(01)
①「吾輩は猫である。」
②「吾輩は猫でない。」
に於いて、
① の「否定」は、
② である。
(02)
①「吾輩は猫である。名前は無い。」
②「吾輩は猫である。名前は無い。」ではない。
に於いて、
② の「否定」は、
② である。
然るに、
(03)
②「吾輩は猫である。名前は無い。」ではない。
といふ「日本語」は、「述語論理的」には、以下の「手続き」により、
③「・・・・・・・。」
といふ「日本語」に、「翻訳」出来るのであって、そのことを、以下に於いて、確認したい。
(04)
1 (1) ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)} A
2 (2) ∃x{タマx& ∃y(名前yx)} A
3 (3) 吾輩a&猫a&~∃y(名前ya) A
4(4) タマa& ∃y(名前ya) A
3 (5) ~∃y(名前ya) 3&E
4(6) ∃y(名前ya) 4&E
34(7) ~∃y(名前ya)&∃y(名前ya) 56&I
23 (8) ~∃y(名前ya)&∃y(名前ya) 247EE
12 (9) ~∃y(名前ya)&∃y(名前ya) 138EE
1 (ア) ~∃x{タマx& ∃y(名前yx)} 29RAA
1 (イ) ∀x~{タマx& ∃y(名前yx)} ア量化子の関係
1 (ウ) ~{タマa& ∃y(名前ya) イUE
1 (エ) ~タマa∨ ~∃y(名前ya) ウ、ド・モルガンの法則
1 (オ) ~∃y(名前ya)∨~タマa エ交換法則
1 (カ) ∃y(名前ya)→~タマa オ含意の定義
1 4(キ) ~タマa 6カMPP
12 (ク) ~タマa 24キEE
3 (ケ) 吾輩a&猫a 3&E
123 (コ) 吾輩a&猫a&~タマa クケ&I
123 (サ) ∃x(吾輩x&猫x&~タマx) コEI
12 (シ) ∃x(吾輩x&猫x&~タマx) 13サEE
12 (〃)あるxは(吾輩であって猫であるが、タマではない)。 13サEE
従って、
(04)により、
(05)
(ⅰ)∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}。然るに、
(ⅱ)∃x{タマx& ∃y(名前yx)}。従って、
(ⅲ)∃x(吾輩x&猫x&~タマx)。
といふ「推論(三段論法)」、すなはち、
(ⅰ)あるxは{吾輩であって、猫であるが、あるyが、xの名前であることはない}。然るに、
(ⅱ)あるxは{タマであって、 あるyは、xの名前である}。 従って、
(ⅲ)あるxは{吾輩であって、猫であるが、タマではない}。
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
従って、
(05)により、
(06)
(ⅰ)吾輩は猫である。名前は無い。然るに、
(ⅱ)タマには名前がある。 従って、
(ⅲ)吾輩は猫であるが、タマではない。
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
従って、
(04)(05)(06)により、
(07)
① 吾輩は猫である。名前は無い。⇔
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}⇔
① あるxは{吾輩であって、猫であるが、あるyが、xの名前であることはない}。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(08)
(ⅱ)
1 (1)~∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)} A
1 (2)∀x~{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)} 1量化子の関係
1 (3) ~{吾輩a&猫a&~∃y(名前ya)} 2UE
1 (4) ~吾輩a∨~猫a∨ ∃y(名前ya) 3ド・モルガンの法則
1 (5) (~吾輩a∨~猫a)∨∃y(名前ya) 4結合法則
6 (6) (~吾輩a∨~猫a) A
6 (7) ~(吾輩a&猫a) 6ド・モルガンの法則
6 (8) ~(吾輩a&猫a)∨∃y(名前ya) 7∨I
9(9) ∃y(名前ya) A
9(ア) ~(吾輩a&猫a)∨∃y(名前ya) 9∨I
1 (イ) ~(吾輩a&猫a)∨∃y(名前ya) 1689ア∨E
1 (ウ) (吾輩a&猫a)→∃y(名前ya) イ含意の定義
1 (エ)∀x{(吾輩x&猫x)→∃y(名前yx)} ウUI
(ⅲ)
1 (1)∀x{(吾輩x&猫x)→∃y(名前ya) A
1 (2) (吾輩a&猫a)→∃y(名前ya) 1UE
1 (3) ~(吾輩a&猫a)∨∃y(名前ya) 2含意の定義
4 (4) ~(吾輩a&猫a) A
4 (5) (~吾輩a∨~猫a) 4ド・モルガンの法則
4 (6) (~吾輩a∨~猫a)∨∃y(名前ya) 5∨I
7(7) ∃y(名前ya) A
7(8) (~吾輩a∨~猫a)∨∃y(名前ya) 6∨I
1 (9) (~吾輩a∨~猫a)∨∃y(名前ya) 34678∨E
1 (ア) ~吾輩a∨~猫a∨ ∃y(名前ya) 9結合法則
1 (イ) ~{吾輩a&猫a&~∃y(名前ya)} ア、ド・モルガンの法則
1 (ウ)∀x~{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)} イUI
1 (エ)~∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)} ウ量化子の関係
従って、
(08)により、
(09)
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}
② ~∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}
③ ∀x{(吾輩x&猫x)→∃y(名前yx)}
