日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(174)「不敢不」について。

2019-04-15 18:48:07 | 訓読

―「今回」は、「述語論理」ではなく、「漢文」です。―
(01)
① AはBよりも大きい。
の「否定」は、
② AはBに等しいか、AはBよりも小さい。
である。
然るに、
(02)
「数学」ではないため、以下では、
① AはBよりも大きい。
の「否定」は、
② AはBよりも小さい。
であると、する。
(03)
① AはBよりも大きい。
といふ「言ひ方」を、普通に、
① A>B
といふ風に、書くことにする。
(04)
② AはBよりも小さい。
といふ「言ひ方」を、普通に、
② A<B
といふ風に、書くことにする。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
①(A>B)
②(A<B)
に於いて、
① は、② の「否定」であり、
② は、① の「否定」である。
然るに、
(06)
①(A>B)
②(A<B)
に於いて、
① の「否定」を、
① 不(A>B)
とし、
② の「否定」を、
② 不(A<B)
とする。
従って、
(05)(06)により、
(07)
① 不(A>B)=(A<B)
② 不(A<B)=(A>B)
然るに、
(08)
 A=「視たい。  といふ気持ち」。
 B=「視たくない。といふ気持ち」。
(09)
〔A〕=視る =〔不B〕
〔B〕=視ない=〔不A〕
従って、
(07)(08)(09)により、
(10)
①{不(A>B)=(A<B)}⇒〔B=不A〕。
②{不(B>A)=(B<A)}⇒〔A=不B〕。
といふ「二つの式」は、
①「視たい。といふ気持ち」が「視たくない。といふ気持ち」よりも「大きくない」ので「敢へて、視ない」。
②「視たくない。といふ気持ち」が「視たい。といふ気持ち」よりも「大きくない」ので「敢へて、視る」。
といふ「状態」を、表しゐて、これらを「漢文」で書くならば、
① 敢不視=敢へて視ず。
② 敢視 =敢へて視る。
といふ、ことになる。
従って、
(10)により、
(11)
いづれにせよ、
① 敢不視=敢へて視ず。
② 敢視 =敢へて視る。
といふ「漢文」は、両方とも、「葛藤を表す」ことになる。
従って、
(11)により、
(12)
① 敢不視。
② 敢視。
といふ「漢文」は、
① 視たいけれど、勇気がないので、視れない。
② 視たくないけれど、勇気を出して、視る。
といふ「意味」になる。
従って、
(12)により、
(13)
① 敢不視。
② 敢視。
の「否定」である、
③ 不〔敢不(視)〕。
④ 不(敢視)。
といふ「漢文」は、
③ 視たいけれど、勇気がないので、視れない。といふことはしない。
④ 一方では、視たいし、一方では、視たくないけれど、勇気を出して、視る。といふことが出来ない。
といふ「意味」になる。
然るに、
(14)
(a)
蘇秦者、師鬼谷先生。
初出游、困而帰。
妻不下機、嫂不為炊。
至是為従約長、并相六国。
行過洛陽。
車騎輜重、擬於王者。
昆弟妻嫂、側目不敢視。
(b)
蘇秦者、師鬼谷先生。
初出游、困而帰。
妻不〔下(機)〕、嫂不(為炊)。
至(是)為(従約長)、并‐相(六国)。
行過(洛陽)。
車騎輜重、擬(於王)者。
昆弟妻嫂、側(目)不(敢視)。
(c)
蘇秦なる者は、鬼谷先生を師とす。
初め出游し、困しみて帰る。
妻は機を下らず、嫂は為に炊がず。
是に至りて従約の長と為り、六国に并せ相たり。
行きて洛陽を過ぐ。
車騎輜重、王者に擬す。
昆弟妻嫂、目を側めて敢へて視ず。
従って、
(13)(14)により、
(15)
④ 昆弟妻嫂、目を側めて敢へて視ず。
の場合は、
