毎朝の散歩が日課だ
これを日課というのか、我が愛犬「サマンサ」のおつきあいで近くの公園までの道のりを往復する。
私は公園のベンチに座り、たばこを一本。
サマンサはハムを食べるのが日課。
サマンサが家にやってきて14年になる。
ひゃんひゃん鳴く子犬だったが今ではすっかりおばあちゃんだ。
耳も遠くなり、足腰もふらふらだ。
その日の朝、サマンサの様子がおかしかった。
いつもなら自分でリードをくわえて散歩の催促におぼつかない足取りでやってくるのだが、ぐったり横になったまま動かない。
すぐに毛布にくるんで動物病院に連れていった。
「いよいよお迎えが近づいています。
今夜が山です。
いっしょにいてあげてください」
先生にはそう言われた。
「はい・・・」
胸がしめつけられる感覚に襲われながら、ゲージにサマンサを寝かせ、そのまま自分の研究室に連れていった。
「まだ逝くなよサマンサ」
ゲージから抱き抱え、レーザーが何重にも交差するスキャナのなかに寝かした。
少し瞼が開き、目があった。
涙を浮かべていた。
私はスイッチを押した。
棒状の光がサマンサの頭から、胴体、しっぽへと動いていった。
私の研究は記憶をデジタルデータに保存する事。
電極を脳につながずに、記憶を読みとり、データを記憶する。
サマンサの14年の記憶はほんの数分で読みとられ、100ギガほどのハードディスクに保存された。
作業終了直後にサマンサは逝った。
あの日から5年の月日が流れた。
悲しくて体が動かなかったあの日の記憶もうすれていった。
救ってくれたのはやはり愛犬だった。
サマンサと同じ犬種の子犬を知り合いから譲り受けた。
雌犬だった。
「リリー」と名付けた。
今では4歳になる。
5年前、サマンサの記憶の取り出し自体は失敗に終わった。
断片的なイメージだけがブツブツと記憶されていた。
自身の研究の底上げのため、断片的イメージを再構築するプログラムを組み立てていた。
このプログラムが完成すれば、人間の記憶の保存にも応用出来るはずだ。
いよいよ完成の手応えを感じながら、最後のエンターキーを押した。
モニター上に再起動のフラッシュが瞬いた。
「散歩に連れてって。ご主人様」
カーソルの点滅するだけの画面が音声を出力してきた。
(これは、もしかして・・・)
「リードが見つからないけど、いつもの公園でハムをちょうだい」
(サマンサなのか)
「サマンサ!」
「ご主人様!」
「おまえ、話せるのか。はじめて話したな」
「そうですね、ご主人様」
犬としての記憶がコンピューターの助けをえて、感情と言語をつないだらしい。
その後、サマンサとはいろいろな事を話した。
ちょうど3歳くらいの子供と話しているような、たわいもない内容だが、やはり楽しかった。
それから数ヶ月がすぎた。
私の周囲で穏やかではない出来事が多発していた。
私自身というより、リリーだ。
深夜、リリーの犬小屋の後ろの電柱に設置してあるトランスが過電圧によりショートし落下した。
あわや下敷きになるところだった。
おそろしい事にトランスの落下は一度ではなかった。
合計4度。
私にはピンときていた。
先日、サマンサがおかしな事を言っていたのだ。
「ご主人様、新しいメス犬を飼っていますね」
(ギクッ、黙っていたのに何故知っているのだ。)
「そうだよ。さみしくてね」
「そうですか・・・」
私は想像し、確信した。
サマンサはパソコンと融合し、ネットにとけ込み、町の防犯カメラから私たちの姿を追跡したに違いない。
電流を過剰に流し、トランスの落下を仕組んだのもサマンサだろう。
(さよならサマンサ。これまで本当にありがとう)
心のなかでそう思い、私はサマンサのハードディスクをパソコンから取り外し、ハンマーで破壊した。
もう遅いかも知れない。
ネットにとけ込んだ以上、自身の複製、コピーはいくつも、この瞬間にも存在するのかもしれない。