に於いて、
① の「否定」は、
② であり、
②=③ である。
然るに、
(10)
③ ∀x{(吾輩x&猫x)→∃y(名前yx)}。
といふことは、
③ すべてのxについて{(xが吾輩であって、猫である)ならば、あるyは(xの名前である)}。
といふことである。
然るに、
(11)
③ すべてのxについて{(xが吾輩であって、猫である)ならば、あるyは(xの名前である)}。
といふことは、
③「私は猫である。」といふ「命題」が「真(本当)」である。
ならば、
③「私であって、猫である所のxには、名前yがある。」といふことについて、「例外は無い」。
といふ「意味」である。
然るに、
(12)
③「私であって、猫である所のxには、名前yがある。」といふことについて、「例外は無い」。
といふことは、要するに、
③「吾輩は猫である(I am a cat)。」といふのであれば、必然的に、「吾輩には、名前が有る。」
といふ、ことになる。
従って、
(07)~(12)により、
(13)
① 吾輩は猫である。名前は無い。⇔
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}⇔
① あるxは{吾輩であって、猫であるが、あるyが、xの名前であることはない}。
といふ「命題」の「否定」は、
③ 吾輩が猫であるならば、吾輩には名前がある。⇔
③ ∀x{(吾輩x&猫x)→∃y(名前yx)}⇔
③ すべてのxについて{(xが吾輩であって、猫である)ならば、あるyは(xの名前である)}。
といふ「命題」になる。
然るに、
(14)
A:吾輩は、猫である。名前は、まだ無い。
B:あなたが猫であるならば、あなたには名前がある。
に於いて、
Bは、明らかに、
Aの、「否定」である。
従って、
(13)(14)により、
(15)
① 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
③ 吾輩が猫であるならば、吾輩には名前がある。
に於いて、
① と、
③ は、「明確に、矛盾する」。
然るに、
(16)
① 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
③ 吾輩が猫であるならば、吾輩には名前がある。
に於いて、
① と、
③ は、「明確に、矛盾する」。
といふことは、
① の「否定」は、
③ であり、
③ の「否定」は、
① である。
といふことに、他ならない。
従って、
(16)により、
(17)
① 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
② 吾輩は猫である。名前はまだ無い。といふことは「嘘」である。
③ 吾輩が猫であるならば、吾輩には名前がある。
に於いて、
① の「否定」は、
② であり、
②=③ である。
従って、
(09)(17)により、
(18)
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}
② ~∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}
③ ∀x{(吾輩x&猫x)→∃y(名前yx)}
に於いて、すなはち、
① あるxは{吾輩であって、猫であるが、あるyが、xの名前であることはない}。
② あるxは{吾輩であって、猫であるが、あるyが、xの名前であることはない}といふことはない。
③ すべてのxについて{(xが吾輩であって、猫である)ならば、あるyは(xの名前である)}。
に於いて、すなはち、
① 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
② 吾輩は猫である。名前はまだ無い。といふことは「嘘」である。
③ 吾輩が猫であるならば、吾輩には名前がある。
に於いて、
① の「否定」は、
② であり、
②=③ である。
従って、
(02)~(18)により、
(19)
②「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」ではない。
といふ「日本語」は、すなはち、
②「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」といふことは「嘘」である。
といふ「日本語」は、「述語論理的」には、
③「吾輩が猫であるならば、吾輩には名前がある。」
といふ「日本語」に、「等しい」(Q.E.D)。
従って、
(18)(19)により、
(20)
① 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
といふ「日本語」は、
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}
といふ「述語論理式」に、「等しい」。
然るに、
(21)
1 (1) ∀x{吾輩x⇔猫x &~∃y(名前yx)} A
2 (2) ∃x{タマx&~吾輩x&∃y(名前yx)} A
1 (3) 吾輩a⇔猫a &~∃y(名前ya) 1UE
1 (4) 吾輩a⇔猫a 3&E
1 (5) 吾輩a→猫a&猫a→吾輩a 4Df.⇔
1 (6) 猫a→吾輩a 5&E
7(7) タマa&~吾輩a&∃y(名前ya) A
7(8) タマa 7&E
7(9) ~吾輩a 7&E
7(ア) ∃y(名前ya) 7&E
1 7(イ) ~猫a 69MTT
1 7(ウ) タマa&~猫a 8イ&I
1 7(エ) タマa&~猫a&∃y(名前ya) ウエ&I
1 7(オ) ∃x{タマx&~猫x&∃y(名前yx)} エEI
12 (カ) ∃x{タマx&~猫x&∃y(名前yx)} 27オEE
12 (〃)あるx{はタマであって、猫ではなく、名前がある} 27オEE
従って、
(21)により、
(22)
(ⅰ)∀x{吾輩x⇔猫x &~∃y(名前yx)}。然るに、
(ⅱ)∃x{タマx&~吾輩x&∃y(名前yx)}。従って、
