―「今日の午前の記事(178)」の「続き」を書きます。―
従って、
(05)~(13)により、
(14)
いづれにせよ、
① 虎求百獸而食之得狐。⇔
① ∃y{虎y&∀x[獸x→求yx&食yx&∃z(狐z&獸z&得yz)]}
② 狐曰子無敢食我也。
③ 天帝使我長百獸。⇔
③ ∃x∃y{天帝x&我y&∀z(獸z⇔長xyz)}
④ 今子食我是逆天帝命也。
④ ∃x∃y∃z{子x&我y&天帝z&(食xy→逆xz)}
⑤ 子以我爲不信吾爲子先行。
⑥ 子隨我後觀。
⑦ 百獸之見我而敢不走乎。⇔
⑦ ∃x{我x&∀y(獸y→見yx&走y)}
⑧ 虎以爲然。
⑨ 故遂與之行。
⑩ 獸見之皆走。
⑪ 虎不知獸畏己而走也。
⑫ 以爲畏弧也。
といふ「漢文(人工言語)の全体」を、「述語論理(人工言語)」に「翻訳」することは、出来ない。
従って、
(14)により、
(15)
「漢文(人工言語)」の「表現力」は、「述語論理(人工言語)」の、「上を行く」。
然るに、
(16)
例へば、
漢丞相亮、率諸軍北伐魏。
臨發上疏曰、
今天下三分、益州疲弊。
此危急存亡之秋也。
宜開張聖聽、不宜塞忠諌之路。
宮中・府中、倶爲一體。陟罰臧否、不宜異同。
若有作姦犯科及忠善者、宜付有司論其刑賞、以昭平明之治。
親賢臣遠小人、此先漢所以興隆也。
親小人遠賢臣、此後漢所以傾頽也。
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といふ「漢文(諸葛亮、出師表)」を読むとき、「私は感動」する。
然るに、
(17)
① ∃y{虎y&∀x[獸x→求yx&食yx&∃z(狐z&獸z&得yz)]}
③ ∃x∃y{天帝x&我y&∀z(獸z⇔長xyz)}
④ ∃x∃y∃z{子x&我y&天帝z&(食xy→逆xz)}
⑦ ∃x{我x&∀y(獸y→見yx&走y)}
といふ「述語論理」を読んでも、「私は感動」しない。
従って、
(16)(17)により、
(18)
「私よりも、壱萬倍賢いAI」が、「すべての漢文」を、「述語論理語(等の論理語)」に「翻訳」出来たとしても、おそらく私は、「その論理語」を読んでも、「理解」出来ないし、「感動」しない。
従って、
(18)により、
(19)
私とAIが、「同じ心」を持つことは、おそらくは、有り得ない。
従って、
(20)
AIが、『私のやうな人間と、同じ心』を持つことは、有り得ない。