4月2日 水曜日
パソコンの中のアダムとイブ 3 (小説)
どうしてこんな理不尽な仕打ちをうけるのか。理解に苦しむ。これがこの地方の風習だ。意地悪いひとがおおい。なれているから、さしておどろきもしない。
子供の世界のイジメが大人の世界にもある。子供は大人になっていくのだから、これはあたりまえのことなのだろう。
バスはたったふたりの乗客がおりただけなのに、きゅうに軽々と発車してしまった。村木はがくっときた。二足歩行にたよるか。次のバスをまつか考えた。歩きだすほうを選択する。女は歩道から消えていた。
東芝のRupoはその発売当初から使用していた。いまさらペン書きにもどることはできない。書痙になったことがある。右肩から腕にかけて美智子は、いまは亡き妻はよくもみほごしてくれた。あたたかくやわらかな美智子の頬がすぐそこに在った。かぐわしい匂い。それは美智子のすきだった真紅のオールドロウズのムスクの匂いに似ていた。
田舎町なので小説を書く仲間を集めるのに苦労した。なんとか同人雑誌をはじめた。そのころ、赤線が法律の改定で廃業に追いこまれた。引揚者の寮になった。
そこで営業していた軽印刷所に頼んだのがはじめだった。ガリバン印刷だった。鉄筆でヤスリ板の上にのせた蝋原紙をガリガリ切る感触。冬の寒さの中でもストーブなどなかった。指をこごえさせて鉄筆をはしらせている。あのころはどこの軽印刷所の主人もよく耐えていた。座業からくる背中の痛みや孤独とたたかっていた。そして貧しさ。貧乏人は麦を食えといわれた時代だ。
わたしも、いまもこの指がおぼえている。ガリガリと鉄筆で文字を書く感触。ガリ切りなどという言葉も、いまでは死語となっている。
そして和文タイプの時代が到来した。
じぶんたちの書いた原稿が活字で読めるようになった。でも、印刷費は高騰した。ほかの物価にくらべて印刷費の値上がりには、うちのめされる思いだった。新聞紙の折り込みが増えた。PR時代の幕開けだった。印刷屋は、もう文学青年のチャチな同人誌などあいてにしなくなった。印刷費は上がり続けた。地方の文学青年にとって忍耐の臨界こえていた。収入のほとんどをつぎこみ身重の体で美智はパートにでるはめになった。
じぶんたちで和文タイプを購入した。とはいっても、新品ではむりだった。印刷屋の中古品を温情で格安に譲っていただいた。村木は蔵書を古本屋さんに買いとってもらった。
あのときも美智子には泣かれた。がらんとした本棚の前で凋落した薔薇の花のようにうなだれ悲しみの涙をながしていた。
華奢な、美智子のことは泣かせてばかりいた。
あのころの印刷屋さんもみんな死んでしまった。代がわりしている。転業してしまったところもある。回顧しながら思いリックをゆすりあげた。ムスクの匂いがただよってきた。あたりに薔薇の花はない。生け垣すらない。美智子が生きていて、心配してついてきているようだ。
わたしのこの意気消沈としたていたらくに涙をながしている。
いくたびも難局に遭遇したとき美智子の涙にすくわれてきた。
こんなわたしを……信じてついてきてくれる妻がいたからだ。
作品を書き続けてこられたのだ。
あいかわらず太陽が眩しい。輻射熱に目がちくちくする。白内障かもしれない。白内障にかかると光に敏感に反応して外光が眩しく感じるらしい。
リックがポロシャツをこすっている。びっしょり汗ばんでいる。
シャツはブルックスブラザースの黒なので乾くと汗の塩が白く斑点となる。塩分が体から蒸発したぶん補給したほうがいいのだろうか。
血圧がたかくて毎日ノルバスク錠5mmを服用している。塩分をおぎなったほうがいいのだろうか。いや、水だけでいい。血液どろどろになる。水は飲まなければ。さして健康な生活をおくってきたわけではない。病弱なのに体のことはなにもわからない。
いつしか時代は、謄写版印刷から和文タイプ、写植そして個人でもワープロで簡単にさいしょから活字で小説が書けるようになった。そしてパソコン。ハードウエアのほうは予想もしなかった発展をとげている。活字というより、電子文字の時代だ。
原稿が活字になるということが小説家としてプロになるというくらいの意見合いをもたされていた。いまではペン書きで原稿用紙を使うものなどほとんどいなくなっている。
