もう買えないものと思っていたエヴァンゲリオンQのブルーレイがMrMaxに売っておりまして、まぁイーバランスのパッドも買ったので、そのついでにと思いまして。
さて、見るにしてもブルーレイときて、しょうがないからdvdレコーダーを使ってやりました。
録画が入るたびに途中停止で、二日ががりでみたのですが、まぁ凄い!
映像の力に押されて、とてもついていけない。
昨年の今頃Yahooの質問箱に「夫がエヴァンゲリオンQを見て変なんです」という投書があった。
しかし分からんではない。あの情報量を綺麗に分かれというのが無理。
私も「ああガイナックスがやりたい部分だな…」とか。「この盛り上がり、好きだよなぁ~」と思いながら見ているのですが、まぁ突如現れる茫漠たる廃墟や、何がなんだか分からない初回のストーリーの展開はまぁ一発で理解できるか?と思うのです。
ただ、碇シンジが碇ゲンドウと同じなのでは?と思えるのです。
この2碇は「何か知らないけど希望」ってのがあって、と言うかゲンドウは碇唯の復活だったのだろうけど、その後、その考えが変な方向へ移っていったと言うのが問題だったのでしょう。
今回碇シンジが、碇ゲンドウの唆しに乗って妙な遣り甲斐をもって突っ込んだが、実はゲンドウの罠だったと言う事でしょう。
エヴァンゲリオンが分からないと言う人には、この言い方はどうでしょう?
「人は、何かの理想や遣り甲斐を持って、何かを企図する。そんな人が居る。その彼らが世の中の理想形を作るのだ。だが、時が経つに従い、どんなに立派な企図であろうと、当初の方向性が『惰性』となり『その価値を過大評価』や『方向性の違いが分からなくなる』のである。その結果、人類の革新と言う凄い理想だったのが、実は、新しい人類の為には古い人類は全部滅びると言うことを意味した。だが碇ゲンドウなどは進化した人類の革新と言う奴を『全人類を抹殺』しても見てみたいと言う考えに『凝り固まっている』のである。サードインパクトの後流石に『碇ゲンドウやゼーレ上層部の考え方はラリっている』と全世界の政府がBilleを組織し、敵対しだした。その一方で『ゼーレの計画』は達成直前まで辿り着いていた。あと少しで完成と言う点で『全ての人類がバラ色に』とか『セカンドインパクトで駄目になった世界をロンギノスの槍とかを使えば何とかなる』と言う『お安い夢』が成立しない事を実感した。だが、今回のQでは碇シンジが『槍を使えば元の世界に戻せる』と言う考えに変わったのである。今回、それも『幻想』であったと絶望した碇シンジを惣流アスカ・ラングレーが引っ張っていくのである。」
上は「粗筋」でこっから先は「主観」です。
これは一番の問題としては「巨大エネルギー産業」や「巨大生産プラント」を前提とした世の中の動きに対して、組織の合理性や業界の合理性は、何時でもこんな変な事をするんだと言う事をカッコイイ戦いと茫漠とした廃墟を交互に見せて、エネルギーが爆発する戦争の現場と、エネルギーが枯渇する戦争が終わった現場の比較を見せているのでは?と思うのである。
まぁ、こういうのはよくある文明批判なので偉そうにと言うかもしれないが、しかし「茫漠・凋落・破壊・破綻」と言うものを、それまでのエヴァンゲリオンのネルフと比較すると様々な違いを見せていると言う点で、画期的で、何よりしっかりと科学戦闘をやっていて、まぁチョングソが見ても分からないだろうということは確実だ。
当然虫獄も無理だろう。
そして、世界のエヴァンゲリオンファンと、話がしたいなと思う昨今です。
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