(ⅲ)∃x{タマx&~猫x& ∃y(名前yx)}。
といふ「推論」、すなはち、
(ⅰ)すべてのxについて{xが吾輩ならばxは猫であり、xが猫ならば吾輩であり、あるyがxの名前である、といふことはない}。然るに、
(ⅱ)あるxは{タマであり、吾輩ではなく、あるyは、xの名前である}。従って、
(ⅲ)あるxは{タマであり、 猫ではなく、あるyは、xの名前である}。
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(22)により、
(23)
(ⅰ)吾輩が猫である。 名前は無い。然るに、
(ⅱ)タマは吾輩ではなく、名前が有る。従って、
(ⅲ)タマは、猫ではなく、名前が有る。
といふ「推論(三段論法)」は、「正しい」。
従って、
(21)(22)(23)により、
(24)
② 吾輩が猫である。名前はまだ無い。
といふ「日本語」は、
② ∀x{吾輩x⇔猫x&~∃y(名前yx)}
といふ「述語論理式」に、「等しい」。
従って、
(20)(24)により、
(25)
① 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
② 吾輩が猫である。名前はまだ無い。
といふ「日本語」は、それぞれ、
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}
② ∀x{吾輩x⇔猫x&~∃y(名前yx)}
といふ「述語論理式」に、「等しい」。
然るに、
(26)
① 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
② 吾輩が猫である。名前はまだ無い。
といふ「日本語」が、
① 吾輩は猫である。(吾輩に)名前はまだ無い。
② 吾輩が猫である。(吾輩に)名前はまだ無い。
といふ「意味」であることを、「ピリオド越え」と言ふ。
然るに、
(27)
(ⅰ)論理式または命題関数において、量記号が現れる任意の箇所の作用範囲(スコープ)は、問題になっている変数が現れる「少なくとも2つの箇所」を含むであろう(その1つの箇所は量記号そのもののなかにある);
(〃)the scope of any occurrence of a quantifier in a wff or propositional function will contain at least two occerrences of the variable in question(one occerrence being in the quantifier itself);
(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、183頁改)
(28)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
然るに、
(25)~(28)により、
(29)
「結論」だけを、述べるのであれば、
① 吾輩は猫である。(吾輩に)名前はまだ無い。
② 吾輩が猫である。(吾輩に)名前はまだ無い。
といふ『ピリオド越え』を起きる、といふことは、
① 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
② 吾輩が猫である。名前はまだ無い。
といふ「日本語」には、
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}
② ∀x{吾輩x⇔猫x&~∃y(名前yx)}
といふ『構造(シンタックス)』がある。
といふことを、示してゐる。
(30)
一階述語論理は、数学のほぼ全領域を形式化するのに十分な表現力を持っている。実際、現代の標準的な集合論の公理系 ZFC は一階述語論理を用いて形式化されており、数学の大部分はそのように形式化された ZFC の中で行うことができる。すなわち、数学の命題は一階述語論理の論理式によって記述することができ、そのように論理式で記述された数学の定理には ZFC の公理からの形式的証明 (formal proof) が存在する。このことが一階述語論理が重要視される理由の一つである(ウィキペディア)。
とのことであるが、言ふまでもなく、
① 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
② どこで生れたか頓と見当がつかぬ。
③ 何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
に於いて、
① 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
ではなく、
② どこで生れたか頓と見当がつかぬ。
③ 何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
のやうな「日本語」を、「述語論理式」に「翻訳」することは、出来ない。
しかしながら、
(31)
① 吾輩は猫である。(吾輩に)名前はまだ無い。
② 吾輩が猫である。(吾輩に)名前はまだ無い。
であるならば、
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}
② ∀x{吾輩x⇔猫x&~∃y(名前yx)}
といふ風に、「翻訳」出来るのであるが、「ネット」調べる限り、そのやうな「翻訳」を行った「日本語学者・言語学者」は、誰もゐない。
それ故、
(29)(30)(31)により、
(32)
例へば、
三上は、助詞「は」の働きは節を超え(コンマ越え)、文さえ超える(ピリオド越え)ことが出来ると、主張する。それは、文を超える「は」の、「が」以下の格助詞とは明らかにパワーが違うことの表れなのだ。三上がその証明に使うのは、誰もが知っている文学作品「吾輩は猫である」の冒頭である(金谷武洋、日本語の文法の謎を解く、2003年、72頁)。
といふ風に、書かれることになる。