歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

馬鹿は分っていない日本の技術の真価、日本は駄目だとマスゴミが放言しているが、それは下衆の嘘である。

2010年06月27日 21時37分44秒 | 日記
繰り返すが、ノロだったっけ?南朝鮮のロケット。一段目をロシアに作っておきながら「国産」と吹聴する「低脳詐欺花火」である。

こんなモノ、本当にクズである。

大体一段目のロケットこそ重要で、そのロケットブースターこそが、その国の重工業技術の粋となる。日本で言えばLE-7である。

このロケットブースターは苦労の産物である。いや設計自体は、すぐ出来たが作るのが難しい。そんで噴射実験で何度も爆破。そりゃ凄いもんで実際1995年ぐらいに、噴射実験で若い作業者が死んだほどだ。

設計が悪いとかも言われたけど、ギリギリの性能を求められる設計では良いも悪いも無い。あれはほぼ限界にまで肉を削った立派な設計だと思う。

問題は組立・溶接と言う事だった。これは三菱重工では良くある話。最後の最後は職人さんの技で何とか?である。深海も最初の機体は、そうだった。プロジェクトXでもあった通り。そんでLE-7でも、同じように溶接の神様が出てきて、くっつけて爆発しなくなりました。

実際爆破死亡事故の後、再度見直しって、まぁ接合部の品質管理の徹底が行われまして。そりゃぁ凄いモンだった。ほぼ三菱の面子をかけたモノだった。

ロケットなんて火をつけて上がる打ち上げ花火と同じ程度にしか馬鹿の集団、馬鹿文化系大学出は、分らないだろう。あれは実に凄い技術で出来ている。

馬鹿は、すぐにハイテクだとか、最新鋭!とかほざくが、最新鋭ってのは、結構手作業だったりするし、最高精度って人間の手の感覚だったりする。0.001mmの切削をやる時は、こんだけハンドルを回して、そんで加工するとこうなるから、それを気持ち、ちょっと戻すとか、そういう世界。馬鹿だけが慶応の金融馬鹿みたいに使い捨てにするんだぜ。馬鹿だから。

ロケットの技術について、馬鹿は分らないだろうけど書いておくが、ロケットの技術は本当に基礎技術の積み重ねである。その際たるものは素材技術。例えば低温脆性ってものがある。これは低温になると、金属の強度が弱くなるのだ。

これは、北海道でも旭川ぐらいでしか発生しない。大体最低気温が-20℃より下がった所で発生する。一番良く分るのは自動車のプロペラシャフト。これが斜めに折れるというより割れる。低温になり、初動のトルクに負けて割れるのだ。事ほど左様に、低温の設計力の見積は弱くならざるを得ない。弱くなると傷などの欠陥を見逃さない。通常より強力に強度を下げる。だから朝鮮民族などには扱えない。

「能無しドン」や「ぽてっとドン」はケロシンタイプ(所詮スカッドミサイルの延長線上)で低温問題は無いが、大抵ロケットと言えば水素+酸素型の燃料を使う。すると-200℃を切る超低温の世界となる。当然、低温脆性はバッチバチで効いて来る。

また燃料をポンプで送り込むが、このポンプが地上最強のポンプである。通常では考えられない揚程で上げられる。(揚程についてはWIKIででも読んで。)無理に無理を重ねているのだ。何故かと言うと、重量的にギリギリの軽さにしないと意味が無いからである。そしてホンの1分持てばいいモノだからである。そこでギリギリの見切りがある。

例えばボディーは、その全てが強化ジュラルミンの削り出しである。これは強度を持たせる為の表面構造がびっしりと刻まれている。これを平面で削り、それを曲げて円筒を作る。これ自身が大変な技術である。私が見た所、アリアンロケットよりH2の方が技術的には上だろう。

例えば今から25年ほど前のフォークランド紛争で、フランスの「エクゾセ」ミサイルが、イギリスの最新巡洋艦シェフィールドを一発で撃沈した。だが「エグゾセ」のジャイロ用のベアリングは当時の日本のVTR用の民生品より100倍精度が劣っていた。そして、その事実から世界で一番高性能な対艦ミサイルは三菱重工のASM1であろうというのが世界の共通認識だった。

これを慶応如きが分る訳が無い。

またベアリング技術の最先端であるリニアガイドでは日本の誇りTHKの製品の凄い事凄い事、まぁ馬鹿文化系大学出は分らないだろう。あれが宝であることを。日本の偉業である事を。

