―「記事(158)」の「続き」を書きます。―
(21)
(ⅰ)象は鼻は長い。
(ⅱ)象は鼻が長い。
(ⅲ)象は鼻も長い。
といふ「日本語」は、それぞれ、
(ⅰ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}
(ⅱ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}
(ⅲ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}
といふ「述語論理」に「翻訳」される。
(22)
(a)
1 (1) P→ Q A
2 (2) ~Q A
3(3) P A
1 3(4) Q 13MPP
123(5) ~Q&Q 24&I
12 (6)~P 35RAA
1 (7)~Q→~P 26CP
(b)
1 (1)~Q→~P A
2 (2) P A
3(3)~Q A
1 3(4) ~P 13MPP
123(5) P&~P 24&I
12 (6) ~~Q 35RAA
12 (7) Q 6DN
1 (8) P→ Q 27CP
従って、
(22)により、
(23)
(a) P→ Q
(b)~Q→~P
に於いて、
(a)=(b) である。
cf.
「対偶(Contraposition)」は「等しい」。
従って、
(24)
(a) Q→ P
(b)~P→~Q
に於いて、
(a)=(b) である。
従って、
(23)(24)により、
(25)
(c)(P→Q)&( Q→ P)
(d)(P→Q)&(~P→~Q)
に於いて、
(c)=(d) である。
然るに、
(26)
すなわち記号で書けば、
(P→Q)&(Q→P)
である。しかしこの複合的表現を用いるよりは、2重の矢印を採用して、省略記号として、
P⇔Q
と書くのが便利であろう。
(論理学初歩、E.J.レモン 著、 竹尾治一郎・浅野楢英 訳、1973年、38頁)
従って、
(25)(26)により、
(27)
(e) P⇔Q
(d)(P→Q)&(~P→~Q)
に於いて、
(e)=(d) である。
従って、
(27)により、
(28)
(e)P⇔Q
(d)PならばQであり、PでないならばQでない。
に於いて、
(e)=(d) である。
従って、
(28)により、
(29)
(e)P⇔Q
(d)PはQであり、P以外はQでない。
に於いて、
(e)=(d) である。
然るに、
(30)
(3)
この組み合わせは次のような場合に現われる
私が大野です。
これは、「大野さんはどちらですか」というような問いに対する答えとして使われる。
大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、34頁)。
然るに、
(31)
Q:大野さんはどなたですか。
A:私が大野です。
といふのであれば、
A:私は大野であり、私以外は大野ではない。
従って、
(29)(30)(31)により、
(32)
(e)P⇔Q
(f)PがQである。
(d)PはQであり、P以外はQでない。
に於いて、
(e)=(d)=(f) である。
従って、
(21)(27)(32)により、
(33)
(ⅳ)象が鼻は長い。
(〃)象は鼻が長く、象以外は鼻は長くない。
といふ「日本語」は、
(ⅳ)∀x{象x⇔∃y(鼻yx&長y)}
(〃)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}
といふ「述語論理」に、相当する。
然るに、
(34)
1 (1)象が鼻は長い。 A
1 (〃)∀x{象x⇔∃y(鼻yx&長y)} A
1 (〃)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx& 長y)}}Df.⇔
2 (2)兎は象ではない。 A
2 (〃)∀x{兎x→~象x} A
2 (3) 兎a→~象a 2UI
4(4) 兎a A
24(5) ~象a 34MPP
1 (6) 象a→∃y(鼻ya&長y)&~象a→~∃y(鼻ya& 長y) 1UE
1 (7) ~象a→~∃y(鼻ya& 長y) 6&E
124(8) ~∃y(鼻ya& 長y) 57MPP
124(9) ∀y~(鼻ya& 長y) 8量化子の関係
124(ア) ~(鼻ba& 長b) 9UE
124(イ) ~鼻ba∨~長b ア、ド・モルガンの法則
124(ウ) 鼻ba→~長b イ含意の定義
124(エ) ∀y(鼻ya→~長y) ウUI
12 (オ) 兎a→∀y(鼻ya→~長y) 4エCP
12 (カ)∀x{兎x→∀y(鼻yx→~長y)} オUI
12 (〃)すべてのxについて{xが兎であるならば、すべてyについて(yがxの鼻であるならば、yは長くない)。}
12 (〃)兎の鼻は長くない。
従って、
(34)により、
(35)
(1)象が鼻は長い。 然るに、
(2)兎は象ではない。従って、
(3)兎の鼻は長くない。
といふ「日本語による推論」は、「古典一階述語論理による推論」としても「妥当(Valid)」である。
cf.