④ 本当は、(蘇秦の姿を、まともに)視たいけれど、勇気を出して、視る。といふことが出来ない。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(13)により、
(16)
③ 不敢不告也=
③ 不〔敢不(告)〕也⇒
③ 〔敢へ(告げ)不んば〕あら不る也。
といふ「漢文」は、
③ 告げたいけれど、勇気がないので、告げなない。といふことはしないのだ。
といふ「意味」になる。
従って、
(17)
③ 以吾從大夫之後。不敢不告也。
③ 吾れは大夫の後に従える以て、敢へてて告げずんばあらざるなり(論語、憲問第十四 22)。
に於ける、
③ 不敢不告也。
の場合も、
必ず、告げるのだ。⇔
③ 告げないことは、決してしないのだ。⇔
③ 告げたいけれど、勇気がないので、告げない。といふことはしないのだ。
といふ、「意味」になる。

(173)「量化子の関係」について(Ⅱ)。

2019-04-15 15:47:31 | 「鏡の中の、上下左右」

(01)
(Ⅰ)
1   (1) ~∀x∀y( 愛xy)  A
 2  (2) ~∃x∃y(~愛xy)  A
  3 (3)      (~愛ab)  A
  3 (4)    ∃y(~愛ay)  3EI
  3 (5)  ∃x∃y(~愛xy)  4EI
 23 (6) ~∃x∃y(~愛xy)&
         ∃x∃y(~愛xy)  25&I
 2  (7)     (~~愛ab)  36RAA
 2  (8)      ( 愛ab)  7DN
 2  (9)    ∀y( 愛ay)  8UI
 2  (ア)  ∀x∀y( 愛xy)  9UI
12  (イ) ~∀x∀y( 愛xy)&
         ∀x∀y( 愛xy)  1ア&I
1   (ウ)~~∃x∃y(~愛xy)  2イRAA
1   (エ)  ∃x∃y(~愛xy)  ウDN
(Ⅱ)
1   (1)  ∃x∃y(~愛xy)  A
 2  (2)  ∀x∀y( 愛xy)  A
  3 (3)    ∃y(~愛ay)  A
   4(4)      (~愛ab)  A
 2  (5)    ∀y( 愛xb)  2UE
 2  (6)      ( 愛ab)  5UE
 2 4(7)(~愛ab)&(愛ab)  46&I
   4(8) ~∀x∀y( 愛xy)  27RAA
  3 (9) ~∀x∀y( 愛xy)  348EE
1   (ア) ~∀x∀y( 愛xy)  139EE
12  (イ)  ∀x∀y( 愛xy)&
        ~∀x∀y( 愛xy)  2ア&I
1   (ウ) ~∀x∀y( 愛xy)  2イRAA
従って、
(01)により、
(02)
(Ⅰ)~∀x∀y( 愛xy)
(Ⅱ) ∃x∃y(~愛xy)
に於いて、
(Ⅰ)ならば、(Ⅱ)であり、
(Ⅱ)ならば、(Ⅰ)である。
従って、
(02)により、
(03)
(Ⅰ)~∀x∀y( 愛xy)
(Ⅱ) ∃x∃y(~愛xy)
に於いて、
(Ⅰ)=(Ⅱ) である。
従って、
(03)により、
(04)
{人間}が{変域(ドメイン)}であるとして、
(Ⅰ)~∀x∀y( 愛xy)=すべての人が、すべての人を愛してゐる。といふわけではない。
(Ⅱ) ∃x∃y(~愛xy)=ある人は、ある人を、愛してゐない。
に於いて、
(Ⅰ)=(Ⅱ) である。
然るに、
(05)
(Ⅰ)すべての人が、すべての人を愛してゐる。といふわけではない。
(Ⅱ)ある人は、ある人を、愛してゐない。
に於いて、
(Ⅰ)=(Ⅱ) である。
といふのであれば、例へば、
(Ⅰ)皆愛人也=人皆、人を愛するに非ざるなり。
(Ⅱ)人有不愛人者=人に、人を愛さざる者有り。
に於いても、当然、
(Ⅰ)=(Ⅱ)である。
然るに、
(06)
「漢文」でなくとも、例へば、
(Ⅰ)It is not true that everybody loves everybody.
