4月29日 火曜日
吸血鬼/浜辺の少女 21 (小説)
大谷街道にときならぬ妖霧がふきよせてきた。
街道の周囲の丘や谷、窪地から隼人のルノーめがけて霧がたなびいてくる。まるで活きているように流れ、渦を巻き車の進行をはばむようにしのびよってくる。
夏子がハンドルをにぎる隼人の腕に触れる。運転のじゃまにならないようにそっと手を重ねる。
隼人の意識が、夏子の心に吸いこまれていく。
その意識は夏子の心から隼人のところにもどってくる。
隼人と夏子がひとつの精神の回路で結ばれる。ふたりの心がひとになる。ムンクの浜辺の少女は、みずからも絵描きになる夢をみていた。夏子からもどってきた意識が隼人にそう伝えている。
「ああ、わたしも絵を描きたい。わたしもはやく、美しいものを生み出す側に立ちたい」
石造の建物のおおい街だった。故郷鹿沼も大谷石の倉や、塀が街のいたるとこに在った。回顧の情にひたりながら散策していた。そんなとき、ムンクに声をかけられたのだった。
「わたしの心に在る、北欧の街、石造りの家に住む、あのひとたちのよろこびや苦悩をいつか描いてみたい」
放浪した街で会った芸術家を志す若者たちへの夏子の想いが隼人の心によみがえる。
ぼくらの時間はいまはじまったばかりだ。父のように死ねるかも、などと寂しいことは考えないでください。
ルノーのルーフになにか衝撃があった。おおきな翼が風をたたいている。夏子が顔をひきつらせた。
「おでむかえよ」
ばさっと、黒い巨大な蝙蝠がフロントにへばりついた。
とがった口。小さな目。
ピーッという音。
「敵ではないわ。もどれ。大谷へはくるな。大谷へはこないほうがいい。といっているのよ。
夏子が隼人に伝える。
「兄のRFのなかにも、わたしに味方してくれるものがいるのね」
夏子がうれしそうにため息をつく。
「ごめんなさいね。わたしは、どうしても雨野をたすけだしたいの。仮死のままの母に会いたいのよ……せっかく警告にきてくれたのに、ほんとにごめんなさい」
蝙蝠はあきらめてとびさった。
「いくわよ。油断しないで」
フロントに吹きつける妖霧はさらに濃くなった。ライトをつけた。
空には黒雲が渦巻いている。あたりが暗くなった。雨粒がひとつぶ、フロントにあたった。その雨滴が窓枠の下まで落ちてくる。みるまに視界は雨の簾で覆われた。北関東名物の雷雨となった。
「危なくなったら、隼人は逃げて。わたしは死なない。死ねないからただから。だから心配しないで、わたしをおいて、逃げて。ここでそれを約束してくれないと、そうでないと、これからいくところの、怖さを理解できない。わたしも隼人をつれていけなくなるから」
夏子が唇をよせてきたて。さわやかなミントの香りにするキスだつた。
夏子は冷やかに燃えていた。
9
採掘坑跡に着いた。
廃坑の入り口から生臭い匂いがふきだしている。
吸血鬼/浜辺の少女 21 (小説)
大谷街道にときならぬ妖霧がふきよせてきた。
街道の周囲の丘や谷、窪地から隼人のルノーめがけて霧がたなびいてくる。まるで活きているように流れ、渦を巻き車の進行をはばむようにしのびよってくる。
夏子がハンドルをにぎる隼人の腕に触れる。運転のじゃまにならないようにそっと手を重ねる。
隼人の意識が、夏子の心に吸いこまれていく。
その意識は夏子の心から隼人のところにもどってくる。
隼人と夏子がひとつの精神の回路で結ばれる。ふたりの心がひとになる。ムンクの浜辺の少女は、みずからも絵描きになる夢をみていた。夏子からもどってきた意識が隼人にそう伝えている。
「ああ、わたしも絵を描きたい。わたしもはやく、美しいものを生み出す側に立ちたい」
石造の建物のおおい街だった。故郷鹿沼も大谷石の倉や、塀が街のいたるとこに在った。回顧の情にひたりながら散策していた。そんなとき、ムンクに声をかけられたのだった。
「わたしの心に在る、北欧の街、石造りの家に住む、あのひとたちのよろこびや苦悩をいつか描いてみたい」
放浪した街で会った芸術家を志す若者たちへの夏子の想いが隼人の心によみがえる。
ぼくらの時間はいまはじまったばかりだ。父のように死ねるかも、などと寂しいことは考えないでください。
ルノーのルーフになにか衝撃があった。おおきな翼が風をたたいている。夏子が顔をひきつらせた。
「おでむかえよ」
ばさっと、黒い巨大な蝙蝠がフロントにへばりついた。
とがった口。小さな目。
ピーッという音。
「敵ではないわ。もどれ。大谷へはくるな。大谷へはこないほうがいい。といっているのよ。
夏子が隼人に伝える。
「兄のRFのなかにも、わたしに味方してくれるものがいるのね」
夏子がうれしそうにため息をつく。
「ごめんなさいね。わたしは、どうしても雨野をたすけだしたいの。仮死のままの母に会いたいのよ……せっかく警告にきてくれたのに、ほんとにごめんなさい」
蝙蝠はあきらめてとびさった。
「いくわよ。油断しないで」
フロントに吹きつける妖霧はさらに濃くなった。ライトをつけた。
空には黒雲が渦巻いている。あたりが暗くなった。雨粒がひとつぶ、フロントにあたった。その雨滴が窓枠の下まで落ちてくる。みるまに視界は雨の簾で覆われた。北関東名物の雷雨となった。
「危なくなったら、隼人は逃げて。わたしは死なない。死ねないからただから。だから心配しないで、わたしをおいて、逃げて。ここでそれを約束してくれないと、そうでないと、これからいくところの、怖さを理解できない。わたしも隼人をつれていけなくなるから」
夏子が唇をよせてきたて。さわやかなミントの香りにするキスだつた。
夏子は冷やかに燃えていた。
9
採掘坑跡に着いた。
廃坑の入り口から生臭い匂いがふきだしている。