村木もごたぶんにもれず、パソコンを買い入れたが自由に使いこなせるまでには至っていない。
パソコンにむかった。電気屋は線をつないだだけでさっさと帰ってしまった。スイッチをいれて、なんとかことばをうちだすまでに一週間かかった。キーボードはワープロでなれていた。問題はなかった。だが、打ち上げた文章を保存する方法とか、呼び出しとか、あまりに複雑なので焦燥にかられた。ついついワープロにもどってしまった。パソコンで思わぬトラブルが起きてしまったからだ。
「うちあげた文章が消えちまった。どうしよう」
「わたしに相談されてもこまるわ」
結婚するまで後妻のキリコは保険会社に勤務していた。パソコンの操作を教えてもらえるとひそかな期待をいだいていた。外回りだったから、パソコンは必要としなかったから、といわれてしまった。でも彼女の勧誘で加入していたおかげで、たすかっている。病院への支払は心配せずにすんでいる。
「なんとかしてよ。一か月もかけて書き上げた短編小説なんだ」
「デスクに保存しなかったの」
「その方法がわかれば苦労しないよ」
「神田さんを呼ぶわ」
キリコはてきぱきと難事を処理する。ともかく保険会社に勤務していた。事務能力には卓越したものがある。
電気屋さんは、パソコンを売り、線をつないでくれるだけ。
高齢者はガイダンスを読んでも理解できない。だから教室にかよわなければだめ。そんなことがわかりかけてきた。神田さんは、パソコン教室を開設していた。
「かんたんに消えてしまうことはないのですがね」
電光石火とみまがう指さばきでパソコンの中を探してくれた。復帰を計ってくれた……。小説はどこかにいってしまった。呼びもどすことはできなかった。
それは恐怖。それはパソコンへの真摯な怒り。絶望だった。一か月の苦労が水の泡となって消えてしまった。
それからというものワープロだけが頼りとなっていた。
そのワープロの画面がブラックアウトした。
文字が浮きでてこなくなってしまった。
そして、部品がないので修理はもうできない。といわれてしまつた。製造を停止してから10年はたっているのだから文句のつけようがない。
パソコンの中のアダムとイブ 3 (小説)
どうしてこんな理不尽な仕打ちをうけるのか。理解に苦しむ。これがこの地方の風習だ。意地悪いひとがおおい。なれているから、さしておどろきもしない。
子供の世界のイジメが大人の世界にもある。子供は大人になっていくのだから、これはあたりまえのことなのだろう。
バスはたったふたりの乗客がおりただけなのに、きゅうに軽々と発車してしまった。村木はがくっときた。二足歩行にたよるか。次のバスをまつか考えた。歩きだすほうを選択する。女は歩道から消えていた。
東芝のRupoはその発売当初から使用していた。いまさらペン書きにもどることはできない。書痙になったことがある。右肩から腕にかけて美智子は、いまは亡き妻はよくもみほごしてくれた。あたたかくやわらかな美智子の頬がすぐそこに在った。かぐわしい匂い。それは美智子のすきだった真紅のオールドロウズのムスクの匂いに似ていた。
田舎町なので小説を書く仲間を集めるのに苦労した。なんとか同人雑誌をはじめた。そのころ、赤線が法律の改定で廃業に追いこまれた。引揚者の寮になった。
そこで営業していた軽印刷所に頼んだのがはじめだった。ガリバン印刷だった。鉄筆でヤスリ板の上にのせた蝋原紙をガリガリ切る感触。冬の寒さの中でもストーブなどなかった。指をこごえさせて鉄筆をはしらせている。あのころはどこの軽印刷所の主人もよく耐えていた。座業からくる背中の痛みや孤独とたたかっていた。そして貧しさ。貧乏人は麦を食えといわれた時代だ。
わたしも、いまもこの指がおぼえている。ガリガリと鉄筆で文字を書く感触。ガリ切りなどという言葉も、いまでは死語となっている。
そして和文タイプの時代が到来した。
じぶんたちの書いた原稿が活字で読めるようになった。でも、印刷費は高騰した。ほかの物価にくらべて印刷費の値上がりには、うちのめされる思いだった。新聞紙の折り込みが増えた。PR時代の幕開けだった。印刷屋は、もう文学青年のチャチな同人誌などあいてにしなくなった。印刷費は上がり続けた。地方の文学青年にとって忍耐の臨界こえていた。収入のほとんどをつぎこみ身重の体で美智はパートにでるはめになった。
