ばばの気まぐれ日記

老後の暮らしというものはこういう事だったのかと思う日々
老後を迎えて初めて気が付くことも多い日々

終の棲家

2013年09月15日 | 雑感

事情があって終の棲家は「特養ホーム」と言う人もこれからは増えて行くことでしょう。

妹も事情があって特養ホームで最後の人生を送ることに「なってしまいました」・・と言うより「なりました。」と言うべきですね。

これからは終の棲家は「特養ホーム」と言う方も[老人ホーム]と言っていた時代もありましたが・・・・いろいろな事情で「特養ホームにお世話になることに、お世話にならざるを得ない」状態になる方も増えて行く事と思います。

明日は我が身か・・・と言う事だと思います。これから生涯の事について自分の行く道を確実に指し示せる人は少ないのではないかと思います。予定していてもそのように進んで行けるのか?自分の最期を決めることは出来ないのですものね。

この夏はsazae3が熱中症まがいの状態になり外出を控えて居たのですが、久しぶりに妹の特養を訪問してきました。

お昼の食事のお手伝いをしたくて11時ごろには到着していたのですが、嚥下がうまく出来ない状態なのでむせた場合の対処の仕方など見せていただきたかったので、スタッフの方のやり方を見せていただきました。むせた時には無理に背中を叩く等と言う事は(誰でもやってしまいそうですが)ダメなのだそうです。静かに自分で咳をして暫く落ち着くまでゆったり待つ、次々に口に運ばない・・とか・・いろいろ教えていただきました。一口ずつおかずやご飯をバランスよく喉ごしが良いように運ばなければなりません。

スタッフの方々がチームワーク良くそれぞれの入所者さんの特質をよく理解し、キビキビと対処している姿には驚きました。始めのうちはsazae3は皆様の様子にただ悲観論ばかりが頭を掛け巡りまして目をそむけたくなったりなどしておりましたが、冷静に暫く皆様の様子を見せていただいているうちに、考えが変わりました。

何れ皆が通る道なのですっ!・・・・・自分だけはこうならない等とお考えの方がおられたら。。。。その保証はないのですよ!

理想的にはやはり家庭で家族に囲まれてボケても病んでも一つ屋根の下でなくても賑やかな中で生活することが大切なことだということです。

お世話が出来ない場合はデイサービス等の活用をしてでも、なんとかしたいものです。コミュニケーション能力が衰えてしまっている人がどんなに大勢集まっていたとしても、もう無理なのですねぇ・・・やりきれない思いです。

人間は気があった友人たちとおしゃべりをして笑って楽しんで日々を暮らさなければ健康を害してしまうのですね。

しかし事情があってホームでの生活を終の棲家にしなければならないのですからね・・・・どうすりゃいいのよ!・・・・・

正直言ってある程度の年齢になったら、バタンキューと言うのが良いですね。

結論として、ホームに入っている方は表情筋がすべて停止状態です。日常的に顔の表情を鍛えることが出来ないのでしょう。しかし・・お一人素晴らしい笑顔で皆様を見守っているような高齢女性がおられました。その表情には誘われます。私もその方と目が合うとにこやかな表情になってしまいます。時にはおられるのですよ!この様な方が・・・素晴らしいです。

無表情になってしまって話すときにも目を合わせないで宙を見つめたような表情でいる妹をみてカメラを向けることはできませんでした。もう少し待ちましょう・・・・暫くして洗面で手を洗い髪を整えてから、「鏡で自分の顔を見て!」と声を掛けました。するとどうでしょう・・・妹はキリッとした顔を鏡に向けて近頃見せなかった魅力的な顔をするではありませんか・・・・

「ぁあ・・・これだ!」・・・と気が付きました。鏡を見せましょう!自分の顔がどの様な表情になっているかを見るチャンスがないのですねぇ。人と会話をする訳でもない人は自分がどの様な表情になっているのか気が付いていないのですね。

 あまりにも美しい老人を介護するという事はどの様な事かと考えまして・・・・あることに気が付きました。介護を受けるまたは受けなければならない状態になった人間はわざと無表情になって見にくい顔をしているのには訳があるのかもしれませんね。そうなのでしょう!・・・介護される人間の立場になったら、美人は困りますね。・・そういう事ですね・・・私はブスの期間が長いので・・・この様な苦労をしていないので今気が付きました。そうなんだぁ・・・・妹よ!・・そのような苦労があったんですねぇ・・・なるほど・・・・。

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