ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

心機一転

2017-01-23 19:02:44 | 徒然の記

 七十の声を聞いてからというもの、どこといって不調はないのに、老人意識が幅を利かせ始めました。われ知らず「疲れた」とつぶやいたり、倦怠感におそわれると「年だから仕方がないか」などと、自分を慰めたりしていました。

 しかし、一月六日の新聞記事を目にして以来、自分の思い違いを発見いたしました。なんとその記事の見出しは、「高齢者は75才以上」「身体、知的能力若返り」「日本老年学会提言」とありました。現在は65才以上が「高齢者」と定義されていますが、今後は75才以上を「高齢者」としていくという内容です。

 医療の進歩や社会環境の改善により、人々の身体の働きや知的能力が、5から10才以上若返っているというものでした。更に大きな見出しで、「 "生涯現役" の時代」とあり、その文字さえ力強いものでした。今年の元旦で満73才になった私は、まだまだ「高齢者」ではないという楽しい話になります。日本老年学会というのは、聞いたこともない組織ですが、新聞が一面を割いて掲載するのですから、いかがわしい団体ではないのでしょう。

 「それなら老け込むのはまだ早い」と、生まれつき単純な私は、早速その気になりました。「一年の計は元旦にあり」、小学生の時から教わってきましたので、すぐさま一年の計を立てました。

「心機一転し、新しい一歩を今年からはじめる。」これが私の一年の計です。天のどこかにおられる神様の采配なのでしょうか。昨年の暮れ以来、偶然私は「断捨離」にかかっておりました。欲張りなので色々な物が捨てられず、部屋の中はもちろんのこと、押入れにも、庭の物置にも、使いもしないガラクタが押し込まれております。取り出して見ることもない古い日記や、メモや、落書き、あるいは頂いた手紙やはがきや寄せ書きなど、いくつもダンボール詰めにして積んであります。

 ベストセラーだった本や、全集、雑誌、スクラップ帳、旅行先で集めた焼き物や飾り物などが、本棚一杯になっております。子供たちが使い古した机や椅子や、オモチャもあります。もっといいますと、客用の布団や毛布やシーツなど、夫婦二人となった今では、不用品の仲間に入ります。会社勤めをしていた頃の背広やワイシャツ、ネクタイなどは、もちろん不用品の筆頭です。

 「年末の大掃除」というのは、昔から受け継がれている日本の麗しい伝統ですが、今年はさらに「断捨離」という作業が加わりました。例年になく、忙しく、楽しく、切なくもある「年末の大掃除でした。」失恋した男女は、涙にくれながら過去の手紙を破り捨てます。この世に絶望した人間は、自暴自棄となって身の回りの物を壊したり、投げ捨てたりします。これらの人がやっているのは、「つらい過去との決別」です。

  だが、私の「断捨離」は違います。自分には、捨ててしまいたい過去がありません。恨みつらみの過去もありません。悲しいことやつらいこともありましたが、それは楽しかったり嬉しかったりした追憶の間に織り込まれた、大切な模様です。全てが大切な過去ですから、私の「断捨離」は過去との決別でなく、「過去との再会」でありました。

 不用品を処分するといいましても、いい加減なことはできません。市役所の「ゴミ処理手順」を守るのも、市民としての責務です。「燃えるゴミ」「不燃ゴミ」「紙」「プラスチック」「小型電化製品」「大型ゴミ」と分類しなくては、回収作業をする人に迷惑がかかります。毎日のことでしたが、捨てる物を目にすると思い出がよみがえり、切なく胸が痛み、作業の手が何度も止まりました。心の中で感謝したり詫びを言ったりしつつ、ものに刻まれている思い出を、今度は自分の心に刻んでいきました。

 こうして断捨離と心機一転の作業が、昨年末から、つい昨日までかかりました。その間ブログを中断し、長い休みを頂きました。心配してくださる方もあったのですが、私のブログを快く思われていない左翼系の方には、喜びを与えたのかもしれません。「あれこれうるさいことを言っていたが、アイツもついにクタバッタか。」・・・・・。

 25日の水曜日に、椅子2脚を大型ゴミの回収業者が引き取りに来ます。そこでひとまず、「断捨離」作業が一段落いたします。本当に有意義な日々でした。

 

   村の渡しの船頭さんは

   今年六十のお爺さん

   年を取つてもお船を漕ぐときは

   元気いつぱい艪(ろ)がしなる

   それ ぎつちら ぎつちら ぎつちらこ

 

 突然話が飛びますが、これは昭和16年に発表された童謡で、武内俊子氏が作詞し、作曲は河村光陽氏によるものです。占領軍によって戦時歌謡曲に指定され、世間から消えてしまい、今の子供たちは誰も知らないと思います。この曲も、私の「断捨離」の一つに加えるべき、敗戦の歴史を刻む大切な童謡です。移り変わる世相を映す童謡でもあります。つまり昭和16年当時、人は六十才になると老人と言われていたのです。