朝鮮がリニアガイドの最低製品がようやく作れるようになった昨今、台湾のHIWINは、THKとは別の方向性で製品を出している。ライバルとはこういう国を言う。適当な嘘は言わず、質実剛健で、しっかりと仕事をする。低脳な慶応はせいぜい朝鮮どまりの品性である。

その朝鮮製の出来の悪い慶応のマッチ棒が、何かと言うと、すぐ金融の開放とかほざく。こいつ何か見てきたの?って思う。

1980年からはっきり分った事は、金融政策が、あまり通用しなくなったと言うこと。それは第一義的に銀行と言う「ヤクザ」が自分の利益のためだけに動く(ふざけた諭吉的愚行)為、国内産業の倒産とかを止める事は出来ず、また、自立的な復活も出来なくなった。それは失われた十年で思い知ったと思っていたが馬鹿にとってはあれでも不足らしい。

加えて、何処に投資すればいいのか?馬鹿は分らないって事だ。馬鹿文化系大学出は、全てにおいて何も分らない馬鹿の集まりである。だから必要な投資の方法論が分らない。蓮舫なんぞも、実は何も分らない。ただ口先で噛み付いているだけだ。

1980年頃から「ハイテク」と言う言葉が流行り出した。これは実に下らない言葉で「私は科学音痴ですよ」と言う奴が「何か凄い技術だろうと思う事」につけた言葉である。毎度聞かされて辟易する。揃いも揃って馬鹿が板に付いたカマボコ・アナウンサーで、何とも「俺、馬鹿やでぇ~」って面していた。

金はある、有り余っている。だが、それを増やす方法が分らない。実際将来にどう言う投資をすれば良いか?分らない。分る筈が無い。だって馬鹿丸出しだもん。

例えばバイオ。教育機関に働きかけて人材を作ったは良いが、馬鹿な馬鹿企業ばかりで使い方が分らない。その結果、有意な人材がいるものの、今や塾の教師をするぐらいしか身の立て方を知らない。かわいそうな状況である。その一方で憐憫をかける価値の無い馬鹿製薬会社は、バイオ装薬の開発が遅れに遅れて、今後、劣勢に経つのは分り切っている。

これが馬鹿の姿だ。

銀行は銀行で、慶応の低脳と同じレベル。金利の改革開放って、それで?金はあるんだよ。量的緩和をやって、金は本来幾らも市中に出回っているはずだ。ヤクザ(銀行)がいなければ…である。それで何も出来ないのは環境を作り出す存在がいないからだ。ただ有り余っているものが沢山ある。馬鹿文化系大学出である。何も出来ない何も知らない何も考えられないがエリート意識だけは人の一兆倍ある。主に慶応の物体だ。

残念ながら、世の中は、技術の未来が見えにくくて馬鹿がミスリードして、馬鹿文化系大学出の時代になったが、それだからこそ大規模な金融破たんが、予定よりかなり早くしてしまった。馬鹿故である。

だが馬鹿は、何も分らないから金利を扱えば、何処かのお人好しが何とかするだろうと言う、最低最悪の低脳さ加減を見せるだけである。だが馬鹿文化系大学出は馬鹿な事しか言わないし、しない。例えばスーパーと言うのは馬鹿文化系大学出ばかりで構成される上層部を持つ。当然低脳集団である。この馬鹿が作ったのはスーパーなどの規格である。

これは農業廃棄物を量産させてしまうだけの馬鹿規格である。人を苦しめるだけで実体の無い都合だけの規格である。だが馬鹿だから実態を分らない。これにより食べられるものが「ゴミ」となる人類とは呼べない「ゴミ」即ち馬鹿文化系大学出のお陰である。

これの出所は実に下らない事である。労働生産性とか言うなら、それを何とかすれば良いのだ。それは化学的な技術的な問題となり馬鹿文化系大学出は馬鹿だから何も出来ない。だから人や世の中に皺寄せを与えるのみなのである。

例えば皮剥き機というものがあるが、これも、あるおっさんが巨費を投じて開発して世間の役に立っている。これも皮が簡単に剥けたらと言う切なる思いから始まった。このおっさんは無学である。だが立派なエンジニアである。それに比べて馬鹿文化系大学出の体ので貧相な事と言ったら、もう表現のしようが無い。

この20年の動きといえば、何か新しいものが出来たから、こうなると言う形ではない。なかった所に先進的なものを移植して富が生まれるという事であった。これは馬鹿でも出来る事である、だから馬鹿が力を持ったのだ。そして、中国と言う広大な虚無に設備を入れて急激に膨らませたのである。