(Ⅱ)There are some people who don't love somebody.
を、「グーグル翻訳」にかけると、
(Ⅰ)みんながみんなを愛しているわけではありません。
(Ⅱ)誰かを愛していない人もいます。
といふ「日本語」が、出力される。
(07)
(Ⅰ)It is not true that everybody loves everybody.
(Ⅱ)There are some people who don't love somebody.
を、「グーグル翻訳」にかけると、
(Ⅰ) Það er ekki satt að allir elska alla.
(Ⅱ) Það eru sumir sem elska ekki einhvern.
といふ「アイスランド語」が、出力される。
(08)
を、「グーグル翻訳」にかけると、
(Ⅰ) Það er ekki satt að allir elska alla.
(Ⅱ) Það eru sumir sem elska ekki einhvern.
を、「グーグル翻訳」にかけると、
(Ⅰ)みんながみんなを愛しているというのは事実ではありません。
(Ⅱ)誰かを愛さない人もいます。
といふ「アイスランド語」が、出力さる。
(09)
(Ⅰ)It is not true that everybody loves everybody.
(Ⅱ)There are some people who don't love somebody.
を、「グーグル翻訳」にかけると、
(Ⅰ) Ce n'est pas vrai que tout le monde aime tout le monde.
(Ⅱ) Il y a des gens qui n'aiment pas quelqu'un.
といふ「ルランス語」が、出力さる。
(10)
(Ⅰ) Ce n'est pas vrai que tout le monde aime tout le monde.
(Ⅱ) Il y a des gens qui n'aiment pas quelqu'un.
といふ「ルランス語」が、出力さる。
(Ⅰ)みんながみんなを愛しているのは事実ではありません。
(Ⅱ)誰かが好きではない人がいます。
従って、
(01)~(10)により、
(11)
「日本語、漢文、英語、アイスランド語、フランス語」で考へても、
(Ⅰ)~∀x∀y( 愛xy)
(Ⅱ) ∃x∃y(~愛xy)
に於いて、
(Ⅰ)=(Ⅱ) である。
然るに、
(12)
(Ⅰ)~∀x∀y( 愛xy)
(Ⅱ) ∃x∃y(~愛xy)
といふ「論理式」は、「(古典一階)述語論理」の、「論理式」である。
然るに、
(12)
古典一階述語論理を学ぶことは論理学を学ぶ第一歩であるというのが正しい。
(飯田隆 編、論理の哲学、2005年、17頁)
然るに、
(13)
「論理学」を学んでそれが「理解」できる。といふことは、もともと、
「我々の、頭の構造」が、「そのやうに、出来てゐる」といふことが、『必要条件』であるいふ風に、考へられる。
従って、
(14)
「日本人、中国人、イギリス人、アイスランド人、フランス人」に限らず、「人類の頭の中」には、例へば、
(Ⅰ)
1   (1) ~∀x∀y( 愛xy)  A
 2  (2) ~∃x∃y(~愛xy)  A
  3 (3)      (~愛ab)  A
  3 (4)    ∃y(~愛ay)  3EI
  3 (5)  ∃x∃y(~愛xy)  4EI
 23 (6) ~∃x∃y(~愛xy)&
         ∃x∃y(~愛xy)  25&I
 2  (7)     (~~愛ab)  36RAA
 2  (8)      ( 愛ab)  7DN
 2  (9)    ∀y( 愛ay)  8UI
 2  (ア)  ∀x∀y( 愛xy)  9UI
12  (イ) ~∀x∀y( 愛xy)&
         ∀x∀y( 愛xy)  1ア&I
1   (ウ)~~∃x∃y(~愛xy)  2イRAA
1   (エ)  ∃x∃y(~愛xy)  ウDN
