日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(909)「吾輩は猫である。名前は無い。」の「否定」の「述語論理」:三上文法批判。

2021-06-01 15:16:40 | 象は鼻が長い、述語論理。

(01)
①「吾輩は猫である。」
②「吾輩は猫でない。」
に於いて、
① の「否定」は、
② である。
(02)
①「吾輩は猫である。名前は無い。」
②「吾輩は猫である。名前は無い。」ではない
に於いて、
② の「否定」は、
② である。
然るに、
(03)
②「吾輩は猫である。名前は無い。」ではない。
といふ「日本語」は、「述語論理的」には、以下の「手続き」により、
③「・・・・・・・。」
といふ「日本語」に、「翻訳」出来るのであって、そのことを、以下に於いて、確認したい。
(04)
1   (1)  ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}    A
 2  (2)  ∃x{タマx&    ∃y(名前yx)}    A
  3 (3)     吾輩a&猫a&~∃y(名前ya)     A
   4(4)     タマa&    ∃y(名前ya)     A
  3 (5)            ~∃y(名前ya)     3&E
   4(6)             ∃y(名前ya)     4&E
  34(7)   ~∃y(名前ya)&∃y(名前ya)     56&I
 23 (8)   ~∃y(名前ya)&∃y(名前ya)     247EE
12  (9)   ~∃y(名前ya)&∃y(名前ya)     138EE
1   (ア) ~∃x{タマx&    ∃y(名前yx)}    29RAA
1   (イ) ∀x~{タマx&    ∃y(名前yx)}    ア量化子の関係
1   (ウ)   ~{タマa&    ∃y(名前ya)     イUE
1   (エ)    ~タマa∨   ~∃y(名前ya)     ウ、ド・モルガンの法則
1   (オ)    ~∃y(名前ya)∨~タマa        エ交換法則
1   (カ)     ∃y(名前ya)→~タマa        オ含意の定義
1  4(キ)              ~タマa        6カMPP
12  (ク)              ~タマa        24キEE
  3 (ケ)     吾輩a&猫a               3&E
123 (コ)     吾輩a&猫a&~タマa          クケ&I
123 (サ)  ∃x(吾輩x&猫x&~タマx)         コEI
12  (シ)  ∃x(吾輩x&猫x&~タマx)         13サEE
12  (〃)あるxは(吾輩であって猫であるが、タマではない)。 13サEE
従って、
(04)により、
(05)
(ⅰ)∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}。然るに、
(ⅱ)∃x{タマx&    ∃y(名前yx)}。従って、
(ⅲ)∃x(吾輩x&猫x&~タマx)。
といふ「推論(三段論法)」、すなはち、
(ⅰ)あるxは{吾輩であって、猫であるが、あるyが、xの名前であることはない}。然るに、
(ⅱ)あるxは{タマであって、      あるyは、xの名前である}。     従って、
(ⅲ)あるxは{吾輩であって、猫であるが、タマではない}。
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
従って、
(05)により、
(06)
(ⅰ)吾輩は猫である。名前は無い。然るに、
(ⅱ)タマには名前がある。    従って、
(ⅲ)吾輩は猫であるが、タマではない。
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
従って、
(04)(05)(06)により、
(07)
① 吾輩は猫である。名前は無い。⇔
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}⇔
① あるxは{吾輩であって、猫であるが、あるyが、xの名前であることはない}。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(08)
(ⅱ)
1  (1)~∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)} A
1  (2)∀x~{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)} 1量化子の関係
1  (3)  ~{吾輩a&猫a&~∃y(名前ya)} 2UE
1  (4)  ~吾輩a∨~猫a∨ ∃y(名前ya)  3ド・モルガンの法則
1  (5) (~吾輩a∨~猫a)∨∃y(名前ya)  4結合法則
 6 (6) (~吾輩a∨~猫a)           A
 6 (7)  ~(吾輩a&猫a)           6ド・モルガンの法則
 6 (8)  ~(吾輩a&猫a)∨∃y(名前ya)  7∨I
  9(9)            ∃y(名前ya)  A
  9(ア)  ~(吾輩a&猫a)∨∃y(名前ya)  9∨I
1  (イ)  ~(吾輩a&猫a)∨∃y(名前ya)  1689ア∨E
1  (ウ)   (吾輩a&猫a)→∃y(名前ya)  イ含意の定義
1  (エ)∀x{(吾輩x&猫x)→∃y(名前yx)} ウUI
(ⅲ)
1  (1)∀x{(吾輩x&猫x)→∃y(名前ya)  A
1  (2)   (吾輩a&猫a)→∃y(名前ya)  1UE
1  (3)  ~(吾輩a&猫a)∨∃y(名前ya)  2含意の定義
 4 (4)  ~(吾輩a&猫a)           A
 4 (5) (~吾輩a∨~猫a)           4ド・モルガンの法則
 4 (6) (~吾輩a∨~猫a)∨∃y(名前ya)  5∨I
  7(7)            ∃y(名前ya)  A
  7(8) (~吾輩a∨~猫a)∨∃y(名前ya)  6∨I
1  (9) (~吾輩a∨~猫a)∨∃y(名前ya)  34678∨E