当の中国が何ら能力がなくてもでかくなった。需要があったからである。しかし膨らみ方が問題だった。急激に膨らむ所は、日本以外はほぼ例外なく貧富の格差が発生した。そして、様々な社会の歪みを生み出すのだ。それが分らないと言うのなら馬鹿文化系大学に社会学と言うものは無いのだろう。

加えて中国はかつて例が無いくらい急激に勃興した、社会システムや社会の知恵としての近代化が根付く前にである。それは今後大きな問題を生み出す事ははっきりしている。それを今、成長率で隠蔽されているだけで、問題の端緒は幾らもある。

馬鹿がYahooのコメントに「根拠の無い中国崩壊論がでてくるんだよな」と馬鹿が馬鹿面して、ほざいていた。「中国は内需に転換して今後も問題は無い」と、この論法や上から目線。慶応だな。と思ってしまう。

それが通用するようだったら世の中は何も問題は無い。だが貧富の格差は需要の抑制を招く事は分っているし、多過ぎる資産は投資に向かうだけで消費には向かわない。この実に単純な事を馬鹿文化系大学出は「分らない」を連発する。

根拠は明確な形になった場合それは終了形となる。そうなると後は見たくも無い結果を待つだけとなる。そうなると馬鹿文化系大学出の唯一の能力「大変だ」の大合唱となる。もう、そうなると収拾が付かない。ギリシアショックの時マスコミは、実に有益で効果的な提言ばかりをした事だろう。私は知らないが。そうなると以前の話を拾ってきて、ああでもない、こうでもないと「大変だ」の変形を大合唱。そんだけ。

労働争議が出てきて、企業が工場を移転するとなれば、それは当然「世界の工場」を自認する中国の弱さとなる。それだけではない。内需転換は、どの程度の金を貯蓄しているか?が問題となる。この時慶応的な寝言、総体で幾ら?って事をほざくのだが、それは意味が無い。

どれぐらい小口で、どの程度の量を実質的な平均で持つか?これが内需の重要なキーとなる。資産は分散され、拡散されている程、内需の影響は強くなる。だが分散され広くなるより早く集約されている。それが貧富の差である。この大問題を当然馬鹿文化系大学出は見ない。馬鹿だからだよ。上から目線で楽観したいだけだからだよ。

前回は中国は世界的金融危機には何とかできた、だが韓国のような一般消費の減退があれば中国もドでかい「お荷物」になる可能性は幾らもある。

貧富の格差はあっても言いとほざいているようだが、それが消費されない資金を生んでいる事を馬鹿文化系大学出は「分らない」を繰り返す。分らんでいい!お前らは排除する!

中国の貧富の差は、必ず経済のシステムとして、それを圧縮する方向に動く。何故なら、投資と消費は一致しなければならないからだ。

馬鹿の言う「金は増やすように使えば増えます」は、通用しない。「金さえあれば、投資さえすれば」は間違いである。

今後、あんなに苦労して人を蹴落として足蹴にして、後ろ指を差されてまで貯めてきて、それが一夜の内に「ぱぁ~」になるなんて…。と言う事が起きる。

実は、この問題は江戸時代の日本にあった。馬鹿文化系大学出は知らないだろうが、今の経済に一番近く一番早くからやっていたのは日本だった。土地バブルや、近代的取引などは、この時代に発生していた。そして今の状況は、投資と消費の問題として、既に現れていた。その捌け口が「徳政令」である。

これは明確に、破産法の一括適用と考えれば良いだろう。これを馬鹿文化系大学出は暴挙とかほざくが、だが、何時までも借金するしか脳の無い武士に、馬鹿みたいな借金をかけて、それをまともと思う方は利口と言うのだろうか?

どうせ、その時は「それは仕方が無い、世の中はそうなっているから」とほざくだろう。だが、そうではない、このシステムは金持ちである商人が作ってやったものだ。全ては「運用者側の合理性」によって出来ている。使う側の合理性は考えられていない。その際たるものは貿易業である。

貿易は膨大な利鞘を載せられるからシルクロードのような命懸けの旅が出来たのだ。これが当たり前になっても利鞘を載せる事は止めていない。よくアジアの小物を売っていたりする仕事があるが、あれは大儲けするのは当然である。元がタダ見たいなモノだからである。

所得の低い所の一般品を所得の高い所に持ってきて、そこの一般品として売るのだから、それは儲かる。しかも民芸品は見た目の値段である。珍しいものならば、更に儲かる。このシステムに近いのは「麻薬」である。儲かるのは分るだろう?慶応なら特に良く分る。何故なら我々には一般的ではないが、慶応にとっては日常であるからね。

