新崎盛暉・目崎茂和・国吉和夫・仲地哲夫・村上有慶・梅田正己氏共著「沖縄 修学旅行」(平成4年刊 高文研)を、読み終えた。
母の具合が良くないと聞き、急遽九州へ帰省することを決め、往復の待ち時間に読もうとバッグに入れた。題名が「修学旅行」なので、名所旧跡を紹介する本だろうと、軽い気持ちで手に取った。
「観光・沖縄のキャッチフレーズは、青い海です。」「きらめく太陽の下、無数のガラスの玉を海中に敷き詰めたように、虹色に輝く海を見ただけで、」「沖縄へきた甲斐があったと言えます。」
空港の待合室で、ベージをめくった。基地問題で荒れる沖縄とは言え、私には、まだ見ぬ憧れの島でもある。前書きの言葉に、心踊りさえ覚えた。
「沖縄で体験すべきことは、まだ他にたくさんあります。」「人生観が変わると言えばオーバーかもしれないけれど、」「しかし沖縄が、私たちの歴史と現実を見る目を、」「変えることだけは確かです。」
文章のトーンが変わり、軽かった気持ちが、重いものへと変じて行った。「この本は、そうした沖縄体験のための、基礎的な入門書です。」「本で学んだことを、沖縄の地で確かめたとき、」「青い海 の輝きもまた、違って目に映ることでしょう。」
目次を眺めると、「沖縄が知っている戦争」、「基地の島・沖縄」と、気楽に読めないタイトルが続いていた。「羊頭狗肉」とは、看板と実物が違っていると、騙された客が苦情を述べるとき使う言葉だが、この本の印象もそうだった。
私はこれまで沖縄について、保守の側の情報で知識を得、反日・左翼に振り回される人間が多数いる島、という理解をしてきた。読み終えた今は、著者たちの偏見が混っているとしても、別の姿の沖縄をつかんだ気がする。
今日まで、反日左翼への怒りばかりを述べてきたが、今少し、沖縄の側に立ち、眺める要があると感じさせられた。私が言う「羊頭狗肉」は、本に騙されたという怒りだけでなく、「期待していない知識を貰った」という変な驚きだ。
日本の各地から沖縄へ移住し、騒ぎを起こすプロ市民には、依然として好感が持てないが、反日とならざるを得ない沖縄の実態を知った。たかだか240ページの本を読み、沖縄を理解したと言うのは早計かもしれず、別の書物を読めば、また違った思いが生じるのだろうが、現時点での気持を足跡として残しておきたい。
まず自分が、沖縄について、知らないことばかりだという事実を、認めなくてならない。国内で唯一の戦場となった沖縄で、どれだけの戦没者が生じたか。覚えやすくするため、概算でメモをした。沖縄戦の戦没者総数は、20万人だとのこと。このうち沖縄出身の軍人と、沖縄住民の戦没者が12万人で、内訳は軍人が3万人、民間人が9万人だ。沖縄出身以外の軍人が、7万人で、米軍が1万人。これで合計が20万人となる。
本でに書かれている言葉を、そのまま引用しよう。
「沖縄ではたしかに、6万6000人もの、本土から来た兵士が、」「かけがえのない命を落としたが、」「しかし、それをはるかに上回る、沖縄県民が命を奪われた。」「沖縄県掩護課の資料でも、沖縄県出身の戦没者は、12万2000人を超える。」「この事実を見落とすと、沖縄戦の本質を見失うことになる。」
「いま、摩文仁の丘には、各県の慰霊碑が建ち並んでいる。」「沖縄には、沖縄県を除く、全都道府県の慰霊碑がある。」「沖縄戦が、それほど大きな戦いだったということだ。」
挿入されていいる一覧表に、県名、塔名、建設年月、合祀者数が記載されている。これほど多くの慰霊碑が、摩文仁の丘にあることや、戦死者の数の内訳も、本を読むまで知らなかった。
本の著者は、修学旅行の学生に向かって語りかける。
「日本政府と軍部は、ジュネーブ条約を批准せず、」「兵士には、条約の存在すら知らせず、」「ただ、" 生きて虜囚の辱めを受けず " の」「戦陣訓を叩き込んでいた。 」「捕虜の口から、軍の機密が敵に漏れると考えたからだ。」「負傷して、戦えなくなった傷病兵は、みずから死ななければならなかったのだ。」「これが、日本を支配していた 、 死の論理 だった。」
戦陣訓の非情さを、こうした角度から解説されるのは、初めてなので、著者の言葉が正しいのか、偏った見方なのか、私は知らない。
やがて著者の話は、次のような主張へつながっていく。
