―「今回」は、「述語論理」ではなく、「漢文」です。―
(01)
① AはBよりも大きい。
の「否定」は、
② AはBに等しいか、AはBよりも小さい。
である。
然るに、
(02)
「数学」ではないため、以下では、
① AはBよりも大きい。
の「否定」は、
② AはBよりも小さい。
であると、する。
(03)
① AはBよりも大きい。
といふ「言ひ方」を、普通に、
① A>B
といふ風に、書くことにする。
(04)
② AはBよりも小さい。
といふ「言ひ方」を、普通に、
② A<B
といふ風に、書くことにする。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
①(A>B)
②(A<B)
に於いて、
① は、② の「否定」であり、
② は、① の「否定」である。
然るに、
(06)
①(A>B)
②(A<B)
に於いて、
① の「否定」を、
① 不(A>B)
とし、
② の「否定」を、
② 不(A<B)
とする。
従って、
(05)(06)により、
(07)
① 不(A>B)=(A<B)
② 不(A<B)=(A>B)
然るに、
(08)
A=「視たい。 といふ気持ち」。
B=「視たくない。といふ気持ち」。
(09)
〔A〕=視る =〔不B〕
〔B〕=視ない=〔不A〕
従って、
(07)(08)(09)により、
(10)
①{不(A>B)=(A<B)}⇒〔B=不A〕。
②{不(B>A)=(B<A)}⇒〔A=不B〕。
といふ「二つの式」は、
①「視たい。といふ気持ち」が「視たくない。といふ気持ち」よりも「大きくない」ので「敢へて、視ない」。
②「視たくない。といふ気持ち」が「視たい。といふ気持ち」よりも「大きくない」ので「敢へて、視る」。
といふ「状態」を、表しゐて、これらを「漢文」で書くならば、
① 敢不視=敢へて視ず。
② 敢視 =敢へて視る。
といふ、ことになる。
従って、
(10)により、
(11)
いづれにせよ、
① 敢不視=敢へて視ず。
② 敢視 =敢へて視る。
といふ「漢文」は、両方とも、「葛藤を表す」ことになる。
従って、
(11)により、
(12)
① 敢不視。
② 敢視。
といふ「漢文」は、
① 視たいけれど、勇気がないので、視れない。
② 視たくないけれど、勇気を出して、視る。
といふ「意味」になる。
従って、
(12)により、
(13)
① 敢不視。
② 敢視。
の「否定」である、
③ 不〔敢不(視)〕。
④ 不(敢視)。
といふ「漢文」は、
③ 視たいけれど、勇気がないので、視れない。といふことはしない。
④ 一方では、視たいし、一方では、視たくないけれど、勇気を出して、視る。といふことが出来ない。
といふ「意味」になる。
然るに、
(14)
(a)
蘇秦者、師鬼谷先生。
初出游、困而帰。
妻不下機、嫂不為炊。
至是為従約長、并相六国。
行過洛陽。
車騎輜重、擬於王者。
昆弟妻嫂、側目不敢視。
(b)
蘇秦者、師鬼谷先生。
初出游、困而帰。
妻不〔下(機)〕、嫂不(為炊)。
至(是)為(従約長)、并‐相(六国)。
行過(洛陽)。
車騎輜重、擬(於王)者。
昆弟妻嫂、側(目)不(敢視)。
(c)
蘇秦なる者は、鬼谷先生を師とす。
初め出游し、困しみて帰る。
妻は機を下らず、嫂は為に炊がず。
是に至りて従約の長と為り、六国に并せ相たり。
行きて洛陽を過ぐ。
車騎輜重、王者に擬す。
昆弟妻嫂、目を側めて敢へて視ず。
従って、
(13)(14)により、
(15)
④ 昆弟妻嫂、目を側めて敢へて視ず。
の場合は、
④ 本当は、(蘇秦の姿を、まともに)視たいけれど、勇気を出して、視る。といふことが出来ない。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(13)により、
(16)
③ 不敢不告也=
③ 不〔敢不(告)〕也⇒
③ 〔敢へ(告げ)不んば〕あら不る也。
といふ「漢文」は、
③ 告げたいけれど、勇気がないので、告げなない。といふことはしないのだ。
といふ「意味」になる。
従って、
(17)
③ 以吾從大夫之後。不敢不告也。
③ 吾れは大夫の後に従える以て、敢へてて告げずんばあらざるなり(論語、憲問第十四 22)。
に於ける、
③ 不敢不告也。
の場合も、
③ 必ず、告げるのだ。⇔
③ 告げないことは、決してしないのだ。⇔
③ 告げたいけれど、勇気がないので、告げない。といふことはしないのだ。
といふ、「意味」になる。