日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(936)「焼酎割を飲むと酔ふ」の「命題論理」。

2021-06-27 20:32:51 | 論理

 ―「昨日(令和03年06月26日)の記事」を書き直します。―
(01)
(ⅰ)
1   (1)(P→R)∨(Q→R) A
 2  (2) P&Q        A
  3 (3) P→R        A
 2  (4) P          2&E
 23 (5)   R        34MPP
   6(6)       Q→R  A
 2  (7)   Q        2&E
 2 6(8)         R  67MPP
12  (9)   R        13568∨E
1   (ア)(P&Q)→R     29CP
(ⅱ)
1   (1) (P&Q)→R    A
1   (2)~(P&Q)∨R    1含意の定義
 3  (3)~(P&Q)      A
 3  (4)~P∨~Q       3ド・モルガンの法則
 3  (5)~P∨~Q∨R     4∨I
  6 (6)       R    A
  6 (7) ~P∨~Q∨R    6∨I
1   (8) ~P∨~Q∨R    13567∨E
1   (9)~P∨(~Q∨R)   3結合法則
 ア  (ア)~P          A
 ア  (イ)~P∨R        ア∨I
 ア  (ウ) P→R        イ含意の定義
 ア  (エ)(P→R)∨(Q→R) ウ∨I
   オ(オ)     (~Q∨R) A
   オ(カ)       Q→R  オ含意の定義
   オ(キ)(P→R)∨(Q→R) カ∨I
1   (ク)(P→R)∨(Q→R) 2アエオキ∨I
従って、
(01)により、
(02)
①(P→R)∨(Q→R)
②(P&Q)→R
に於いて、
①=② である。
然るに、
(03)
①(P→R)∨(Q→R)
といふ「命題」、すなはち、
①(P&Q)→R
といふ「命題」が「真(本当)」である。
といふことは、
②(P→R)
③      (Q→R)
④(P→R)&(Q→R)
といふ「3通り」が「真(本当)」であり得る。
といふことに、他ならない。
従って、
(03)により、
(04)
①(P&Q)→R
②(P→R)
に於いて、
① である。従って、② である。
といふ「演繹推理」は、「不可」であるが、
① である。従って、② であると、思はれる。
といふ『蓋然的推理』は「不可」ではない。
例へば、
(05)
P=焼酎を飲む。
Q=お湯を飲む。
R=酔ふ。
であるとして、
①(P&Q)→R
②(P  )→R
といふ「命題」は、
①(焼酎のお茶割を飲む)ならば酔ふ。
②(焼酎を飲む)ならば酔ふ。
といふ「命題」に相当し、尚且つ、
① は、「真(本当)」であり、
② も、「真(本当)」である。
従って、
(04)(05)により、
(06)
①(P&Q)→R
②(P→R)
に於いて、すなはち、
①(焼酎のお茶割を飲む)ならば酔ふ。
②(焼酎を飲む)ならば酔ふ。
に於いて、
① である。従って、② であると、思はれる。
といふ『蓋然的推理』は「不可」ではない。
然るに、
(07)
①(焼酎のお茶割を飲む)ならば酔ふ。
②(焼酎を飲む)ならば酔ふ。
といふことは、
①(焼酎のお茶割を飲む)ならば酔ふ。
②(焼酎を飲むが、お茶を飲まない)としても酔ふ。
といふことに、他ならない。
然るに、
(08)
①(焼酎のお茶割を飲む)ならば酔ふ。
②(焼酎を飲むが、お茶を飲まない)としても酔ふ。
といふことは、
①(P& Q)→R
②(P&~Q)→R
といふことに、他ならない。
従って、
(06)(07)(08)により、
(09)
①(P& Q)→R
②(P&~Q)→R
に於いて、
① である。従って、② であると、思はれる。
といふ『蓋然的推理』は「不可」ではない。
然るに、
(10)
(ⅲ)
1  (1)(P&Q)⇔R    A
1  (2)(P&Q)→R&