じぶんたちで和文タイプを購入した。とはいっても、新品ではむりだった。印刷屋の中古品を温情で格安に譲っていただいた。村木は蔵書を古本屋さんに買いとってもらった。
あのときも美智子には泣かれた。がらんとした本棚の前で凋落した薔薇の花のようにうなだれ悲しみの涙をながしていた。
華奢な、美智子のことは泣かせてばかりいた。
あのころの印刷屋さんもみんな死んでしまった。代がわりしている。転業してしまったところもある。回顧しながら思いリックをゆすりあげた。ムスクの匂いがただよってきた。あたりに薔薇の花はない。生け垣すらない。美智子が生きていて、心配してついてきているようだ。
わたしのこの意気消沈としたていたらくに涙をながしている。
いくたびも難局に遭遇したとき美智子の涙にすくわれてきた。
こんなわたしを……信じてついてきてくれる妻がいたからだ。
作品を書き続けてこられたのだ。
あいかわらず太陽が眩しい。輻射熱に目がちくちくする。白内障かもしれない。白内障にかかると光に敏感に反応して外光が眩しく感じるらしい。
リックがポロシャツをこすっている。びっしょり汗ばんでいる。
シャツはブルックスブラザースの黒なので乾くと汗の塩が白く斑点となる。塩分が体から蒸発したぶん補給したほうがいいのだろうか。
血圧がたかくて毎日ノルバスク錠5mmを服用している。塩分をおぎなったほうがいいのだろうか。いや、水だけでいい。血液どろどろになる。水は飲まなければ。さして健康な生活をおくってきたわけではない。病弱なのに体のことはなにもわからない。
いつしか時代は、謄写版印刷から和文タイプ、写植そして個人でもワープロで簡単にさいしょから活字で小説が書けるようになった。そしてパソコン。ハードウエアのほうは予想もしなかった発展をとげている。活字というより、電子文字の時代だ。
原稿が活字になるということが小説家としてプロになるというくらいの意見合いをもたされていた。いまではペン書きで原稿用紙を使うものなどほとんどいなくなっている。
村木もごたぶんにもれず、パソコンを買い入れたが自由に使いこなせるまでには至っていない。
パソコンにむかった。電気屋は線をつないだだけでさっさと帰ってしまった。スイッチをいれて、なんとかことばをうちだすまでに一週間かかった。キーボードはワープロでなれていた。問題はなかった。だが、打ち上げた文章を保存する方法とか、呼び出しとか、あまりに複雑なので焦燥にかられた。ついついワープロにもどってしまった。パソコンで思わぬトラブルが起きてしまったからだ。
「うちあげた文章が消えちまった。どうしよう」
「わたしに相談されてもこまるわ」
結婚するまで後妻のキリコは保険会社に勤務していた。パソコンの操作を教えてもらえるとひそかな期待をいだいていた。外回りだったから、パソコンは必要としなかったから、といわれてしまった。でも彼女の勧誘で加入していたおかげで、たすかっている。病院への支払は心配せずにすんでいる。
「なんとかしてよ。一か月もかけて書き上げた短編小説なんだ」
「デスクに保存しなかったの」
「その方法がわかれば苦労しないよ」
「神田さんを呼ぶわ」
キリコはてきぱきと難事を処理する。ともかく保険会社に勤務していた。事務能力には卓越したものがある。
電気屋さんは、パソコンを売り、線をつないでくれるだけ。
高齢者はガイダンスを読んでも理解できない。だから教室にかよわなければだめ。そんなことがわかりかけてきた。神田さんは、パソコン教室を開設していた。
「かんたんに消えてしまうことはないのですがね」
電光石火とみまがう指さばきでパソコンの中を探してくれた。復帰を計ってくれた……。小説はどこかにいってしまった。呼びもどすことはできなかった。
それは恐怖。それはパソコンへの真摯な怒り。絶望だった。一か月の苦労が水の泡となって消えてしまった。
それからというものワープロだけが頼りとなっていた。
そのワープロの画面がブラックアウトした。
文字が浮きでてこなくなってしまった。
そして、部品がないので修理はもうできない。といわれてしまつた。製造を停止してから10年はたっているのだから文句のつけようがない。