「摩文仁の丘の頂上には、自決した牛島司令官と、長参謀を祀った黎明の塔がある。」「ただ残念ながら、碑文の多くは、司令官の最後の命令にあった、」「 " 勇戦敢闘、悠久の大義に生きる " 式の、美文調だ。」「しかも、沖縄住民の犠牲については、触れていない。」
「司令官が自決し、しかも生き残っているものは、」「生きている限り戦えと、言い残していったため、」「沖縄戦は、終わりのない戦いになってしまった。」
著者は、当時の軍人が、いかに人命を軽んじ、住民の生きる権利さえ奪ったかと語る。
牛島司令官については知らないが、私は、大田中将については少し知っている。玉砕戦となる前に、大田中将は「沖縄県民かく戦えり」と、惜別の電文を大本営に送り、沖縄県民に対し、戦後の配慮を要望した。
あるいは、硫黄島の栗林大将は、住民の安全を考え、玉砕戦の前に、彼らを疎開させている。学生に戦争を伝えるというのなら、牛島中将の非情さだけでなく、大田中将や栗林大将のことも語らなくて良いのだろうか。筆者は、何も知らない、未成年の生徒たちに向かって、自分に都合の良いことだけを伝えている・・。
平成4年の出版だから、朝日新聞の慰安婦の捏造報道が、大手を振って闊歩していた時なので、著者が一方的な軍部批判を展開しても、無理ないと思いはするが、それにしても、次のような偏向は看過せない。
「大事なことは、私たちの国が、このような悲惨な戦争を、」「二度と起こさぬという決意を、世界に明らかにすることだ。」「言葉によってでなく、具体的な行為によって、その決意を示すことが必要だ。」
「つまり国が引き起こした戦争で、犠牲となり、被害を被った人に対しては、」「国の責任において、最大限の償い(補償)をするということだ。」「とても残念なことだが、私たちの国は、その償いをするのに、とても消極的だった。」「戦争中に、軍夫や慰安婦として、朝鮮半島から連行して来た人たちについては、」「およその数さえ分かっていない。」「あれほどひどい目にあわせながら、完全に無視、ないしは忘却してきたということだ。」
米国の無差別爆撃による死者は33万人で、原爆による死者は広島で20万人、長崎で14万人だった。敗戦となった国に対し、遺族たちは国の補償を求めただろうか。
同じ日本人と思ってきたが、沖縄はやはり別の国なのだろうか。本の著者の主張が、私にはまるで、韓国人の論調と重なって聞こえる。朝日新聞の慰安婦報道が、捏造と判明した今でも、著者たちは、こうした意見を持ち続けているのだろうか。
沖縄の人々に、素朴な反感を持てなくなったのは、次の章を読んだからだ。
「本土と異なる沖縄の歴史」「薩摩・島津氏による琉球侵略」「薩摩・島津氏に支配された琉球」「琉球処分」。
この部分には、沖縄の人々の怨念すら漂っている。日本から何をされても喜ばず、何もされなければ激怒し、そこはかとない郷愁を中国に寄せ、機会さえあれば、中国に庇護されたいと、そんな思いが伝わったきた。
同じ国民と思えば腹立たしいが、日本の中にある異国だと知れば、沖縄の人々の思考が分からぬでもない。翁長知事だけでなく、政治家や実業家、教育者など、沖縄のリーダーたちの多くは、中国からの移住者を先祖に持っている。近年ますます国力をつけてきた中国に対し、彼らが親近感を持ち、その分だけ、日本から離反したがる様子も理解する。
逆らう国民を弾圧し、異民族を虫けらのように蹴散らす、赤い中国への接近は、「自滅への選択」と言う者もいるが、沖縄県民の意思なら異を唱える立場にない私だ。政治家でない自分には、複雑な国際情勢の中で、今後沖縄がどうなっていくのか、さっぱり分からない。
本は24年前の出版なので、現在は改訂版が出回っているのか、絶版となっているのか。調べる気はないが、調べる気になったことが一つだけある。この6人の執筆者たちは、どのような人たちなのだろうか、ということだ。
仲地氏と国吉氏を除くと、他の四人は東京都、新潟県、佐賀県生まれの日本人だった。新崎氏は沖縄大学の学長で、目崎氏は琉球大学の助教授という経歴の持ち主だ。なんらかの形で沖縄の住民運動や平和活動にかかわっていると、分かった。こうした人たちは、日本人でありながら、国の悪口を言い、沖縄の住民と、政府の対立を煽っている。
ことさら沖縄を被害者として語り、本土の日本人と、沖縄の住民との離反を作ろうとしている。こういう人物は、日本のために有害だし、沖縄のためにもならない。
やはり、「獅子身中の虫」「駆除すべき害虫」と呼んで良いのではなかろうか。