つまり経済は放っておくと「誰かが際限なく儲ける」ものなのである。だが、それは資産の集約となり、投資と消費のギャップを生む。これが問題となるのだ。

基本的にプライスメカニズムが利く世界なら良いのだが、そうではない世界がある。それが金融である。慶応の厄病物体が我が物面している世界である。醜悪な魔物の世界である。

例えば、それはAIGの救済の時に出てきた。アメリカ政府のAIG救済額が小さすぎるとの事だった。救済額がでかいと言う事は、それだけ損失が穴埋めされる。だが元々馬鹿が馬鹿債権を買って失敗したのだ。慶応を始めとする横暴で下劣な集団金融セクターは、一般人に対しては自己責任を強制するが、この局面では救済される。つまり他人に助けてもらう事を「合理的」と非合理性の塊である竹中平蔵は主張するのだ。

これを見ても「運用者側の合理性」が前面に強調されている。これがプライスメカニズムに大いに反するのである。だから極端な破綻をきたすのだ。それが理論理論を吹聴する慶応下悪偽塾の経済失敗学の合理性と吹聴する「非合理性の典型」である。せいぜい今の内に吹聴しているが良いだろう。後で、その恥の記録が前に出る。

この「運用者側の合理性」が全く否定されていない。その結果合理的・合法的に膨大な利益が加算される。その際たるもの財政健全化に対する法人税減税と消費税増税である。

福祉目的税に使うから、これで景気を加速されるから取っても良いと言うのが論拠のようであるが、残念ながら通用しない。何故なら、財源は一般消費にかかるからだ。強い財政、強い経済、強い国内需要なんぞ、夢のまた夢である。取ってくるのは一般消費なのだ。そして企業の側の支出は減るのだ。しかし分け合うのは公平である。だったら、どうなるのか?

大体ばら撒きばら撒きと言うが「エコ減税」はなんなのだろうか?それで利益を上げてカルロスゴーンは9億近くかっさらう。これが「運用者側の合理性」である。自分で儲けたなら9億は良いだろうさ、だが国内問題に関して言えば、明らかに儲けさせて貰っているのだ。エコ減税を日産は言わないなら9億に文句は言わない。こういうのを「盗人猛々しい」というのだ。

こう言う「自分は助けてもらって、他人は助けられない」と言う偏った合理性は、このままでは済まされない。いつかは破綻する。それを一番表しているのが、通貨の問題である。全ては「偏りから始まり、それを加速する馬鹿文化系大学出天国」の世の中が、起したものなのだ。

金の額が増えたから富を持っているとは、当に「運用者側の合理性」の典型である。しかし、それを確保しようとしたCDSやCDOは全滅である。だからBRICSは鉄鉱石や石炭の価格の高騰を狙っている。しかし、それでは生産性の破綻をきたす。どうにもこうにも逃げられない。富の確保には、国中が豊かさを実感して富を後押しする「実感ある好景気」である。

だが小泉下衆野郎の「慶応の慶応に依る慶応のためだけの便宜供与改悪」は「実感の無い景気回復」を起した。この実感の無い分は、この世を悪くするためだけに存在する悪党の手に渡っているだけなのだ。そして、その金がそいつら自身の資産を破壊するために「投資」を待っている。

待っているのは「インフレ」だよ。

この件に関しては「たかじんの委員会」は参考にならない。毎度増税増税と御目出度い話だ。ただ、最近財務を優先すべきと言う論法は注意を要する旨の、私と同じ意見の人が増えてきたって言うか、増税が現実化してきて、同じ意見を持っている人が意見を発表してきたのだろう。

財務の問題に関しては、三宅久之は延々と言っているが、どうも偏りの過ぎた論法が多く、とてもまともとは思えない。第一「ギリシアショック」とかには殆どまともな議論に加わっていない。こいつも経済音痴なのだ。二言目にはポピュリズムポピュリズムと鳴く虫なのだ。

大体世の中は私の疑問に答えてくれるように動いている。EUは大丈夫なのか?東欧は何か売るものがあるのか?東欧の前の借金はどう払われたか?技術進歩はあったのか?富は公平に分配されたのか?回答は「No」だった。

