってるのか、私も調べましたよ。」私は即座に言葉を挟んだ。
「靖国神社でしょ。」
「そうなんです。でもあそこのは、ダメです。窓に飾るように小さくて、家の前に立てるものじゃないんです。」

 そうか、このような人が町内にいたのかと、心強い発見だった。会長の方が先を行っていたと知るのは、安堵するやら嬉しいやらだった。

 「会長、そんならなにも急ぐことはありませんね。町内で同じ気持ちの人を、ゆっくりと探しましょう。」
「そして、一斉に国旗を立てますか。その方がインパクトがありますね。」
どうやら会長も本気になったらしく、私の話に乗ってきた。右翼や軍国主義者の手から、国旗を取り戻し、庶民のものにできたら、こんな嬉しいことはない。

 「前会長のAさんなら、賛成してくれそうですね。」「元会長のYさんだって、そんな気がしますね。」
いつの間にかビールがなくなり、家内の帰宅時間が迫ったので、会長が腰を浮かした。

「いや、長居をしました。楽しかったです。」
「こちらこそ。嬉しかったです。」

 私と会長は、祝祭日の国旗掲揚という共通の目標を抱いて、本日からゆっくりと進むつもりだ。千葉の片隅から、一本の国旗が二本、三本となり、千葉県全体に広がり・・・・、いつの日にか日本のありふれた風景となる。これこそが国民としての私の一歩であり、社会への参加だ。

 激するでなく、声高く叫ぶでなく、いつもの声で語った会長を、これほど頼もしく思ったことはない。自治会の副会長をさせてもらって、こんな有難い人の輪に参加できたことは、誰に向かって感謝すべきか。


 「理想は高く、手は低く」・・・・。この言葉を噛みしめる今宵は、きっと静かな眠りが訪れる。

コメント (6)
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