       R→(P&Q)   1Df.⇔
1  (3)(P&Q)→R    2&E
1  (4) R→(P&Q)   2&E
 5 (5)  ~P∨~Q    A
 5 (6)  ~(P&Q)   5ド・モルガンの法則
15 (7)~R         46MTT
1  (8)(~P∨~Q)→~R 57CP
  9(9)  P&~Q     A
  9(ア)    ~Q     A
  9(イ) ~P∨~Q     ア∨I
1 9(ウ)        ~R 8イMPP
1  (エ) (P&~Q)→~R 9ウCP
従って、
(10)により、
(11)
③(P& Q)⇔ R。 従って、
④(P&~Q)→~R。 である。
といふ「推論」、すなはち、
③「(Pであって、 Qである)ならば、そのときに限って、Rである。」従って、
④「(Pであっても、Qでない)ならば、Rではない。」
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(09)(10)(11)により、
(12)
①(P& Q)→R
②(P&~Q)→R
に於いて、
① なので、② であるかも、知れない(演繹推理)。
であって、尚且つ、
③(P& Q)⇔ R
④(P&~Q)→~R
に於いて、
③ なので、④ である(演繹推理)。
従って、
(12)により、
(13)
①(P&Q)→R├(P&~Q)→ R
③(P&Q)⇔R├(P&~Q)→~R
といふ「推論」は、
① であれば、『蓋然的推理』として、「正しく」、
② であれば、「演繹推理」 として、「正しい」。
然るに、
(14)
①(P&Q)→R
といふ「論理式」に関して、
大西拓郎先生(京都大学)は、
[厳密含意の論理(1) [修正版](ユーチューブ:9分10秒頃)]に於いて、
PかつQ、2つの前提からRが導かれるんだったら実はそれ、1つで十分ですよ、みたいな、そういう推論なんですね。まぁこれ、をかしい。 といふ風に、述べてゐる。
然るに、
(15)
PかつQ、2つの前提からRが導かれるんだったら実はそれ、1つで十分ですよ、みたいな、そういう推論なんですね。
といふのは、
①(P&Q)→R├(P&~Q)→R
といふ「推論」、すなはち、例へば、
P=焼酎を飲む。
Q=お湯を飲む。
R=酔ふ。
であるとして、
①(焼酎のお湯割りを飲む)ならば酔ふ。従って、(焼酎を飲んで、お湯を飲まない)としても酔ふであらう。
といふ『蓋然的推理』であるが、もちろん、
①(焼酎のお湯割りを飲む)ならば酔ふ。従って、(焼酎を飲んで、お湯を飲まない)としても酔ふであらう。
といふ「推論」は、「をかしくはない。」
然るに、
(13)により、
(16)
③(P&Q)⇔R├(P&~Q)→~R
といふ「演繹推理」は、「妥当」であり、それ故、
③(P&Q)⇔R├(P&~Q)→~R
④(P&Q)⇔R├(P&~Q)→ R
に於いて、
③ は「妥当」であるが、
④ は「妥当」ではない。
従って、
(14)(15)(16)により、
(17)
①(P&Q)→R├(P&~Q)→R
④(P&Q)⇔R├(P&~Q)→R
に於いて、
① ではなく、
④ であるならば、
PかつQ、2つの前提からRが導かれるんだったら実はそれ、1つで十分ですよ、みたいな、そういう推論なんですね。
といふ「推論」は、確かに、
まぁこれ、をかしい
といふことに、なる。
従って、
(14)~(17)により、
(18)
例へば、
①(焼酎のお湯割りを飲む)ならば酔ふ。従って、(焼酎を飲んで、お湯を飲まない)としても酔ふであらう。
といふ場合が、そうであるやうに、
①(P&Q)→R├(P&~Q)→R
といふ『蓋然的推理』は、実際には、「をかしくはない」にもかかわらず、大西拓郎先生は、
③(P&Q)⇔R├(P&~Q)→~R
といふ「演繹推理」と、「混同」することにより、
①(焼酎のお湯割りを飲む)ならば酔ふ。従って、(焼酎だけを飲んだ)としても酔ふであらう。
といふ『蓋然的推理』を称して、「まぁこれ、をかしい」。
といふ風に、述べてゐる。