完全性定理により、(古典一階述語論理については)その形式体系が論理的に成り立つ事柄を余すところなく捉えていること、つまり、もうこれ以上推論規則を加える必要がないことが示されるのである(飯田隆 編、論理の哲学、2005年、97頁)。
然るに、
(21)(33)により、
(36)
(ⅴ)象が鼻が長い。
といふ「日本語」は、
(ⅴ)∀x{象x⇔∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
(〃)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
といふ「述語論理」に、相当する。
然るに、
(34)(36)により、
(37)
「同じこと」なので、わざわざ、書く必要もないものの、
1 (1)象が鼻が長い。 A
1 (〃)∀x{象x⇔∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx& 長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} Df.⇔
1 (2) 象a→∃y(鼻ya&長y)&~象a→~∃y(鼻ya& 長y)&∀z(~鼻za→~長z) 1UE
1 (3) 象a→∃y(鼻ya&長y)&~象a→~∃y(鼻ya& 長y) 2&E
4 (4)兎は象ではない。 A
4 (〃)∀x{兎x→~象x} A
4 (5) 兎a→~象a 4UI
6(6) 兎a A
46(7) ~象a 56MPP
1 (8) ~象a→~∃y(鼻ya& 長y) 3&E
146(9) ~∃y(鼻ya& 長y) 78MPP
146(ア) ∀y~(鼻ya& 長y) 9量化子の関係
146(イ) ~(鼻ba& 長b) アUI
146(ウ) ~鼻ba∨~長b イ、ド・モルガンの法則
146(エ) 鼻ba→~長b ウ含意の定義
146(カ) ∀y(鼻ya→~長y) エUI
14 (キ) 兎a→∀y(鼻ya→~長y) 6カCP
14 (ク)∀x{兎x→∀y(鼻yx→~長y)} キUI
14 (〃)すべてのxについて{xが兎であるならば、すべてyについて(yがxの鼻であるならば、yは長くない)。}
14 (〃)兎の鼻は長くない。
従って、
(37)により、
(38)
(1)象が鼻が長い。 然るに、
(2)兎は象ではない。従って、
(3)兎の鼻は長くない。
といふ「日本語による推論」は、「古典一階述語論理による推論」としても「妥当(Valid)」である。
従って、
(21)(34)(37)により、
(38)
(ⅰ)象は鼻は長い。
(ⅱ)象は鼻が長い。
(ⅲ)象は鼻も長い。
(ⅳ)象が鼻は長い。
(ⅴ)象が鼻が長い。
といふ「日本語」は、それぞれ、
(ⅰ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}
(ⅱ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}
(ⅲ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}
(ⅳ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}
(ⅴ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
といふ「一階述語論理」に「翻訳」される。
然るに、
(39)
自然言語の文を論理式に翻訳するというプログラムを遂行する上で、まず考えなければならないことは、翻訳先の形式言語としてどのような言語を採用すべきかという問題である。ひとつの基準となるのは、一階述語論理である。しかし、現在では、自然言語のさまざまな構文を自然な形で扱うためには、一階述語論理の言語では不十分であるという考えが広く受け入れられている(飯田隆 編、論理の哲学、2005年、226頁)。
とのことである。
然るに、
(40)
自然言語のさまざまな構文を自然な形で扱うためには、一階述語論理の言語では不十分である。
といふことは、そんなことは、「当り前」過ぎるのであって、それ故、
(38)(39)により、
自然言語のさまざまな構文を自然な形で扱うためには、一階述語論理の言語では不十分であるが、少なくとも、
(ⅰ)象は鼻は長い。
(ⅱ)象は鼻が長い。
(ⅲ)象は鼻も長い。
(ⅳ)象が鼻は長い。
(ⅴ)象が鼻が長い。
といふ「日本語」に関しては、「一階述語論理の言語」によって、「翻訳可能」である。
といふ、ことになる。