1  (ア)  ~吾輩a∨~猫a∨ ∃y(名前ya)  9結合法則
1  (イ)  ~{吾輩a&猫a&~∃y(名前ya)} ア、ド・モルガンの法則
1  (ウ)∀x~{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)} イUI
1  (エ)~∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)} ウ量化子の関係
従って、
(08)により、
(09)
①  ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}
② ~∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}
③ ∀x{(吾輩x&猫x)→∃y(名前yx)}
に於いて、
① の「否定」は、
② であり、
②=③ である。
然るに、
(10)
③ ∀x{(吾輩x&猫x)→∃y(名前yx)}。
といふことは、
③ すべてのxについて{(xが吾輩であって、猫である)ならば、あるyは(xの名前である)}。
といふことである。
然るに、
(11)
③ すべてのxについて{(xが吾輩であって、猫である)ならば、あるyは(xの名前である)}。
といふことは、
③「私は猫である。」といふ「命題」が「真(本当)」である。
ならば、
③「私であって、猫である所のxには、名前yがある。」といふことについて、「例外は無い」。
といふ「意味」である。
然るに、
(12)
③「私であって、猫である所のxには、名前yがある。」といふことについて、「例外は無い」。
といふことは、要するに、
③「吾輩は猫である(I am a cat)。」といふのであれば、必然的に、「吾輩には、名前が有る。」
といふ、ことになる。
従って、
(07)~(12)により、
(13)
① 吾輩は猫である。名前は無い。⇔
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}⇔
① あるxは{吾輩であって、猫であるが、あるyが、xの名前であることはない}。
といふ「命題」の「否定」は、
③ 吾輩が猫であるならば、吾輩には名前がある。⇔
③ ∀x{(吾輩x&猫x)→∃y(名前yx)}⇔
③ すべてのxについて{(xが吾輩であって、猫である)ならば、あるyは(xの名前である)}。
といふ「命題」になる。
然るに、
(14)
A:吾輩は、猫である名前はまだ無い
B:あなたが猫であるならば、あなたには名前がある
に於いて、
Bは、明らかに、
Aの、「否定」である。
従って、
(13)(14)により、
(15)
① 吾輩は猫である名前はまだ無い
③ 吾輩が猫であるならば、吾輩には名前がある
に於いて、
① と、
③ は、「明確に、矛盾する」。
然るに、
(16)
① 吾輩は猫である名前はまだ無い
③ 吾輩が猫であるならば、吾輩には名前がある
に於いて、
① と、
③ は、「明確に、矛盾する」。
といふことは、
① の「否定」は、
③ であり、
③ の「否定」は、
① である。
といふことに、他ならない。
従って、
(16)により、
(17)
① 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
② 吾輩は猫である。名前はまだ無い。といふことは「」である。
③ 吾輩が猫であるならば、吾輩には名前がある。
に於いて、
① の「否定」は、
② であり、
②=③ である。
従って、
(09)(17)により、
(18)
①  ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}
② ~∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}
③ ∀x{(吾輩x&猫x)→∃y(名前yx)}
に於いて、すなはち、
① あるxは{吾輩であって、猫であるが、あるyが、xの名前であることはない}。
② あるxは{吾輩であって、猫であるが、あるyが、xの名前であることはない}といふことはない。
③ すべてのxについて{(xが吾輩であって、猫である)ならば、あるyは(xの名前である)}。
に於いて、すなはち、
① 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
② 吾輩は猫である。名前はまだ無い。といふことは「である
③ 吾輩が猫であるならば、吾輩には名前がある。
に於いて、
① の「否定」は、
② であり、
②=③ である。
従って、
(02)~(18)により、
(19)
②「吾輩は猫である名前はまだ無い。」ではない
といふ「日本語」は、すなはち、
②「吾輩は猫である名前はまだ無い。」といふことは「である
といふ「日本語」は、「述語論理的」には、
③「吾輩が猫であるならば、吾輩には名前がある。」
といふ「日本語」に、「等しい」(Q.E.D)。
従って、
(18)(19)により、
(20)
① 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
といふ「日本語」は、
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}
といふ「述語論理式」に、「等しい」。
然るに、
(21)
1  (1) ∀x{吾輩x⇔猫x &~∃y(名前yx)}   A
 2 (2) ∃x{タマx&~吾輩x&∃y(名前yx)}   A
1  (3)    吾輩a⇔猫a &~∃y(名前ya)    1UE
1  (4)    吾輩a⇔猫a               3&E
1  (5)    吾輩a→猫a&猫a→吾輩a        4Df.⇔
1  (6)           猫a→吾輩a        5&E
  7(7)    タマa&~吾輩a&∃y(名前ya)    A
  7(8)    タマa                  7&E
  7(9)        ~吾輩a             7&E
  7(ア)             ∃y(名前ya)    7&E
1 7(イ)          ~猫a            69MTT
1 7(ウ)    タマa&~猫a              8イ&I
