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日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

上級市民問題で久々名前が出た「小松政夫」さん。77歳ながら無事故無違反で安全運転の秘訣を述べていたが色々なギャグは偶然の出会いから得てきたモノだという。それと伊東四郎・昭和九年会

2019年09月29日 16時26分22秒 | 日本の弱点

普段の一般人の方が見られる私のブログは「芋煮」とか「大泉滉」とかのネタが多いので、日和っていますが、取り敢えず目にした「小松政夫」さんのお話を少々。
小松政夫さんは「上級市民」の「暴走事故」についての意見を聞かれて「恥を晒していますね」と厳しいが当たり前の発言をした。
「運転が下手なのに、あんなでかい車を運転するのは止めた方が良い」とは当たり前ののセリフであるが、彼は無事故無違反が証明する名運転手であり、安全運転の秘訣として「マニュアル車だからでしょう」と断言した。「マニュアル車は発信失敗はエンストですから」と持論を展開した。加えて彼の乗車は「外国車」との事で、それは初めて独立してから、ずっと外車なのだそうだ。最初に運転した車は「リンカーン・コンチネンタル」で付き人をしていた植木等さんの所有だったそうだ。
この人といえば、伊東四郎とのコンビで「デンセン音頭」で一世を風靡したが「欽ちゃんのどんとやってみよう」が終わった次の番組が「伊東四郎のピンチヒッターショー」で、その時にも小松政夫さんが出てきており、我々は、少々大人向けの芸で白けていた。
小松政夫さんは「淀川長治」の形態模写がウリだったが、他方で、「小松の親分さん」「悪ガキ一家の鬼かあちゃん」「ずんずんずんずん〜小松の親分さん♪」、「もう、知らない、知らない、知らなぁーい、もー!」、「ニンドスハッカッカ マー ヒジリキホッキョッキョ」のギャグで有名だが、最後のニンドスは、学校の女の担任から言われていたらしく、泣いている小松にイキナリ「ニンドスハッカッカ マー ヒジリキホッキョッキョ」とやってびっくりした小松して泣き止んだのだが、その後も何度と無く、その担任の先生は「ニンドスハッカッカ マー ヒジリキホッキョッキョ」を連発したのだそうだ。「意味は?」と聞かれて「分かりません?知りません?」との事で今も謎である。
また「もう、知らない、知らない、知らなぁーい、もー!」などの「オカマ系」のギャグの出処は、その通り「オカマ」ちゃんからだったのである。
これは小松が独り立ちをする前の植木等やクレージー・キャッツのボーヤ(付き人の当時の呼び名)だった時に居候を許してくれたのが「オカマバー」の「オカマちゃん」だったのである。
大体小松が眠る頃に「オカマちゃん」は化粧を落とすらしいのだが、「あら!アタシ、こんな所にシワが…、もう、若くはないのねぇ〜、どうなるのかしら…」と言った後で顔のシワを伸ばすように顔を横に引っ張って「ながぁ〜く、お付き合いしてちょぉ〜だい!」と「ホンネ」を述べたのだが、これが爆発的に小松のツボにはまって、大爆笑したらしい。
小松政夫は「オカマの何気ない一言はギャグの宝庫だ」とよく言っていた。
さて一緒に入れ込むが伊藤四郎は、もともとお笑いだが「下山事件」などのハードな事件ドラマの俳優をしているが、この人は芸能人の集まり「昭和九年会」の一人でもあった。今は85歳だが、まだテレビに出ている。そう言う言い方は酷だろう。もう長門裕之や鶴田浩二、坂上二郎などの沢山居た芸能人はほとんど居なくなった。
私の父親が昭和九年であり、まぁ、彼のお陰で死んだ父の歳が分かる。この人は多分長門裕之と同じで「もう仲間を葬(おく)るのは嫌だよ」と、何時も取り残される側の寂しさを感じて来たのだろう。
小松政夫も伊東四郎も、下っ端から、押しも押されぬ存在と成り上がった。それは「成り上がり根性」ではなく誠実さが形を作ったものである。それからすると、彼らの様な存在の厚い芸能人はどの程度いるのだろうか?と思う次第である。
彼らの訃報を聞きたくないものだ。



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