肯定的な方法論は延々出されず、矛盾は利子の如く増えていった。そして今である。

これらは慶応の竹中平蔵の寝言と同じく何時の間にか時間が解決してくれるという願望でほざかれているのだ。竹中平蔵はテレビに出て毎度、来年はおろか、3月後には前言をひっくり返す事を延々とほざく。思えば、この「口舌の徒」の寝言こそが良くない。何とはなれば「しっかりとした繁栄」こそが無ければ意味が無い。それは実態としたモノである。近代経済は、モノの創造によって地盤をしっかりしたものとした。

思えばサムスンの勃興は、安物文化の行き着く先であり、お安い繁栄の最たるものだ。それは実にお安い寝言の慶応と相性が良かろう。何とはなれば、ロケットも打ち上げられない貧相な国家である。半導体だけが、ユニコーンの角のように出張っている「いびつ」な産業国家である。産業の広がりも無く、底強さも無い。

金は価値と置き換えても良いだろう、つまり今の世の中は、金の額ほど価値があるとは思えないのだ。だから下がるのである。思えばデザインは変わったが、それ以外は変わり映えのしない世の中である。コンピューターも速くならなくなった。そんな中、金だけは膨大な量に膨れ上がった。

それは、ある意味実業を売り渡して虚業で稼いでいる姿といって過言ではない。そう慶応の経済学部とは虚業学部なのである。アメリカやイギリスを見れば良いだろう金融バンザイの結果、製造業が酷い有様である。その結果、景気の乱高下を繰り返す。幾ら頭の弱い共和党の連中でもリーマンショックが、あと3回も来れば考え方も変わるだろう。

何とはなれば、アメリカは今有人ロケットを持たないと言う異常事態になっているが、それを気にしないようだ。今有人ロケットを持っているのは中国とロシアだけである。何ともローテク国家の筈だが、ハイテク国家には慶応の属領のような奴がいて、ハイテクを無効にするのだ。その結果の変な状態である。

また日本も大規模半導体投資が、当然馬鹿文化系大学出の馬鹿さ加減によって出来ない、未来への投資は挑戦であって、確保されて当然の濡れ手に粟では無い。だが濡れに粟じゃないと出さないと馬鹿だからほざく。それが「賢い」らしい。今歴史は馬鹿によって変な方向へと流されていく。だが馬鹿は問題を複雑にするだけで解決はしない。その最たるものがアメリカの原油流出事故だ。

今まで海底油田が上で爆発する事はあっても、下の配管が駄目になって油が流出する事は無かった。そして、その対処法が無いまま放置されて今に到る。最初、これは大した事の無いトピックスかと思ったが。もしかしたら、もしかする。

海洋資源枯渇が大西洋で発生する可能性がある。このBP災害は、今後、EUや南米の半分の海産物が無くなる事態となる。

しかし、もっと問題なのは、それを止める方法論も無く用意する、つもりも無かったという事だ。技術は、世界的に劣化しているのだ。それは1990年代から、共産主義崩壊の後は馬鹿文化系大学出の時代であり、技術が劣化し、社会が劣化する時代だった。

それなら次の世界は、馬鹿文化系大学出が何か作るのだろうか?

無いよ。馬鹿文化系大学出は消費しかしない。

それが「馬鹿」なんだよ。

つまり「終わる」のだ。

私は最近、何故戦争が起きるのか?世界大戦が起きるのか分かった。

それは「自分だけがうまく立ち回り濡れ手に粟を達成する」と世界中で思っているからだった。

つまり「世界の慶応化」である。

「利益は自分、責任は他人」

これが、まかり通ると確信している馬鹿の集まり。これが問題を起こし、こじらせるのだろう。

皆何か起きたら何とかとほざくのだろう、だが、何とかでモノが解決はしない。

馬鹿みたいだが、何とかは、何であるか?を話さないといけない。だが濡れ手に粟の慶応野郎は、何かを明言する事を嫌がる。その結果、対策がぼやけて意味が無くなる。何故なら確信の悪党だからだ。

その悪党は慶応だけではない、汚沢である。このクズが居るから都合の悪い事は言えない。高速道路料金も当にそうだった。これを排除しない限り、馬鹿みたいに簡単な解決法すら取れない。その結果、日本が潰れるのだ。

だが、サッカーの馬鹿の騒ぎを見てもつくづく思うが、自分だけは利口で、馬鹿は実務をやっている連中であると言う、理系になると実務をしなければならないから出世出来ないという、無能者だから出世できる馬鹿文化系大学出寝言がまかり通る。

本当に、あのサッカーを見ていると日本の病巣を思い知らされる。支持政党なしとは、実にその事を言う。その自分に恥ずかしさを憶えない馬鹿の集まりは、地獄を見るだろう。見た方が、そいつの為だろう。