歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

糞馬鹿文科系大学出の様な奴らの無茶を描くのには「廃仏毀釈」が一番面白いと思っている。

2015年12月13日 23時13分46秒 | 虫獄滅亡記

今日新聞を見たら、竹中平蔵がサイコパス面をして出ていた。

詐欺師の養成をしっかり受けた糞馬鹿文科系大学出は分からないだろうが、竹中平蔵が公に馬鹿面を出せるのは日本だけだ。

グリーンスパンも立派に「放送コード」に引っかかる。

日本には糞左翼の偏った方言がまかり通る所なので、そうでもないが欧米は「経済犯罪者」と「公的道徳」には厳しい。

私は、文学界とほざく糞の集団が嫌いだ。筒井康隆氏も、この糞連合が大嫌いだ。この糞連合は、左翼と繋がっており偏った事をほざく。

低脳の無能のキチガイだ。この糞文学とやらが、蔓延ったのは、明治維新後だろう。

そこで毎度思うのは「廃仏毀釈」を扱っている時代劇なんか無いのである。

ピストン寂聴も経験のある乱交パーティーは書けても、廃仏毀釈は書かない。

それは糞だからだろう。

無論左翼、糞馬鹿文科系大学出もそうである。

この糞馬鹿文科系大学出の様な奴らが、こぞって「廃仏毀釈」を行った糞野郎である。

何故なら「オレサマ」の世界だからだ。

今日姪と一緒に行った寺の地蔵堂には、頭だけの地蔵尊がある。これをやったのが今の糞馬鹿文科系大学出と同じ、左翼と同じの糞下衆である。

実際、ピストン寂聴の様な乱行をしていた為に、恨まれていたのだ。そこで都市部を中心として廃仏毀釈は進んだ。

そして慶応のふざけた諭吉のような「過去の文化を完全否定するお調子者=糞馬鹿文科系大学出=左翼」である。

その結果、日本の美術品が海外に流出した。好き好んで馬鹿の教養の無い馬鹿文科系大学出が棄てたのだ。

私は文科系大学を出ているような奴が日本の美をほざくのを聞くのはごめんだ。

オマエと良く似たキチガイがやった事だ。海外に日本の一級の美術を棄てたのは、ベンツに乗りたがるような馬鹿だよ。

私は廃仏毀釈の様子を色々聞く事があるが、実は仏教を守ったのはピストン寂聴の様な下衆の外道ではなく、神主だったりする。

つまり神職の方々が「余りにも惨い」と引き取ったり、隠して残したりしていたのである。

もうTBSやテレビ朝日のような連中はキチガイである。一方的な論法を載せている。

今、テレビ局を見て、それが事実と思っている奴はいない。

老い耄れも「とても本当とは思えない」と呆れている。

最近ニュースで流れるのは、人間の感覚と一致していない、目鼻立ちの分からない目撃証言のようなニュースとマスゴミが主張しているものである。

それは事実でも、真実でもない。そんなマスゴミに乗っているのがピストン寂聴であろう。

今のマスゴミや仏教を見ていると、これは廃仏毀釈の前夜を見ているようである。

ピストン寂聴なんぞより、まじめに仏教を考えるのは「佛徒」であると公言する宮崎哲也である。

彼は、もう正直自分の仏教世界を確立しているようである。当然糞馬鹿文科系大学出が及びの付くものではない。

その問題の中には「仏教はビジネス化が制度的に、その傾向がある」のと「ビジネス的にやるんなら、新興宗教の方が若い人間には訴える」だが、「新興宗教ってのは哲理から考えれば空虚である」しかし「現行のビジネス仏教も似たようなものである」というものである。

近年に到っては、仏教の宗教法人格は売買可能である。となるのである。

実際、仏教の教えを一番馬鹿にしているのは僧侶と糞馬鹿文科系大学出である。

地方を旅する時に、ふと祠とかが、左翼の外道じゃなければ見つけるだろう。結構、その中に頭や手を折られている像がある。

最初、それは自然に起きたものと思っていたが糞馬鹿文科系大学出の様なキチガイが意図的に割ったものである。

この「オレサマ狂」の「狂粗」様となると、馬鹿が平気で壊しまくる。

良く戦争とかが悪いとほざくが、戦争が悪いのは分かっているがそれを起こしているのは?

それは貧困であり貧富の差である。

持つ側になった銭ゲバ左翼であるマスゴミと文学界は利益の為に現体制を維持しようとするが、それは確実な不信と共に、廃仏毀釈として出てくるだろう。

もう若い連中もマスゴミを適当なお約束の噂とぐらいしか思わない。

基本的に毎日・中日・朝日が全く信用されていない。

馬鹿どもは気付かないだろうが「週刊朝日」が病院から消えている。

「女性自身」と「週刊朝日」は何故か病院には多いのだが、私の知っている病院に行くと週刊朝日は無いのである。

実際、良い連載が消えている。早稲田の池田先生の話も全く左翼風が無くて、また肯定的過ぎる分子生物学へのアンチテーゼを載せていた。

まぁ馬鹿文科系大学出には分かるものではないだろうが。

色々見ていると、私は文科系大学出とは何なのか?と思った時に「信念が無い」「やさしさが無い」「敬虔さが無い」と思う。そして文化を分からない。真の理解が無い。

勝手な簡単な解釈を確信する。つまり「知能が無い」のである。

ピストン寂聴も「何時死んでも良い」とほざいていたのが「死ぬのは怖い」ときた。

その前には「業を消すために出家した」が「業はなくならないから、業あって万々歳」となっている。

豪奢な食事、豪奢な酒、豪奢な建物。

それで仏教なのだそうだ。

気が向いて、人を呼びつけて講和とか。

大笑いである。

このピストン寂聴や糞馬鹿文科系大学出を見ていて思うのは自分だけが大事で、その誤魔化しを延々とほざくのだな。

それは運転が下手なのにベンツに乗って、交通の邪魔をしているのに良く似ている。

林真理子も、薄汚い面に薄汚い存念で、それを書いて読む馬鹿が居る。

内舘化け物もそうだが、顔も悪けりゃ性格も悪いと言うものだ。

こんな糞に権力を与えるのは往々にして醜悪な制度である。

様々な醜悪な治世があるが、それは往々にして精神も薄汚ければ面相も汚い。

その点では文学も不細工な品性が面に出ている。

筒井さんは、みていて、結構整っている。そういう点では、やっぱり40を過ぎたら人は自分の顔に責任を持たなければならないのだろう。

悪い。おれは、どうも子供に好かれるし、市場のおばちゃんにも好かれている。姪も「おじちゃんと一緒に帰りたい」と泣いていた。

糞左翼と違って、悪い面ではないようだ。。。。。。。。。。。。。。。。。



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