(Ⅱ)
1   (1)  ∃x∃y(~愛xy)  A
 2  (2)  ∀x∀y( 愛xy)  A
  3 (3)    ∃y(~愛ay)  A
   4(4)      (~愛ab)  A
 2  (5)    ∀y( 愛xb)  2UE
 2  (6)      ( 愛ab)  5UE
 2 4(7)(~愛ab)&(愛ab)  46&I
   4(8) ~∀x∀y( 愛xy)  27RAA
  3 (9) ~∀x∀y( 愛xy)  348EE
1   (ア) ~∀x∀y( 愛xy)  139EE
12  (イ)  ∀x∀y( 愛xy)&
        ~∀x∀y( 愛xy)  2ア&I
1   (ウ) ~∀x∀y( 愛xy)  2イRAA
といふ「計算をする能力」が、初めから、備はってゐて、それゆえ、
(Ⅰ)すべての人が、すべての人を愛してゐる。といふわけではない。
(Ⅱ)ある人は、ある人を、愛してゐない。
に於いて、
(Ⅰ)=(Ⅱ) である。
といふことが、「理解出来る」のである。
といふ風に、思はれる。
然るに、
(15)
(Ⅱ)
1    (1) ∃x∃y~Fxy  A
 2   (2)   ∃y~Fay  A
  3  (3)     ~Fab  A
  3  (4) ∃x∀y Fxy  A
   4 (5)   ∀y Fay  A
   4 (6)      Fab  5UE
  34 (7) ~Fab&Fab  35&I
  3  (8)  ~∀y Fay  57RAA
  3  (9)∃x~∀y Fxy  8EI
 2   (ア)∃x~∀y Fxy  239EE
1    (イ)∃x~∀y Fxy  12アEE
(Ⅲ)
1    (1)∃x~∀y Fxy  A
 2   (2)  ~∀y Fay  A
  3  (3)∃x~∃y~Fxy  A
   4 (4)  ~∃y~Fay  A
    5(5)     ~Fay  A
    5(6)   ∃y~Fay  5EI
   45(7)  ~∃y~Fay&
           ∃y~Fay  46&I
   4 (8)    ~~Fay  47RAA
   4 (9)      Fay  8DN
   4 (ア)   ∀y Fay  9UI
 2 4 (イ)  ~∀y Fay&
           ∀y Fay  2ア&I
 2   (ウ) ~~∃y~Fay  4イRAA
 2   (エ)   ∃y~Fay  ウDN
 2   (オ) ∃x∃y~Fxy  エEI
1    (カ) ∃x∃y~Fxy  12オEE
従って、
(15)により、
(16)
(Ⅱ) ∃x∃y~Fxy
(Ⅲ)∃x~∀y Fxy 
に於いて、
(Ⅱ)ならば、(Ⅲ)であり、
(Ⅲ)ならば、(Ⅱ)である。
従って、
(16)により、
(17)
(Ⅱ) ∃x∃y~Fxy
(Ⅲ)∃x~∀y Fxy 
に於いて、
(Ⅱ)=(Ⅲ) である。
従って、
(05)(17)により、
(18)
{人間}が{変域(ドメイン)}であるとして、
(Ⅰ)~∀x∀y( 愛xy)=すべての人が、すべての人を愛してゐる。といふわけではない。
(Ⅱ) ∃x∃y(~愛xy)=ある人は、ある人を、愛してゐない。
(Ⅲ)∃x~∀y( 愛xy)=ある人は、すべての人を愛してゐるわけではない。
に於いて、
(Ⅰ)=(Ⅱ)=(Ⅲ) である。
従って、
(18)により、
(19)
「順番」を変へると、
(Ⅰ)ある人は、ある人を、愛してゐない=∃x∃y(~愛xy)。
(Ⅱ)ある人は、すべての人を愛してゐるわけではない=∃x~∀y(愛xy)。
(Ⅲ)すべての人が、すべての人を愛してゐる。といふわけではない=~∀x∀y(愛xy)。
に於いて、
(Ⅰ)=(Ⅱ)=(Ⅲ) であるものの、これらの「三つの日本語」は、明らかに、
(Ⅰ)=(Ⅱ)=(Ⅲ) であるとしか、言ひようがない。
従って、
(19)により、
(20)
1(1)~∀x∀yFxy A
1(2)∃x~∀yFxy 1量化子の関係
1(3)∃x∃y~Fxy 2量化子の関係
といふ「述語計算」は、「正しい」。