1 7(エ)    タマa&~猫a&∃y(名前ya)     ウエ&I
1 7(オ) ∃x{タマx&~猫x&∃y(名前yx)}    エEI
12 (カ) ∃x{タマx&~猫x&∃y(名前yx)}    27オEE
12 (〃)あるx{はタマであって、猫ではなく、名前がある} 27オEE
従って、
(21)により、
(22)
(ⅰ)∀x{吾輩x⇔猫x &~∃y(名前yx)}。然るに、
(ⅱ)∃x{タマx&~吾輩x&∃y(名前yx)}。従って、
(ⅲ)∃x{タマx&~猫x& ∃y(名前yx)}。
といふ「推論」、すなはち、
(ⅰ)すべてのxについて{xが吾輩ならばxは猫であり、xが猫ならば吾輩であり、あるyがxの名前である、といふことはない}。然るに、
(ⅱ)あるxは{タマであり、吾輩ではなく、あるyは、xの名前である}。従って、
(ⅲ)あるxは{タマであり、 猫ではなく、あるyは、xの名前である}。
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(22)により、
(23)
(ⅰ)吾輩猫である。  名前は無い。然るに、
(ⅱ)タマは吾輩ではなく、名前が有る。従って、
(ⅲ)タマは、猫ではなく、名前が有る。
といふ「推論(三段論法)」は、「正しい」。
従って、
(21)(22)(23)により、
(24)
② 吾輩猫である。名前はまだ無い。
といふ「日本語」は、
② ∀x{吾輩x猫x&~∃y(名前yx)}
といふ「述語論理式」に、「等しい」。
従って、
(20)(24)により、
(25)
① 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
② 吾輩猫である。名前はまだ無い。
といふ「日本語」は、それぞれ、
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}
② ∀x{吾輩x猫x&~∃y(名前yx)}
といふ「述語論理式」に、「等しい」。
然るに、
(26)
① 吾輩猫である。名前はまだ無い。
② 吾輩猫である。名前はまだ無い。
といふ「日本語」が、
① 吾輩猫である。(吾輩に)名前はまだ無い。
② 吾輩猫である。(吾輩に)名前はまだ無い。
といふ「意味」であることを、「ピリオド越え」と言ふ。
然るに、
(27)
(ⅰ)論理式または命題関数において、量記号が現れる任意の箇所の作用範囲(スコープ)は、問題になっている変数が現れる「少なくとも2つの箇所」を含むであろう(その1つの箇所は量記号そのもののなかにある);
(〃)the scope of any occurrence of a quantifier in a wff or propositional function will contain at least two occerrences of the variable in question(one occerrence being in the quantifier itself);
(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、183頁改)
(28)
括弧は、論理演算子のスコープscope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
然るに、
(25)~(28)により、
(29)
「結論」だけを、述べるのであれば、
① 吾輩は猫である。(吾輩に)名前はまだ無い。
② 吾輩が猫である。(吾輩に)名前はまだ無い。
といふ『ピリオド越え』を起きる、といふことは、
① 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
② 吾輩が猫である。名前はまだ無い。
といふ「日本語」には、
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}
② ∀x{吾輩x⇔猫x&~∃y(名前yx)}
といふ『構造(シンタックス)』がある。
といふことを、示してゐる。
(30)
一階述語論理は、数学のほぼ全領域を形式化するのに十分な表現力を持っている。実際、現代の標準的な集合論の公理系 ZFC は一階述語論理を用いて形式化されており、数学の大部分はそのように形式化された ZFC の中で行うことができる。すなわち、数学の命題は一階述語論理の論理式によって記述することができ、そのように論理式で記述された数学の定理には ZFC の公理からの形式的証明 (formal proof) が存在する。このことが一階述語論理が重要視される理由の一つである(ウィキペディア)。
とのことであるが、言ふまでもなく、
① 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
② どこで生れたか頓と見当がつかぬ。
③ 何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
に於いて、
① 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
ではなく、
② どこで生れたか頓と見当がつかぬ。
③ 何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
のやうな「日本語」を、「述語論理式」に「翻訳」することは、出来ない
しかしながら、
(31)
① 吾輩猫である。(吾輩に)名前はまだ無い。
② 吾輩猫である。(吾輩に)名前はまだ無い。
であるならば、
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}
② ∀x{吾輩x⇔猫x&~∃y(名前yx)}
といふ風に、「翻訳」出来るのであるが、「ネット」調べる限り、そのやうな「翻訳」を行った「日本語学者・言語学者」は、誰もゐない
それ故、
(29)(30)(31)により、
(32)
例へば、
三上は、助詞「」の働きは節を超え(コンマ越え)、文さえ超える(ピリオド越え)ことが出来ると、主張する。それは、文を超える「」の、「」以下の格助詞とは明らかにパワーが違うことの表れなのだ。三上がその証明に使うのは、誰もが知っている文学作品「吾輩は猫である」の冒頭である(金谷武洋、日本語の文法の謎を解く、2003年、72頁)。
といふ風に、書かれることになる。