 会社の定年は長い間、50才でしたが、やがて55才に延ばされ、更に60才へと延長されました。私が入社した昭和24年代は、会社の定年が50才でしたが、二、三年後に55才になったと記憶しています。そして自分が定年になった時は、60才に再延長されていました。本来年金は、無給となる退職後の人間に合わせて支給されるものでしたから、50才とか55才で年金生活者となり、それが普通だった時代があったのです。とても信じられない気がしますが、こうして振り返りますと、面白い発見があるものです。

 厚生省の役人たちは、私が退職する頃から、年金支給開始年令をとんでもなく、延長してしまいました。退職時と合わせていた支給開始年令を、3年も遅らせてしまい、60才で退職しても、年金は63才からしか貰えなくしました。3年間はアルバイトでも何でもして、自分で金を稼げと、ずいぶん冷たいあしらいとなりました。

 私を元気にしてくれた日本老年学会には、感謝しても足りないものがありますが、不満もあるのです。情け容赦なく支給開始年令を改定した厚生省の役人に対し、学会より一言でもいいから、苦言を呈してもらいたかった。ついこの間まで「村の船頭さん」という歌があって、60才は老人と言われていたのですよ、急に邪険にしてはなりませんと、新聞発表をして欲しかったのです。それができないのなら、「老人というのは63才以上です。」と、せめて変更の事実をキチンと周知してもらいたかった。当時、日本老年学会があったのか、無かったのか、知りませんが、私は今でも厚生省の役人に何となくしてやられたという悔しさが消せません。

 支給開始年令を突然延長する二年前だったと思いますが、厚生省は年金保険料の引き上げを行い、国民への説明には、大見得を切っていました。「今回の保険料引き上げで、年金制度は磐石となります。これから100年間は、心配しなくて済みます。」

 よくもまあこんな大ウソを、ぬけぬけと・・と、あれ以来厚生省の役人を信頼しないこととしています。その証拠に評論家の田原総一朗氏が、「年金支給の開始年令がさらに伸びるのではないか。」 と、呟いています。今は厚生労働省となっていますが、どこまでも、油断のならない役人たちです。

  村の船頭さんの歌が、GHQに睨まれるようになった理由は何なのか。今回のブログのおかげで私も偶然知りました。二番の歌詞は、次のようになっています。


  雨の降る日も岸から岸へ

  ぬれて船漕ぐお爺さん

  今日も渡しでお馬が通る

  あれは戰地へ行くお馬

  それ ぎつちら ぎつちら ぎつちらこ

 

 さて私は最後に、もう一つだけ敗戦後の、悲しい思い出を付録として加えたいと思います。「村の船頭さん」だけでなく、戦時歌謡曲として、沢山の童謡が私たちの前から消えてしまいましたが、どうしてGHQはここまで徹底してやれたのか。絵画や書籍や、演歌や流行歌、果ては童謡まで、日本の隅々にまで、どうして検閲の目が届いたのか。

 長い間疑問でしたが、ある資料が目を開かせてくれました。それによると、検閲は、日本人の手によってなされたものだったのです。GHQは、当時の日本人の知識層の中から 、数百人だったか、数千人だったか忘れましたが、とてつもない高給で彼らを雇い、「秘密厳守」の誓約と脅しの上で、「軍国思想」につながるものを探し出させ、廃棄させたのです。雇われた彼らは、一般国民の手紙類も密かに検閲し、報告させられておりました。

 大学生だった者もいたし、高校や大学の教師もいたと言われていますが、当事者たちは今でも口をつぐんだままです。存命の方たちは、何を考えておられるのでしょう。GHQはとっくの昔に無くなっているのに、協力した当時の日本人たちは、いまも律儀に秘密厳守の協力をしています。というより、やったことの卑劣さを恥じれば、とても言い出せなくなっているのでしょう。政治家になったり、学者になったり、マスコミの経営者になったりした者がいます。戦後70年たっても「アメリカの管理下」から抜け出せない、現在の日本が作られているのだと、私は考えました。

 この強靭な米国従属体制の存在を知っていれば、「安部総理は何もできない、能無し」だと、簡単に言ってのけられない私がいます。もしそれを言うのなら、敗戦後の70年間、いったい保守と呼ばれる政治家や思想家は、国民に何を語ってきたのか。どんな事実を明らかにしてきたのか。私はそれを問うてみたい。

 腹立たしいまでの裏切りをする総理に、私は怒りを燃やしますが、それでも、現在の国民的危機意識の欠如や、失われた日本人の誇りや愛国心のすべてに、安部氏の責任を問う理不尽さも納得がいきません。

 こうして私の新年が始まり、ブログが再開いたしました。昨年まで「みみずの戯言」という表題でしたが、今年から「ねこ庭の独り言」に変えました。土の中で意見を述べるより、地上に出て、自分の庭で主張したくなりました。これこそ「心機一転」ではないかと、密かに自負しております。 

コメント (5)
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