館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

12月17・18・・・岡田京子コンサート。

2015-01-10 07:07:09 | 音楽を思う
土曜は音楽なのだが・・・

このコンサートのすぐあとに、笠木さんの訃報が届き・・・記事のアップをどうしたものかと・・(なんだか、音楽のはなしするきにならず)年が明けてしまった。


大事な(僕のとって)記事なので、この期に及んでアップすることにした。









11月末から12月中旬まで、観戦や参加の音楽の集まりが続いた。
毎週・・しかも、土日連続など、怒涛でもあった。

その〆は、師匠、岡田京子さんのコンサートであった。

数曲伴奏など・・・・



打ち上げ前の準備中・・・



岡田さんは、1曲に実に時間を割く・・・・曲のテーマとするものを、自分の体験から語り、あるいは、お客さんに多く語ってもらう。
その場の作り方が実に上手い。
話に重さと、日常で置き去りにしている心の在り処を揺すぶるので、いつしか引き込まれたりするのだった・・・

まったく、老獪・・・いや・・・このように年をとりたいと・・・・


彼女は軍医だった父親の関係で、幼少、満州ですごす。
その満州の原体験が、今の音楽や、ものの見方を作っているという。

満州と彼女は知っていたが、彼女自身がそれを語るのを、僕は初めて聞いた。

あの笠木さん、望年会・・阿智村での「満蒙開拓平和記念館」訪問といい、僕の12月は満州だった。



事前の電話などで、近況の報告などしあっていたいたので、打ち上げでは「笠木さん」の話がしたいと、いろいろ話した。
そして帰る日に迎えと、駅までお送りした。話したりないと、喫茶店で1時間以上も話したか・・・

彼女も笠木さんとは実に関係の深い方だ。

1月7日に見舞いに行くと言っていたが、かなわなかった。無念だったと思う。

互いに、音楽について、プロの立場で論をかわし、高めあってきたお二人。

その分、笠木さんへの注文もあって、「あなた、どう思うの!」と・・笠木さんとその音楽姿勢とか、考えることの多い話ができたのだが、今は、言葉が見つからない。

彼女の「笠木さん」と、このとき出来た、深い論議は、後日、言葉が見つかったら書いてみようかとは思っている。


二周り先輩の猿!

83歳になられたか・・・・まだまだ、長生きして、僕に刺激を与えてほしいのだ!!!
コメント (6)
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