これを日課というのか、我が愛犬「サマンサ」のおつきあいで近くの公園までの道のりを往復する。
私は公園のベンチに座り、たばこを一本。
サマンサはハムを食べるのが日課。
サマンサが家にやってきて14年になる。
ひゃんひゃん鳴く子犬だったが今ではすっかりおばあちゃんだ。
耳も遠くなり、足腰もふらふらだ。
その日の朝、サマンサの様子がおかしかった。
いつもなら自分でリードをくわえて散歩の催促におぼつかない足取りでやってくるのだが、ぐったり横になったまま動かない。
すぐに毛布にくるんで動物病院に連れていった。
「いよいよお迎えが近づいています。
今夜が山です。
いっしょにいてあげてください」
先生にはそう言われた。
「はい・・・」
胸がしめつけられる感覚に襲われながら、ゲージにサマンサを寝かせ、そのまま自分の研究室に連れていった。
「まだ逝くなよサマンサ」
ゲージから抱き抱え、レーザーが何重にも交差するスキャナのなかに寝かした。
少し瞼が開き、目があった。
涙を浮かべていた。
私はスイッチを押した。
棒状の光がサマンサの頭から、胴体、しっぽへと動いていった。
私の研究は記憶をデジタルデータに保存する事。
電極を脳につながずに、記憶を読みとり、データを記憶する。
サマンサの14年の記憶はほんの数分で読みとられ、100ギガほどのハードディスクに保存された。
作業終了直後にサマンサは逝った。
あの日から5年の月日が流れた。
悲しくて体が動かなかったあの日の記憶もうすれていった。
救ってくれたのはやはり愛犬だった。
サマンサと同じ犬種の子犬を知り合いから譲り受けた。
雌犬だった。
「リリー」と名付けた。
今では4歳になる。
5年前、サマンサの記憶の取り出し自体は失敗に終わった。
断片的なイメージだけがブツブツと記憶されていた。
自身の研究の底上げのため、断片的イメージを再構築するプログラムを組み立てていた。
このプログラムが完成すれば、人間の記憶の保存にも応用出来るはずだ。
いよいよ完成の手応えを感じながら、最後のエンターキーを押した。
モニター上に再起動のフラッシュが瞬いた。
「散歩に連れてって。ご主人様」
カーソルの点滅するだけの画面が音声を出力してきた。
(これは、もしかして・・・)
「リードが見つからないけど、いつもの公園でハムをちょうだい」
(サマンサなのか)
「サマンサ!」
「ご主人様!」
「おまえ、話せるのか。はじめて話したな」
「そうですね、ご主人様」
犬としての記憶がコンピューターの助けをえて、感情と言語をつないだらしい。
その後、サマンサとはいろいろな事を話した。
ちょうど3歳くらいの子供と話しているような、たわいもない内容だが、やはり楽しかった。
それから数ヶ月がすぎた。
私の周囲で穏やかではない出来事が多発していた。
私自身というより、リリーだ。
深夜、リリーの犬小屋の後ろの電柱に設置してあるトランスが過電圧によりショートし落下した。
あわや下敷きになるところだった。
おそろしい事にトランスの落下は一度ではなかった。
合計4度。
私にはピンときていた。
先日、サマンサがおかしな事を言っていたのだ。
「ご主人様、新しいメス犬を飼っていますね」
(ギクッ、黙っていたのに何故知っているのだ。)
「そうだよ。さみしくてね」
「そうですか・・・」
私は想像し、確信した。
サマンサはパソコンと融合し、ネットにとけ込み、町の防犯カメラから私たちの姿を追跡したに違いない。
電流を過剰に流し、トランスの落下を仕組んだのもサマンサだろう。
(さよならサマンサ。これまで本当にありがとう)
心のなかでそう思い、私はサマンサのハードディスクをパソコンから取り外し、ハンマーで破壊した。
もう遅いかも知れない。
ネットにとけ込んだ以上、自身の複製、コピーはいくつも、この瞬間にも存在するのかもしれない。